In the Flames of the Purgatory 57

「……あれは?」

「空気だ」 セアラの発した誰にともないつぶやきに、グリーンウッドは返事をした。

「奴の魔力の膨張に伴って発生した精霊の反応で、瞬時に極低温まで冷却され固体化した空気だ。しばらくは結界の中から出るなよ、セアラ――生身のおまえは瞬時に凍死するぞ」

 その言葉に、かたわらの弟子がグリーンウッドを見上げる。グリーンウッドは吸血鬼の背中から目を離さずに、

「今の爆発は、奴の魔力の反応で起きたものだ――奴が魔力を高めた瞬間、奴の周囲に岩が瞬間的に沸点に達するほどの強烈な熱波が発生した。最初に起こった爆発は、足元の構造材が昇華した際の瞬間的な膨張による爆発だ――そのあと、今度は絶対零度に近い冷気が発生した。瓦礫が少ないのは、そのせいだ――瓦礫は熱波で加熱されたあと、今度は極低温に冷却されて、熱疲労で砕け散った」

 その言葉に、セアラがアルカードに視線を戻す。

 エレメンタル・フェノメノンは、その本人の魔力の性質に対してもっとも親和性の高い物理現象を引き起こす。それはすなわち、その現象を起こした者の魔術師としての適性がもっとも高い物理現象を起こすということだ。

 すなわち本人の嗜好は別として、エレメンタル・フェノメノンはその人物が魔術師としてもっとも得意とする――精霊魔術の分野カテゴリをそれひとつでつまびらかにする。

 適性のある物理現象を起こすとき精霊魔術師の魔術はもっとも強力になり、かつ発動も早くなるからだ。電撃を操る魔術を好む魔術師のもっとも適性の高い分野が実は水を操る魔術であるということも、魔術師の間では往々にしてある。

 グリーンウッドであれば湖ひとつぶんの水を瞬時に熱湯に変えるほどの強烈な高周波電磁場と、空間歪曲を伴う重力異常が発生する。セアラは――起こせる様になれば――マイナス方向の温度変化が起こるだろう。アルカード・ドラゴスの引き起こしたエレメンタル・フェノメノンは、熱波と冷気が同時に発生した――今も彼の周囲に纏わりつく炎の様な精霊の影は、赤と青の間でゆらゆらと絶えず色を変えている。それはすなわち彼の魔力が炎や氷といった一方向のみの制御ではなく、温度変化全般の制御に対して高い適性を持っていることを示していた。

 キメラは数を減らしていない――先ほどの爆発もそのあとに押し寄せてきた極低温の冷気も凌ぎ切ったのだ。

「一匹も減ってない?」

「電磁波の衝角ラムだ」 セアラのつぶやきに、グリーンウッドはそう返事をした。グリーンウッドがそうしたのと同様に、彼らは衝撃波が到達するよりも早く強力な電磁場の衝角ラムを形成し、衝撃波を引き裂いてあの爆発を凌いだのだ。

「師匠、わたしたちも戦ったほうが――」 セアラの言葉に、グリーンウッドは気楽にかぶりを振った。

「必要無いだろう――それに、」 いったん言葉を切って、アルカードの背を指し示す。細かく肩を震わせて、金髪のロイヤルクラシックは嗤っていた。

「――あの男はやる気だ」 その言葉に背中を押される様に、アルカードが床を蹴る――彼はそのまま、滑る様な動きで手近にいたキメラに向かって間合いを詰めた。

 右腕の高周波ブレードを伸長させて、キメラがその殺到を迎撃する――体勢を沈めてアルカードの斬撃を躱しながら突き出された高周波ブレードの鋒を躱し、彼は耳障りな絶叫をあげる漆黒の曲刀を振るってキメラの両膝を薙いだ。

 尻餅をつく様にして転倒しかけたキメラの頭上に、動きを止めないまま振り下ろされた魔具の鋒が落ちる――だがそれよりも早く横手から襲いかかってきたキメラの高周波ブレードを躱し、アルカードはとどめを刺すのをあきらめて跳び退った。

