第30話 来客三様

 薄暮を迎えた両軍は一旦矛を収め、一万歩の距離を置いて野営の陣を敷いた。もちろん、警戒の目は忘れないが、両者の置かれた立場は平等ではない。


 遮るものがない原野の真ん中に野営することになったアメンブルク王国軍は、帝国軍より教導された設営方式を踏襲した。人員を収容できる規模の方形をした野営地で、周囲に低い溝と防塁、柵を巡らせたものである。陣内には予め決められた規模と順番で天幕が張られ、また長期の使用の際は施設の補修増設がしやすい形となっている。


 一方、ダオ・オークの魔術により一夜ならずして生まれた城壁を得た北部部族連合軍は、その巨大な壁面を頼みに半円形に密集した野営地を作った。とは言っても、その様子は高い壁に遮られ、王国軍には窺うことは出来ない。


 輜重物資で組み上げた即席の見張り台の上に立ち、スピネイルは暮れてゆく大地に広がる闇の中に沈んだ巨大な壁を見ていた。


「うーむ……」


「悩んでるね、君らしくない」


 傍に立つヨアレシュが見上げて聞いた。


「私らしくないとはどういうことさ?」


 そう聞くと、ヨアレシュは周囲の視線を確認して答える。


「戦ってる時のスピネイルは、やっぱりオークっぽいからさ。活き活きしてるし、困難な時もパッと良い案が浮かんで直ぐ実行するじゃない。今日はそんな感じじゃないからさ」


「そうかな? まぁ、ちょいと考えあぐねているのは確かだよ」


 ハイゼの意思を汲んだ威力偵察攻撃で掴んだ感触として、スピネイルが選び出した結論は一つ。


 現状の装備であの壁を破砕することは出来ない、ということである。


「今回は諸々の準備を急がせてしまったから、私たちも陛下たちも砲撃槍を持ってこなかった。爆石も手持ちに余裕があるわけじゃないしね」


 野戦で決着を付けるつもりで準備して、実際に始まった時は野戦だった。しかし、突如としてこの闘いは城攻めに変化してしまったのだ。


「城攻めは兎角火力か人手のどちらかが必要になるけど、どちらもない状況下では攻めようがない」


 いたずらに攻めかかれば、昼間のように投射攻撃の的になるだけだろう。


「グシャン殿も不運な役を引いてしまったものだな……」


「生きてるだけずっとマシだよ。あの人について行った他の戦士の殆どは死んでたんだから」


 まったく大変だったよ、とヨアレシュはため息交じりにつぶやいた。


 従士隊が回収した負傷した戦士達の中にグシャン・ガルウシは居た。彼の負傷は甚だしく酷いものだった。顔面の片半分が削れ、右手以外の四肢は吹き飛んでいたし、何度も熱波を浴びたために鎧下と皮膚が癒着してしまっていて、治療のためにそれを剥がさねばならなかった。


 焼いた甲殻類を剥くような、鎧を剥ぐと同時に嗅ぎ取れる血肉の焦げる臭いに、負傷者を看護した戦士

達は吐き気を催した。


 それでも生きていたグシャンに比べれば、辛うじて人型を残した黒い塊に成り下がって死んだ配下の戦士達の惨たらしい様には、もはや言葉もない。


 野営地の設営後に最初に行った死者の埋葬は、いつもそうであるが重苦しいものであった。迷うことなくその魂魄が地神の元へ帰ることを、皆が祈った。


「それに比べりゃハイゼのおっちゃんは丈夫過ぎるよ。火傷は負ってたけど傷薬塗って休んでればいいんだからさ」


「頼もしい限りだな」


「馬鹿だから呪いの効きが悪かったのさ」


 理由にもならない憎まれ口を吐く。


「ああ~、ごめん、私もう休むよ。手当に回ってたら疲れちゃった」


「分かった。よく休んでくれ。私は陛下の所へ行く」


 目をこする魔術人を天幕に送り出すべく、スピネイルは見張り台から降りた。



「算が狂うたことを認めねばなるまいな」


 王の天幕内に着座して開口一番、ウファーゴ王はそう言った。


「陛下のお見積り以上に被害が出た、ということですか」


「親族方が痛い目を見てくれればそれでよかったのだ。グシャンや奴に同調していた連中のうち、五大満足なものがどれだけ残っているというのか?」


 最先鋒を率いていたグシャンを始めとした親族方はざっと四十名余りになる。その内生きて今陣中にいるのは両の手でも余す程しかいない。立って歩ける者と言えば二、三人。それも戦士としては使い物にならぬ傷を負うている。


