天才留年生のひょんな人生

竜胆ガク

記録1:この世は理不尽だ。

空を見れば雲一つない青空が広がっている。まだ風は冷たく、海から吹く冷気が肌を刺す。

いつもは陽気な気分で見ている景色なのに、今日だけはあの空のように明るくなれる気がしない。

 それもそうだろう。なんといったって、今年からは人生で二回目の「高校二年生」なんだからな。


 事前に一つ断っておくが、俺、「飯室いむろたつ」は断じて成績が悪かったわけではない。むしろ良かった方だ。

 数学を除くほぼすべての教科の評定は5、唯一5ではない数学であれ評定4だ。これは素直に自慢しよう。


 じゃあ、なんかやらかしたのだろうって?いやいや、断じてそんなことはない。全国民の前で宣言したっていい。むしろおとなしかった方だ。休日の大抵は家にいる。平日ですら、学校に行く以外に外出する理由がない。

 正直、俺自身が、いま置かれている立場の意味がわからない。

 わかってたまるか。人生まるまる狂わされたようなものだ。

 こんな悲劇の主人公は、歴史を進んでも遡ってもたぶん俺だけだろう。

 憂鬱な気持ちでまずは校門を抜ける。ここは問題ない。しかしここからが問題だ。


 昇降口。元同級生たちが歩いていく方向とは別の方向へ進む。正直精神的にきつい。

 たぶん新二年からしたら「ん?こんなやついたっけ?」という疑問は不可避だろう。

 単純に転校生だと思っていてくれればいいんだが…。

 前日に教師から伝えられた教室へと向かう。

 去年度と学年自体は変わらないので、階数は一緒だったが、教室は流石に違った。

 廊下では俺より一つ下の後輩たちが同じように歩いて教室に向かっている。幸いにも俺の存在は気づかれていないようだ。


 教室に到着するも、早々に扉という壁が憚る。

 閉められていることが非常に腹立たしい。

 開けるときめちゃくちゃ気まずいだろうが!

 ガラガラと扉が開く音がすれば誰もが無意識にそちらを見ることだろう。ひっそりと過ごしていれば大して気にもとめられないで済むのに、扉を開けるという動作が間に挟まるだけで存在感は非常にわかりやすいものになる。

 さらに、俺はこの学年には元々いなかった顔だ。知らない顔はじろじろ見られるという可能性が大いにある。

 しかし扉を前にしてあまり長いこと躊躇しているとそれはそれでおかしい絵面となる。

 想像してみよう。窓付きの扉の前で、あけることもなくただボーっとしている正体不明の男の姿を。

 部屋の外から見れば、ただ中を覗いているだけの変態にみえること間違いなしだろう。

 もちろん中から見ればその比にならない様だ。

 そこまで考察しておいて行動に移さないのは自分としても許し難い。しかたなく扉を開けて中に入る。

 予想した通り、扉はガラガラとなかなか大きな音をだして開いた。そしてこれまた予想した通り、教室にいた人たちのほとんどがこちらに視線を向けた。

 最低限まで存在感を薄くするために、できるだけ速く黒板に張ってある座席表を見て、黒板に向かって一番左の列、つまり外側にある自分の席へとさっさと座った。

 そして、机に突っ伏して、寝る。これ、最強。

 大抵の人は突っ伏して寝ている人には興味をもたないはず。 相当物好きな奴じゃなければな。

 さらに顔まで隠せるという一石二鳥、もう一度言うが最強の手段だ。

 こうしてさえいればホームルームが始まるまで存在を消すことができる。

 しかし、まさか俺がこんな手段を使わなければならない日が来るとは。人生一体何があるかほんとにわかったもんじゃないな………


「…い!おい、飯室!」

 なかなかいかつい男声が俺を呼ぶ声が聞こえた。

 ふと顔を上げると教室の席は既に人で埋まっており、一人残らずこちらを一点に見つめている。

 そして、教卓の前に体育系の見知った男性教室がたっていた。

「起きたか飯室。ったく、その立場、新学期早々怠けてるな。気を引き締めろ。さぁて、ホームルームを始めるぞ」

 …あーあ、やってしまった。この空気生活を送る上で最もやってはならないことをやってしまった。

 周りの人間は俺に対して「新学期早々寝ていた怠け者」という二つ名がついたことだろう。

 これによって、僅かながら俺の存在に興味をもつ者が出てくるだろう。

 何人かはまだこちらをチラチラみたり、クスクスと笑っているのが聞こえた。このまま見逃してくれることを願うしかなさそうだ。もう持ち前の強靭に鍛えられたらこの精神力を駆使して乗り越えると割り切るしかない。

