第45話 オークの花嫁

 嫁に貰え、さもなくば殺してしまうぞ。……そんな威勢のいい女房を貰った若い従士の話は瞬く間にアメンブルクに広がった。


 その嫁は遠路はるばる、帝国内にあったウェイダという村から来るらしい。

 いったいどんな女だろうと、市井の噂好きの女房達が話しているうちに、彼女は来た。


 曲がりくねって伸びる街道を行くは、三台の馬車だ。四頭立ての馬車が一つあり、その前後を二頭立ての馬車が並ぶ。ゆっくりと進むその馬車のまん真ん中に、小奇麗な格好をした花嫁が座っていた。前後の馬車には豊かに実った黒麦と、細かに編まれた麻布が積まれ、さらに付き添いなのか老女が馬を引き、往く道を先導して子供が二人、青松の枝で道を払っている。


 嫁が来た。さすれば婿は何処にいるのか?


 婿になる男はというと、この日のためにと用意された婚礼用の華鎧……薄く打たれた鉄で作られた、非常に軽く見栄えのする鎧を着て、手にはめでたい皆朱の柄をした槍に吹き流しを付け、アメンブルクの正門にて直立不動の姿勢を取っていた。……取っていたのだが、時折風に吹き流しが持っていかれると、抗しきれずに槍の先がぶれた。


 花婿が花嫁の列に合流すると、婚資の乗った馬車の綱を曳いて門の中に入る。市中の視線の中を進み、中央の広場をぐるりと一周し、市中の者に結婚を証明するのだ。


 そうして一回りすると、婚礼の列は王城の敷地内へと入って行った。正門の脇を通り、中庭に入った列は、そこで待ち受ける者の前で止まった。


 待っていたのは、花婿である従士ノルド・スンリの直属の上役である筆頭従士ハイゼ・フェオン。彼もこの日のために、愛用の黒鎧をしっかりと磨き上げ、春の日差しを浴びて綺羅と輝いていた。


「従士ノルド・スンリ。スンリ・オークの男。お前はレイ・オークの女ハオ・レイを妻としておのれの巣へと持ち帰るか?」


「……はい。私はハオを妻とします」

「ハオ・レイ。レイ・オークの女。お前はノルド・スンリを夫として、同じ巣で眠るのか?」

「……はい。私はノルドを夫とします」

「では、共にこれを戴くがよい」


 ハイゼが下がると、生白い肌だが妙に大柄のオークがやってきて、二人の前に箱を差し出した。彼はアメンブルク最寄りの『炉』で働く技術者である。


「婚姻する二人に、夫婦の斧を」


 二人はそれぞれ印章の入った斧を取る。スンリ・オークの印、レイ・オークの印だ。


「夫婦の斧で、繋ぎ結びをせよ」


 技術者は錆一つない二本の鎖を出すと、手の前で張った。花婿と花嫁は、手に持った夫婦の斧で、それを一本ずつ切り離す。もとより柔らかい素材で作られた斧は、たったそれだけで刃が潰れ、使い物にならなくなった。


 切り離された鎖の一方同士が重ね合わされ、技術者が持っていたやっとこ鋏で繋ぎ直される。

 二つの一家の男女が結ばれ、一本の繋がりになる。それを助ける技術者、というオーク諸族の社会を端的に表す行事である。こうして繋がれた鎖を夫婦鎖と言い、夫婦の寝室に飾られるのである。


