In the Flames of the Purgatory 53

「つまり、呼んでもいないのに雑魚悪魔が出てくるってことか」

「ああ」

「そういえば、ここに来る途中の人里の跡地にある墓場のところで襲われたが」

「ああ、俺たちも襲われた」 グリーンウッドがうなずいて、

「理由は知らんが、強い恨みを残した霊魂が自分の死体を触媒に現世に残っていたんだろうな――よくある話だ」

 人間が強い心残りを残して死んだ場合、本人に縁のあるもの――自分自身の死体や大事にしていた持ち物などを触媒に、霊魂全体ではなくてもその一部だけが現世に何十年も残ることがある。

 つまり恨みや憎しみ、未練といった強い感情をいだいている一部だけがだ――強い未練を残した霊魂が堕性を帯びた精霊に触れて力を得、なんらかの筐体を構築する能力を獲得して動き出したときに、誰彼構わず他者に襲いかかるのはそのせいだ。

 自分の恨んでいる相手と勘違いしたり、本物の生きた肉体を奪おうとしたり――悪意が大半だが、誰かを守ろうとする善意をいだきながら死んだ者でさえ自分が誰を、あるいはなにを守ろうとしていたのか、それすらも忘れてただ生者に襲いかかる。

 グリーンウッドの言葉にアルカードがうなずいて、

「だがこの島の住民はすでに全滅してる様だし、問題にならないんじゃないのか」

「雑魚悪魔ならな」 グリーンウッドは肩をすくめ、

「ただ、最近の数値を見るに、堕性を帯びた精霊の濃度が高位悪魔デビルが自然降臨しかねないほどのレベルになってきている。近いうちに『門』から高位の悪魔が出てくるだろう、周囲の物質を取り込んで造り上げた肉の体を持ってな」

 それを聞いて、さすがにアルカードも眉をひそめた。

「肉体を持ってるとまずいのか?」

 ただ単に形骸や筺体じゃなくて、肉体を持ってるというだけだろ? アルカードがそう続ける――先程の反応は事態を理解したためではなく、理解出来なかったためのものらしい。形骸や筺体と、肉体の違いが理解出来ていないのだろう。セアラは彼の両腕を鎧う手甲から張り出した出縁フランジを引っ張って、注意を惹いてから口をはさんだ。

「肉体を持ってるってことは、異界にある本体をそのまま封入した、本体と同じ性能の寄り代を手に入れてるってことなんですよ。形骸や筺体を上級悪魔が使う場合は、たいていは容量が足りなくて全力が出せないんです――そうですね、手を入れて動かす手袋式の操り人形みたいな感じでしょうか」 手袋式の人形を動かす様に手を翳して指を動かしながらそう説明して、セアラは先を続けた。

「全力も出せないし感覚も接続リンクしてないから反応も遅れるし、筺体や形骸を破壊されてしまえば終わりです。それに、ほとんどの場合は端末と本体の接続を維持するために大量の魔力を供給する魔術装置や『陣』といった、大掛かりな設備と煩雑な手順が必要です。それに召喚された場所からあまり離れることも出来ません――杭に鎖でつながれた犬みたいなものです」

 そう言ってから、セアラは言葉を選ぶためにちょっと考え込んだ。

「でも肉体は、霊体の構造をそっくり物質世界に持ち込めるってことなんです――肉体を持ってるってことは、本体である霊体そのものをその肉体に封入出来るってことなんですよ」 多神教はもちろん一神教において神と呼ばれるほどの力を持つ霊体であってもそうだが、彼らは自分の肉体を持っていない――束ねられた紙束の様に並行次元が無数に存在するこの世界において、その両端に近い『層』では肉体を持った状態で存在することは出来ないと考えられている。

 逆に束の中心に近い彼女たちのいる『層』では、霊体は霊体のまま存在することが出来ない――現世は霊体にとって、北極圏に生身の人間が全裸で放り出されたも同然の極めて過酷な環境なのだ。個体名も持たない様な下級の霊体はもちろん、最上位の霊体でさえも霊体のままで顕現すれば一日と持たずに消滅してしまう。

 だから人間が防寒服を着る様に、現世で活動するためのが必要になる――それが肉体なのだ。

「大事なのが、肉体を構築するときは筐体と違って、向こう側の『層』にあった霊体が構築した肉体の中に完全に入り込むことです」

 その言葉に、アルカードがちょっと考えた。

「さっき、筐体はから操作してると言ってたな」

「はい」

「肉体の場合は本体がまるごとに出てきてる、とこういうことか?」

「そうです。だから筐体と違って、腕を突っ込んでる『門』から離れられないということはありません。力も元の霊体そのままですから、肉体を持った霊体は召喚の現場から離れてどこにでも行けるんです。それなりの力とそのつもりのある相手なら、一体肉体を持って降臨しただけで世界が滅びかねません」