「はぁ、なんて様だ」

 つい気持ちが口からでてしまう。表情にこそ出さないが、個人的に相当キてる。

 さて、新学期最初の学級イベントとはなにか。そう、「自己紹介」だ。

 留年空気生活において、自己紹介とは、地雷を自ら踏みに行くのと大差ない。留年ライフステージ第二関門だ。


 自己紹介。つまりそれは、自らのヴェールを破り、己をさらけ出して相手に伝えることを言う。

 留年したことを隠して生活する上で、この自己紹介と言う行為はなかなか痛…いやまてよ?

 自己紹介しても年齢までいう必要などない。もし訪ねられてたとしても、適当に偽ってしまえばいい。

 そう!そんなにびくびくする必要はないのだ。堂々としていれば大したことはない。

 さぁて、気が楽になったところでは俺は無敵だ。自己紹介でも何でもかかってこい!

「最初の授業は自己紹介でもしようと思ったが、まずはみんなに紹介したい人物がいる。」

 なんだ、俺という不遇な留年生のいるクラスに転校生か?このクラスは変わっった意味で賑やかになりそうだ。まぁ、今の俺には関係のない話だが。

「みんなとは一つ年が違うんだが…」

 俺は憎たらしいドヤ顔を机に打ちつけた。

「これまた珍しいことにな…」

 俺は再び顔面を打ち付けた。三度打ち付けた。

 焦らさず言えよ!もういい!俺の人生はあんたの一言で終わるん…

「なんと飛び級生がいる」

「は?」

 先生の言葉を聞き、間抜けな一言と共に顔を上げた。

「「「えええええーーー!」」」

 俺も含めクラスの全員がシンクロした。

 目ん玉飛び出すかってぐらい驚いた。正直俺が留年すると言われた時よりも驚いた。

「はっはっは!お前らの反応もある程度予想してたが、すごいハモりだな。いいクラスになりそうだ。」

 笑顔で先生がそう言う。

 未だに口が開いて閉じないやつもいる。

 無理もない。こんなご時世で飛び級なんて、幸運だというほかなかろう。ここには不遇の不幸者がいますしね~。

 そうやってクラスを見回していると、丁度俺の席の横列の延長線上に下を向いて座っているのが一人いた。

 周りが周りだけにかなり分かり易い。

 あれが例の飛び級生か。

 外見は確かに幼く見える。いや、高校一年になるにしては結構幼い外見だ。

 黒髪にツインテールのような髪型。俗に言う「美少女」なるものだろうか。なかなか可愛い。

 美少女を見たことがない俺でも美少女と思うのだからそうだろう。

 この学校のセーラー服とブレザーを合わせて2で割ったような変わった制服を着こなしている。

「さぁ、紀伊きいさん、前にきて自己紹介をお願いします!」

 あのど太い声が全力の優しい口調で丁寧語を話すとなぜか下心があるようにしか聞こえない。しかも満面の笑みだ。

 悪い人ではないのだが、外見とのアンバランスなギャップのせいでそう見えてしまう。

 当の飛び級生はと言うと、名前を呼ばれるとビクンッと肩を揺らしながら「ハイッ」と返事。うん、ガッチガチ。

 覚束無い足取りでスタスタと教卓の前に歩み出る。

 ここで一つ気がついたんだが、髪型はツインテールではなく左側のサイドテールだった。左側だったので真横から見ただけでは気がつかなかった。

「え、えっと、わ、私の名前は、えと、き、紀伊深空きいみそらと…いい、ます」

 途切れ途切れながらも勢いよく話し始めるも、最後には消え入りそうなほど小さくなっていた。

