第27話 第四次アメンブルク攻勢
「『陛下よりご希望の金貨一千枚の件、ご希望に篤くお応えしたき候えど、手元不如意にて当座、金貨五百枚を持たせ、旗下一番の早馬にてお送り致し候。馬匹乗手共にお返し戴くこと御無用に候。如何に使い仕り候えど勝手成し下さるべく候……』とのことです」
秘書官ドルメンがサヴォークより送られてきた手紙を朗々と読み上げる。文面は帝国語、口に出すのはオーク語である。この男の大半島全域における有職故実と語学の知識はウファーゴの大いに助けとなっていた。
だが今はその味も素っ気もない読み上げが癇に障る。
「金五百枚とそれを持った騎馬一騎だけで今は我慢してくれ、と言ったところか」
「そのようですな」
低くか細く王は唸る。決して怒鳴ったりはしない。
「……陛下」
ドルメンはそんな時、どうすればよいかをこの三年で学習していた。
棚を開けて中から取り出したのは薬草だ。煎じるものではないのか、摘み取られた葉っぱのままのそれを丁寧に巻く。黒麦で作られた糊で止められた薬草巻きを作り上げると、先端をナイフで切り落とし、燭台で先を焙った。
得も言われぬ香りが煙と共に室内に広がって、ウファーゴの鼻をくすぐる。
「どうぞ」
「……うむ」
手渡された薬草巻きの先を口に含み、燻る煙を吸った。
酒とは違う酩酊感が一瞬訪れ、次いで血肉が引き締まるような爽快感に目元が揺れる。
目を閉じ、肺腑の煙を吐き出して目を開くと、そこには憤りも過剰な興奮もない冷静な王君の眼差しが宿っていた。
「ふぅ。済まないなドルメン。いつものことながら、これは良く効くな」
「モグイのパンクラチオン使いが厳しい精神修養を行う際に使う薬草ですから。オークの強靭な肉体でなければ忽ち中毒を起こしてしまうでしょうな」
形式上、領内に荘園を開かせたモグイ族はウファーゴ・ツァオ直轄の領民ということになっており、折々につけこのような独自の産物を届けてくれた。それらを一手に管理するのもドルメンの仕事だった。
「陛下。気をお鎮めになられたのなら、今後は如何なされます」
「軍資金がちと足らぬな……よし、ドルメン、証紙を出せ」
「どちらにお出しに?」
「何処でもよいわ」吐き捨てるように言った王の息は薬草の匂いを漂わせる。
軍資金の援助が期待できないのなら、借金をするしかない。どこからするか? 当然、これもモグイ族からである。
それでも領内安堵の約束をした間柄だからか、帝国貴族、元老院議員などらと比べると格段の低金利でウファーゴは金を借りていた。その代わり、税は棒引きになる。
(薬や酒、風変わりな工芸品をいくら届けられても、金子に変えられぬからな。痛し痒しよ)
ドルメンがモグイ族の商家宛ての借用申し込み証紙を作り上げ、王はそれに鉄印を捺す。
ブッフケルンにいるモグイ族商人に渡れば、即座に国庫に入金されるだろう。ひとまずこれで輜重の心配は無くなった。
「ハイゼを呼べ。布陣の詰めを行う」
「畏まりました」
さて、いよいよだ。弱小部族上がりと陰口の絶えないウファ―ゴ・ツァオの正念場が幕を開ける。
再度攻勢を行う宣言をして十日。ブッフケルンの城壁前にアメンブルク軍団が集結し、出陣式を行っていた。とは言っても、対面上この作戦は半月前の仕切り直しに過ぎないということになっている。いたって簡素なものだった。
陣立ては、先鋒をガルウシ支族を始めとした元独立部族の親族方率いる部隊、凡そ一千五百の後ろをウファーゴ隷下のハイゼ率いる従士団五百を中核とした二千のオーク戦士本隊、後詰としてスピネイル率いるアメンブルク駐留部隊一千五百が付き、会戦となれば左右に展開して側背面を守る。
以上の事から出陣が始まってもスピネイル達が動き出すのは後になった。
のんびりと象の鞍上で自分たちの番を待っていたスピネイルだったが、誰かが象の毛を掴んでいた。
「ん?」
「私だよ」
象の腹に隠れそうなほど小さな人影がスピネイルを呼びかける。
スピネイルは人影が掴んでいた象の毛の根元を持って引っ張る。人影はそれを頼みに象の腹を駆け上って背に乗った。