「で――」 アルカードはうなずいて、グリーンウッドに視線を向けた。

「おまえとしてはそれをどうするんだ?」

「特になにも」 グリーンウッドが即答してくる。

「別に馬鹿な身内の後始末をしに来たわけじゃない――ただ、顕現した悪魔が十分な力をつけて暴れ出してこっちに喧嘩を売ってこんとも限らん。俺はまったく問題無いが、族長として一族の同胞を守る義務がある。面倒の種は種であるうちに摘むに限る」

「なるほど――それで、具体的にはなにをするんだ?」

「今考えている――というか、まあ究極的な目的ははっきりしているんだがな。地脈の流れを調整して、ここの遺跡の下にある『点』を散逸させてしまえばいい。地脈の流れの合流の仕方が悪いと、その合流箇所から巧く地脈の流れが流出出来ずに、地表に向かって精霊として噴出する。内出血の様なものだ。よくない角度で地脈が集まって『点』が形成され、『門』が発生するわけだから、地脈の流れを整えて散らしてしまえば『点』も消滅するし『門』も形成されない」

「その作業のうちの、なにが問題なんだ?」

 さすがに、この吸血鬼は的確だった――ワラキアの吸血鬼アルカード。欧州でもっとも強大な吸血鬼の一体であり、また大陸最強と称される魔殺しでもある。ドラキュラの『剣』であると称されている彼がロイヤルクラシックであったというのは意外だったが、同時にだからこそ主であるドラキュラから離叛して彼を殺そうとすることが出来るのだとも言える。

 彼が吸血鬼になった過程など知らないが、この男の言葉は確かに物事を正しく判断していた――ただそれだけの作業なら、一度は情報を秘匿するために実力行使までした相手をわざわざ連れてくる意味など無い。

「うむ。実を言うとだな」 グリーンウッドがこういうふうに勿体ぶった言い方をするときは――たいていの場合悪い知らせだ。嫌な予感に顔を顰めたとき、グリーンウッドはあっけらかんと最悪の知らせを口にした。

「さっき戦いながらこの遺跡の内部を最下層までひととおりスキャンしてみたんだが、どうもすでに『門』が形成されている様だ。規模からすると、そこそこの上級悪魔が通り抜けられるんじゃないかな」

「じゃないかな、じゃないですよ!」

 あまりにも呑気な態度にセアラが声をあげると、グリーンウッドはぱたぱたと適当に手を振りながら、

「心配するな。ちゃんと策は考えてある」

「どんなですか?」 あからさまに胡乱そうな表情を作ってセアラが尋ねると、グリーンウッドはアルカードに視線を向けて、

「もしすでに悪魔が顕現していたら、まずこいつに特攻させる。で、悪魔がこいつにかまけ始めたら疑似闇黒洞イミテーション・ブラックホールかなにかでまとめて消滅させる」

「なるほど、いいアイデアですね」

 腕を組むセアラに半眼を向けて、アルカードが口を開く。

「……泣かしたろか、おまえら……」

 疑似闇黒洞イミテーション・ブラックホールという耳慣れぬ魔術の内容はわからなくとも、自分を囮にする話だというのは理解出来たらしい――グリーンウッドは適当に肩をすくめ、

「冗談だ。まあ、おまえと俺がいれば魔王級の悪魔でもどうとでもなるさ」

 そう言ってから、グリーンウッドは踵を返して歩き出した。

「さて、行こう――『門』がすでに形成されているから、雑魚悪魔は山ほど顕現しているはずだ。吸血鬼、おまえはともかくセアラは気をつけろよ」

 

   *

 

「すごいですね、姪御さん」 こちらに視線を向けないまま発されたアルカードの言葉に、鏡花は金髪の吸血鬼に視線を向けた。こちらの歩幅に合わせているのだろう、彼女に並んで高等部の校舎の廊下を歩くアルカードは少し歩きにくそうにしていた。

「……なにがですか?」

 そう尋ね返すと、吸血鬼はこちらに視線を向けて、

「俺はさっきまで、生身の人間とそう変わらない程度に身体能力を落として戦っていたんですが――故意でなく得物を奪われたことは、数えるほどしかありません。女性が相手でははじめてです。見事な腕前でした」

 あまり口調に変化が無いのでピンとこないが――どうやら彼が口にしているのは称賛の言葉であるらしい。

 今ひとつ彼の言葉の真意を測りかねながら、鏡花は来客用の応接室に彼を招じ入れた。

 アルカードが話があるということは、当然彼の敵の話だろう――あるいは昨日ザザ・ゴグアを通じて渡した記録に関する補足だろうか。

 休日の学舎なので人の気配は無く、照明も落とされて静まり返っている――教員室のある一階はそんな調子だが二階より上には文化系の部活動の部室があるので、おそらく休日練習のある生徒はこちらに出てきているだろう。

