第2話 姫武将ホン・バオ・シー、南伐軍を率いてレムレスカ帝国軍を破る


 肥沃で起伏なだらかな平野を望む小高い丘に、チャンバオ砦は建てられた。


 50年前、幾度かに渡って行われたオーク諸族の大移動の波がこのレムレスカ帝国北部の属州までやっ

てきた。帝国はこの不愉快な定住者たちを追い返すべく軍団を伴って遠征し、両軍は激突した。


 両者の血がおびただしく大地へ流れ去った後に結ばれた休戦協定で、オーク諸族の一氏族にあたるシー・オーク族は当時の帝国領土境界線であるアメン川沿岸に定住する権利と、帝国の同盟者の称号を与えられた。


 しかし30年後、シー・オーク族の長ラン・バオ・シーは互いに対立する親族たちを討伐することで支配権を確立し、ここにシー王国が誕生する。そして王は同盟者から侵略者へ鞍替えし、レムレスカへ進軍した。


 それから20年、帝国はシー王国との間で幾度かの小競り合いを繰り返しながら今日に至っていた。チャンバオ砦はそのような最中建てられた軍事拠点であり、対シー王国戦線の中枢として機能していた。現在ここに、レムレスカ帝国本土からやってきた帝国軍第七、第八軍団の総勢7千人が詰め込まれ、次なる指令を待っていた。


 見張り台に立っていた兵士は眼下に広がる黒麦の畑の一点を注視すると、すぐさま伝令を屋内最奥に鎮座している将軍へ走らせた。


「報告します!偵察に向かわせた騎兵部隊の一部が帰ってまいりました!」


 その報告からほどなくして砦の正門を潜り抜けた数騎の馬の背から転げ落ちた男たちが、待ち受けていた者たちの手で将軍の元へ運ばれていくのを城内の者らは固唾をのんで見守っていた。彼らが命がけで手に入れた情報次第で自分たちの行く末が決まるのだ。


 日が傾き始めた頃、城内に号令の喇叭が吹かれた。兵士たちは武具に固めた姿で整列すると、彼らに対する正面に将軍がたった。彼もまた武具に身を固め、将帥の証である深紅のマントと軍団の印である軍旗を掲げる旗手を伴う。


 歴戦の古参兵は戦の近いことを悟った。将軍は話す。


「帝国臣民にして勇壮なる戦友諸君。北方より来たりし蛮族の王が、己の軍団を率いて我らの大地へやってくる。我らの使命は、信義を蔑ろにし、契約を反故にするこの者らへ、皇帝レムレウスの名のもとに鉄槌を下すことである。魔術人モールニア、前へ」


 名を呼ばれた者が整列した兵士の中から歩み出て、将軍の前に立った。その姿は兵士らしからぬ姿だった。黒いローブを編み紐で結び、フードの下の表情は伺えない。


「帝国と諸君ら魔術人の集いとの約定に従い、我らに勝機を授けられたい」


「あいわかった、将軍。皆の者、槍を掲げよ!」


 振り返った魔術人がもろ手を挙げた。それに呼応した兵士たちが、自分たちの握る槍を天へ向かって突き出す。


 魔術人は袖の中からナイフを取り出して振り上げた。そして次の瞬間、その白刃がフードの中へ差し込まれた。


 フードの闇の中からくぐもった声が漏れ、そしてそこから赤黒い瘴気が煙のようにもうもうと吐き出さた。それらは空へ舞い散ることなく細かな筋となって伸び、兵士の持つ槍一本一本に纏わりついた。


「皆の者、死にたくなくば盾を掲げよ!」


 苦しみを滲ませた魔術人の声が叫ぶと、兵士たちは続けて自らの持つ大盾を掲げた。再び魔術人から瘴気が湧き出て、盾一枚一枚に染みついていく。


 魔術人はフードに差し入れていたナイフを引き抜いて、将軍に向かい直した。その手のナイフには何故か一滴の血もついてはいなかった。だがあきらかに、この刃が魔術人自身の体に突き刺さっていたに違いない!


「槍に呪いの毒を、盾に守りの加護を授けた。後はそなたの仕事だ。将軍」


「感謝する、魔術人よ。諸君、出撃する! 整列!」


 旗手の手で吹かれた喇叭の音に合わせ、兵士たちは鬨を挙げ、足並みをそろえて動き出した。先陣に立つ大隊が城門を抜けていく姿を見ながら、将軍は魔術人に語った。


「偵察隊の報告では向こうは歩兵3千弱、騎兵5百騎相当の軍勢でこちらに南下しているという。目標はおそらくここより南にある自由都市サヴォークだろう」


「サヴォーク側に連絡はよこしたんだろうね。あそこがとられてしまうとこの砦が孤立してしまうよ」


「既に早馬を飛ばしてある。我々はかつての自由都市アメンブルクへ伸びるサヴォーク街道を行く。オークどもの進路へ正面から当たることになる」


「それは表向きの戦略だね」


 将軍は苦い顔をする。事実、それは表向きの作戦にすぎなかった。


「我々の目的はサヴォークに逃散する時間を与えることだ。皇帝より預かった兵七千のうち、騎兵は5百騎。方々に飛ばして消耗してしまった今は4百騎だ。これでオーク族の駆る象騎兵を抑え込むのは、私の技量では不可能だ。……心を読んでいるな」


 フードの下で笑っているのだろう、肩を揺らして魔術人モールニアは答えた。


「まぁそう卑屈になることもあるまい。私の術で兵士の多くは死ぬまいよ。それで、ここの守りはどうするんだい」


「守備隊に五百人を残す。おそらく会敵後ここに再集結したのち、撤退することになるだろう」


「負け戦とは面倒なことだね、将軍」


「このような時代だ、仕方ない」


 むっつりと将軍はそれきり黙り、直営隊を率いて城門へ向かう。

 魔術人も、自らを守る護衛士30人を伴い、それに続いた。


 出立した第七、第八混成軍団約6500が北東の街道を進み、目的の場所で布陣し終えたのは、夜明けの頃だった。典型的な横陣、左翼には騎兵隊を配し、右翼には将軍の直営部隊が立つ。兵士たちは整列し、槍と盾を構えた。太陽の緑光が地平線から昇っていくと同時に、街道の遥か先から土煙を挙げてこちらへ近づく者どもの姿が見えてきた。


 それは、そうと知らぬものが見れば、一瞬奇妙な感覚に襲われるだろう。縮尺が合わないのだ。だが次第に近づいてくることで、否応なくこれらが感覚の乱れではないことを教えてくれるだろう。


 数百年前、最初にオーク諸族と戦ったレムレスカの将兵たちは皆、口をそろえてこう言った。


『北方に住むオーク諸族と呼ばれる者たちは、みな一様に巨大な肉体を持っている』


 その事実をレムレスカ本国の人間たちは最初は鼻で笑ったが、今ではその事実を否定できるものは帝国内にいない。オーク諸族という巨人種族との闘いこそ、今の帝国の日常なのだから。


 最前列の兵士から最短距離にして五千歩の位置でオーク軍団は停止した。レムレスカ人の倍はある肉体に鈍く輝く黒金の鎧を着込んだ歩兵が、手に手に持った戦斧と棍棒を掲げて鬨を挙げている。


「こちらも鬨をあげよ!」


 将軍の声に合わせて兵士たちが叫んだ。


「亀甲、構え!前へ!」


 号令とともに兵士が動く。隊の位置に合わせて大楯を掲げ、大隊単位の巨大な亀のごとき隙間ない防御の構えを取って進む。


「槍を撃てー!」


 兵士たちは三千歩の距離に達すると大楯の隙間から自分たちの槍を振り出し、山なりに投げつけた。呪いの毒を帯びた槍が雨の様に敵陣に降り注ぐ。そして次の瞬間、施された魔術の力で、降り注いだ槍が飛んだ軌道をそのまま辿って投げた兵士たちの手に戻ってくる。


 すぐさま、オーク軍団から報復の投擲や飛んできた。しかしそれは槍や斧ではなかった。遠目にもオークたちが何かをこちらへ投げつけているのがわかる。放物線を描いて混成軍団の兵たちへもたらされたものは、こぶし大の大きな石だった。ただの投石、ではなかった。


「来るぞ、堪えろ!」


 古参の兵士が叫ぶ。次の瞬間、大楯に降り注いだ投石の雨は、衝撃と熱波へと変化して兵士を襲った。

 これはオーク諸族の持ち込んだ『爆石』という物質で、硬いものに打ち付けると破裂し、熱と光と衝撃波を生み出す。加護を受けていなければ盾もろとも兵士たちをすり潰して有り余る破壊力を持っているのだ。降り注ぐ爆石がもたらす光と熱の乱打の前に、前進する兵士たちの足が止まる。


「進め! 進めー!」


「駄目です! 動けません!」


 爆石の雨で釘付けにされた軍団兵士たちをしり目に、オーク軍団は投石を続けながら前進を続ける。と、一千歩を切った距離まで詰め寄ったオークの先兵たちが両翼へ別れはじめた。


 横陣の中央部が薄く、両翼の兵数が厚く変わっていきながら混成軍団を左右から挟み込もうとしているのを指揮を執りながら将軍は歯がゆい思いで見ていた。


「このまま押しつぶされるのはまずいだろう、将軍。ここは一旦引くか?」


 いつの間にか傍に侍っていたモールニアが進言した。


「ここで後退すれば兵の士気は二度と戻らないだろう。ここは……踏みとどまるところだ。伝令!左翼大隊に敵中央へ潜り込ませろ。騎兵隊で中央を突破し、敵左翼の突出部を包囲する。右翼の突出部の相手をする必要なし」


「この爆石の雨はどうする?


「後衛から兵力を一部抽出して敵の側面を突かせる。ついてはモールニア、新たな呪いを掛けてもらいたい」


「やれやれ、仕方ないな」


 伝令が矢継ぎ早に奮戦する各大隊の元へ駆けていった。散発的に降り注ぐ爆撃をかわして走る若者たちは、自分と仲間たちの生存のために必死に命令をこなすだろう。


 各大隊が爆撃の合間を縫って体力に余裕のある兵士を幾人か引き抜くと、右翼後方で即興的な小軍団が編成される。と同時に、左翼大隊を形成する騎兵隊が槍を構えて前進を始める。高速で動く騎兵に対しては、爆石の攻撃も効果が薄い。


 編成された即席軍団は兵員数三百という小さなものだが、目的は敵の側面を脅かして投石を鈍らせることにある。ゆえに必要なのは攻撃力ではなく、素早く敵に迫るための機動力だった。


 モールニアは懐から革袋を取り出し、中身を捨てた。中には魔術人が作る丹薬を溶かし込んだ水が入っていたのだが、これが地面に注がれると一陣の風に変わって兵士の間を吹き抜けた。これは一度かけた呪いを取り消すための儀式だった。


 続いてモールニアの手に、砦を出立するときにも見せた短剣が握られ、また彼自身の体に刃が突き立てられた。湧き出た瘴気が兵士たちの身体を巡って魔術人の元へ帰っていくと、彼は言った。


「お前たちに早駆けの呪を掛けた。今からお前たちの足は風、呼吸は電、何物も追いつくこと叶わぬだろう」


「行け! 戦友の命は諸君らの健闘にかかっている」


 将軍の声を受け、小軍団は整列を乱すことなく駆けだした。すると途端にその動きは風に吹かれて飛ばされた布きれのように遠く見えなくなる。


「ご苦労だったモールニア。あとは前衛が堪えてくれることを祈るしかない」


「そううまくいくと思うかね。この戦は初めから勝ち目が薄いのだから……」


 呪いを授けた疲労から体を揺らしていた魔術人は、将軍に話しながら不意に動きを止めた。その様は遠くの会話へ聞き耳を立てているかのように、将軍には思えた。


「どうした、モールニアよ」


「……どうやら、一手遅かったようだ。敵が、来るぞ……」


「報告! 敵中央部から敵騎兵部隊が出現、わが軍中央へ向けて突撃してきます!」


「なんだと!」


 振り返った将軍の前に立つ伝令は青い顔で続けた。


「象騎兵です! 先頭にいるのは赤い鎧を着た騎士で、驚くほど長い棍棒を掲げてこちらに向かってきていると!」


「赤い鎧、長い棍棒、そ、それは」


 必死に積み上げた生存の道が音を立てて崩れていく感覚に襲われながら、それでも将軍は義務感に駆られて叫んだ。


「オークの姫騎士だ! 中央部大隊は直ちに後退しろ! 死にたくなければ逃げろ!」


 

 濃褐色の毛皮に覆われた二十頭の象は、背中に乗せた象使いの手練によって密集陣形を維持したまま、横陣の中央に開かれた空間を突進して人間の軍団中央にぶつかっていく。巨大な背中にくくり付けられた鞍には二つの席があり、前方に座った象使いは細長い鉤尺を使って巧みに象の進路を操作し、後方に座った重装のオークが長柄の斧や混を振るった。その重厚巨大な軍団から繰り出された衝撃力の前に、人間の兵士たちが組んだ亀甲陣形は驚くほど持ちこたえたといえる。


 陣形を維持したまま詰め寄ってくる人間たちへ、鞍上のオークたちがそれぞれの得物を振るって迎え撃つ闘いとなった。毒槍を鎧の上で反らし、掠らせ、あるいは象の分厚い毛皮で防ぎ、返す刀を打ち下ろし、瓜を割るように人間の頭が叩かれて血しぶきが舞った。


 そのような凄惨な戦場にあって、象騎兵の先陣を切ったオークの騎士の戦いは異様な光景を作り出していた。


 まずこの者の乗る象には象使いがいなかった。代わりに馬の様に手綱が繋がれ鞍上の騎士の手に握られている。片手に握る長棍棒は振るうたびにしなり、叩くというより打ち据えるといった表現がふさわしい。


 体を覆っているのはオーク様式の鎧だが、全身の装具に朱が塗り込まれた鮮烈な赤色の鎧だった。兜からはオーク諸族の中でもシー・オーク族に多い黒髪が流れるように零れていた。


 戦場にあってそのような髪の露出は首を痛める危険があるというのに、この者はそんなことは知らないとばかりに首を振り、周囲へ戦意のまなざしを注ぎ、敵とあらば容赦なく、手の武器を振った。


「殿下ー! 姫殿下ー!」


「突出しすぎておりますぞ殿下ー!」


「ならばお前たちが前にくるんだ!」


 駆けられた仲間の声に応えたのは女の声だった。


 彼女こそ、帝国を侵略するシー王国の王女にして、此度の南伐軍の指揮官ホン・バオ・シーだった。そ

の鮮烈な戦働きから帝国、王国双方から「オークの姫騎士」と呼ばれている女武者である。


 ホンが手綱を操ると象が反応し、長く突き出た牙と鼻を振って前方の歩兵をなぎ倒した。先を鋭く尖らせた牙と分銅を巻いた鼻はそれだけで前に立つものを威嚇するし、もちろん、当たれば重傷は免れない。そうして前に立つ兵士を片づけたホンは象を嗾け、帝国軍中央部大隊の背後へ抜けた。


「とりつく雑兵に構うな! 踏み散らして先へ進むのだ!」


「殿下、右に割った部隊が側面から奇襲を受けております!」


 なに、とホンは鞍の上に膝立ちになって振り返る。


 象騎兵を通すために左右へ分かれたオーク歩兵のうち、右側へ寄った部隊が、自分らよりさらに右側からにあった小丘より突如現れた兵士たちより攻め込まれている姿が、遠目にも確認できる。そのためにその部隊からの爆石攻撃が途絶えていた。


 爆撃が止んだことで人間たちは躍起になって攻め寄せはじめていた。戦場のまん真ん中に立つホンは周囲を見渡すと、腰に下げていた法螺貝を掴みだして天に向かって吹き鳴らした。


 それを合図に周りの兵を潰して回っていた象騎兵たちがホンの周りへ集合する。ホンは言った。


「今、我々の軍団は二つに割かれている。右に割った者たちはわき腹をつつく敵の別動隊に気を取られているし、左の方は敵の騎兵もどきが向かいつつある。そこで突撃する前に決めた作戦を変更する」


「このまま真ん中を突っ切って、向こうの砦まで走るんじゃないんですかい?」


「副将に任せたほかの騎兵に財宝をとられっちまいますよ」


 鞍上のオークたちは口々に文句を垂れると、ホンは長棍棒で地面を打って黙らせて続けた。


「人間の軍団が私たちの突撃に対応出来なかったのなら、このまままっすぐ抜けていっても良かったんだ。だが見ろ、こいつらは左右に分かれた我々の軍団に対抗している。私たちが歩兵たちを置いて行っても、我々の軍団は勝てるだろう。ただ、死人が増えるだけだ。そして私は死人が増えるのを良しとしない。次の戦いのための戦士が減るのはな」


 酷薄にそういうと象の首を左翼軍団を囲みつつある人間の軍団へ向ける。


「右翼をつついているのは大した数じゃない。左翼を囲んでいる方に敵方の大将がいる。そこに突っ込むぞ。砲撃槍を持て」


 そう指示を出すと、象騎兵隊の最後方にいた騎兵たち数騎が進み出て、鞍の上に繋がれた重荷を解きはじめた。


 それは青黒い金属で出来た太い棒のようなもので、握りがあり、先端に穴が開いていた。騎兵たちはめいめい二騎ずつの組になると、互いの間にその筒を挟み込み、太い綱で吊り下げた。二頭ずつ並ぶ象の間から一本の金属柱が飛び出た格好だ。


 ただ、ホンだけは他の騎兵と組むことなく、なんとその太い筒を担ぎ上げて脇に手挟んだ。


「全騎整列、人間たちに爆波の雨を叩きつけろ! 突撃!」


 応、とオークたちが野太い声で答えると、包囲を始めた人間たちに向かって象を走らせる。それを確認したホンは、長棍棒を鞍に結わえ、砲撃槍と手綱を操って自らの象を動かす。20頭の象が横一列に並び、その中心に位置するホンが慎重に彼我の距離を測りながら、象の立てる足音に消されぬ大きな声で叫ぶ。


「爆石、装填!」


 騎兵たちは各々、自分たちの懐に鈴なりに吊るしてある爆石を取り、それを砲撃槍に詰め込んでいく。ホンが手綱を口で咥え器用に石を込めると、鞍上で膝立ちになり槍を両手で構えた。綱を噛む微妙な力加減で象を進ませながら、歯の隙間から息を吐く。


 ここだ、とホンが思ったとき、彼女は手綱を吐いて言った。


「放てぇ!」


 微速で行進する象の上から突き出た槍が、一斉に爆石の衝撃波を発射した。槍の中に込められた爆石が粉砕され、生み出された破壊の力が一点から放出されるのだ。それらは槍の指示した、人間の軍団の側背面へ真横から叩きつけられた。


 ホンもまた、号令を出すと同時に自らの槍を発射させていた。その反動を堪えるのに膝で鞍を締め上げているために象が悲鳴を上げているのも構わず、彼女は撃ち、撃ちながら拍車で象を歩かせる。砲撃槍は威力抜群で、真横から爆撃された兵士たちが、麦穂を刈るように倒れていくのが遠目にも見えた。


 象騎兵たちが砲撃を加えながら行進を続け、包囲されつつあった左翼軍団に合流するころには、包囲するはずだった人間の軍団は散り散りになって敗走していった。


 やがて右翼軍団も妨害していた奇襲部隊を片づけたらしく、分散して後退していく敵軍へ投石を再開するようになった。


 日の出から始まったシー王国南伐軍とレムレスカ帝国混成軍団の会戦は、正午を待たずして決着する。戦場となった平野にはひき肉となった人間と毒が回って黒い腐肉と化したオークの死体が一面に転がっていた。死臭ただよう風が吹く中、緋色の鎧に黒髪をなびかせたホン・バオ・シーだけが、その豪壮な美しさを際立たせていた。


 

 会戦は終わったが、戦闘はまだ終わりではなかった。ホンはすぐさま自軍をまとめ上げ、追撃戦へ繰り出した。逃げる人間の軍団を道々に転がる死体を目印にして追うと、目の前に見えてきたのは、丘の上に建てられた重厚な城砦だった。


 この度の南伐軍を任せられたホンの目標は、人間の軍団の詰める砦を落とし、次いでさらに南にある都市を攻略することだった。そのために彼女は、会戦を誘因するための部隊とは別に、象騎兵部隊を半分に分けて直接砦を襲うように指示していた。分隊を任された副将ユンム・シーが、薄暮が迫りゆく中でホンを迎えた。


「首尾はどうなっている?」


「砦に逃げ込んできた連中を刈り取ることは刈りましたがな」


 オークとしても初老の域に入りつつあったこの男は、ホンを前にしても片意地を張ったりはしなかった。


「城攻めの準備をしつつ落ち武者を追いかけねばならない、となると小回りの利かない象を使うわけにも行きますまい。というわけで徒歩で構えておったのですが、まぁそうなると手数が足りない。逃げてきた兵士たちの半分は打ち取れたかと」


「まぁ全部狩れとは言わないさ。帝国軍を追い込めているのならそれでいい」


「それでどうします。予定では城を包囲しておき、残りの兵で都市を落とすことになっとりましたが」


「その通りで大丈夫だろう。だが長々と城攻めをするのは兵の士気が落ちるな。何しろすぐ近くに美味しい獲物がぶら下がっているんだ。統制を取るのも難しくなる」


 城を包囲して身動きを取れなくしておくには多量の兵を残す必要がある。しかしそうすると、略奪に回った側への不満が溜まり、後の禍根となるだろう。逆に略奪へ兵を多く向かわせたなら城に詰めている帝国軍は死にもの狂いで戦い、これを防ごうとするだろう。


「頭の痛い問題ですな」


「そうでもないさ」


「はて、なにか妙案でもあるのですかな」


「要はさっさと城を落としてしまえばよいのだ。そうすれば兵士たちを都市に行かせられる。だれか、ありったけの爆石と、私の槍を持ってこい」


 徒歩で待機していた象騎兵の一隊が象の荷袋から降ろしていたホンの砲撃槍と爆石を積み上げていく。屈強な兵士が二人がかりで運んでいた槍は、ホンの前に突き立てられた。


「今から私が城の各所へ砲撃を加える。各隊は臨戦態勢で待機せよ」


「は?」


 ユンムは一瞬、ホンが何を言っているのか理解できなかった。だが理解した瞬間顔を真っ青にして首を振った。


「御身は既に野戦にて騎手一番掛けの殊勲を手にされ、そもそもこの軍団の司令官ではありませんか。そのような策なら配下のものにさせれば」


「私がやった方が早い」


「それは、そうでしょうが」


 ユンムが表情を曇らせているのを見てホンは微笑んで言った。


「ユンム。お前が父から私を監視するように言われていることは分かっている」


「監視だなど、とんでもない……」


「なら、お目付け役と言ったらいいか?内輪の争いばかりで戦功を立てても他の氏族になめられてはシー・オークの将来に関わるからと、今回の南伐を企画した父の面子を、私が潰すまいかと心配しているのだろう」


 ホンはユンムの目の前で砲撃槍を構えた。誰の手も借りず抱えた槍の中へ爆石を込める。


「チャンバオ砦が陥落すればこの一帯はすべて我々シー・オーク族の領土だ。豊かな黒麦を育てる肥沃な土地、物と金が集まる都市、それらとアメンブルクを結ぶ街道が一挙に手に入る」


「存じております。それこそラン王の願いですゆえ」


「うむ。でだ。それら豊かな帝国属州北部域を防衛している軍隊を我々は叩き潰してしまったわけだ。これをほかの氏族が黙って見ていてくれると思うか」


 ユンムはそう言われてはたと気付かされた。シー・オーク族の領土に接して土着しているアメン川対岸のオーク諸族が、これを機に続々と帝国北部へ侵入してくる可能性は極めて高いだろう。


「我々は速やかにこの一帯を領有しなければならない。となるとだらだら城攻めなどしてる余裕はない。一気呵成に攻め込んで潰すしかないのさ」


 ホンは片手で法螺貝を掴むと集合の合図を吹き鳴らす。オークたちが皆振り向き、ホンの前に立ち並ぶ。その顔触れを見てホンは言った。


「これよりそこの城へ攻め込む。一番掛けを望むものは前に出ろ」


「俺だ!」「いや俺だ!」「俺がやるぞ!」


「その意気やよし。今から私が城の門を吹き飛ばす。各隊は城内へ討ち入り敵を狩り尽くせ。ユンム、前線の指揮は任せる」


「は。総員武器構え、象騎兵部隊は徒歩にて殿下を守れ。負傷者は城外にて敵兵の注意を引きつけよ。命知らずは私に続け!」


 古参の猛将ユンム・シーがそう言い終わると、彼と彼に続く戦士たちが城へ向かっていく。ホンは配下の象騎兵たちに立ち位置につくよう指示すると、改めて砲撃槍を抱え、狙いを定めた。


 ホンの持つ砲撃槍は他のものが使うそれと異なる点があった。二頭の象の背中に吊り下げるための穴や鉤がなく、正真正銘野太い槍のような形をしている。その代わり、一人で取りまわせるように滑り止めの鮫皮が縦横に巻かれ、腋下に手挟んで撃てるよう、握り込める突起が突き出ている。


 筒状に鍛造された槍の内部に押し込められた爆石を槍ごと握り込む。すると爆石のはぜた感触が伝わり、次いで穂先から破砕音とともに衝撃波が発射された。空中を突っ切った破壊のエネルギーが進軍する突入部隊の頭上を飛び越えて閉じられた城門に着弾する。

 分厚い木材で出来ているらしい門扉に深々と亀裂を残したのを確認すると、ホンは間髪入れず爆石を再装填し、全く同じ箇所へ向けて撃った。二度目の着弾により亀裂は拡大し、内部からかがり火の光が漏れるようになった。


 それからは、あとは城壁の目ぼしい箇所へのめくら撃ちだ。込めて、撃つ。込めて、撃つ。城壁にそそり立つ塔の頭が吹っ飛び、石礫となって城内へ降り注いでいるのが悲鳴になって聞こえる。連続使用された砲撃槍は熱を持って真っ赤に焼けはじめ、陽炎となって視界を揺らめかせた。


 ホンは部下に水を用意させると、そこに布を浸して槍に巻き付かせた。もうもうと沸き上がる蒸気の中で、ホンは手元に積み上げられた爆石がなくなるまで撃ち続けた。


 最後の爆石が発射されて、城砦の天守キープの根元を貫通した。天守は膝から頽れる病人のようにゆっくりと傾げて倒れた。ふと周囲を見渡すと、部下たちがかがり火を焚いて周囲を固めていた。


「殿下、見事な槍さばきにございました!」


「世辞はいい、ユンムは、どうした」


「ユンム閣下が帰還されました!」


 血と泥と埃に塗れた真黒な顔をしたユンムが突入部隊の主だった者を連れて現れたのは間もなくのことだった。皆それぞれに大きな袋を担いでおり、目はぎらぎらと殺戮の余韻に輝いていた。


「城内に籠っていた連中は一人残らず討ち取りました。我らの戦果を検めください」


 ユンムの合図で一同は担いでいた袋を振って中身をぶちまける。ゴロゴロと転がり出てきたおびただしい数の生首が、まだ乾ききらない血と脳漿を滴らせて山と積まれるのを、疲れ切った目でホンは見ていた。


 まだ持ち上げたままだった砲撃槍を置かれていた甕の中に突っ込み、ホンは言った。

「ご苦労だった。全軍に伝えろ、敵軍団は殲滅した。休息が済み次第都市を攻撃する。物も金も、好きにしろとな」

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