 ぱちぱちぱちと拍手の音が教室に響く。

 あちらこちらから「あの子かわいい」とか「飛び級ってまじかよすげーな」などお褒めの言葉でざわつく。

「あの子めっちゃかわいいよな!そう思わないか?」

 気がつくと前の席にいるやつが後ろに振り返って目を輝かせていた。

 驚いてひじをついていた体を起こすと、名も知らぬクラスメートは再び話し出した。

「いやー、今年はすばらしくツイてるなぁ~。進学早々に年下の美少女が流れ込んでくるなんてなー」

 こちらを振り返ったまま自分の世界に入っている。

 なんだか面倒臭そうなので適当に相づちを打っておく。

「俺はな、今の状況を奇跡だと思ってる。“お前”もそう思うだろ?」

 なるほど、自然と年下に舐められたら気分とはこういうものか。殴り倒していいか?

 いや待て、落ち着け俺。ここで感情的になるのは年上としても空気としても良くない。そうだ、ここはさりげなく流すのが得策だろう。うん。

「いやぁ、やっぱりそう思うか!そんなに笑顔で首を縦に振ってくれるなんて…」

「はぁ?」

 言葉を遮るとそのクラスメートはきょとんとしていた。

「はぁ?って、なんだよ同士。自分で頷いておいて、改めて聞かれると恥ずかしくなっちまったのか?お前はシャイだな。」

 …あぁ、なるほど。自分に言い聞かせてる間に無意識で首を振っていたのか。

 まぁしかし、あの子への評価としては粗方間違ってはないし、弁解するのも面倒だ。

 特に俺の空気生活には支障は無さそうだし、このまま適当に流しておくか。

「あぁ、そうかもな。俺は寝る」

 そう言い放ち、即座に突っ伏す。

 すると直ぐにそのクラスメートが慌てた口調で話しかけてきた。

「お、おいおい待てよ、まだ話は終わってねーぞ!おい!」

 ドンドンドンと俺の机を叩いてなんとか起こそうとする。

 飽きることを願って無視していたが、一向にやめる気配がなく、ひたすら机を叩くものだから俺も痺れを切らした。

「あーもううっせーよ!なんなんだよ一体!聞けばいいんだろ聞けばよ。さっさと話せ」

 怒鳴るととクラスメートは驚いた様子だった。

 しかしそんなことよりものすごい目線を感じた俺は、目線をすこし右にずらした。

 いつの間にか周りは静まり返り、担任の鋭い視線が俺の目を捉えていた。

「うるさいのは、一体誰だ?」

 怒る担任のど太い声は、猛獣の威嚇に匹敵する。

 ただならぬ不安を覚えた俺は弁解に移った。

「い、いや先生違うんです。前のこいつが、俺の机を叩きまくって、俺の貴重な睡眠を邪魔したんですよ。机をドンドンされちゃ、誰だってうるさいって言いますよね」

 我ながらにして完璧な弁解だ。

 これならいくらあの猛獣でも言葉の牙を向けることは出来ないだろう。

「ふむ、そうかもしれないな」

 やった、俺の勝ちだ。

「だが、いくらLTとはいえ、授業中に寝るのは見逃せん。罰として、自己紹介はお前からだ」

 …Ohなん myてこ Godとだ。

 俺はなんというミスを…!

 なぜあんなところで「俺は今寝てました」という宣言をして自ら地雷を踏みに行くようなことをしたんだ!

 はぁ…つくづくツイてない。目の前のこいつとは正反対だな。


 さぁて、どうしたものだろうか。目の前にいるこの「疫病神」がいなければこんなことにはならなかったはずだ。

 睨みつけるもさっぱりとした顔をしてやがる。

 腹立つなーもう!

