Dance with Midians 1

 

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 およそ女性の部屋とは思えない、飾り気の無い部屋の中で――彼女はそれまで閉じていた瞼を開いた。

 ベッド代わりに横になっているソファは、かなり大きい――ソファが複数しつらえられているのは、この部屋の主が近隣の住人を集めてよく飲み会とかをするからだ。

 天井にシーリングファンなど設置されているのは、部屋の主の趣味だろう――どうも新し物好きの割に懐古趣味的なところもあり、どうにも嗜好が掴み難い男ではある。

 床はグレーの絨毯が敷き詰められている――日本でよくみられるものではなく、欧米の靴文化圏でよく使用されているものに似た、毛足が短く固い絨毯だ。

 この部屋の主が非常事態に備えて、室内でも常に靴を履いたままで過ごす習慣があるからだ――別に室内で土足で過ごすわけではないのだが、彼は寝るときも靴を履いたままだった。

 体にかけているのは、ボーイフレンドのジャケットだった。部屋の主の寝室は個別に施錠されており、不要であるからという理由で合鍵は与えられていない――そもそもこの部屋の合鍵自体、飢え死にしそうになったら食べ物を勝手に取ってもいいという名目で与えられているので、別に勝手に入り込んで好き勝手していいというものではないのだが、それはともかくそのために、シーツのたぐいは調達出来なかったのだ。

 もちろん香港に出かけている主がテレビ台の上に放置していったプレイステーション3を、勝手に使っていいというものでも、ない――まあ本人は別に怒らないだろうが。

 テレビ台に設置された最新型の東芝レグザの画面に表示されているのは、グラーニニ・ゴルキーの研究所で壁際に設置されたロッカーのひとつの前で突っ立っている白衣を着た髭面のおっさんだった。

 どうも敵兵はあらかた昏倒させてロッカーにしまったり殺害したあとらしく、ゲーム画面のまま放置しても問題無いらしい――このゲームにはステージクリア後評価の概念が無いから、それでもかまわないのだろう。

 この部屋の主は新し物好きで、さらにスペック至上主義者ときている――その一方で骨董品にも相応の価値を見出すよくわからない性格なのだが、とにかく彼は今の自分の持ち物よりも高性能な品物を見つけると、手持ちを改造してそれに追いつかせようとするか、でなくば買い換えたがる。

 しばらくすればもっといいテレビが出るだろうから、彼はそれに喰いつくだろう。そうしたら今使っている液晶テレビを口八丁で巻き上げてやろうと、彼女は思っていた――あの性悪がそうそう口車にごまかされてくれるかどうかはわからないが。

 ソファの上でもぞもぞと体を動かし、再び視線を転じると、今度は窓が視界に入ってくる。窓の外には腰くらいの高さの小さなビニールハウス――といっても、半球状の骨組みに透明のビニールシートを張っただけのものだが――が置かれ、ハバネロの植えられたプランターが置かれているのが見えた。

 主人は面倒見がいいがよく留守にするため、今は少々元気が無い――水やりを彼女がさぼったからだとは、本人には言えないが。

 少しだけ元気を失くしたハバネロの葉っぱを見つめて、彼女は憂鬱に溜め息をついた。

「あの葉が枯れるとき、わたしの命も――」

「――終わるわけねーだろ」 醒めきった表情でそう突っ込んできたのは、いつの間にやらソファのかたわらにたたずんでいた金髪の青年だった。

 身の回り品以外の荷物は外交筋を通じて遣り取りするからだろう、それほど大きくないトラベルバッグが部屋の入口のところに置かれている――フレーム部分には香港ネズミーランドの土産物用の紙袋と、縫いぐるみがよっつ固定されていた。

「なにやってんだ、エル」

「昼寝」 正直にそう答えると、金髪の青年は無言のまま腰をかがめてソファに手をかけた。そのままソファごとひっくり返そうとしているのを止めようとしていると、彼は嘆息して手を離し、

「あのな、エル」 この金髪のワラキア人は、彼女のことをエルもしくはノーラと呼ぶ――ロシア人の場合アレクサンドルの愛称がサーシャである様に本名と愛称が原形をとどめないレベルで乖離していることが多く、彼女の名前もその例に漏れないのだが、店のスタッフはみんなその愛称で呼ばない。主な理由は彼女がその愛称が好きではないからだが。

