In the Flames of the Purgatory 38

 

   *

 

 森は暗く、ところどころが泥沼のごとくぬかるんでいるうえに木の根が張り出して歩きづらい――長靴の縫い目から水が染み込んで靴の中が冷たく湿り、ひどく不快だった。

 魔術師に作らせた仮想制御装置エミュレーティングデバイスが作り出した鬼火が周囲を照らし出してはいるものの、降り落ちる大粒の雨のせいであまり視程は確保出来ていない。雨粒がそこかしこで枝葉に当たって砕け散り、ばたばたと音を立てている。

 しばらく歩いたところで、アルカードは足を止めた。

 森を通り抜けた先で突然に視界が開け、エジプトのピラミッドに似た四角錐に近い形状の石造りの建造物が視界に入ってきたのだ。

「……ふん」 一刻経っていない、か――建物に向かって歩む足を途中で止め、アルカードは地面を見下ろして目を細めた。

 地面の濡れ具合が、ある線を境に変わっているのだ。

 眼前の四角錘状の建物を中心に、半径数千歩くらいだろうか。まるでその範囲を見えない屋根が覆っていたかの様に、それより外側に比べて地面の濡れ具合がまだましなのだ。

 その線の外側は雨水でどろどろになっているが、内側は地面が露出しているところでもそこまでの状態にはなっていない。おそらく内側に雨水が注ぎ始めてから一刻、ほとんど時間がたっていない。

 おそらくは魔術装置による強力な結界が、結界の内外を分断していたのだろう――それが雨水を遮っていたのだ。だが早くて一刻、長くて数刻の間に結界が解除され、結果結界の境界線を境に濡れ具合に差が生じている。

 結界が解けた理由はわからない。おそらくは侵入を試みた魔術師によって解除されたのだろうが――遮るものが無くなって雨水に濡れる建造物を見上げ、アルカードは再び歩き出した。

 ピラミッド状の建物の外側の階段を昇っていくと、全高の三分の二ほどのところで構造物が分割されているのがわかった――台形の立方体状の構造物の上に建てられた無数の円柱が、上部の構造物を支持する構造になっているらしい――建造物の入り口も、おそらくその隙間にあるのだろう。

 階段上を滝の様に流れ落ちる雨水が、脚甲の下に履いた革の長靴ちょうかに沁み込んでくる。縫い目にはたっぷりと獣脂が塗ってあるが、それでもこの豪雨ではいかんともしがたい。

 中に水が入ってがっぽがっぽ音を立てる長靴の感触に顔を顰めつつ、階段を昇りきって上下の構造物の間隙に達したところでアルカードは足を止めた。

 巨石を組み上げて造られた下部の建物の上面に、まるで鍾乳洞の中に出来る筍状の盛り上がり――石筍せきじゅんの様な盛り上がりが無数に出来ている。石造りの建物には明らかに不自然なその盛り上がりは、魔術による石で出来た下僕の作製――ガーゴイルのたぐいを造る魔法陣か。だがどうも術式構成が途中で破壊されたのか、形成途中で止まっている。ただ単なる石の盛り上がりもあれば、まるで粘土細工の様な不格好な上半身が形成され始めたところで止まっているものもある。

 それらの造りかけのガーゴイルの形状から推すに、それほど大型のガーゴイルではない様だ――まあ上下の構造物の隙間で形成するのだから、そんなものだろう。隙間の高さはアルカードの身長の一・五倍ほどで、周囲には上部構造物を支持するために無数の円柱が立てられている。障害物の多い場所なので、大型のガーゴイルなど邪魔にしかならない。

 おそらく本来はこの建造物を外敵から守るための防御戦力だったのだろうが、形成前に構成式を破壊されてしまってはどうしようもない、ということなのだろう。

 正確に等間隔で列柱の立ち並ぶその中央に、下部の建物に入るための階段が設けられている――見たところ、上部の建造物に入るための出入り口の様なものは見当たらない。そもそも内部に空間など無いのか、あるいは空間転移の魔術を使わないと接近出来ない様にする必要があったのか。

