僕とキミとの15センチ
みーたんと忍者タナカーズ
第1話
2015年の夏。
世界陸上の決勝の舞台に立っていたのはウサイン・ボルト。
向かうところ敵なしのボルトに挑んだのが、アメリカのジャスティン・ガトリン。
ゴールライン上を駆け抜ける二人。
ほぼ同時に見えたその勝負を征したのはウサイン・ボルトだった。
ボルト9秒79に対して、ガトリンは9秒80。
わずか0.01秒差であった。
実に10センチ差の僅差である。
その10センチ差が金と銀を分けた。
その日、ツィッターに出回った上から撮ったゴールシーンの写真を今もスマホの待ち受けにしている僕は、話の流れでも分かるだろう。
「荒川飛鳥、陸上選手さ」
小6の頃14秒をきり、中学時代は陸上部。
中学生で12秒をきれたのは、ある意味自慢であった。
高校に入ると陸上の強い高校から誘いを受けた。
しかし高校に入ると記録は伸び悩み、常に11秒台後半をさ迷うことになった。
回りには10秒台が溢れ、僕に向けられていた期待が少しずつ消えていくのを肌で感じていた。
そして代表選手にさえ選ばれなくなっていった。
2年生になると100メートルを諦めて、別の競技を目指した方がいいのではと、コーチの助言を受けるようになる。
そんな2015年の夏。僕はボルトとガトリンの試合を見た。
ガトリンと言えばそれまでのイメージはドーピングの人というイメージしかなかった。
とは言えアテネオリンピックの金メダリスト。
ドーピング問題からの北京オリンピックでの銅メダル。
そして今回のボルトとの死闘。
諦めてはダメだ。
そう自分を奮い立てた夏。
やがて冬が来て僕は所詮能力のない人間の努力は、天才の努力には叶わないということに気付かされる。
ガトリンと自分を一緒にすること自体無謀なことなのだ。
相手は腐っても天才。
未だ日本人の誰もきったことのない10秒の壁を超越して走る生まれながらの天才なのだ。
天才が努力したら、凡人がその上の努力を続けたとしても太刀打ちできやしないのだ。
無駄な努力だったのだ。
やはりいつまでも100メートルに拘り続けてしまったこと事態が自分の奢りなのだ。
確かにこの学校に入学してすぐなら、日本記録に最も近い選手とさえ言い切れたかもしれない。でもメッキは剝がれたのだ。
日本記録どころか中学時代の記録と日々戦っているだけで、後ろから来た選手に次々に追い越されてしまったではないか。
そう、努力を怠ったわけじゃない。
努力をしてもこの記録なのだ。
怠けていたのなら、伸び代もあるかもしれない。
しかしここが限界なのだろう。
あとはそれを認めたくない自分の心の問題なのだ。
僕は待ち受け画面を消した。
そして他の競技を模索する日々となった。
正月、実家に帰ると、いつものように両親に、身内に、ご近所さんに、そして中学時代の同級生たちに、「どうだ、調子は?」という質問が繰り返される。
活躍などしていない。
それは分かってるだろうと言いたいが、本当に知らないのかもしれない。
そもそも陸上の記録事態、大きな大会でさえ新聞に載ることは稀だし、ネットで調べたとしても記録が出てこない。調べるのが大変なのだ。
名前が出ないのは記録が出てないからとは思わないようで、みんな記録が気になって結果を聞きたがっているだけなのだ。
周囲の期待はいまだ継続中である。
陸上競技の名門校にスポーツ推薦で選ばれたのだ。
期待されるのはしょうがない。
それでも素直になれず、見栄も晴れない。
作り笑いで、「どうにかついていってます」と答えていた。
帰郷してもどうも友達に会いにくい。
陸上の話題になるのが面倒くさいのだ。
それでも僕は中学時代の陸上部の顧問の坂本に会いに行った。
「伸び悩んでるそうだな」
さすがに先生には高校の陸上部情報が入ってるらしい。
「俺もあの高校が母校なんだ」
「そろそろ限界でしょうか」
「それを決めるのは俺じゃない。荒川が決めることだよ」
いつも走って行った校庭に出た。
「懐かしいだろう。後輩の走る姿を見ていってくれ」
僕の姿に気がついたのか、一部の生徒たちがヒソヒソ話を始めた。
3年の頃、1年だった生徒がすでに陸上部を去っていた。
だから誰一人知らない。
それでも僕のこと聞きつけて後輩の3年生が集まってきた。
「先輩久しぶり」
次々に声を掛けられた。
「みんな集まってくれ」
先生は陸上部の生徒を集めた。
と、一人だけ遅れて女子がやってきた。
「覚えてるか、3年生の品川だ」
僕は中3の卒業の日を思い出していた。