 きぃぃぃぃぃ――錆びた金属がこすれあうときの様な耳触りな叫び声をあげて、二体のキメラが両翼からアルカードに殺到する。

 一体は再接近して彼の頭蓋を砕かんと高周波ブレードを縦に振り下ろし、もう一体はやや遅れて接近しながら横薙ぎに高周波ブレードを振るう。

 真直に振り下ろそうとした一撃を回避しようとすれば横薙ぎの一撃に捉えられ、横薙ぎの攻撃の回避に気をとられれば真直の攻撃を躱せても次撃に対する対処が遅れる。

 たまたまこちらに向いた横顔の上半分は金髪に隠れて見えないが、アルカードの口元に笑みが浮かんでいるのが見えた。

 アルカードが嗤っている――嗤っている。嗤ったまま、アルカードは横薙ぎの一撃を無視して真直に振り下ろしてきた高周波ブレードを刃を躱す様にしてキメラの体の外側へと踏み出した。そのまま足をどうにかしたのか、高周波ブレードを真直に振り下ろしていたキメラが前のめりに体勢を崩す。

 おそらく廻り込んだときに、足を蹴り砕くかなにかしたのだろう――アルカードが駄目押しに背中を突き飛ばすと、さらに深くつんのめったキメラの高周波ブレードの鋒がもう一体のキメラの左肩に喰い込み、肩を割られたキメラが繰り出しかけていた横薙ぎの一撃は自分の肩を割いたキメラの胴を薙いだ。

 二体のキメラが同時に叫び声をあげる――それが仲間の名を呼び安否を気遣う言語なのか、それとも単なる悲鳴であるのか、それはグリーンウッドにはわからなかった。

 いずれにせよ、それで致命傷には至っていない――アルカードが別のキメラの攻撃を回避して後退したために、とどめを刺されなかったからだ。

 そしてちょうどその後退した着地箇所で、アルカードの体は二本の鎖とも鞭ともつかぬ者に鹹め取られている――二体のキメラの手首の掌側から伸びた骨の変化したものらしい鎖状の器官が、アルカードの左足首と右手首に巻きついて動きを封じているのだ。

 続いて別のキメラがすっと腕を上げ――下腕の手の甲側の大きなふくらみの穿たれた直径一インチほどの孔をアルカードに向ける。

 攻撃の気配を察してか、アルカードが視線を向けた――表情にはまったく動揺が見えない。キメラの腕の穴からちかちかと光が漏れ――次の瞬間、アルカードの足元の床が瞬時に沸騰し爆発を起こした。

 液状化した石材の飛沫が防御結界の表面に衝突し、そのまま蒸発してゆく。

 レーザー兵器――生体熱線砲バイオブラスターか?

 今のは高熱を帯びた遠赤外線かなにかだろう――熱線であることは間違い無い。本人を直接狙うと避けられる可能性があるから、爆発の余波に巻き込むためにあえて足元の床を狙ったのだろう――その考えは非常に正しい。つまるところ、余波が大きいほど避けるのは難しい。

 爆発に飲み込まれて見えなくなった吸血鬼の姿は、爆発が収まったあとも依然そこに無い。全身に熔融した石材を浴びて燃え尽きたのか、それとも――

「危ねぇ危ねぇ」 それまでアルカードのいた位置を円形に囲んでいたキメラたちが、声のしたほうを一斉に振り返る――キメラの背後で壁に埋め込まれた調製槽の開口部のへりに腰を降ろして、アルカードが少しだけ笑った。いったいどうやってあの一瞬で爆心地から離脱したのか、彼の装備には焦げ痕ひとつ無い――否。

「おい魔術師、そこらへんのなにかを材料に水は作れるか」

 あと気温も上げてくれ――アルカードが立ち上がりながら、そう声をかけてくる。若干精彩を欠いた声音に、グリーンウッドはなにが起きたのかを理解した。

 ロイヤルクラシックのいくつかある形態変化のひとつ、靄霧態だ。

 靄霧態は周囲の大気中に混じった水蒸気を触媒に使って霧に姿を変える能力で、空気中に含まれる水蒸気の量が一定以上あれば使うことが出来る。十分な水蒸気が大気中に存在すれば甲冑などの装備品も含めて霧に取り込んで緊急回避したり、あるいは高速で移動することが出来るのだ。