「たった一日で一千人を超える戦士が死したのだ。その上、北部部族はあのようなものまで使い出した! なんだ! あの壁は!?」


「ヨアレシュは魔術人の呪いのようなものではないかと推測していますが、はっきりとはしません。いずれにせよ我らが今すべきことをするべきと具申します」


「すべきこと、か」

「まず夜襲の心配をするべきですなぁ!」


 どら声を上げて天幕に乱入した影があった。


「まだ寝ていた方が良かったのではありませんか? ハイゼ殿」


「なんの! 呪い娘と酒のおかげでよくよく眠りましたわい。陛下、算が乱れたとはいえ、まだ戦の最中。幾らでも挽回は成りましょうや」


「ハイゼェ! 貴様儂の命を無視した癖に、どの面さげて顔を出せるものだな!」

「はっはっは! 陛下の筆頭従士はあの程度では死にはしませんぞ!」


 煤けた肌が塗薬でてらてらと光り、さらに包帯を巻いたハイゼだったが、その顔には悲壮感はない。


 あるのはこの難局をどう攻略してやろうかという血気だけだ。


「して、陛下。やはり夜襲の備えは密にするべきと某は思いますぞ。敵がひたすら壁に籠るだけでは、向こうは勝てませぬゆえ。まぁもっとも、呪い人をば以て夜襲はかけますまい、あれは目立ちすぎる」


 つまり夜襲があるなら、それは通常のオーク戦士によるものであるだろうということだ。


「ただのオーク戦士なれば、某たちは負けは致しませぬ!」


 鼻息荒く宣言する筆頭従士に、振りあげようとした拳を力なく降ろして、ウファーゴは言った。


「もうよい。傷が開かれては堪らぬ。お主にはまだ働いてもらわねばならないしな。消耗の少ない隊より見張りを追加せよ」

「ははぁ! では、失礼をば!」


 言質を得たりとみて、意気揚々とハイゼは天幕を出ていった。


「やれやれ、これでは総大将が誰だか分らんな」


「陛下の苦労を背負おうとしているのですよ。実務は我らが取り計らいましょう」


「……うむ、よかろうて。ではスピネイル殿。何か策はあるのかね?」


 王の問いにスピネイルは見張り台で敵陣を見ながら考えていたことを話した。


「砲撃槍が欲しいですな。一機で良いのですが……」


「砲撃槍か。やはり要るか」


「要るでしょう。あの壁を破るには」


 それだけのやり取りで、王は頷いた。


「急ぎブッフケルンに伝令を送ろう。それまではどうする?」


「時間を稼ぐと致しましょう。私とハイゼ殿で」


「ほう」その口ぶりに何か考えがあることを読み取りウファーゴは笑った。


「精々、あの粗忽な筆頭従士に無理をさせぬようお願いする」


「分かっておりますよ。では明日……」


 一礼してスピネイルは天幕を去った。



 夜襲を恐れた王国軍は巡邏の戦士を増やした。方形の野営陣地に開けられた四つの出入り口に二人ずつ歩哨が立ち、四つの角に建てられた見張り台には灯りを持った見張りが目を光らせていた。


 灯りから逃れた闇が溜まっている戦場で、人影が蠢いているのが見えた。死体を漁っているらしい。


 死体を漁る影の一群がじわじわと野営地に近づいたが、直ぐに遠ざかった。夜襲をあきらめたのだろうと戦士たちは思い、最低限の見張りを交代しながら努めつつ、他のものは休んだ。


