第3話 紅涙のイリア

「盟約において命ずる、時空の彼方より出でよ、全てを焔の世界へと還す炎の魔神アグニ!」


…………。


…………。



「また失敗かあ……」


 100回目の召喚魔法も徒労に終わり、溜め息をついたのはイリア=マグリアス。【クレセント大神殿】の巫女である。


 肩を少し過ぎた辺りまで伸ばした灰色の髪。ぱっちりとした瞳は碧色で、メタトロンにおいては非常に珍しい。

 先日23歳となったばかりだが、少し幼さの残る無邪気な笑顔は、魔法のように相手の警戒を解き癒しを与えるだろう。


 彼女が励む巫女の修行は、本来【神託】から遊戯ゲームが始まるまで、即ち3年以内に修了しなくてはならなかった。

 一般教養に加え治癒、召喚、破邪の3魔法がその主軸。全て勇者プレイヤーの助力となるためのもの。

 しかし治癒魔法以外さっぱりのイリアは、未だにこうして修行を続けている。


 名残惜しそうに魔法陣を後にする彼女を、フワフワした白い毛玉と老騎士が待ち構えていた。


「連続100回失敗なんてある意味すごいにゃ」

「好きで失敗してるわけじゃないもん……」


 本物の毛玉──ではなく、それはイリアに召された召喚獣で〈モフモフ〉という種族らしい。

 らしいというのは自称だからで、かつて別の召喚を試みた際に、何故か現れたのがである。


 名はエレナ。大雑把に言えば毛むくじゃらの球体に耳が付いたような出で立ち。

 とても猫には見えないが、本人曰く「モフモフは立派に猫なのにゃ!」とのこと。


 そのエレナがからかうように周りをぴょんぴょん跳ねると、イリアはぷぅと頰を膨らませる。


「エレナは召喚出来たのに……他は無理ってどういうことなのかな」

「えへん! エレナはポンコツイリアのためにわざわざ出て来てやったのにゃ」

「ポンコツとは何よう! 私だって遊んでるわけじゃないもん!」


 毛玉のような召喚獣相手に本気で怒るイリア。それは小さなぬいぐるみと喧嘩しているようにしか見えない。

 頰らしき部分を引っ張られたエレナも、フワフワの毛を逆立ててフーッと唸る。


「ふーんだ……召喚魔法なんて使えなくても、私は【神剣】で勇者プレイヤーを手助けするんだもん」

「ナターシャ様ですら、神剣に方法をまだ見つけてないにゃよ?」

「だからこそ私が見つけたいの。ううん、私じゃなきゃダメ……」


 神剣とは、エターナル・メモリー・オンラインにおけるキーアイテムのひとつ。勇者プレイヤーのみが扱えるとされ、邪なる〈敵〉を殲滅する力を持つと言われる。

 但し、巫女の命を捧げることでようやく手に出来るのだと、8年前の神託は告げた。


 いつか国を救う為に死ぬことを義務づけられている──それが【救国の巫女】たるイリアの定め。


(何と非情な……)


 見守る老騎士はきつく唇を噛む。


(何故イリア様なのじゃ。代われるものなら、儂が喜んでこの身を差し出すものを)

 

 【堅盾のウォルト】。神殿騎士団【マリス】の特徴たる、蒼い甲冑に包まれた強靭な肉体は、今年でよわい61を数えることを忘れさせる。

 几帳面に整えられた白い顎髭。右目の上辺りに古傷が走り、そのせいで強調された強面は更に厳しい。


 ウォルトはイリア専属の護衛で、かつて王宮騎士団フレイア、そして神殿騎士団マリスの団長を歴任した生粋の武人であった。

 指示系統が互いに独立し、関係も難しい両者の、実質的な軍事責任者を経歴に持つなど極めて異例のこと。

 その彼にさえ対処が困難な〈敵〉に、世界は脅かされている。


 事は単純だ。勇者プレイヤーに協力し、イリアの命と引き換えに神剣を得て、〈敵〉を倒す。

 それが遊戯ゲームの趣旨に違いなく、シナリオに沿って進む限り実際に世界は救われるだろう。しかし──。


(他の可能性を諦めはせぬ。最後の最後までな)


 5年もの間、勇者プレイヤーは姿を見せていない。

 何かが狂い始めている。否、既に狂っており、事態が表面化する時を待っている。

 そう確信するウォルトは、ならばイリア1人を犠牲にするシナリオにも変化があっておかしくはないと考えた。


 都合のいい解釈かもしれない。だがどうしても、イリアを守り抜いた先に平和を実現したい。


「さあ、今度こそ成功させるわよ」

「立ち直りの早いとこだけは見事にゃ」


 イリアは今日も笑顔であった。


 8年前、創造主クリエイターたる〈神〉の啓示によりその役を名指しされ、強制的に負わされた宿命。

 泣き虫だった15歳の少女は、やがて全てを受け入れ、人前で一切泣かなくなった。

 それがより不憫に思えたのだろう。周囲は笑顔の裏に血の涙を見て、彼女をこう呼ぶ。


 【紅涙のイリア】と。


「アグニには嫌われているみたいだし、雷の魔神トールならどうかなあ」

「そういう問題じゃないにゃ」

「やってみなきゃ分からないでしょ」


 イリアは杖を振り翳し、何やら呪文を唱えると凛々しい雷神の姿を思い浮かべた。


「ん! きたきたっ!」


 久しぶりの手応え。歓喜の声と共に、魔法陣からじゅわじゅわと妙な音、そして光が放たれる。


「まさか……遂に成功にゃ?」

「この感触、間違いないよ!」


 キラキラと目を輝かせるイリア達の前に現れたのは、雷神──ではなく、謎の土人形。


「若イ……娘。ゲヘゲヘ」


 それは不気味に喜色の声を発し、カクカクした動きでイリア達にすり寄って来る。


「わわわっ! 何これぇっ!?」

「イリア、早く浄化にゃ!」

「気持ち悪い〜! やだぁ」


 101回目の失敗は、初歩の浄化魔法により無かったことにされた。


「はぁ……何でだろう」


 イリアはまたも大きな溜め息をつく。

 神剣の謎を解く過程で勇者プレイヤーと共に歩み、それを助け、成長を促すのも巫女の大事な務めなのだ。

 それがこの有り様では、寧ろ足を引っ張ることになりかねない。


 修練場は巨大な召喚獣に備えて屋外に設置されているのだが、今の所あまり意味は無さそうだった。


 柔らかい日差しを浴びながら、いつの日か、雲の間を悠然と駆けるドラゴンを召喚してみたい──そんな思いで見上げた空。

 イリアはそのまま視線を留め、碧眼に映る風景に身を硬くする。


「どうしたにゃ?」

「空が……赤い……」


 血色に染まる雲。ジワジワと出血が広がるように、それは雲の輪郭を無視して広がってゆく。

 エレナがイリアの肩に飛び乗り、それきり彼女らは声も無く空の変貌を見つめた。


 その時──。

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