 飽和水蒸気量は気温によって変化するから、彼が靄霧態を使うには必然的に温度が必要になる――だがその場の温度が確保出来れば、別に水分そのものは水蒸気の形で存在する必要は無い。液体のままでもいいので近くにある程度まとまった量の水があって、ロイヤルクラシック本人がそれを認識していれば、それで形態変化は成功する。

 緊急回避だけでなく高速移動を試みるなら、事前に周囲の空気中に水蒸気を含ませておくほうが移動範囲が広がるが――単なる緊急回避であれば、自分の装備すべてを取り込める飽和水蒸気量を持つ空気と、それに見合った量の水が周囲にあればそれでいい。

 先述したとおり、空気の飽和水蒸気量そのものは気温によって変化する――空気が固体化するほどの極低温化では装備品はもちろん彼自身が靄霧態を取ることも出来ないし、そもそもこの場所では周りに必要な水が無い。

 だが必要な水蒸気量が無くても、ロイヤルクラシックは靄霧態をとることが出来る――靄霧態をとるのに必要な水の全量に対する不足分を補う形で自身の体内の水を消費し、靄霧態をとることが出来るのだ。

 無論空気も凍る様な極低温環境下では飽和水蒸気量はゼロに等しく、当然水蒸気量もゼロに等しい。さらに凍った水は利用出来ないので、この状況では利用出来る水がまったく無いことになる。

 つまり必要な量の水を全部自分の体内の水分から捻出したということで、水を要求してきたのはそれを補うためだろう――水分の不足を補うために使った体内の水分は完全に消費されて元に戻らないので、人間の姿に戻ったときに水分不足の状態に陥るのだ。変身時間が延びれば延びるほど水分の消費量は増えるので、周囲に水分の無い環境での靄霧態への変化は長時間持続せず、変身を解いたあとも脱水症状に近い深刻な影響を残す。

 それをせざるを得なかったということは、今の状況が思いのほか危険だったということでもあるのだろうが――胸中でつぶやいて、グリーンウッドはうなずいた。

「ああ」 その返事と同時に、周りの空間からにじみ出る様にして出現した大量の水がアルカードの周囲の床を濡らす。周囲の酸素と水素を化合させて、純粋な水を作ったのだ――ロイヤルクラシックの靄霧態は触媒となる液体に必要な量の水分が含まれていさえすれば、触媒になる水の組成は問題にしないはずだ。それが雨水であろうが海水であろうが、果汁であろうが水割の酒であろうが問題無い。

 同時に気温も上昇している――今の室温は春の屋外程度、靄霧態に変化するのには十分なはずだ。

 アルカードは小さくうなずいて、その場で再び靄霧態に変化した。床を濡らす水の一部が瞬時に蒸発し、次の瞬間再度人間の姿に変化した金髪の吸血鬼の表情には、元の精彩が戻っている。十分な気温と触媒になる水――体内の水不足を補える量の水がある状況で再度靄霧態をとれば、水不足は即座に解消されるらしい。

「これまた理屈はわからんが、興味深い武装だな。それ一個くれ、ちょっとオスマン滅ぼしてくるから」 軽口を叩く余裕も戻ったらしく、そんなことを口にする。

「オスマン帝国――」

 セアラが反芻したその単語に、グリーンウッドは目を細めた。

 彼は先ほど、四半世紀ほど前にカルパティア山の南に存在していた国の名を口にした。真祖ヴラド・ドラキュラがかつて三度にわたって国主となり、その第三次ドラキュラ政権を最後にオスマン帝国に征服されたワラキア公国。