「うーん、良い眺めだねぇ。オークの頭が蟻みたいだ」
「何の用? ヨアレシュ」
「やだね、何の用、じゃないよ。身近にいてもらわなきゃ、守ってもらえないじゃないか。魔術人護衛士殿」
ヨアレシュと呼ばれた小柄な娘はオークでも人間でもモグイ族でもない。ぼさぼさの鳥の巣頭に無数の簪を刺し、襤褸のマントに貫頭衣を麻縄で縛り、土埃に汚れた素足の恰好という浮浪者と見紛うような姿だ。
彼女こそ、オーク諸族も、レムレスカを築いた人間たちもやってくる遥か昔からソフロニア大半島に棲んでいる先住種族の末裔、ヤオジン族、通称魔術人の一人だ。帝国は彼ら彼女らと密約をかわし、軍事協力を求める代わりに保護を与えている。
読心の力を持っているヨアレシュと、色々な巡り合わせて知己となり、三年の月日を経てなお、こうしてともに戦場に立つ間柄となっている。
「この前は象から落ちたっていうじゃないか。結構心配したんだぞ?」
背中にヨアレシュがもたれかかってくる。華奢な体に似合わぬ豊満な胸元の圧力が鎧越しに伝わってくる。ちょっとくやしい。
「安心して、今回は対策を練ってあるから。……それよりも負傷者の手当てについてなくていいの?」
「酷い奴はアメンブルクに送っちゃったし、軽い奴は処方箋を出してあるよ。後は兵士らで薬作って飲めるもの」
それよりさ、となんだかヨアレシュが珍しく興奮している。
「なんだか、ざわざわするんだ。久しぶりだよ」
「ざわざわって?」
「なんていうのかなぁ。なんだか面白そうなことが起こる予感がするんだ。スピネイルと会った時みたいな!」
「予感、ね……」
自身の血肉を介して超常の現象を起こす魔術人の言だ。あまり疑ってかかるのも考え物だ。
「こちらの思惑通りではない、まだ知らない何かが起こると考えた方がよさそうね」
「またインファが怒りそうだね」
「侍従を戦場に連れ出す程惚けちゃいないのよ」
インファは確かに、一騎当千の戦闘能力を持っている。
だがスピネイルにとっては、あくまで侍従であって欲しい相手だ。帰る場所にいて欲しいのだ。
(なんだか普通じゃないことが起こりそうだし、付いてきそうな気がするなぁ)
「ひゃっ!?」
物思いしてるといつの間にかヨアレシュの手が鎧の隙間から鎧下を触っていた。
「うっふっふ~暖かいな~」
「こら! 鎧が緩んじゃうだろ!」
「まぁまぁ~後で直してよ。ん~ちょっと成長したんじゃない?」
「そ、そう?」
「まぁ三年だもんね~すっかり馴染んで……女の子だねっ」
鎧下を這う指の感触と背中に感じる乳房の圧力。
二つに挟まれ背筋がぞくぞくする。奇妙な感じだった。
「あーっ! もうやめ! やめろ!」
「ええーケチー減るもんじゃなし―」
「嫁入り前の女の肌を不躾に楽しんでるんじゃないよ!」
そんな具合に象の上で二人がじゃれ合っていた。
何の指示も与えない乗り手に対して象は沈黙を答えとした。毛むくじゃらの奥に引っ込んだつぶらな眼差しでぼんやりと周囲を見ているだけだ。
逆に頭の上で上官が何やら騒いでいるようだ、と将兵たちがざわつき始めた。だが相手は指折りの勇将にして直視も憚られる麗人だ。任務に関わらない声を掛けるのはためらわれる。
そんな中で一人、騎乗を許された将官が馬上より見上げて声を上げた。
「スピネイル殿! 如何なされました?」
「あっ!? トゥラク隊長?」
振り返って見下ろせば、そこにはスピネイルの見知った顔がこちらを見ていた。
三年前、共にウェイダ村からサヴォーク、ユアン・ホーの軍勢を迂回してアメンブルク開城まで共に戦った軍人で、サヴォーク総督キュレニックスの子飼い部隊、重槍重歩兵隊の隊長だ。
此度はキュレニックスより使い番として軍資金の輸送を務めた後、そのままスピネイル預かりとなった次第だ。
歩兵時代からの愛用する重槍をからげて、意気揚々と陣中に紛れていた。
「ちょうどいい、……やっ!」
「ああ!?」
スピネイルは隙をついて背後のヨアレシュを掴み上げ、目下のトゥラクに向けてひょいと投げおろし