 知り合ってしばらくしてから彼が飛鳥という名の男性に『バード』という綽名をつけるぶっ飛んだセンスの持ち主だと知ったのだが、幸いなことに彼がエレオノーラにつけた綽名は割とまともだった。

「確かに俺はおまえらに合鍵渡してるぞ」 顔の半分を手で覆って、金髪の青年が続ける。

「いつぞやみたいに飢え死にされかけても困るから、喰うに困ったら俺の部屋のものを適当に使っていいとも言った。貧乏留学生が光熱費の余裕も無いからって、俺の部屋で暖まってるのも、まあいいだろう――合鍵を渡してある以上は、勝手に入る権利があるからな――、しかしだ」

 悩ましげにこめかみを指で揉んでから、金髪の青年は氷点下の眼差しで続けてきた。

「人んちのプレステを起動したままほったらかして昼寝ってのは、どういう料簡だ?」

「それはわたしじゃないよ」 という返答に、金髪の青年が盛大に嘆息する。

「じゃあフリドリッヒか。あいつ、どこでなにやってるんだ?」

「さっきビール取りに部屋に戻ったけど。もうすぐ戻ってくるんじゃない?」

 という適当な返答に嘆息し、金髪の青年はレザージャケットを脱いで手近なダイニングテーブルの上に投げ出した。

 彼は顔を顰めてせっせと温風を送り出すエアコンに視線を向け、

「ちょっと温度が高すぎじゃねえか?」

「そう?」

「ああ」 そう返事をしてから、彼はエレオノーラに視線を戻した。

「とりあえずもう起きたらどうだ?」

「んー、実を言うと最初から寝てないんだけどね」 というエレオノーラの返答に、金髪の青年は眉をひそめた。

 彼はとりあえず実力行使がもっとも有効だと判断したのか、周囲を見回してから、

「リモコンはどこだ?」

 知らなーいとすっとぼけるエレオノーラを、その視線に捉えられた瞬間に凍てつきそうなほどの冷たい視線で見下ろして――金髪の青年ははぁ、と溜め息をつき、なんの前触れも無く彼女の体にかけられたジャケットを剥ぎ取った。

「きゃぁぁ、なにするの!? 乙女の寝床に入り込もうとするなんて!」

「やかましいわ。男の部屋で横になってる乙女がいてたまるか」 悲鳴をあげるエレオノーラに取りつく島も無くそう言い放つなり、金髪の青年が彼女の体を無遠慮に押しのけて彼女の肩の下あたりにあったエアコンのリモコンを取り上げる。彼はさっさと電源を切り、ついでに窓を開け放った。

 どっと流れ込んできた寒気が、暖められた室内の空気を一掃していく――エレオノーラは悲鳴をあげて剥ぎ取られたジャケットとリモコンを奪い返そうとし、逆にあっさりとソファから放り出された。

「まったく――そういえばおまえ、夏場にもここでエアコンをガンガンに効かせて寝てたことがあったな」

 あきれた口調でそう言いながら、金髪の青年はリモコンをダイニングテーブルの上に放り出した。

「まあ、あのときと違って下着姿じゃないだけましかもしれんが」

「ましなんだったらいいじゃない」 エレオノーラが唇を尖らせて床の上で体を起こすと、

「一応はイエスと答えておいてやろう――目の保養にならないのはつまらんがね」 適当にかぶりを振り、金髪の青年は溜め息をついた。

「なんだか溜め息が多いわよ」

「誰のせいだ」 いい加減に掛け合い漫才にうんざりしたのか、金髪の青年はさらに深々と溜め息をついてから、

「あまりあけすけ過ぎるのも感心出来んが。ルイーズの一件をもう忘れたのか?」

「あぅ」 痛いところを突かれて、エレオノーラは小さくうめいた。

「でもほら、あんなことってさ、日本じゃ滅多に――」

「馬鹿に国籍は関係無い――警察の能力だって高が知れてる。日本の警察は能力が高いから犯罪率が低いんじゃなく、被害届を受理せずに犯罪を無かったことにしたり、冤罪をそのまま押し通したりしてる側面があるからだ。むしろ左翼や人権屋に足を引っ張られてたりマインドセットが出来てないせいで、行動を躊躇したり実力行使の決断が遅れたりするから、日本の警察の能力は緊急事態においては低い。おまえとルイーズのときだって、警察は最後まで踏み込んでこなかっただろ――女攫ってどうこうしようとする阿呆は、世界中どこにでもいる。おまえたちはたまたま俺がいたから、運良く助かっただけなんだ――あのまま二十人以上のごろつきにさんざん犯された上に、風俗にでも売り飛ばされててもおかしくはなかったんだぜ」

