In the Flames of the Purgatory 37
*
ぎいんと音を立てて、撃剣聖典の物撃ちとカブトムシの脚の一本が衝突する――人間に似た四肢を持つカブトムシだがそれとは別に四本の脚を持っており、これらがばらばらに動いて襲いかかってくるので、間合いこそ狭いものの思ったより手数が多くて邪魔臭い。
カマキリがリーラのほうに行ってしまったので楽にはなったが、逆に言えば同僚の負担が増えているということだ。
さっさとこのカブトムシと、周囲に潜んでいるイカを片づけなければならない。
ブラックモアは数本交差した鋼線を足場にしてその場で跳躍し、カブトムシの肩に片足をかけて装甲外殻の隙間から撃剣聖典の鋒を突き入れた。ずぐりという鈍い手応えとともに、カブトムシが痛みに両腕を振り回す。
通算二十振りめの撃剣聖典を突き刺したまま手放して、ブラックモアはカブトムシの肩越しに跳躍した――背後の足場に再び降り立ち、右手を振り翳す。
動きが止まったカブトムシの周囲に、砲弾の様な先細りの形状の光り輝く多面体が複数展開した。
視線を向けると、腕に巻きついたのはルシフェリンの
術式が完成する前に集中が切れて魔力供給が途絶えたために、完成寸前だった術式が寄せてくる波に崩された砂の城の様にほつれて消滅してゆく。もはやこうなっては、新たに構築し直すしかない。
小さく舌打ちして、ブラックモアはだらだらと青い血を垂れ流す触手に視線を向けた――先ほどベルルスコーニにちょっかいを出して撃たれた触手らしい。
ならば――
ブラックモアは口元をゆがめて笑い、その体表に掌を叩きつけた。次の瞬間――
声帯を持ってはいないのか、
ベルルスコーニの織り上げた聖典戦儀の銃弾――正式な名称は無いのだが――の術式に干渉して制御を引き取り、先ほどベルルスコーニがリーラの援護にそうしたのと同様に触手に喰い込んだ銃弾を長剣に変化させたのだ。聖典戦儀そのものは敵による干渉を防ぐためにファイアーウォールを施されているのだが、彼らは互いにその解除に必要な、いわばパスワードを教え合っており、必要に応じて仲間の聖典戦儀に干渉して制御を引き継ぐことが出来る。
触手が完全にちぎれたりはしなかったが、筋肉の一部を切断されたことで腕を締め上げている拘束が緩み――ブラックモアはその隙を衝いて、締めつけられた右腕を拘束から力任せに引き抜いた。吸盤の棘で派手に引っ掻かれた右腕がひりひりと痛んだがそれは気にせずに、左手でこちらに向き直りかけているカブトムシをぴっと指差す。
いったん集中が途切れて崩れてしまった術式は、もはやどうしようもない――再び一から構築した
一瞬置いて、ブラックモアは術式を解き放った――術式にアレンジを加えて力場の構造を変え、後端にもうひとつガス室を設けて高圧ガスを充満させてそれを後部から噴出することで、ロケットの様に多面体を加速するオリジナルの術式だ。多面体は空気抵抗を受けるため、全体を若干スリムにして代わりに全長を伸ばしてあるので、見た目もロケットの様にも見える――術者にかかる負担は若干重くなるが、魔術だけで加速するよりも飛翔速度が速くなる。この距離ではそれほど意味は無いが。
虫羽根でホバリングしながら戦っているために、カブトムシの動きはお世辞にも俊敏とは言い難い。構築されたよっつの力場が、カブトムシの背中に接触する――空中で戦うために鞘羽根を開き羽を展開していたカブトムシは、無防備の状態のまま背中にHEAT弾と同様の挙動をする魔術の力場の直撃を受けることになった。
さて、次は――
ブラックモアはそのまま振り返って、すぐそばを斜めに通っている鋼線の束を手で掴んだ。鋼線を握り締め、わずかに視線を強めて――
ギャァァァッ!
