第26話 刀装改め

『……と、そのようにして、私と私の王国は配下の諸侯を率いて早々に出陣し、オーク諸族の聖なる都市イルリューティスを目指すところに候。ついてはサヴォーク総督閣下におかれては、閣下の御裁断にて用立てられし付け武将隷下二千余名の将兵を無事お返しし難く候わば、恥を偲び、涙を呑んで、閣下に金貨一千枚余の工面を願いいたし候……』


 モグイ族の筆記秘書に口述させながら、ウファーゴ王は手紙を書いている。


 様々な形でその成立当初から援助を受けている現サヴォーク属州総督、キュレニックス・マグヌス宛の手紙であった。


 面従腹背の親族衆を懐柔するべく、やや性急な第四次攻勢を決定したウファーゴだったが、その実態は

膨れ上がった新参の元部族長たちを戦地に追いやり間引くことにあった。


 とはいえ、だからと言って攻勢に手を抜くつもりはなく、可能な限り準備は行われた。アメンブルクの後背地になるレムレスカ北部属州に送られるこの手紙も、そうした政略の一環であった。


 既に過日、サヴォーク宛てに多量の贈り物を積んだ荷馬車を送り出したばかりで、それにたいする感謝の意を伝える書簡を受け取った記憶も新しい。文書を送る適当な理由付けに丁度良かった。


 秘書が羊皮紙に清書する間、ウファーゴはこれからの事を考える。イルリューティスを奪取し、その過程で主要な部族を攻略する。そうすれば北部部族連合は解体、王国に吸収することが出来るだろう。


 イルリューティスより北は一年の半分が氷に覆われる凍土で、僅かに狩猟採集で暮らす穴居人がいる他には野生の象がいるくらいだ。


 東に目を向ければ、オーク諸族と文化的に近い遊牧種族が草原地帯を支配している。四つの足で走り、獲物を生で食らう彼らはオークよりも攻撃的な面がある。


 完全に支配下に置いているアメン川も、より上流に行けばその限りではない。山岳域に集住する部族民は下流のそれとは異なる技術を高め、極めて質の良い精鉱を行い、アメン川とその支流を使って他部族との交易を行っている。


 どこへ進出するにしても、足元が覚束ないようでは話にならない。やはり親族衆の再編が必要になるだろう。イルリューティスを擁するというオーク族の権威、百戦錬磨の従士団という武力を背景に、各部族を序列化させ、序列に見合った所領を与えるのだ。


 それに以前から陳情があったオーク習慣法の成文化にも手を付けたい。アメンブルクの産業は領内に移住してきたモグイ族に負う所が大きいのだが、同族内ならともかく、モグイ族、あるいは帝国人との関わりが増えると、これまでの習慣法だけでは対処が出来ない。これもモグイ族や帝国と相談して何とか三方が納得できる形に収めたい。