 スピネイル・ハジャールも、自らの天幕の中、重ねて敷かれた毛皮の上で眠りについていた。


 それは険しい休息だった。体は確実に眠っていたが、思考と魂は激しく燃える熾火が灰の中で真っ赤に燃えるように活動していたのだ。


≪今日はずいぶんと殺し損ねたな、ホン・バオ・シー≫


<黙れ……>


 冷めぬスピネイルの精神が、存在せぬ妄念を引き寄せて離さない。


 今日もまた、彼女を苛むべくユアン・ホーが汚らわしい囁きをしに枕元に立った。


≪分不相応な地位に立ったお前は、あの壁を超えるために多くの犠牲をこの地に残すだろうな≫


<そのつもりはない、策はある>


≪その策が果たしてうまく転がるか、怪しいものだ≫


<貴様の知るところではない……>


 幾度とも追い払い、それでも消えない亡者が嘲り笑いたて、元オークの姫騎士を責めた。


≪まぁいいさ。精々己の無力を感じ入り、血肉を大地に吸わせるべく精進するがいい……ほれほれ、無能な戦士共の節穴を掻い潜って客人だぞ、いぎたなく眠っていていいのか?≫


 囃し立てる亡者の声。事実、眠りつつも起きているスピネイルの耳は天幕に近づく聞き慣れぬ足音を捉えていた。


≪くははははは、起きろ起きろ。死神が近づいているぞ≫


「黙れ……!」

 弾けるようにスピネイルは身を起こした。ねっとりと鎧下を兼ねる胴衣が汗を吸って重くなっていた。汗の掻きすぎで乾いた身体が頭痛を起こし、こめかみがずきずきを痛む。


 だが闖入者はそんな彼女を待ってはくれない。天幕が音も人影もなくゆっくりと開いて閉じたのと、それを視野の端で捉えながら立てかけておいた刀に手を伸ばしたのは、ほぼ同時の事だった。


 肌にわずかながら空気の流れを感じた。暗くとも、そこに実在する誰かが立っていると知れた。


「誰だ?」スピネイルは誰何した。襲撃者ならこれほどゆっくりと近寄ったりするまい。


 人影は動かなかった。だが、スピネイルを見る視線を感じる。彼女は立ち上がり、直ぐに灯りを得られるよう、燭台の灯りに被せていた箱型の暗幕を外した。


 幕内が照らし出された。誰もいなかった。だが、視界が、空気が揺らいでいる。そして足元に、人型の影が伸びていた!


「流石に隠しきれないか」影の主の声が聞こえた。と、間もなく、空気の揺らぎが消えると同時にその場に男が一人現れる。標準的なオーク男性より二回りほど背が低く、海棲生物の革を使った丈の長い服、ズボンを履き、覗く素足、拳、首と顔面が深い海色をしていた。