 彼は吸血鬼アルカード――かつてワラキア公国最後の統治者としてオスマン帝国と戦い敗死したとされるロイヤルクラシック、ヴラド三世の『剣』だ。実際にはロイヤルクラシックであったわけだが、その彼がヴラド・ツェペシュ公爵の『剣』――蔑みを込めて『折れた剣』と呼ばれている。おそらく彼もヴラド三世と同様、ワラキア公国と関係があるのだろう。オスマン帝国を滅ぼしてくる、という発言からすると、ドラキュラ公爵の隷下でオスマン帝国と戦った部将のひとりだったのかもしれない。

 キメラたちは彼の軽口に返事をしない――おそらく言葉そのものは理解出来ているのだろうが、会話する能力は持っていないだろう。先ほど両足を切断されたキメラは靴を履く様に切断された足を傷口に押し当てる様にして接合し、それで完治したのか今は平然と立ち上がっている。

 先ほど同士討ちをさせられた二体も、すでに損傷は治癒しているらしい。

 アルカードは気楽にキメラたちのほうに歩を進めながら、

「駄目か? まあ駄目なら仕方無いが」 そんな言葉を口にしながら、吸血鬼が手前にいたキメラのかたわらを何気無く通り過ぎる――次の瞬間、キメラの一体が真横を通過したアルカードの後頭部めがけ、目にも留まらぬ速さで高周波ブレードを振り下ろした。

 ぴぅ、という軽い風斬り音とともに走った白銀の閃光が、自己発光する建材で作られた天井の照明を反射して輝く軌跡を宙に刻む――まるで水玉の様にきらきらとした輝きが虚空で爆ぜると同時、襲いかかっていたキメラの体がズタズタに切り裂かれた。

 紐で縛ったハムの様に全身を滅茶苦茶に引き絞られて縦横無尽に輪切りにされ、全身を三十八に切り刻まれたキメラの体がぐしゃりと音を立てて自分の血溜まりの上に崩れ落ちた。

 二体のキメラが再び、左右から手首の鎖を投げ放つ――だが一度見てしまえばどうということも無いのか、アルカードは一本の鎖の軌道から体をはずして躱しながらもう一本の鎖を腕で受け止めた。

 ピシリと音を立てて左腕の下膊を絡め取る鎖を逆に掴み返して、アルカードが鎖をぐいと引きつける――純粋な膂力では到底及ばないらしく、鎖を引っ張られたキメラが踏鞴を踏んだ。

 キメラが体勢を崩して鎖が緩んだ瞬間、アルカードが床を蹴る――次の瞬間殺到したアルカードがキメラの首を一撃で刎ね飛ばし、続く一撃で切断された頭部を縦に叩き割った。

 そのままその場で転身し、今度は鎖を投げ放ったもう一体へと突進する――鎖そのものは糸を糸巻きで巻き取る様にして瞬時に引き戻せるらしく、キメラは鎖を引き戻して代わりに両腕に装備した高周波ブレードを伸長させている。

 そのときにはほかのキメラも数体、同様に高周波ブレードを展開して吸血鬼へと殺到している――アルカードは標的にしていたキメラの振るった高周波ブレードを躱し、そのまま腕を掻い潜る様にして脇をすり抜けて背後に廻り込み、そのまま前のめりに前傾したキメラの背中を殺到してくる別のキメラに向かって突き飛ばした。

 それに気づいて、突き飛ばされた先にいた別のキメラが自身の突進の勢いを殺そうと足を踏ん張る――アルカードが突き飛ばしたキメラもそうだが、突き飛ばした先にいる別のキメラも高周波ブレードを稼働させているのだ。下手に受け止めようと試みれば自滅を招く。

 だから突き飛ばされて自分のほうに吹き飛ばされた仲間を、避けようとしたのだろう――足を踏ん張り、さらに背中の翼を拡げて急制動をかけたキメラに、アルカードが突き飛ばしたキメラが猛烈な勢いで肉薄する。キメラの背中に手にした曲刀の鋒を浅く突き刺したアルカードが、片手でキメラの背中を押しながら吶喊したのだ――同士討ちを避けるために減速し、回避行動を試みることに集中していたキメラは、そのために対応が遅れた。

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