第31話 決闘騒ぎ
ダオ・オークが一夜ならずして築き上げた城壁を、部族連合のオークたちは自然と『ダオの壁』と呼ぶようになった。
そのダオの壁の上でツァオの軍勢の接近を見つけた当直の戦士たちは、その次に聞こえてきたものに訝しみ、見えたものを総大将であるリシン他首脳部へ伝えることにした。
「ツァオの軍勢は昨日と同じ凡そ三千歩程度の距離で停止すると、証明の手斧を掲げて決闘を申し込んできました」
戦場で使者を意味する、指物の上に交差するように括り付けられた証明の手斧を、壁の上にもはっきり見えるようにゆっくりと進み出でながら、一人のオーク戦士が大音声で叫んでいた。
「我らアメンブルクのオークは、此度の戦の是非を双方の代表する戦士による決闘で決めることを申し込む! 答えられたーし!」
壁の上に貼っていた戦士たちは困惑しながらも、それを受けて相手を制するべく答えた。
「その訴え、受け取った! 我らのカガンが答えるだろう! それ以上近づけば、再び爆石の雨がお前に降り注ぐだろう!」
「これは一体どういうことだ?」報告を聞いたリシン・ダオは言った。
「半島のオークたちよ。お前たちは戦の勝敗を決闘で決めることがあるのか?」
集まっている族長たちもこの事態に困惑していた。何故、今更決闘なのかと誰もが思っていた。
そんな中で、最高齢の族長であるマタル・ユイが発言した。
「全くないことではない。部族間の領地の取り合い、共同で行った狩猟による収穫物の分配などを決めるために、双方の代表者による決闘で結果を求めることは習慣法に基づいた決定方法のひとつだ」
「だが、既にツァオたちと我々は、間断ありながら三年近く戦を続けている。今更決闘を持ち出す云われがないことくらい、ツァオも分かっているはずだ」
参画した族長の一人がそう反駁した。
そのとおりだった。仮に決闘で解決しようと思ったら、もっとずっと以前の段階で持ち出してこなければならない。
「……とすれば、これは何かの策か?」
「どう思う? マサ」
リシンは無言を貫いていたマサ・ヘオコに発言を促す。マサは少し考え、答えた。
「本当にツァオたちが決闘を要求しているのかは分かりかねるが、こうして我々が決闘をするべきかで軍議を開き、時間を費やしていることが、ツァオたちにとって利益となっていることは分かる」
「あやつらは時間を稼ぐためにこのような申し出をしてきたというのか?」
「おそらく。もしかすれば、本拠地よりの援軍を待っているのかもしれませんな」
半ば思い付きでマサはそう言ったが、なるほど、それはあり得そうなことだった。ツァオ族とそこに従属した他族の本拠地は、北部で連合した自分たちよりも広い地域に渡る。そこから新たな戦士たちが集められてこの地に送られてくる、そうできるだけの余裕がツァオたちにはあるはずだ……そう考えるのは自然なことだった。
「リシン・カガン。ダオの壁という無敵の要害を得た我々だ。これを頼みに今目の前にいるツァオの軍勢を打ち破ることは出来ないものだろうか。昨晩、あなたは我ら族長衆の具申した夜襲を却下したが、何ぞ策でもあるのか?」
族長の一人がそう言うと、その他の小部族の長達はそれに同調して声を上げた。
リシンはその様を、内心強い軽蔑の心で見ていた。他所からやってきた自分たちダオ族が、ちょいと手を下して用意した代物の威力に、自尊自立のために戦っているくせにどっぷりと寄りかかっている。醜いと思った。
だが総大将を請けた以上、この者らの為に勝たねばならない。
「マサが推測するように、ツァオの者らの目的が援軍がやってくるまでの時間稼ぎであるならば、そのような暇もない様に攻めればよい。ただ、せっかく余と余の配下が作った壁だ。これを用いねば勿体なかろう」
一同の視線がリシンの発言に注目していた。
それを意識しつつ、リシンは口を開く。
「故に、まず余は……『決闘を受けようと思う』」
一晩、薬と酒を効かせながらよく眠ったハイゼは、治りかけの肌に朝の涼風を感じながら城壁を見上げていた。
昨日攻め上ろうとした箇所が修繕もされずに残っているのが見える。壁に突き刺さった自身の大身槍と手斧もそのままだ。