 いずれにせよ、入れるほうから調べるしかない。アルカードは中央に程近い柱の陰に、肩に引っ掛けた荷物を置いた――まさか置き引きを考える者はいないだろうが、とりあえずこれ以上雨に濡れないところに置いておきたい。

 そのまま踵を返し、階段に足を踏み入れる。

 階段を降りた先は、一辺が百歩ほどの正四方形の空間だった。天井の高さはアルカードの身長の三倍ほどか。

 施設の防備戦力はものの見事に全滅しているらしく、階段を降りるといくつもの破壊された自動人形オートマタが転がっていた。

 おそらくそこは、外敵を自動人形オートマタが撃退するための専用の空間なのだろう――だだっ広い空間の内壁には無数の棺が並べられ、その蓋は片端から開け放されている。

 棺の中身はいずれも空だが、その中身は足元に転がっている数百を数えようかという屍蝋じみた外見の自動人形オートマタだったのだろう。見たところ人間がベースの自動人形オートマタの様だから、おそらくこの島にあった人里の住人を材料にしたのに違い無い。

 まだ完全に破壊されず機能を保っているらしい自動人形オートマタのかたわらに立って、アルカードはその頭蓋を長靴の踵に仕込んだ馬蹄状の刃物で踏み砕いた――いったん人形に改造されてしまえば、もはや元の体も人格も取り戻すことはかなわない。出来るのはひと思いにとどめを呉れてやることくらいだ。

 が――周囲を見回して、アルカードは眉をひそめた。

 少し離れた場所の床が円形に無くなっている――破壊され円形に刳り貫かれたのか? 否、それにしては周囲の石の並べ方がおかしい。円形の穴の周囲だけ石の並べ方が異なる。そこは最初から円形に穴が開く様にして造られていたのだ。

 人間がひとり潜り抜けられそうなその穴を覗き込むと、ちょうどこの穴にすっぽり収まりそうなほどの円盤状の石の塊が床から少し離れたところに浮いているのが見えた。

 そこにあった床自体が上下することでそこに立った人間を下層に降ろす、一種の昇降機なのだろう――おそらく必要無いときはこの穴を塞ぐ様に上に上がった状態になっていて、出入り口の扉も兼ねているのだ。

 それ自体は珍しくもない――ヴィルトール・ドラゴスが吸血鬼となって果ててから早二十数年を数え、その間に何度か魔術師と矛を交える機会もあったので、こういったものはしばしば目にしている。

 問題は、それが破壊されずに侵入者によって使用されていることだった。

 破壊されていないということは、つまり侵入者がみずからそれを使ったということだ。この昇降機は防衛の一環なので、通常はまず確実にロックがかけられており、あらかじめそのロックのパターンを知っているか、もしくはそれを解析する能力を持つ者でなければ使えない場合が多い。

 聞くところによるとこのロックは意外に解析が難しいらしく、術者がどういった魔術師の流れを汲んでいるかを把握しておかないと、術式を改竄してロックを解除するには天文学的な時間がかかるのだそうだ。それにもまた手間がかかるが、ロックの周囲の構造物を破壊するほうが早いことも多い。

 それを解除して侵入しているということは、侵入したのは間違い無く魔術師で、かつロックを解析して解除するだけの技術を持っているということだ。

 あるいはこの建物に引きこもっている魔術師と同門なのかもしれない――技量練達した剣術家が同門の剣士の手の内を容易く読む様に、習熟した魔術師であれば同門の魔術に割り込みをかけることはさほど難しくないだろう。

 胸中でつぶやいて、アルカードは昇降機の上に飛び降りた――着地の荷重で昇降機がいくらか下がり、底が床にぶつかったのかゴツンという振動が伝わってくる。

 昇降機から足を下ろし、アルカードは周囲を見回した。今度の階層は扉こそ存在しないものの壁で仕切られて間取りがあり、そのせいか見通しはさほど良くない。

 部屋は今いるこの昇降機のある小部屋を中心に四つ配置されており、それぞれの部屋がつながっているかはまだわからない。

 今のところ周囲に動きは無いが――アルカードは左脇に固定した簡易防具を兼ねた鞘から心臓破りを引き抜いて、正面の部屋に足を踏み入れた。

 塵灰滅の剣Asher Dustは刃渡りが長すぎて、この狭い空間では邪魔にしかならない――いかに狭い空間であっても長剣を振るうに支障が無いほどの技量は持ち合わせているが、その状況にもっとも適した得物を使うに越したことは無い。