 思案が再び帝国人に向けられた頃、秘書が清書を終えた。まだ帝国語に暗いウファーゴ王はざっと体裁だけを見て、末尾に自身の名前と鉄印を捺した。


「スピネイル・ハジャール卿を呼んでくれ」


「畏まりました」感情の籠らない平板な声で秘書が答え、部屋を出る。


 程なくして鎧下に籠手と具足のみという軽やかだが見目の映える恰好の駐留部隊隊長がやってきた。


「再編成は進んでいるかね?」


「滞りなく。傷病者はブッフケルンに残し、出撃できるのは凡そ一千五百と言ったところでしょうか」


「三年前、貴殿がこの国に付けられた時と同じ数に戻ったわけだな」


「そう言うことになりますね」


 本来であれば、これらに加えてスピネイルの乗る戦闘用の象がついたり、ウファーゴ王から贈られた砲撃槍や爆石を装備運用する一隊がついたりしている。


 何より、魔術人が従軍しているのが最大の強みだ。一時的に姿を隠したり、投槍を一点に集中させることが出来たりと、兵の力をより引き出す戦い方が出来る。


 とは言え、今回は拙速を取るべく爆石や砲撃槍は置いていくこととなった。


「……さて、ではハジャール卿。この書簡をサヴォーク総督へお送りして欲しい」


 手厚く封じられた巻物を受け取ってスピネイルは言った。


「拝領致しました。早馬を飛ばさせましょう」

「頼む」


 頷いたスピネイルは書簡を懐に収めたが、すぐに退室しようとはしなかった。


「……陛下。お頼みしたいことがございます」


「言ってみたまえ。貴殿が頼み事とは珍しいな。いつもはこちらから頼む事ばかりだからな、大抵のことは応えよう」


「恥ずかしくも、私は先の戦いで武具を痛めてしまいました。刀の鞘を壊してしまったのです。そこで『炉』と『技術者』に依頼する許可を貰いたい」


 オーク諸族を構成する身分階級の中でも、金属を採掘精製し、冠婚葬祭礼を指揮する技術者は一種特別な存在だ。


 そのためオーク諸族以外の人種が技術者が管理する『炉』に接触することは滅多にない。『炉』で製造される金属製品は王の管理の下で市場に放出されるし、『炉』や『技術者』に接触するには管理している王の許可が要るのだ。


「私が振るうに足る武具はそう多くはありません。自慢に聞こえるでしょうが……」


「とんでもない。貴殿が一騎当千の強者であることはアメンブルクの誰もが知っていること。携える武具にこだわるのも、これ当然のことだ……ドルメン」


 名を呼ばれたモグイ族の秘書は頷いた。


「私の名で卿に許可する旨の書状を作ろう。これを持っていれば国内の『炉』であればどこでも使われるとよろしい。……とは言うが、急がれるならブッフケルンの『炉』を使うべきだろう」


「もとよりそのつもりです。ご助力感謝します」


 では、とスピネイルは揚々と礼して去った。


 姫騎士と巷で呼ばれる彼女が武具に何を求めているのか、戦士の誇りを持つ一個のオークであるウファーゴの興味が働く。


 だがここは常日頃の苦労を一つ労ったことで借りを一つ返せたという打算が頭をもたげた。ウファーゴ・ツァオ・シーという男は、それくらいには政治的な人物に成長していた。


「ドルメン。そろそろハイゼを呼べ。斥候隊から報告が上がっていよう」

「畏まりました」


 不愛想だがそつのない仕事をする秘書が、また一つ王の命を携えて部屋を出ていった。



 オーク諸族の『炉』とは、単なる産業設備ではない。オークの崇拝する地神……大地そのものを祀る祭殿でもあるのだ。


 外観は多少の差異はあれど、概ね半球状に造成された小山のように見える。が、近くで見るとその表面が均一で滑らかになるよう、大変な手間暇をかけて整形されたものであると分かる。


 一か所だけ開けられた出入り口は、傾斜の急な下り階段となっている。下る間採光は一切なく、自前の照明がなければ足を踏み外して最下層まで転げ落ちることになるだろう。


 手燭を掲げてスピネイルは『炉』の階段を下り続けた。出入り口を守る番兵にウファーゴ王の署名はよく効いたものと見え、平伏しそうなほど頭を下げられてしまった。


 そして実の所、スピネイルはこの地下に何が待ち受けているのか、大体想像がついていた。嘗てホン・バオ・シーであった頃、領内のいくつかの『炉』を案内されたことがあったからだ。


 下り階段を進むと、徐々に室温が上昇してくる。と同時に槌や鶴嘴を打つ響きが伝わってくる。


 降りきるとそこは小部屋になっている。小部屋と言ってもオークにとっては、ということで、スピネイルから見ればちょっとした部屋というところだ。そこから人ひとりが通れる入口を通る。スピネイルならともかく、オークなら腹ばいにならなければ通れないような狭い出入り口だ。


 そこを通り抜けると、やっと『炉』の内部に至る。地下深くを掘削して作られた坑道への入口と、掘り出された鉱石を峻別して熔解、精製するタタラ場、そうして作られた地金を製品に加工する工房が立体的に配置された広大な空間が現れた。