(奪い取られんで良かった。この小振りな大槍はトゥラクに返してやらんといかんでな)
今背中に背負っている重槍も悪くないが、やはり手になじんだ愛器は代えがたい。むざむざと敵方に持っていかれるのは業腹だ。
「決闘を申しこーむ! 如何なりやー!」
再び声を張り上げ、壁に向かって叫ぶ。握る指物を大きく振り回し、回答を待っていることを名一杯相手に伝える。
そうしているうちに、壁の上で動きがあった。ハイゼが持っているものと同様、手斧を縛り付けた指物が突き出され、男の朗々とした声が聞こえた。
「当方はその方の決闘を受ける! 決闘を受けーる!」
「あい分かった! 感謝いたす!」
首尾よく行ったと安心したハイゼは、伝統的な決闘裁判の手順に従う。まず、指物を地面に突き立て、一旦自陣へと帰った。
しばらくして、ダオの壁の一部から人が下りてきた。先ほど壁の上から指物を繰り出していた者が、自分も同じくハイゼの刺した指物の隣に指物を刺す。
両者とも指物が地面に打ち込まれたことを確認すると、両方から五名の人員が進み出て、指物から十歩の距離まで近づいた。
オーク諸族は戦士階級が主導者を果たす社会体制である。その為このような形式ばった形ながら、個人の武勇にて係争を解決する決闘裁判が形作られた。争う二者がそれぞれ四名の共を連れてまみえる。係争者、介添え、行事、後控え、後詰めと呼ばれ、その役割はそれぞれに違う。
最初に、それぞれの係争者と行事の二名ずつが一歩前に出る。アメンブルク王国側はハイゼともう一人、同僚の従士が出た。
「改めて、決闘を受けてもらい礼を言う。某が係争者を務めるハイゼ・フェオン。ツァオ族の筆頭従士である」
一方、部族連合から進み出てきたのは、半島のオークらしからぬ風体の男が一人、それと壮年に入りかけている年嵩の、族長と見受けられる男が一人。
「余はこの決闘で係争者を務めることと相成ったリシン・ダオである。……して、決闘裁判とはどのようにして行うのだ?」
半島のオークが順守する習慣法にさほど明るくないリシンは隣に立つ自陣の行司役、マサ・ヘオコに聞いた。
「まず非武装の行司が指物を中心に向かい合い、十二歩の位置に立ちます。次に後詰めの者が武器を手にして向かい合い、十五歩の距離を置いて立つ。この四者を繋ぐ線の内側より出れば敵前逃亡とみなし、係争に負けることになります」
リシンはマサの説明を頷きながら聞き、連れてきたダオ・オークの一人を指定の位置に立たせた。その手には良く磨かれた一木造の棍棒が握られている。
「これでよいのか?」
「はい。あとは後控えの者がこの決闘の陣外に退去すれば、係争者の合意の元始まります。後控えはこの場にいる五名以外の者が決闘に関わらぬようにするのが役目です」
「ふん、そうか……。すまぬなハイゼとやら。暫し待て」
「ははは、幾らでもお待ちしますぞ」
「それでそこの小さき者はなんだ?」
リシンが指さした先には、この場に本来いるはずがないオーク以外の者が立っていた。
スピネイル・ハジャールである。
「私は介添えだ。ハイゼと共に決闘に参加する」
「本気か? 小さき者の女よ。いや、ツァオ族は神聖なオークの決闘に小さき者を加えるつもりなのか?」
不快感を隠さぬ声音でマサは言うが、王国側のオークたちは誰一人、それに同調しない。むしろせせら笑ってさえいた。
「なんだ……お前たち、その態度は」
「知らぬということは恐ろしいという事よ」
「この場におるスピネイル殿は、数多いる王国のオーク戦士らを凌ぐ実力の持ち主。どのような者が相手であろうと、我らは安心してハイゼ筆頭の後方をお任せできるのだ」
行事と後控えを務める従士がまるで我が事のように言いながら持ち場に付いた。
「……まぁ、そういうことだ」
「ぬ……」マサはそれでも不服そうであったが、リシンは言った。
「良いではないか。余もまた、尋常のオークではない。これで相子だ」
「はっはっは、得心していただいて感謝いたす。して、そちらの介添えはそやつでよろしいのだな?」
