Genocider from the Dark 14


 

   †

 

 先に歩いていたのは美玲メイリンだったが、金髪の吸血鬼はすぐに追いついてきた。

 この吸血鬼は身長百五十七センチの美玲メイリンよりも、二十センチ近く背が高い――身長差は歩幅に如実に表れて、最終的に吸血鬼は美玲メイリンと並んだところで彼女に合わせて歩調を落とした。

「アルカードさんは、またこのあとお出掛けですか?」

 美玲メイリンの問いかけに、アルカードがこちらに視線を向ける。

「すぐにじゃないがな――『クトゥルク』は普通の吸血鬼と違って、昼間でも問題無く動けるんだ」

 アルカードが足元にじゃれついてくるマークツーを見下ろして歩きにくそうにしながら、そんなことを言ってくる。それは今更驚くことでもない――白昼堂々出歩くことの出来る吸血鬼なら、今まさに彼女の隣で犬を踏み潰さない様に足元に気をつけながら歩いている。彼はいい加減歩きにくさに困ったのか、かがみこんでマークツーを抱き上げた。子供をあやす様に仔犬の耳元を軽く掻いてやりながら、

「奴が現代文化にどれくらい通じているかはわからないが、もしも俺だったら空港から飛行機で脱出するか、もしくは船で高飛びするだろうな」

 美玲メイリンがそれに対してどう答えるかを考えているうちに話は終わったと判断したのか、吸血鬼は何事か考え事を始めた様だった――かすかに顎を引いて考え込む。

 なにを考えているのかはわからないが、きっと『クトゥルク』の逃走経路のことだろう。

 もっとも、おそらく彼の中で答えは出ているのに違い無い――この吸血鬼は世界でもっとも同族の行動パターンを読み、狩り出して殺すことに長けている。

 自分の思考に没頭しているのか、彼は一階へと通じる階段の前に来たことに気づかずにそのまま素通りした。

 何度か美玲メイリンが呼ぶのにも気づかずに、見当違いの方向へ歩き去ろうと――するより早く美玲があわてて袖を掴むと、それに気づいて吸血鬼が足を止める。

「アルカードさん、行きすぎです」

「ああ、すまない」 吸血鬼は少しだけばつが悪そうに苦笑しながら振り返ると、踵を返してこちらに戻ってきた。

「考え事をなさるのはいいですけど、没頭しすぎです――わたしが声をかけても気づきもしないし」

「そうなのか?」 全然気づいていなかったのだろう、アルカードはその言葉にちょっとだけ眉を上げた――不満げにふくれっ面を作る美玲メイリンを見遣ってかすかに笑いながら、

「ごめんごめん」

 そんなことを言ってくる。なにを考えていたのか少しだけ興味が湧いて眉を開いたのも束の間、吸血鬼はこう続けてきた。

「たいしたことじゃない。あれを始末したあとの、土産物の算段を考えてただけさ――チャイナドレスのネズミとかそういうのが無いかと思ってね」

 その言葉に、美玲メイリンは再び眉をひそめてみせた――適当にごまかされたのが見え見えだったからだ。

 温度の下がった少女の視線を誤魔化す様に、アルカードが子犬を抱いたまま適当に肩をすくめてみせる。

「困ったことにな、俺は香港のランドの中なんか詳しくない。千葉の東京鼠ランドに何度か行っただけだからな」

「アルカードさんが、ランドなんかになにをしに行ったんですか?」

 吸血鬼が遊園地にいるという構図がどうしても思い浮かばず、美玲メイリンは目を瞬かせながらそう尋ねた――なんとなく鼠ランドの敷地内で縦横無尽に飛び回りながら激闘を繰り広げるアルカードとほかの吸血鬼の姿を脳裏に描いたとき、階段を降りかけけたアルカードが苦笑を浮かべて唐突に足を止めた。