「地神はこの者らを夫婦と認める。二人手を結び末永く暮らすよう養生せよ」


 立会人であるハイゼはその宣言を聞き、懐から小型の法螺貝を出して吹き鳴らした。単調だが甲高い、明るい音色を背に受けて、今、一組の夫婦が旅立っていく。



「うーん、いいねぇ婚礼式って。何度見ても感動するよ」


 滅多に入れない王城の庭の隅でこの一幕を見守っていたフーは、打ち震えながらそう答えた。


「オークの結婚式ってこんな感じなんだねぇ」

「そうさ。私も旦那と婚礼を挙げた時は、もっと派手にやってもらったもんさ。立会人が一斉に吹き物鳴り物を鳴らしたり、婚資の列に象を使ってくれたり……」


 勢い込んでるフーがあることないことしゃべっている脇で、ヨアレシュの目は輝く黒鎧を着たハイゼを見ていた。その目は厳しく去って行く婚礼を見つめていた。


 思ったら、即行動だ。ヨアレシュは飛ぶように走って、ハイゼの首に抱き着いた。


「おっちゃーん!」

「わわ! 何奴……って、なんだ呪い娘ではないか。大人しくしておれと言っただろうに」

「ね、ね、おっちゃん。あのさ、あのさ……」

「なんだ落ち着かぬ奴め。余り触れていると肌を切るぞ」軽々とヨアレシュを持ち上げ、ハイゼは彼女を肩に乗せる。


「えへへ。おっちゃーん……」

「まったく。何時まで立ってもお主は『おっちゃん』呼ばわりだな。示しがつかぬわ」

「ん……じゃあ、ハイゼ」

「な、なんだ、急に」殊勝な態度に驚くオーク戦士に、魔術人は微笑んだ。

「ハイゼは、お嫁さん欲しくないの?」

「お主の気にするところではないわ。呪い娘よ」

「ヨアレシュ」

「なぬ?」

「ヨアレシュ、って、呼んで」


 いつもふざけてばかりの、この異貌の小さき者が珍しく真面目な目で自分を見ていることに、ハイゼはようやと気づいた。


「……ヨアレシュよ。某は戦うものだ。初めて槍を持って戦った幼き日、某は悟った。某は戦場で死ぬ。雄々しく切り結び死ぬのだとな。そのような男を選ぶ酔狂な女子はおらぬ。おってはならぬのだ」


「……今、ホン・バオ・シーのことを考えてたね」

「そうだ。彼女は強かった。そしてそれが美しかった。彼女なれば某と一緒に死地に赴き、そして生きて帰ってくれるだろうと思うたのだ。だから恋い焦がれたのやもしれん」


 そっか、とだけ応えたヨアレシュを乗せたハイゼは、王城の裏庭から広がる地平に目を向けた。ゆっくりと暮れ始める春のアメンブルクの地平線。豊かな森抱く小丘の谷間を切り開き、さらに先のアメン川が覗く景色だ。


「ハイゼ……ここに、そんちょそこらのことじゃ死なない娘が一人いるんだけど」

「なぬ?」思わぬ言葉だった。

「その娘はオークとは親しい間柄だけど、オークじゃないんだ……その娘は、オークを、心得違いにも自分が恋い慕っているのだと、最近になって気づいたんだ」


 稚い魔術人の娘は、まっすぐハイゼと同じ方向を向いて話した。


「その娘は物を知らない。人の機微を頭で読み取るばかりで、自分がどう思って、他人にどう思って欲しいのか。それを伝えるのが、とっても苦手なんだ……」


 ヨアレシュは怖かった。懸命に言葉を繋いでいないと、ハイゼがどう思っているのかと考えてしまう。それをすると、ハイゼの心を読んでしまう。それがとても怖い。今までこんな怖いことはなかった。


 ああ、でも。知りたい。ヨアレシュは生まれて初めて、心の底からの欲求として他人の心を知りたいと思った。


「な……なんて、ね、へへへ。どうかな?」


 一体何がどうなのか、自分でもさっぱり分からなかった。

 ハイゼはふむ、と軽く頷き暫く考えると肩からヨアレシュを降ろした。そして両腕で胸の前に抱いた。


「ひゃ?!」

「なんだ。お主は己を嫁に貰えと某に言っているのか?」


 二人の目が、合った。目を見てしまったらだめだ、心を読んでしまう。

 生半で死ねない自分を恨めしいと、ヨアレシュは思った。いっそこの逞しい腕の中で心臓が止まって死んでしまえば楽なのに!


「は……ハイ、ゼ、あのね、その……」

「気の迷いではあるまいな? であれば、流石の某も気がめげるわ。答えよ、ヨアレシュ」

「あ……う……」


 ハイゼが自分を見ている。私の気持ちを知りたいと思っている。

 伝えなきゃ。伝えなきゃ伝わらない。


「……私は、ハイゼの事、好きだよ。じゃなきゃとっくにスピネイルの所に行ってる。だから」


 その先を言おうとしたが、息が続かなかった。

 ハイゼが思いっきりヨアレシュを抱きしめたのだ。鎧姿で。


「わははははは! そうか! そういうことだったのか! やっと疑問がとけたわい!」

「あっ、ううう、痛い、痛いよ! 痛いってば!」

「おお、すまんすまん」思わず締め潰すところだった。折角転がってきた嫁を手に掛けたとあっては筆頭従士の名が廃るだろう。

 その気持ちを読んだヨアレシュは体の底から沸き上がる喜びに打ち振るえてしまった。


誰かと意思を通じ合わせるのがこんなに心地よいなんて思いもしなかった。


「家に転がってきた時は何故かと思いしきりだったが。そうか。嫁に貰うて欲しいということか。良いのか? オーク戦士の嫁というのは色々と忙しいぞ。フーの奴を見ればわかるだろう」


「……いいよ。その代わりうんと楽できるくらい、ハイゼが出世してくれればいいんだよ」

「わははは! そう言うか。良かろう! お主のために、いや、お主と巡り会うた縁を引き寄せたウファーゴ王のためにも、某は一層働かねばならんわけだな」


 ハイゼは腕のヨアレシュを抱きなおすと、庭の端で二人のやり取りを不思議な顔で見守っていたフーの元へ歩み寄った。


 新たにできた家族を紹介するために。

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