「もうちょっと言葉を選びましょうよ、女の子相手なんだから」

 顔を顰めてそう言ってやると、金髪の青年はこちらに輪をかけて顔を顰めてみせた。

「知るか。きつい言い方して危機感煽るくらいが一番いいんだよ。男数人がかりで着てるもの剥ぎ取られて、代わる代わる犯された揚句にビデオ撮られて一生脅迫されるのに比べりゃ、手遅れになる前に口で脅かされたほうが幾分かましだろうが――殊におまえとルイーズは、そうなる直前だったんだからな」

 そう言ってから今度は自分が寒くなってきたのか、金髪の青年は手を伸ばして窓を閉めた。

 そう言われてしまうと反論の余地も無い。エレオノーラは小さく息を吐いて立ち上がると、

「気をつける。でも、なんだか話がすり替わってない?」

「すり替わってない。もっと警戒しろって話だから。自分の恋人でもない男の部屋で寝てる時点で、もう普通はカモネギじゃないか」

 溜め息をついてそう言うと、金髪の青年はダイニングテーブルに歩み寄り、椅子に腰を下ろした。

「そういうのをやりたいなら、フリドリッヒの部屋でやってくれ」

「呼んだか?」 そう言って入ってきたのは、銀に近い金髪の欧州系の青年だった。ジーンズに黒いトレーナーを着ている。彼は金髪の青年の姿を目にすると、ドイツ語で彼に声をかけた。

「よう、帰ってきてたのか。帰ってくるの明々後日だって聞いてたのに」 その言葉に、金髪の青年がうなずいてみせる。彼はネイティヴスピードのドイツ語をまったく問題無く聞き取って、北ドイツの発音の影響を受けたと思しい、しかしあまり癖の無い聞き取りやすい発音で返事をした。

「ああ、フリドリッヒ。ついさっきな」

 そう答えてから、金髪の青年は液晶テレビに視線を向けた。

「ああ、借りてる」 というフリドリッヒの言葉に、金髪の青年はうなずいて、

「それは見ればわかる――けど、なんで自分の機械でやらない?」 フリドリッヒ・イシュトヴァーンは同じアパートの二階にある自室にプレイステーション2を持っているので、本来彼の部屋にあるゲーム機――彼の持ち物ではないらしいが――を使う必要は無いからだろう。金髪の青年は特段に責めてはいない平然とした口調で、そんな疑問を口にした。

「3なら、プレステ2で動くだろう」

「昨日コーヒーこぼして壊した」

「そうか」 フリドリッヒの返答にそう返事をして、金髪の青年は出発直前に買ったばかりの東芝の大型液晶テレビに視線を向けた。

 金髪の青年はさらになにか言おうとして口ごもってから、

「悪い、不在票の入ってた荷物を受け取ってくる――しばらくここにいてくれないか」

「はいよ」

 もとから腰を落ち着ける気満々らしく、フリドリッヒは持ち込んできたおつまみとビールの入ったマイバッグ――市が取り組んでいるレジ袋削減運動のひとつで、転入手続きを済ませたときに役所でもらえるものだ――を片手にソファに腰を下ろした。自室に戻っただけにしては妙に時間がかかっていると思ったらコンビニに行っていたのか、袋の口からレシートが見えている。

「いつごろ戻る?」

 この野郎、コンビニで酒買ってそのままここにきやがったな――そう言わんばかりの表情でフリドリッヒの挙動を見守っていた金髪の男、アルカード・ドラゴスはこめかみのあたりを指で揉んでから、

「本局に行ってくるだけだ。そんなにかからない」

 そう返事をしてから、アルカードはエレオノーラに視線を向けた。

「というわけで、おまえは電気代無駄遣いの罰に晩飯の用意でもしてもらおうか」

「わかった。三人ぶんでいい?」 ちゃっかり自分とフリドリッヒが数に入っていることに、アルカードの気配が苦笑の形をとった。

「任せる」 そう言って、彼はリビングから出ていった。

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