 アルカードがここに来たのは、とある魔術師を殺すためだ――スコットランドのとある魔術師の一族の出身者だが、異端の責めを受けて欧州に逃れ、この島を拠点にしているらしい。

 それだけなら別にアルカードがわざわざこんな離れ島に出向いてどうこうする様なことではないのだが、あのグリゴラシュ・ドラゴスとかかわりがあるというのなら話は別だ。

 グリゴラシュに魔術の秘儀を授け、いくつかの魔術の器具も与え、それと引き換えに噛まれ者ダンパイア喰屍鬼グールを実験材料として与えられていると聞いている。

 世のため人のためなどという綺麗事に興味は無いが、グリゴラシュやドラキュラに協力しているのなら紛れも無いヴィルトール・ドラゴスの敵だ。

 部屋の中には、胴体部分を分厚い玻璃はりで作られた槽がいくつも並んでいる――透明の層の内部に満たされた培養液の中で眠る様に浮いている全裸の若い女に視線を向けてから、アルカードはその隣に並んだほかの槽に視線を投げた。

「なんの研究だ――キメラというやつか?」

 アルカードはそんなことを独り語ちながら、調製槽のすぐ横に置かれていた机の上から木製の板にクリップで留められた資料を取り上げた――その資料は理解しがたい用語や記号が羅列されており、残念ながら読んでもまったく理解出来なかったが。

 それぞれ年代も性別もばらばらだが、全裸の人間が槽の内部に納められている――否、彼らが実験体として提供されていた噛まれ者ダンパイアか。

 さっぱり理解不能なその資料を、机の上に適当に放り出す――アルカードは短剣を鞘に戻し、代わりに塵灰滅の剣Asher Dustの鞘を剣帯からはずして漆黒の曲刀を抜き放った。

 そのまま手近な槽に塵灰滅の剣Asher Dustを突き立てる――突き込んだ鋒が内部に浮いていた少年の胸元を貫き、傷口から流れ出した血が培養液を朱く染めてゆく。剣を引き抜くと同時に槽の胴体部分を構成する玻璃が砕け散って、おそらく周囲の海水を濃縮して原料にしたものらしい培養液が床にあふれ出した。少年の体が霊体を破壊されて塵と化し、その塵が培養液と一緒に床の上に広がってゆく。

 アルカードはそのまま剣を振るって、残る調製槽を一刀両断にした――内部に浮いていた吸血鬼たちの体も一緒に斬り裂かれ、その体が崩れて出来た塵が培養液に溶けて周囲に流れ出してゆく。

 それを見送って、アルカードは踵を返した。

 とりあえず不意を衝かれない様に噛まれ者ダンパイアは処分したが、さしあたってはこの研究施設の持ち主である魔術師を見つけ出して殺す必要がある。もうすでに別の侵入者によって殺害されている可能性もあるが。

 少なくとも昇降機を戻さずそのままにしていたということは、最後に昇降機を使ったのが招かれざる客人であるということだ――アルカードと遭遇する前にその客人に殺されている可能性は十分にある、勿論客人が返り討ちに遭っている可能性も十分にあるが。

 まあいずれにせよ、生き残っていればそれに越したことは無い――死体はなにもしゃべらない。胸中でつぶやいて、アルカードは周囲を見回した――この階層にいるかどうかわからないが、慎重に探索を進める必要がある。

 少なくとも噛まれ者ダンパイア喰屍鬼グールを研究材料に使う以上、まともな研究者でないことは間違い無い――否、キメラ研究者自体がもともとまともではないが。自動人形オートマタや、あるいはなにかほかの防衛戦力もいる可能性がある。

 塵灰滅の剣Asher Dustを鞘に納めてそれを左手で持ったまま再び短剣を引き抜き、アルカードは歩き始めた。

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