「まあそうだろうな、覚えてるはずもないかな――おい、美玲メイリン

 吸血鬼が不意に手を伸ばして、少女の頬に軽く触れる。完全な不意討ちに動くことも出来ないまま、美玲メイリンは吸血鬼が顔を近づけてくるのを呆然と見つめていた。

 すでに死んで生き返ったアンデッドであるにもかかわらず、その指先は温かい。そんな感想をいだいたとき、吸血鬼が不意に口を開いた。

「覚えてないだろう。だが俺はしっかり覚えてるぞ、美玲メイリン――あれはもう、八年も前の話だ。君たちふたりが剛懿カンイーに連れられて日本に来たとき、肩車してネズミーランドのパレードを見せてやってた恩も忘れて、君、俺の肩にお漏らししたんだぜ?」

 揶揄する様な口調の吸血鬼の言葉に、美玲メイリンは顔を真っ赤にした。確かにそれは記憶に残っている――相手がこの吸血鬼だったというのは意外だが。

「ななななな――」

 思いきりどもっている少女に背中を向けて肩を揺らしながら、吸血鬼が気楽に続けてくる。

「いや、あのときは苦労したぜ。剛懿カンイーの奴は迷子になった斗龍ツォウロンを探しに行ってていないし――君はパンツが濡れて冷たいせいでわんわん泣くしな。そういうときに限って列の一番前とか確保したから、出ようにも出られないし。あのときばかりはあれだ――剛懿カンイー斗龍ツォウロンを連れて帰ってくるのが心底待ち遠しかったな」

 美玲メイリンの反応を楽しんでいるのか、吸血鬼はにんまりと笑いながら気楽な口調でそう続けてきた。

「でも一番泣きたいのは俺なんだよ、着てた革ジャケットは濡れちまったし、周囲の視線も気になるし、首元は冷たいし。唯一の救いは、ランドの中にホテルを取ってたことで――」

 

   *

 

 ヴァチカン市国の純粋な国民はその大部分が枢機卿・司祭といった聖職者と叙階されていない修道者、それにヴァチカンを警護するスイス人傭兵の衛兵部隊だ。

 教皇庁で働く一般の職員は三千人に上るとされるが、そのほとんどは市国外から通勤しており、国籍もイタリアである。

 ヴァチカン居住者はヴァチカンの国籍と本来の国籍を保持しているため、ヴァチカン国籍者はすべて二重国籍となる。いわゆる市民権、もしくは国籍を保持する居住権者は七百から八百人前後と公表されている――ヴァチカンの国籍は基本的に職務に対応するもので、いわゆる出生地主義的に附与されるものではない。したがって、ヴァチカン市内で出生しても、その子がヴァチカン国籍を与えられるわけではない。

 ヴァチカン市国の国籍はこの様に特殊なもので、その中でも人数として公開されていない国籍保持者がいることはあまり知られていない。

 ヴァチカン市国内でももっとも部外秘とされているのが、異端審問官兼悪魔祓い師エクソシスト、すなわち聖堂騎士団である。

 彼らは国籍保持者の員数として公表されていないが、ヴァチカン市国内に宿舎があり、ほとんどの聖堂騎士はそこに居住している。

 例外は役職持ちや教師、第五位以内の高位の聖堂騎士などで、彼らはイタリア国籍とローマ市内に邸宅を与えられ、そこに住むことを許されていた。

 聖堂騎士団において後進の育成に当たる役職である教師と第八位の位階を持つリッチー・ブラックモアは、位階ではなく役職で条件を満たしているため、普段はローマ市内にある邸宅に居住し、そこから通勤している。

 なので、いったん退勤して自宅に戻ったブラックモア教師が聖堂騎士団の宿舎にやってきて自分の教室の生徒たちを呼び出すというのは、ちょっと意外なことだった。

 リッチー・ブラックモア教師はアングロサクソンの特徴をいくらか受け継いだ、黒髪の若者である。ヴァチカン市国内の国籍とは別に保持する本来の国籍は屋敷を与えられた際にイタリアに変更されているが、本来は英国籍であると聞いている。