天井に程近い位置で、身の毛も彌立つ様なすさまじい悲鳴があがった――同時にこんがりと黒焦げになったイカが、天井近くの壁から剥がれて墜落してくる。
ただ魔術としてはごく単純で、空中放電もしくは金属などを通して対象に電流を流すという誰でも思いつきそうな内容の魔術だ――違うのは通常の電撃が一瞬しか持続せず、殺傷効果も神経電流を攪乱することによる心臓麻痺などが死因なのに対し、この魔術は高電圧大電流の電撃を数秒間通電させることで電気抵抗による発熱で攻撃対象を焼き尽くしてしまう。言ってみれば
十メートル近く距離の離れたイカに届くほどの空中放電の電撃を発生させるには、数百万ボルトもの高電圧が必要になる――ブラックモアの技量ではそこまでの高電圧を発生させることは出来ないし、そもそも電圧は彼がやろうとしている攻撃の破壊力そのものにはさほど関係無いので、空中放電を行う意味は無い。仮に発生させることが出来ても十分な電流量と通電時間を確保出来ないので、拘束を振りほどいたときに数本の鋼線を触手に巻きつけておいたのだ。
魔術における発生電圧と電流量の総和は一定なので、導体を利用して直接電撃を流したほうが電圧を下げてそのぶん電流量を引き上げる事が出来る――ジュール熱の発生熱量は通電時間と電流量の積に比例するから、通電時間が同じなら単純に電流量が大きいほうが発熱量を増すことが出来る。
三千アンペア前後の電流を流されて瞬時に消し炭になったイカが床の上に落下し、そのまま焼きすぎた魚の様に炭を撒き散らして砕け散った。
「匂いは旨そうなんだが――」 手にした撃剣聖典を軽く旋廻させ、ブラックモアは少しだけ笑った。
「――本当のところを言うと、烏賊は嫌いなんでね」
そう告げて――鋼線の足場から身を躍らせ、ブラックモアはカニの頭上に飛び降りた。そのままカニの頭上に着地して、甲殻の隙間から長剣の鋒を突き込む。
肩口に長剣の鋒を突き立てられて、こちらを振りほどこうとカニが体をねじる。それに逆らわずにカニの肩口に突き立てた長剣を引き抜いて、ブラックモアはカニの頭の上から飛び降りた――彼の存在に気づいたオオカミが目標を変えて、こちらに向かって跳びかかってくる。
ブラックモアの視界の端で、こちらに注意のそれたカニの懐に踏み込んだベルルスコーニが人間で言えば胸のあたりに拳を押し当てる。
そのまま脚が交差するほどに深く内懐に踏み込んで――爆音じみた踏み込みの轟音とともに比較的薄いらしい腹側の甲殻に細かな亀裂が走り、カニの口から血とも胃液ともつかない汚らしい液体が飛び散った。
がくりと膝を折って、カニの巨体がその場に崩れ落ちる――どうやら発声器官は退化しているらしく、悲鳴をあげることは出来ない様だったが。
アルカードが遣う格闘戦用の秘奥のひとつ、浮嶽だ――彼ら八体のクリーチャーの復元性能がどの程度のものかはわからないが、ベルルスコーニの浮嶽は馬を内臓破裂で即死させるほどの威力を持っている。一撃で象をばらばらにするほどの破壊力を持つアルカードのものには及ばなくとも、少なくともこれを喰らってすぐに動くことは出来まい。
とりあえずそちらから注意をはずして、ブラックモアは突進してくるオオカミに視線を戻した。掴みかかる様にして突っ込んでくるオオカミの進路上から体をはずして、ついでに足を引っかける。同時に腰のあたりに巻きつけた鋼線を締め上げると、ブチブチという音ともにオオカミの体が寸断された――否、背骨だけが切断されずに残り、結果背後の壁に頭から激突したオオカミが切断面から血と内臓を撒き散らしながらその場でのたうちまわっている。
ブラックモアはそのまま歩を進めて、床の上に膝を突いたカニに背後から歩み寄った――同時にベルルスコーニがオオカミに向かって歩き出す。
彼とすれ違ったあたりで、ブラックモアは術式を解き放った。
びぃぃぃんという耳障りな低周波音が鼓膜を震わせ、それが徐々に周波数を引き上げ始める――低周波音は耳を劈く様な高周波音に変わってから轟音とともに聞こえなくなり、たゆたう波の様に絶えず周波数を変えながら、やがてその振幅を収斂させ始めた。
同時にカニの強固なキチン質の外殻にびきびきと音を立てて細かな亀裂が走り、続いてその亀裂がどんどん大きく広がっていく。
崩れ落ちたカニが全身を震わせて口から泡を噴き、なんとか苦痛から逃れようとするかの様にもがきながら――
結局それも無為に終わった。厭な色の体液を撒き散らしながら、カニの外殻が粉々に粉砕されて消滅する。
全身の甲殻を粉砕されたカニがその場に倒れ伏すのを見届けたところで、ブラックモアは稼働していた
大気を媒体に高周波数の振動波を発生させ、その位相を変えながら攻撃対象の共鳴周波数をチューニングして、共振現象を引き起こすことで目標を粉砕する――共鳴周波数は目標が大きくなるほど低くなるから、巨体のカニにこれから逃れる術は無い。
『
参考にした点はあるがブラックモアのオリジナルの感が強く、これを受け継いだ魔術師はパオラ・ベレッタしかいない――彼女のほうが魔術師としては才能に恵まれているので、熟練すればブラックモアよりも強力に使いこなせるだろうが。
破壊されずに残ったカニの中身が地響きとともにその場に崩れ落ち、断末魔の細かな痙攣を繰り返している――カニの肩口に突き刺さったままになっていた撃剣聖典を引き抜いて、ブラックモアはその鋒をカニの頭部に突き立てた。
振り返った視線の先で、オオカミのかたわらに立ったベルルスコーニが懐から引き抜いたX-FIVE自動拳銃の銃口をオオカミの頭部に向けて据銃する。
「おすわり」 短くそう言って、彼は三度トリガーを引いた。立て続けの着弾にオオカミの体が痙攣し、弾き出された空薬莢が煉瓦敷きの床の上で跳ね回る。
撃ち込まれた銃弾がオオカミの脳や胴体の内側で槍の形状に変形し、その穂先が頭蓋や心臓を貫く。細かな痙攣を繰り返すだけになったオオカミの頭蓋を踵で踏み砕いてとどめを刺し、ベルルスコーニはこちらを振り返った。
「助かった」
「こっちこそ」 肩をすくめたとき、カマキリの断末魔の悲鳴がその場に響き渡った――大振りの一撃を躱して踏み込んだリーラの斬撃が、カマキリの胴を上下に分断したのだ。
床の上に崩れ落ちてなお生命の兆候を見せているカマキリの頭部を真直の一撃で削り取り、リーラは手にした太刀を軽く一度振ったあとで鞘に納めた。
「これで全部?」
「らしいね」 ブラックモアの言葉に、リーラはうなずいた。スカートの裾を翻して、軽やかに踵を返す。
「じゃあ行きましょう――ほかにもいるかもしれないから油断はしないで」
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