「何者だ?」


 出入り口を固める番兵が誰何する。スピネイルは懐から再び書状を取り出して見せた。


「ウファーゴ・ツァオ陛下より立ち入りの許可は頂いている。親方に会わせて欲しい」


 目の前の小さき者が流暢なオーク語を喋り、そして間違いないウファーゴ王の署名がある書状を突き付けられ、番兵は目を白黒させていた。


「聞こえなかったのか?」


「……わ、わかった。ついてこい」


 番兵に案内され、スピネイルは工房の戸口をくぐる。


 地下にあるとはいえ、工房はふんだんな照明が用いられた実に明るい場所だった。光源は特殊な鉱石で、精製加工されると発光するそれで天井が覆われている。


 その灯りの下、数人の技術者が熱心に刃物を研いでいた。多くのものは手斧や戦斧、あるいは槍だ。生活用品が見えないのは、此処がブッフケルンにあるためだろう。


 異邦人の到来に技術者たちがすぐに反応した。手仕事により出されていた音がぴたりと止まり、胡乱な視線がスピネイルに注がれる。


 一人が立ち上がり、スピネイルを連れてきた番兵を誰何する。


「兵隊さんよ。なんか御用かね。あんたの後ろにいる小さい奴は、なんだ?」


 スピネイルの鋭敏な聴覚が小さな声で「ホーか?」と聞くのを捉えた。なるほど、尋常のオークにも、モグイ族にも見えない自分は彼らからすればそのように見えるかもしれない。


「いや、我らの王……大族長が遣わした帝国人だ。この者は大族長の許しを得て、この炉で武具の作成を依頼しに来ている」


「……それは本当だな?」


「本当だ。鉄印の入った書を持っていた」


「そうか……少し待て」


 技術者がそう言い残し、工房の奥へ行ってしまった。


 番兵は屈み込んでスピネイルに話した。


「ここの連中は外のことなんて何もわかっちゃいないんだ。元々ここを治めていた部族が居たんだが、そいつが王に下って長じゃなくなったこともよく分かってない。そもそも王というのもいまいち理解してないらしい。カガンのようなものだ、と言ったらやっと納得したくらいだからな」


「ああ、だからさっきウファーゴ陛下を大族長って言い直したんだね」

「そうさ。まったく頭の固い連中だよ」


 そう話していると技術者が帰ってきて、スピネイルを指さした。


「お前、仕事を頼みたいんだったな」


「……そうだ」


「ついてこい」

 技術者に連れられ、スピネイルは工房の奥へ進む。奥の小部屋でも複数の職人が詰めていて、何らかの作業をしているようだった。


「大族長の鉄印、見せろ」


 不躾な技術者が見下ろす中、再びスピネイルが書状を広げて見せる。


「……間違いないようだな。お前はホーではないのか?」


「違う。……南にあるレムレスカ帝国よりやってきた帝国人だ」


「テイコクジンの為に道具を作ったことはない。オークの道具を作るのが俺たちだ」


「そうか? 大族長はお前たちの作った道具をたくさん帝国に送り届けているし、モグイ族の手で売ってもいる。オークの手で作られた鉄器は良く出来ている。だから私の頼みも聞いてもらいたい」


 スピネイルはそれまで背負っていた物を降ろす。


 鞘の砕けた刀だ。今は布を巻き革ひもで縛られているそれを解く。


「何も一から用立ててくれというわけじゃないんだ。こいつの鞘を作って欲しいんだ」


 技術者はそれをしばらく見ていたが、やがて頷いた。


「うちの装具士に会わせてやる。そいつと話せ」


 案内された作業場はそれまでの部屋とは変わって、心地よい木の香りが漂っていた。武具に合わせた装具を作っている工房だった。


 興味深いことに、此処に詰めている技術者は皆年配の女性だった。薄くなった長い髪の下で、皺寄った顔からきらりと光る眼差しが、骨筋張った指で掴んだ木材と鑿に注がれている。