 何であれなってしまったものは仕方が無い。

 素直に従った方が身のためだろう。今後のためにも。


 俺は席を立ち上がり、その場で話し始めようとするが、

「飯室、みんなに見えるように教卓の前で来て話すのが礼儀だろう」

 などと言いつつ俺を促す。

 そんな礼儀など知らん。

 そんなに留年生を陥れたいか。

 一時は「根はいいやつ」と考えたものだが、前言撤回だ。


 俺はため息をつきながらトボトボと教卓の前に歩み出る。

 腹黒教師の顔は見ないようにしていたが、表情がわかるくらいオーラが滲み出ていた。

 さっきのため息が原因だと見たが、気にしない。もー気にしない。


「オレノナマエ、イムロタツ、ヨロシク」

 よし、自己紹介終了だ帰ろう。

 そそくさに席に帰ろうすると、肩に手が添えられてぐいと押し戻された。

 腹黒教師はニヤリと笑みを浮かべていた。

「今のは自己紹介じゃあ、ないな。ほら、紀伊さんはあんなにも頑張ったのに、お前さんがその程度なはずが、な?」

 紀伊さんの話をするときだけ違うニヤケ方をする。本当に教師として大丈夫か…。

 それに、何が、な?だよ。後はわかるよなみたいに言いやがって。俺のストレスメーターはもう限界だぞ?


 とは言え、空気としてこの状況はよくない。

 目立ち過ぎると後が面倒だ。

 俺は再び教卓に戻って自己紹介を始めた。

「えーと、名前は飯室たつ。趣味は本を読むこと。まぁ、ヨロシク」

 先ほどと殆ど変らない文だが、どうやら良いらしい。

 もうほんと、留年以上に訳わかんなくなってきた。


 その日は始業式だけで、授業はなかった。

 持って来たのも空っぽの鞄だけだし、教材等はすでに持っている。

 だが、幾つか新規に導入された教材もあり、それはさすがに買った。

 なので数点の教材だけ入った鞄を手に、立ち上がった。

 外を見ると、いろんな部活が昇降口を占拠して一年生を勧誘していた。

 さすがにあの中を通りたくはない。

 知り合いもいるだろうし、見られればなんか言われるに決まっている。

 俺は人が減るのを待つことにした。

 鞄を置き、再び机に突っ伏す。

 それだけだと暇なので、今日一日を振り返ることにした。


 今朝、気まずく入った学校。

 気まずさなんて留年を聞かされたショックなんかよりずっとマシだったが、やはり肩がこる。

 学校やめとけばよかったかな?

 いやいや。

 高校を中退すれば大学には行けない。

 そんな小さな理由で大学への道を断たれるほど俺もやわじゃない。

 留年なんて些細なものさ。大学に行けないことに比べればな。

 しかしまぁ、いいところには行けないだろうな。

 留年は記録に残るし、そういった資料は大学にも送られる。

 だが、普通の大学でも、行けないよりはマシだろう。

 幸い、俺の両親も、留年には同意してくれていた。

 俺にはなぜ留年になったかわからんのだが、テストは出来ていたはずだ。

 見直しもしたし、そんな留年になる点数などは絶対にありえない。

 ならば別の理由だろう。

 今は教師も黙っているが、そのうち聞き出してやろう。


 次は、LTか。

 散々なLTだった。

 あの教師は俺が留年したのを笑ってるに違いない。

 俺は黙っているが、あの腹黒教師はそれを武器に俺の反抗に反抗するだろう。

 まったく、紀伊さんを見る時だけニヤニヤしやがって…

 そういえば紀伊さん。飛び級か。改めて思ってもすごいな。

 てことは、俺と同等か、それ以上。

 いやいや、成績バトルをしようってんじゃない。

 ただ、二つ下でそれは確かにすごい。

 相当頑張ったはずだ。

 きっと両親も…

「あ!あの…」

 ん、どっかで聞いたことがある声だな。

 女の子の声だ。

 誰かと話でもしているのだろうか。

 えーっと、だれの声だっけか。

 思い出せない。

 ちょっと確認するか。

 そっと顔を上げると、目の前に女子制服が見えた。

 セーラー服とブレザーを足して2で割ったようなアレだ。

 そしてその顔を見ようとさらに顔を上げた。


 左のサイドテール。

 少しだぼっとした制服。

 萌え袖を胸の前に添える姿。

 そんな幼い顔立ちの美少女が、俺を見下ろしていた。

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