持ち場に散った連合側のオークのうち、一人残った男に好戦的な視線を向けながら、ハイゼは聞く。見間違えたりしない、先日自分に火球をぶつけてきた毒々しい色の髪を持つ男がそこにいる。
「余の手勢でも指折りの戦士、ウー。余と共に戦うことを許す」
「有り難き幸せでございまさぁ! ……そういうことだ。半島の槍使い。昨日のように、壁から飛び降りて逃げることは出来ないぞ」
熱っぽく叫んだと思ったら、ウーは一転して冷え冷えと聞こえる声でハイゼを刺す。
「ふん。同じ手は食わぬぞ呪い男」
そう答えたハイゼとスピネイル、リシンとウーは指物を間に挟んで向かい合った。
「某らが勝てば、北部の部族衆は撤退せよ。イルリューティスなりどこなりと退くがよかろう」
「余が勝てば……そうだな。そなたらの陣をさらに五千歩近づいて敷いてもらおうか。何、そなたらに尻尾を巻いて帰れなどとは言わぬ」
涼しい顔で言ってのけたが、これは中々に恐ろしい提案だった。たった五千歩先で槍や斧を尖らせて敵が起居していては、おちおち眠ってもいられないだろうし、相手はますます夜襲などの攻めに転じやすくなる。
だが、スピネイルもハイゼも、自分が負けるなどとは露ほども考えない。勝つ。ただそれだけだ。
「では、参る!」
「来るがよい……!」
二人が自身の得物、鎖巻きの刀と重槍を構えたように、リシンとウーも武器を構えた。どちらも後詰めの戦士が持っていたような一木造りの棍棒だ。ただし、ウーは小振りのものを二本持ち、リシンは長い大振りの造りだが、石突が鋭く尖っている。
相対距離はたった三、四歩。これでは速度が乗った十分な突撃は仕掛けられない。
少しでも力が乗るようにハイゼは倒れ込むような極端な前傾姿勢から一息に踏み込んで槍を繰り出す。狙う先は当然、因縁ある男ウーだ。
リシンも同じく仕掛ける。まるで羽が生えているかのような軽やかな足さばきで前進、ハイゼとすれ違って後、残ったスピネイルへ棍棒を叩きつけた。
ウーは二丁棍棒を交差させてハイゼを受ける。
スピネイルも鞘ごと刀を構えてリシンの打撃を受け止めた。
二組の決闘者はそのまま押し合いながら間隔をあけるべく、じりじりと離れていった。
馬鹿力め! 手に握る二丁の短棍棒が軋みを上げていることに気付いてウーの背筋が寒くなる。
「どうした! 呪い男! 二の腕が震えて、おるぞ!」
受けている棍棒の点をずらしてハイゼが突く。首を霞める穂先、皮一枚を裂いた。
「かぁ!」息の匂いも分かるほどの密着距離からの火球弾攻撃がハイゼの胸を叩く。
「ぬうう!」
「学習能力のない男だ。まだまだ行くぞ……!」
たたらを踏んで距離を取ったハイゼに対し、ウーは棍棒を交差させた独自の構えより、口中から出すものよりも巨大な火球を生み出した。
「私を、ブレッドヴァルの住人は『炎魔』と呼ぶ。私はもっとも巧みに『火球』の魔術を操ることが出来るのだ……食らえい!」
棍棒交差から押し出した大火球がハイゼに迫って飛ぶ。
ハイゼは鎧に付いた火をもみ消し、転がってきた火球を横っ跳びに躱した。
背後で爆ぜた火球の火の粉が尻を撫でる。
「おお、なんという奇怪な! オークなれば斧と槍の腕を磨けい!」
「勝手に言ってろ。次は速球だ……!」
見るとウーの短棍棒の先が松明のように赤々と燃えている。ウーがそれを太鼓をたたくように振るうと、小粒な火球が次々と飛び出してハイゼを狙った。
「そう何度も食ろうてたまるか!」
ハイゼが槍を振るって火球を叩き落としながらウーを刺殺の間合いに収めるべく前へ飛ぶ。するとウーは距離を保つために後ろへ飛んだ。
「ええい、逃げるでないわ!」
「そう言われて逃げぬ奴はいない……む」
そう言っていたウーだったが、背後から視線を感じて立ち止まる。
自分が決闘の決められた陣の縁に立っていることに気付いたのだ。王国側の後詰めを務めるオーク従士が槍を構えて背後をうかがっている。
これ以上下がればその拍子に背後から槍で刺し貫かれるだろう。
「どうした! もう逃げぬと見た!」
「少し遊びすぎたようだな……ぬうん!」