 修道服の襟には一方には自分の開催するブラックモア教室の、もう一方には聖堂騎士団上層部が軒並み所属するヴィルトール教室の出身であることを示す徽章がついている。

 細面の若者だが、首と左肩、そして左胸の一部と左腕全体を覆う様に火傷の痕が残っていることを、フィオレンティーナは知っていた。

 フィオレンティーナと一緒に呼び出されたのはパオラ・ベレッタとリディア・ベレッタ、いずれもフィオレンティーナよりひとつ年下の双子の姉妹である。年代としてはブラックモア教室内で三番目だった。

 今のところブラックモア教室で実戦経験のある人員は合計四人。噛まれ者ダンパイア、つまり知性のある吸血鬼との戦闘経験があるのはフィオレンティーナと教室最年長のイザベラ・ローズ・ソーンだけで、喰屍鬼グールのみだが実戦経験があるのはパオラとリディアのふたりだった。

 三人の少女たちはたがいに視線を交わしてから、宿舎内にあるブラックモアの部屋の扉をノックした。

「誰だ」 扉越しに聞こえてきたその声に、フィオレンティーナは返事をした。

「フィオレンティーナ・ピッコロ、ならびにベレッタ姉妹です」

「入ってくれ」 そう返事があったので、フィオレンティーナは扉を開けて中に入った。

「失礼します」

 聖堂騎士団の邸宅持ちは普段はそちらに居住しているが、宿舎を引き払うことを強制されるわけではない。勤務が長引いたり、あるいは通勤を面倒くさがってそのまま宿舎に部屋を持ったり、居住し続けている者もいる。

 ブラックモア教師も、そういった部屋を宿舎に残している教師のひとりだった。彼は普段はあまり使っていない、家具の無い殺風景な部屋で備えつけの椅子に腰を下ろしたまま、三人の少女たちに視線を向けた。

「悪いな、休んでるとこ」

「いえ――なにか問題でもあったんですか?」

 そう尋ねると、ブラックモアはかぶりを振った。

「いいや。ただ、おまえたちに出動命令が下った――俺は明日はヴァチカンに出勤しないからな、今のうちに伝えておこうと思っただけだ。楽にして聞いてくれ」

 彼はそう言って、机の上に置いてあった一枚の紙に視線を向けた。

「海外派遣だ。明日出発する」 そう言って彼が差し出したのは、フィオレンティーナたち三人に対する命令書だった。

 命令書――対象……リッチー・ブラックモア、フィオレンティーナ・ピッコロ、パオラ・ベレッタ、リディア・ベレッタ、以上四名。

 指揮権者……リッチー・ブラックモア。

 派遣先……香港・九龍カオルン半島。

 現地渉外局補佐担当者……劉斗龍リゥツォウロン司祭。

 任務内容……現地に向かい、ヴィルトール・ドラゴス教師の指揮権下で『クトゥルク』が作り出した下僕サーヴァント並びに噛まれ者ダンパイア、および喰屍鬼グールの討伐に当たること。

「ヴィルトール教師の指揮下に編入、ですか」

 命令書をパオラに回しながらそう言うと、ブラックモアはうなずいた。首をかしげながらのフィオレンティーナの発言に、

「どうした、なにか変か?」

「いえ――ただ、ヴィルトール教師ってまだ現役だったんですね。先生だけじゃなく団長も教えた人だっていうから、すごいお爺さんだと思ってました――もう現役どころか教師も引退してるものかと」

 それを聞いて、ブラックモアは苦笑した。

「お爺さん、お爺さんというか――否、俺の先生はまだまだ現役だ。それはともかく、明日の夕方出発する。それに合わせて準備を整えておく様に――勤務期間はまだわからないから、着替えの類は多めにな。明日は俺は別な用件でヴァチカンに出勤しないから、質問事項が出来たら電話をくれ――集合時間は十五時。通達は以上だ」

 リディアから命令書を受け取ってから、ブラックモアは席を立って退室を促した。

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