 わざわざ理事長室まで戻る気も起きず、鏡花は高等部の来客用応接室に金髪の吸血鬼を招じ入れた。

 アルカードに席を勧め、

「コーヒーと紅茶と、どちらがよろしいでしょうか? 今日は淹れるのが上手な子がおりませんので、昨日のものに比べると味は劣りますけれど」

「結構です。それほどお手間をとらせるつもりはありません」 アルカードはそう答えて、勧められた席に腰を下ろした。鏡花もテーブルをはさんで彼の向かいに腰を下ろし、

「それで、どういったお話かしら」

「戴いた書類の中にあった女性職員の中で、全年代の生徒に接触しうる立場にある職員の勤務形態を知りたいのですが。特に聖堂に勤務する職員に関して――俺のターゲット自身は外国人ですが、日本人も含めて」

 その言葉に鏡花は口元に手をやって、

「その条件は、どういう意味ですか?」

「話を聞いた限り、昏倒した生徒は全年代にまたがっています。生徒を昏倒させるための作業は、『彼女』がじかに行わなければならない――つまり、生徒に直接接触しないといけません。年代ごとに異なる施設の職員であれば、その年代の生徒にしか接触出来ない――少なくとも接触の機会は乏しいでしょう。ですから、全年代の生徒が利用する施設の職員である可能性が高い」

 アルカードがそう答えてくる。鏡花はちょっと顎を引いて考えながら、

「事務棟に勤務する職員は必要であれば小中高等部どこの校舎にも出向きますから、その接触というのが廊下ですれ違う程度のことでもいいのでしたら、機会は多くないですけれど接触はするでしょう。大学の図書館は資料の数が膨大ですから、勉強する意欲のある子は小等部や高等部の生徒でも頻繁に出向いています――特に行き来は制限しておりません。どの学部の寮からでも、渡り廊下を使って雨に濡れずに直接行ける様になっていますから。ただ、各年代校舎の図書館に資料の貸し出しを行うことが多いですから、それを届けるために頻繁な人の行き来があります。あとはそうですね、大聖堂の職員かしら」

 鏡花は一度席を立ち、壁に掛けてあった学園の全体に歩み寄った。彼女はそのうちの一角、高台の上の写真入りで紹介された建物を指で指し示し、

「当学園最大の聖堂です。週に一度、こちらで朝礼の様な行事を行います――金曜日の礼拝ですね。ただ、雨が降っている場合は各校舎の聖堂で実施します。この大聖堂は、各校舎から渡り廊下でつながっておりません。距離がありますから、行き帰りでずぶ濡れになってしまいますので」

「それ以外で使用の機会は?」

「全校生徒を集めてする様な公園のたぐいがあれば、使います――明日ドラゴス先生を生徒に紹介いたしますけれど、受け持ちが高等部だけですので高等部の礼拝堂で行いますね」

 アルカードはうなずいて、テーブルの上に置いてあった誰かの置き忘れらしいレーザーポインターを取り上げた。畑中と捺印された紙の切れ端が、テープで留めてある。物理の畑中教諭が、なにかの目的でこの応接室を利用したのだろう。

 アルカードは立ちあがって鏡花の隣に歩み寄ると、ボールペンを模した形状のレーザーポインターの先端で別な建物を示し、

「これは?」

「生徒会の建物です――小中高等部、すべての年代から選出された役員が利用します」 入り口側に巨大な時計のある建物の写真を見ながらそう答えると、アルカードはうなずいた。

「そこには勤務員は誰もいない?」

「いないというより、生徒しか利用しません。管理は完全に生徒の自主性に任せております」

 そう答えてから、鏡花は席に戻って先を続けた。

「それで、勤務形態のお話ですけれど」

「ええ」

「ときどき異動があるかとか、勤務時間とか、そういったお話かしら?」 アルカードがうなずくのを確認して、鏡花は続けた。

「事務棟の職員は基本的に異動はありません。たまにそちらの仕事のほうが向いていると考えて、各年代ごとの校舎に異動を願い出たり、その逆を希望する職員もおりますけれど、その程度ですね。少なくともここ二年の間はありません」

 そう言ってから、鏡花は考えを整理するために一度言葉を切った。

「隣接する大学の図書館は、願い出られない限り異動は一切ありません。ここ五年間、勤務する職員の配置替えはありませんわね。聖堂の職員は恒久的な異動はありませんけれど、ほかの聖堂で人手が必要になったりしたときに助っ人に出向いたりはしておりますね。頻度は結構高いと思います」

「わかりました」 そう答えて、アルカードは席を立った。

「こんなものでよろしくて?」

「ええ、現状では十分です。ありがとうございました」 そう言って、アルカードは優雅に低頭した。

「では――『彼女』の謀事はかりごとを阻止するためにまだ二、三確認しておかなければならないことがありますので、これで失礼します」

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