た。
「わぁ!」
「おっと!?」
「トゥラク隊長。此度の貴殿は員数外ゆえ、魔術人の直衛をお願いします。目を離さないように」
「……は! 了解致しました。さ、魔術人殿。私の後ろにお乗りください」
「うう、スピネイルのいけずぅ」
「そろそろ我らの出陣ですぞ。象に轢かれぬよ下がりましょう。では」
「ス~ピ~ネ~ェ~ル~……」
四角四面なトゥラクがもだつくヨアレシュを連れて遠ざかった。
「……やれやれ」
別にふざけ合うのが嫌ではないが、やはり場所とかを選んで欲しいものだな。
そう思いつつ、また誰かが声を掛けぬうちに緩んだ鎧の紐を締め直すのだった。
『王を僭称するツァオ族長率いる軍勢』が再びイルリューティスを目指して進軍を始めた、という情報が北部部族連合に届いたのは、スピネイル達が出陣を終えた一昼夜のちのことだった。
流石にそう何度も伝令に奴隷を使いつぶすわけにもいかず、敵斥候部隊から情報を持ち帰った奴隷を解放するようになったマサ・ヘオコは、リシン、老マタルらにそれらを伝えた。
リシンは手勢に造営させた自らの仮宮でそれらを聞く。
この陣屋、他の北部オークらの立てる布張りの家とも、アメン川流域で立てる木と土作りの家とも異なる造りであった。強いて言えば『炉』に似ており、こんなものを即座に作り上げるダオ・オークの実力の深さに連合諸部族は驚くとともに、頼もしさを感じるようになった。
「どうする?」
「こちらも打って出るとしよう。なんといっても、ここは戦いづらい」
イルリューティスは祭礼施設と採鉱施設の集合体に過ぎず、防御力はほぼ期待できない。付け焼刃で空堀を掘らせてはいるが、それくらいなものである。
そもそもレムレスカに影響を受けているアメンブルク周辺域のオークと違い、北部オークは籠城戦が苦手でもある。野戦に持ち込むのが上策と言えるだろう。
ところがリシンはこんなことを言い出した。
「此度の戦は矢戦とする。爆石の他にも投槍を持て」
「投槍だと? そんなものないぞ」元来のオーク部族の武器にはないものだ。
「なら、手斧でもよい。戦斧、棍棒の代わりに手斧を一人五、六振り持たせるのだ」
「一体何を企んでおられるのだ?」
老マタルの問かけにリシンは含むように笑う。
「そなたらにダオ・オークの戦いというものをご教示してやろう」
その日の昼には北部部族連合を形成するオーク諸族はイルリューティスを発った。
ユイ族、ヘオコ族を中核とした約二千人の戦士集団に小部族の長らが寄り集まって出来た一千五百の集団が付随する。
ダオ族は総指揮官リシン・ダオを直衛する十人余りとは別に、総勢百人が各集団を率いる族長らの元に配置されるという特異な形を取った。
たった百人と少しでダオ族は何をするつもりか、と長達は声を潜めて言いあった。
イルリューティスを出たオーク戦士集団からひっそりと離れる一人の戦士がいた。
戦士は森の中へ入っていき、森を抜け、小川を渡った。
戦士は半日を掛けてあらかじめ残した道しるべを辿って彷徨い歩き、目的の場所にたどり着いた。
布の家が複数固まって出来た小規模な、しかし即席の集落だった。
「族長!」
「きたか」
中心に建てられた家から乞われたのは連合を抜けたラアド・レイだ。
「動きました」
「そうか。こちらも動く」
間者の報告を聞きながら従士たちに移動の命令を下す。
「見ておれリシン。見ておれツァオ。目に物をくれてやるわい……」
獣のように口角を吊り上げ息を吐く族長の背中をベイシャンが不安げに見つめていた。
レイ族の兵力は一千弱。その内従士は百二十人いて、皆大振りな両刃戦斧を持っている。自由民戦士は逆に棘付き棍棒のみである。首級を上げ戦功を詰めるのは従士ばかり、というのがレイ族のお決まりだった。
それらを率いるラアドは従士らの戦斧を両手に二丁携え、遠くからも特徴が分かる五角の兜を被った。
「いいか、お前たちの上に立つラアド・レイは海から渡ってきた半端物のダオ・オークに侮辱された!