男子と女子は別々に練習するせいか、同じ部活なのに知らない女子もいる。
とは言え、品川のことはよく覚えてる。
足が速くてとにかく目立っていた。
しかも可愛い。
ただ遠くで眺めることはあっても、話しかけたことはなかった。
「品川瑠香と言います」
子供っぽい顔立ちで、赤ちゃんみたいな見た目だ。
それも年令のせいだろうが、可愛い顔をしている。
「背、高いね」
「160センチです」
それだけじゃない。
すらっと伸びた足。
足の長さは歩幅の点で有利に働くだろう。
「荒川先輩、最後に100メートル走、勝負してください」
品川は言った。
「ああ、いいよ」
そして一度だけ勝負をすることになった。
とは言え、これは送別会を盛り上げるための先生の計らいだろう。
用意、スタート。ほぼ同時。ずっと並走。
そして最後の10メートルで大差をつけて勝った。
「やっぱ、負けたか。まだ先輩には勝てないや」
「まだ一年だからね」
と言いながら、僕は品川の早さに驚いていた。
「陸上続けてるんだろう?」
先生が聞く。
「はい、一応…」
どうしても声が小さくなる。
胸を張って言えることじゃなくなっているからだ。
先生は知っているのだろう。
あの高校で負け組がどんな扱いを受けるかを。
「俺が陸上同好会をつくったんだ」
「えっ、そうだったんですか」
「落ちこぼれだよ。だから今では中学講師さ」
陸上の選手は引退すると何をするんだろう。
大学で教えるのかな?
先生は品川を呼び寄せた。
「今からこの品川さんと走ってくれよ」
100メートル走の再戦だ。
「いいですよ」
品川は少し大人になっていた。
「背伸びた?」
「5センチ伸びて165センチになりました」
相変わらず足が長い。
僕が伸び悩んでるとは言え、相手は2つ下のしかも女子である。
僕の走りは中学生女子の日本記録にはまだ負けていない。
あの勝負から2年しかたっていない。
まだ負ける気はしない。
「真剣に走らないと、私勝っちゃうかもよ」
品川は2年で自信をつけたのか、挑発してきた。
「そうだね、全力で走るよ」
スタートラインに手を置くと、気持ちが高揚した。
なんか、こんな気持ち久しぶりだ。
「用意、スタート」
スタートが少し遅れた。
いや、遅れたんじゃない。
品川のスタートが良すぎるのだ。
だから出遅れたように見えるだけだ。
いきなり5メートルくらいの差をつけられた。
僕の心に灯がともった。
僕は必死に走り、ゴール5メートルのところで品川を抜き去った。
「品川さん、相変わらず早いね」
「瑠香でいいよ」
女子を呼び捨て。
これはいわゆるリア充どもが、何食わぬ顔でやってしまうあの高等テクニックだ。
「でも、やっぱ、早いわ、先輩」
「ありがとう、楽しかった…、瑠香…」
ぎこちないやり取りだ。
「どうですか、私の走り?」
後ろから眺めていた瑠香の走りは、教科書のお手本のような走りだった。
ストライドが広いのだろう。
一歩で稼ぐ距離が長い気がした。
ピューマのような走りは美しく、見とれてしまうほどだ。
勝ちはしたが、心は穏やかではなかった。
しかし自分の記録を聞いて驚いた。
参考記録だが、高校生になって一番早い記録であった。
「私の目標ができちゃった」
瑠香が言った。
「私、先輩と同じ高校に進学する。そして先輩を打ち負かす」
瑠香は相当勝気なようだ。
「だからまた一緒に走ってくれる?」
「僕の高校か…」
高校の陸上部に僕の居場所はない。
そんな姿を見られたくない。
「じゃあ先輩、今からもう一回勝負しましょう」
「今から?」
「そうよ、私が勝つまでね」
「出た、負けず嫌い」
男子の声。
瑠香は足が速すぎて女子との練習じゃ相手がいないため、いつも男子と練習をしていた。
男子の中には瑠香に勝てなくて、ショックを受けてる連中もいるらしい。
悪口が彼らの最後の抵抗なのかもしれない。
「勝負もしないで諦めるのは一番最低よ」
「出たよ、出た出た。気の強さも最悪だ」
瑠香は少し嫌われてるようだ。
みんなが僕に勝ってほしいと思ってるようだ。
だからと言って手は抜かない。
まだまだ瑠香は僕の敵ではない。
それから2度走った。
少しずつ距離が近付いていた。
僕がばてたからじゃない。
僕の記録は少しずつ良くなっていた。
僕は自分のタイムより瑠香のタイムが気になった。
12秒切ってる。
早い。中学記録が11秒61。
「11秒99か…。いつもより遅いや」
瑠香はため息を漏らしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます