第4話 再来と再会
その時、空が割れた。
縦横に走る亀裂は、猛る稲妻のように。
砕け落ちる破片は、季節外れの雪のように。
決して相容れぬはずの境界を喰い破り、それは来た。乱暴に身体を震わせ、全身を包む炎を払うとその姿が露となる。
鋭い牙と爪、黄金色の鱗はまるで
「な──何だあれは!」
問わずとも答えは分かっていた。
空に起こった異変も、異形なる生物の正体も。
可能性の1つどころか、他にはあり得ないと確信できる程に。
だが認めたくないのだ。実際に目にしてさえ、誰も現実として直視できないのだ。
【
それは特定の生物に対する呼称ではない。彼らが抱える危機そのもの、〈敵〉の総称である。
何処から、何のために現れたのか。初めてその存在が確認された20年前から、ほぼ全てが謎に包まれたまま。
その殲滅こそが
「結界が……破られただと?」
「そんな馬鹿な!」
異口同音の絶叫を掻き消し、吼える
大気にビリビリと伝わるその声は、20年という歳月をいとも容易く巻き戻し、積み上げた努力を、備えを、容赦なく無へと帰すようだった。
予定にないシナリオ!
「う……狼狽えるな! 全員、第1級戦闘態勢へ移行せよ」
敵の襲来により、否応なく演習は実戦へと置き変わる。
「おい待て。何処に行く……リーシュっ!」
精巧な顔に深い懸念を刻んだリーシュは、空を游ぐ巨大な敵を目で追いながら、尋常ならぬスピードで駆けた。
西へ。──クレセント大神殿へ。
(くそっ……冗談じゃねえ)
メタトロンの首府【エデン】は浮遊島にあり、重要施設が集中する。
北に王宮、西に大神殿。南はメタトロン最大人口を抱える市街地。
そして水源となる湖を中心に、意図的に残された自然が東に広がる。演習場があるのもそこだ。
南から現れた敵が西へ向かうことを予測しての行動ではなかった。しかしリーシュにとって、そこは特別な場所なのである。
正確には、そこにいるはずの人物こそが特別なのである。
地上から500メートル上空に悠然と浮かぶエデン。更にそれを見下ろす位置から、敵は〈西〉を標的に
「やめろォォッ!!」
叫ぶリーシュの視線の先で、無情にも一筋の光が叩きつけられた。
──────────
「きゃああああっ!」
強烈な爆風に吹き飛ばされ、激しく地面を転がるイリア。
壁に背中をぶつけるかと思いきや、柔らかい何かがクッションとなり事なきを得る。
「いたたっ……あ、あれ……エレナ!?」
「きゅ~……」
故意か偶然か。彼女を庇ったのはモフモフのエレナであった。
潰れた身体はボヨンと元に戻るものの、衝撃で気を失ったのか身動きひとつしない。
「エレナ……エレナっ!」
必死に呼び掛けるが反応は無く、慌てたイリアは頼みの存在を目で探す。が──。
その視界に飛び込んできたのは、迫り来る
いや、似て非なるもの。人間との交流こそ断たれて久しいが、【下界】へと降りれば
だが書物で学んだ知識とはかけ離れた容姿──はっきりそう認識させたのは特徴的な翼や尾ではなく、その大きさだ。
あまりに巨大。あまりに異質。遠近感覚がおかしくなると同時に、それはイリアから全ての思考を奪う。
「あ……」
彼女は言葉を凍りつかせた。その巨大な何かと彼女の間に、背を向ける1人の騎士──先程まで後ろにいたはずのウォルトである。
空中で静止した彼は、やがてグラリと力なく崩れ、そのまま地面へと落ちた。
「爺やっ──」
エレナをそっと寝かせて駆け寄るイリア。するとウォルトはすぐに顔を上げ、心配そうに覗き込む巫女へと警告を発した。
「イリア様……お逃げ下さい……」
その姿を見て、イリアは思わず息を呑む。
彼が身に付ける鎧は、武人なら誰もが唾を呑む程の逸品である。しかしそれは半分以上溶けており、中に着込んだ防護服まで焼け焦げている。
魔法で編み込まれた特殊な装備が、ここまでボロボロになることは通常ならまずあり得ない。
それによってイリアは事態を察した。上空の何者かは紛れもなく敵であり、ウォルトがその破滅的な攻撃から守ってくれたのだと。
「爺や! しっかりして!」
「この程度……問題ありませぬ。しかし彼奴は……デュラコンメレク。始まりの
「
敵の正体を知ったイリアに衝撃が走る。
彼女に限らず、殆どの人間が敵を見たことが無い。それに出くわすことは即ち死を意味するからだ。
唯一の例外が
そして、そんな彼らでさえ仕留め損なった敵には名が与えられ、最も警戒すべき対象として情報が共有される。
デュラコンメレク──それは20年前にもこのエデンを急襲した。迎え討ったのは
但しそれ以降、目撃情報はパッタリと途絶え、姿を見せたのはこれが2度目であった。
「よもや、またしてもエデンに現れるとは……」
「喋っちゃダメ! 待ってて、すぐに治癒魔法を」
イリアは精神を集中させようと目を閉じる。しかし動揺によって呼吸が定まらず、なかなかそれは発動しない。
するとウォルトは自ら立ち上がり、愛剣【グレイブシーザー】を構えた。それは敵を討ち砕き、墓すら不要にすると言われる剛の大剣。
「爺や、何を」
「決まっておりましょう。彼奴を……成敗するのです」
強面をさらに引き締めたウォルトは、眼力だけで相手を殺せそうな殺気を伴い、歩を進める。
「しばらく見ぬ内に、随分と成長したものよ──のう、我が仇敵」
彼の記憶するデュラコンメレクは10メートルも無かったはずだ。それでも壊滅的な被害をエデン
単に身体が巨大化しただけではない。見た目に相応しく、歴戦の彼でさえ感じたことの無い程の気配をそれは放つ。
「ぐ……」
ウォルトは剣を支えに膝片をついた。やはり
「爺や、無茶だよ!」
「奴だけは……我が剣で……」
戦意は衰えるどころか膨れ上がっていくが、肝心の身体が言うことを聞かない。
ウォルトが憎々しげに空を見上げると、頭上を旋回していたデュラコンメレクは翼をたたみ、こちらに視線を向けた。
ルビー色の瞳がイリアの碧眼とぶつかり合う。
(私が……私が何とかしなきゃ!)
震える身体を懸命に抑え、イリアは夢中で祈りを捧げる。
「盟約において命ずる、時空の彼方より出でよ、全てを焔の世界へと還す
(お願い──)
ぎゅっと瞳を閉じた瞬間──
そして斬り落とされる巨大な尾。振り返ったその首筋に、追撃の黒き波動。
喚きながら高空へと逃れる敵と入れ違いに、現れた人影が地上へ降りる。
「す、凄い──アグニって、人間だったんだ……」
102回目で念願が叶い浮かべた喜悦は、すぐに驚愕へと変わった。
背を向ける人物の髪に覗く、蒼いバンダナ──。
他でもない彼女からの贈り物である。それを身に付ける人物など1人しか考えられない。
今やメタトロン最強とも言われる騎士。そしてどれだけ隔てられようとも、イリアにとって特別であり続ける存在。
「り、リーシュ……!?」
「イリア……イリアか! 良かった、無事だったんだな」
イリアの呼びかけに金髪の騎士が笑顔を向ける。
8年ぶりに会う幼馴染は、記憶より遥かに逞しく成長していた。
「あ、あの……」
「話は後だ。まずはあいつを──」
イリアが赤く染まった顔を再び空に向けると、背後から重鎧をガチャガチャと鳴らす音が。
駆けつけたのは数名の神殿騎士たちであった。
「イリア様! ウォルト様! ご無事ですか」
彼らは踞るウォルトに気付き、側に寄る。
神殿騎士には治癒魔法の心得がある者もいるから、イリアはほっと胸を撫で下ろした。
「あとは我々に任せて、どうか後方へ」
「……させぬ」
その瞬間、老騎士の周りに走る閃光。
1人の騎士が目を見開いたまま、あまりに唐突な終焉を突きつけられた。
「え──?」
「お主もじゃ、〈魔壊〉の。彼奴は儂が倒す……手を出すな」
立ち上がるウォルトの大剣から、かつての部下を手に掛けた
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