ウーが気合一声、力を短棍棒に込める。先だけに灯っていた火があっという間に棍棒全体に回り火の柱と化した。
「お前の間合いに入ってやる。この火柱棍棒を体に突き込んで、生きたまま焼き殺すとしよう」
「やってみせい!」
二人が同時に間合いを詰めて打ち合った。どちらも足を止めて、得物での殴り合いを選択したのだ。
ウーの頭上を巨大な槍穂が通り過ぎた。ハイゼの横腹を叩こうとした火柱が石突で打ち払われる。
素早く切り払い、ハイゼは血潮の滾りを感じた。次の瞬間には内臓を焼かれて死ぬかもしれないというのに、彼は心地良い高揚感に満たされていたのだ。
「ウーとやら、よくやるのう! 某と打ち合える剛の者、この世に数少なし! 貴様はその一人よ!」
「のぼせ上がるな、半島のオーク戦士。お前も、あの小さき者の女も、我が王の前には赤子を殺すがごとしよ」
もろ手突きに出された火柱を幅広の穂先で受け止めるハイゼに、ウーは冷たい怒りをあらわに言った。
「ふははは! 王が最も強いのか!」
「そうだ! 何故笑う!?」
「それはさぞかし、気の休まらぬことだろうのう! 哀れ哀れ!」
その言葉が、敵に対しては冷酷であることを自らに課したウーの逆鱗に触れた。
「誰にも王を笑う資格などないわぁ!」
「なんとぉ!?」
それまでよりも一段早く重く、鋭い連打がハイゼを襲った。
「貴様ぁ! ぜってぇ許さねぇ! 骨も残さず焼き尽くしてやらぁ!」
「ぬうぅ!」激しい打撃の雨が、巧みにそれまで捌いていたハイゼの防御を掻い潜り始めた。
絶えず燃え続ける棍棒によって打たれたハイゼの鎧は歪み、熱を持ち、ハイゼの体から的確な動きを奪っていく。
そして、遂に強烈な一撃が加えられる。逆手に持ち替えたウーの火柱棍棒の片一方がハイゼの肩に突き刺さったのだ。
「ぐああ!」
「ひゃはぁ! 燃えろぉ!」
王に徒なす者に罰を加えて喜びの声を上げたウーだったが、喜びの余り、次の挙動が遅れた。
それは、それまで耐えに耐え、ウーの激しくとも単調な動きをじっくりと学んでいたハイゼ・フェオンにとって絶好の反撃機会だった!
「いいいやぁ!」ハイゼはその場で殆ど高さが変わらないほど小さく跳躍、胴を捻じって槍を振るいあげる。
石突でウーの手に残っていたもう一方の棍棒を、自身の槍ごと天高くはたき飛ばした。
「しまっ!?」
「やぁ!」
「ごべぇ!」
拳。手甲に覆われた左拳がウーの顎を真下より狙い撃った。
仕掛け人形のようにウーが吹っ飛ぶと同時に、ハイゼは着地する。一拍の後、原野の大地にウーの倒れる音が聞こえた。
だが、決闘は終わりではない。反則負けか、死亡か、それとも敗北を宣言させない限り終わることはないのだ。
「う、うう……」
予想だにしていなかった攻撃に完全に意表を突かれたウーだったが、彼自身はまだ戦意を失っていなかった。
だが、迫るハイゼの重い足音を前に、彼は立ち上がれない。足が震えて言うことを効かないのだ。その上武器を失い、精神の集中を欠いているために火球を熾す事も出来ないことに気付いた。
「……」無言でハイゼはウーの上にのしかかった。
「ま、待て! 仕切り直しがふぅ!」
再度、拳。
胴の上に乗ったハイゼは黙々と拳を叩きつける。ウーが自分を棍棒で打ったように。
ひとしきり殴ってウーが息絶え絶えになった頃、まだ肩に刺さっていた棍棒を引き抜き、自分と同じ位置目がけて渾身の力でねじ込む。
悲鳴。戦士と思えぬ哀れなものだった。
「参った、と言うがいい」
ひとしきりいたぶって満足したハイゼが相手の首を軽く締め上げながら聞いた。
丁度折宜しく、天に跳ね飛ばした棍棒と槍がウーのすぐそばに落下する。
「ま……参……った……」
身心の限界を迎えた、ダオ・オークの戦士炎魔のウーは、自らの敗北を認めて意識を失った。
自らの勝利を宣言するべくハイゼが振り返った時、彼は信じがたいものを目にした。
必勝と疑わなかった、姫騎士スピネイル・ハジャールが倒れていた。
その首にはリシンの杖が突きつけられていた。
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