「貴様は?!」


「お初にお目にかかる。余はリシン・ダオ。この地のオークたちは余をカガンと呼ぶ」


 流石のスピネイルも面食らって身を硬直させた。目の前に立っているのは、北部部族を率いている総大将、海を越えた領域からやってきた異貌のオークだった。


「ふふふ、そう荒ぶるな、小さき者の大将。余は戦いに来たのではない」


 傲慢だが柔和な表情を湛えて話すリシンはスピネイルと目を合わせるため、その場に座った。


「余はこの度、全くの個人的な理由で、ツァオの陣営に潜り込んだのだ」


「馬鹿な。十分な数の見張りが立っていたはずだ」


「余の修めた幾百の魔術を用いれば造作もないことよ」


 そう言うとリシンは両手を胸に当てて瞠目した。


 するとまた空気が揺らぎ、スピネイルの目の前でリシンの姿が影だけを残して見えなくなった。そしてすぐに元の状態に戻った。


「このようにな。実体の影を消すことは出来ないが、夜中に忍び寄るには好都合よ」


「それがあの壁を作り出した呪いの正体か」


「ほう、呪いとな」リシンは興味を刺激されて目が妖しく光った。


「あんなことが出来るのは魔術人……ヤオジンの呪いしかありえないと思っていた。だがあんたは、多少変わっているがオークのようだ」


「そうだ。そなたも良くオークを学んでいるようだな。オークの言葉も話しておるし、小さき者の女にしては知恵も回るようだ」


 そこで、とリシンは言う。


「なぜそなたがその刀を持っているのか聞きたい。それは余が旅の空であった友人に授けた品。それを持ってよいのは余が認めた才人ユアン・ホーのみ」


 ユアン・ホー! この場で他者の、それも海を渡ってきた異邦人からその名を聞くとは。


 スピネイルの答えを待つリシンの目が胡乱な色を濃くしていく。荒れ海を覗くような気分だった。


「……私が三年前、陛下をアメンブルクの王に据えるべく起きた戦役にて、敵の総大将より手に入れた品だ」


 嘘は言っていない。それが自分の父親を殺した男であり、母方の伯父であることを除けば。


 それを聞いたリシンは衝撃を受けた様だ。落胆したような、観念したような、複雑な表情をしていた。


「……そうか。かの者は果てたか」


「奴は前王ラン・バオ・シーとその一族を謀殺し、領民を苦しめた簒奪者だ。殺されて当然の男だ」


「そのことは問題ではない。余はかの者が野心を抱いていたことを知っておる」


 リシンはそう言ってスピネイルの手にある刀をよくよく見ると、眉をひそめる。


「……そなた、その鞘はなんだ? その刀には本来、我が領国ブレッドヴァルで作られた鞘があったはずだ」


「生憎と以前の戦いで鞘を壊してしまった。今の鞘はアメンブルク王の助力で作って頂いた物だ」


 それを聞くと、それまで比較的穏やかだったリシンの表情が険しいものに変じた。その気配にただ事ではないものを感じてスピネイルは柄を握った。


「……それが、そなたのただの戦利品であるならば、余も忘れておくことも出来ただろう。だが、そうはいかなくなった。その刀、返してもらおう」


 立ち上がり、やおら手を伸ばすリシン・ダオだったが、不意に天幕に近づく足音に気付いた。


「……どうやら、そなたへの客人は余以外にもおるようだ。この場は失礼しよう」


「どうにもこの刀に執心しているようだが、私はこれを渡すつもりはない」


 もはやこの刀は『スピネイル』と『ホン・バオ・シー』を繋ぐ数少ない品の一つだ。そう易々と手放すわけにはいかない。


「これが欲しかったら、戦場で手に入れることだ」


「元よりそのつもりだ。ではまた会おう、小さき者の、女戦士……」


 再びリシンが姿を隠し、陰が目立たぬ位置に動いたのと同時に垂れ幕が開いて誰かが飛び込んできた。


「お嬢様ー!」聞き慣れた声、武骨な背負子を背負った長身のモグイ族侍従の姿にスピネイルが驚く。


「インファ!? どうしてここに? というか、なぜこんな時間に?」


「ああ、お嬢様。眠りを妨げて申し訳ありませんわ」


「いや、いいの。あんまり寝付けていなかったし……」


 視界の端で垂れ幕がひとりでに開き、閉じた。


「私がここにいるのは、ブッフケルンへモグイ族の用人が伝令としてやってきたからですわ。ドルメンという者です」


 その者のことなら、スピネイルも知っている。ウファーゴ王の元で秘書をやっている男だ。


 モグイ族の用いる秘密の道と、パンクラチオンなる独自の運動法で、オークの足で幾数日かかる往路を半日で踏破したドルメンからの連絡を受け取ったブッフケルンの部隊は、すぐさま必要になる物資を送り出すべく準備したという。


 そしてそれを聞いたインファもまた、ドルメンを軽く凌駕するパンクラチオンを使ってブッフケルンから原野へやってきたのだという。


「私の足をしても、到着が夜になってしまいましたわ」


「それじゃあ、ドルメンを置いて来たのか」


「流石に無休で往復は出来ませんもの。明後日の昼頃には帰ってきますわ」


 そう言ってインファはそれまで負っていた背負子を降ろして幾個かの行李を出した。


「とりあえず、持っていけそうな軽いもの……負傷兵に使ってしまった医薬品などを持ってきましたわ。他のものは順次こちらに到着するでしょう」


「そうか。ところでインファ、ここに来るまで何か気になる物はなかった?」


「え? いいえ。特に何も。見張りの方々に誰何されましたが……」


「そう……」


 インファの鋭敏な感覚からでさえ、リシン・ダオの魔術は逃れていることに畏怖の念を抱くスピネイルだった。




 翌朝、戦場で再び見えた両軍の真ん中に立つ者が呼びかけた。

「我らアメンブルク王国は、お主らに決闘を申し込む! 決闘を申しこーむ!」

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