「ばぁば。客だ」


 技術者に請われ、『ばぁば』と呼ばれた老嬢がゆっくり立ち上がった。


「おおや、こんな穴倉まで客とは珍しいね。しかも小さき者ときたもんだ」


「ばぁばはうちの『炉』の装具の司だ。族長に贈った宝剣の装具もやっている」


 それだけ言うと、案内してきた技術者は出ていってしまった。


「まったく、愛想がない男だね。ま、愛想のいい男技術者なんてろくな奴じゃないんだが……さて、小さき者の娘や。お主は何が欲しいんだい?」


 スピネイルは再び刀を取り出し、彼女に渡す。


「これに、鞘を」


「元の鞘はどうしたんだい?」


「私を切ろうとした不埒な戦士が居たので、頭を砕いてやった時、鞘も砕けてしまったのさ」


「それはそれは、中々気持ちいい話だ。おおい! おまえさんら! ちょっとこっちに来な! おおい! おおい!」


 耳の遠いご婦人たちがぞろぞろと立ち上がって近づいてくる。彼女らはスピネイルの刀を真ん中に置いて互いに矯めつ眇めつし、話し合っていた。


「こりゃこの辺りの出物じゃないね」

「どこの物だろうね。テイコクジン? の出かしらね」

「いや、それにしては良い練りの鉄だね。拵えも面白い」

「ちょいとばらしてみましょうかね」


 そういうと、熟練の装具士たちの手であっという間に柄の拵えが分解されてしまった。


「また随分汚れているもんだね。脂や滓がべったりだ」

「ふむ、こりゃなんの革かな? ああ、鯨だ」

「鍔と柄尻の出来もいいねぇ。誰か写しを取っておくんだよ」


 背の丸まった老婆たちがわちゃわちゃと愉し気に刀を玩んでいると、何故だか不安になるスピネイルだった。


 ばぁばがそんな彼女を見て言った。


「心配かい? 安心おしよ、すぐに別嬪さんの鞘を拵えてやるからね」

「な、なるべく早くお願いします。何せこれから戦ですので」



 地下にいると時間の感覚が鈍くなってくる。だが少なくとも一晩は経ったように、スピネイルは思った。


 仮眠室を借りて眠った後、ばぁばに起こされて再び装具士たちの工房に向かうと、見事な鞘に納められた自身の刀を渡された。


「お望みの通り、きっちり鞘を仕上げたよ。以前の物より良いかは知らないけどね」


 手渡された刀の鞘は朱色の地に黒い革帯が巻かれた形で、しっとりと手になじむ良い出来だった。


「あと、お前さんもあの刀の出処は知らないんだったよね。分かったよ、どこの物か」


「本当ですか?」


「ああ。ありゃ、ダオ族の『炉』で作ったんだね。ナカゴに印章が入ってたよ。随分昔に見た記憶があったから……知ってるかい? ダオ・オークっていうのは海の向こうに住んでる連中なんだけど、こんなものが出てくるんだねぇ」


 長生きはするもんだねぇ、とばぁばは息を吐く。


「ダオ族の武器なら、あんた、あれを使い続けるつもりなら用心するんだよ。ダオ族はこの辺りのオークとは毛色が違うからね」


「それは、どういう……?」


「血が穢れているのさ。だからあいつらは地神に嫌われている。けど半分はオークだから、地神はなんだかんだ言っても迎えてくれるけどね」


 ばぁばの言葉に要領を得ないスピネイルだったが、ともかくこれがダオ・オーク……海の向こう側に棲むとされている者らが作ったことだけは理解した。


 つまり、ユアンは一度は海を渡り、しかし大半島に戻って来たということだ。野望のために。


「小さいお嬢さんや。何かほかに欲しいものはないかね? 面白いものを見せてもらったから、おまけしてあげるよ」


 老婆の一人が言った。


 スピネイルは刀と、工房にある道具類を見比べる。それに以前の戦いについても思った。


 戦いに学び、新たな策を考えないものは戦士とは言えない。


「……では」


 スピネイルの希望を老婆の技術者たちは二つ返事で聞き入れ、改めて刀を受け取ったスピネイルは工房を後にした。


 一晩を過ごした穴倉から出た自分に降り注ぐ乾いた夏の日差しに目が眩みそうになるが、直ぐに目が慣れる。


 『炉』はまるで一晩の客人を居なかったかのように睥睨する。


 番兵が言ったように、ここでは外の……俗なオークらの思惑など遠い遠い話なのだ。ひたすら採掘し、槌を振る。そして俗人の生死を見守る場。


 それがオークにとっての『炉』であり『技術者』なのだった。

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