他の部族はそれを見て見ぬふりをした! これは延いてはレイ族に対する侮辱である!」
「そうだ!」世話役の従士が声を返す。
「俺はホーにも匹敵する連中の侮辱を受けた! この借りはオーク戦士として、必ず斧と血によって返さねばならない!」
ラアドは部族連合とアメンブルク王国軍との会戦に乱入することを考えていた。
両軍が衝突し、互いに疲弊した頃合いを見計らって割り込み、どさくさに紛れてリシン他ダオ・オークを殺す。
勿論、戦い疲れているだろうツァオ族の戦士たちも打ち倒し、晴れてユイ族やヘオコ族の面目を潰し部族連合への帰参を果たそう、というわけだ。
戦場で不慮の事故は付き物である。乱戦の中でマサや老マタルさえ討ち取られてしまうことも不思議ではない……。
「四方三方、味方以外の戦士を悉く叩き殺せ。奴らにレイ・オークの恐ろしさを骨の髄まで教えてやるのだ」
おおう、と威勢のいい声が返ってきてラアドは満足した。
そのまま移動を始め、先んじて会戦場所になるだろう原野の近くに移動したいところだった。
だがラアドは部下たちに他の陣屋の撤去を急がせると、自分はベイシャンと共に自分の陣屋に戻った。
既に火を落としてある陣屋の中は外光のみで薄暗い。
「……随分な役者ぶりで」
「黙れ……」
ベイシャンから見て逆光の視界でもわかるほど、ラアドの気色は悪くなっていた。
部族連合を出た頃から、ラアドの体調は急速に悪化していた。血潮の巡りが悪くなり、食も細くなった。
ベイシャンはいくつかの臓腑が回復困難なほど弱っていると診た。戦場に持ち込んだ程度の散薬ではどうしようもなく、直ちに療養が必要なくらいだが、ラアドは首を縦には振らない。
「薬を、持てい……」
弱弱しい声で言うラアド。目は落ちくぼみ、一目見て死が近づいているのが分かる。そうと周りが気付かないのはベイシャンが施薬し、顔に化粧をしてやっているためだ。
両手で足らぬほどの材料を調合した泥のような水薬を作ると、ベイシャンはそれを口に含んでラアドに移した。
抱きしめた男の体が震えているのが分かる。触れている唇の冷たさは既に死体の様だ。
ベイシャンの体を抱き返す太い腕に力が戻って来た。
「……このまま何日持つ」
「次の満月は見られないかと」
つい三日前に満月が過ぎたばかりだ。次の満月は秋の中頃だろう。
切ろうが殴ろうが避けられぬ「死」。それが確実に、手で触れられる距離まで迫っている。
「……ベイシャン」
「あいな……」
「貴様は、俺を恨んでいるか? 郎党を屈服させ、腕づくで自分を手籠めにした男を」
「さて……あまり考えたことはございませんわ」
ベイシャンは薬師だ。薬師にとって弱っている者に薬を施すのは当然のことだ。
どんな形でも自分の前に現れた者は全て患者であり、患者を癒すためなら、幾らでも薬を作るし、身を捧げて抱かれもしよう。
ベイシャンとはそういう女だった。
「食えぬ女め……」
苦々しく思いながらも、ラアド・レイはそれまで抱えていた重苦しいわだかまりが幾許か減じ、雨上がりの空のように晴れ渡るような気持ちを得るのだった。
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