第2話
懐かしい夢を見た。
「……」
(別に、感傷に浸るような美しい思い出じゃないんだけどな)
アイオライトは小さく息を漏らすと、のろのろとベッドから起き上がった。目覚めの悪さにけだる気にぐるりと首を回すと、夢の中で見たものよりは経年劣化の目立つ壁時計に目をやる。
(……ああ、もうそんな時間か。食事に行かなきゃ)
アイオライトは思っていたよりも進んでいた時計の針に少しだけ顔をしかめると、クセのある濡れ羽色の髪を掻き上げ大きな欠伸を一つ零した。
(なんで今更あんな夢? 別に、もう自分の立場なんてとっくに理解してるのに)
地球が“ヒトでないもの”に侵略され、圧倒的な力で制圧されてから数百年。元々地球に住んでいたヒトは、かつてヒトが牛や豚にそうしていたように、“ヒトでないもの”の食料として金色の檻で分断された世界の片側で飼われている。
アイオライトが現在過ごしているこの場所も、世界に散りばめられた“
「……」
まだ覚め切らない頭のままクローゼットに掛けてある中からアイオライトは適当なシャツを掴むと、着ていたT-シャツを脱ぎ捨て手早く羽織る。同様に寝間着にしているスウェットもデニムに着替えると、履きなれたスニーカーを引っかけて部屋を出た。
チン、とレトロな音を響かせてエレベーターが止まると、すぐに開けた視界の先は、人口の光で眩しいくらいに明るい、ヒト専用の食堂だ。普段はヒトとスタッフである“ヒトでないもの”で賑わっているが、さすがに遅い時間の為普段程の活気はなかった。
すっかり慣れた所作で入口で真っ赤なトレイを取ると、アイオライトは迷いのない足取りで一点を目指し歩く。
(こんな時間なのに子供が多いな)
歩きながら周囲へ視線をやると、時間帯の割に夢の中の自分に近しい年齢の子供たちの姿が多かった。だが、そのほとんどの顔に見覚えがないことにアイオライトは目を瞠る。
(また新しいヒトが育てられてるってわけか。もうそんな時期だっけ?)
どこか他人事のようにその一群を一瞥すると、自分の置かれている状況をまだ理解していないような表情でキャッキャとはしゃいでいる子供たちを見て、先ほどの夢を思い出しアイオライトは少しだけ微妙な気持ちになる。
(説明されて知ってるのと、その状況に置かれるのは、違うからね)
わかってないんだろうな。僕もそうだったけど、と無邪気な子供たちを見てアイオライトは小さく息を吐いた。
(まあでも理解してたからって状況が変わるわけでもないし、些末な問題なんだけどね。“ヒトでないもの”に食べられる運命が変わるわけでもないし。それに、食べ物として生まれてきたんだったら、食べられた方が幸せに決まってる)
それが、アイオライトの持論だった。アイオライトはもう一度、今度は食堂の奥へと視線を走らせた。やはり子供の数が多いが、奥の方には成人の姿もちらほらと確認できた。ヒトは食べ物である性質上、成人になる数は圧倒的に少ないが、いないわけではないのだ。
「……」
だが、アイオライトは今更それになりたいと思ったことは一度もなかった。
「なにか考え事でもしてるのかしら? アイオライト」
突如耳に飛び込んできた聞きなれた女の声にはっと意識を戻すと、カウンターの奥で灰色の髪を肩口で切り揃えた女が山吹色の瞳を細めて笑った。
「え? あ……こんばんは、
いつの間にか目的地に辿り着いていたことにアイオライトが驚いて数回瞬きをすると、
「小難しい顔も美人なのねえ」
と、石黄はカウンターに肘をついた姿勢で感嘆にも似た溜息を漏らした。
「お褒めいただきありがとうございます」
「こちらこそ。美しいものは目の保養になるもの」
石黄はそうアイオライトの容姿を褒めた。スラリと伸びた身長、長めのクセっ気に鼻筋の通った顔立ち、宝石のように美しい菫色の瞳。十数年の年月は、アイオライトをすっかり美しい青年へと育て上げた。
「ふふふ。じゃあ、今日こそ丸ごと食べてもらえるかな?」
アイオライトはおどけたようにそう言って目を伏せると、石黄は少し不思議そうに小首を傾げた。
「あなたの相手も変わってるけど、あなたも随分変わってるわよねえ、アイオライト。“
言いながら石黄は、カウンターの中から美しくコーティングされたチョコレートケーキの乗せられたお皿を取り出し、アイオライトの真っ赤なトレイの上へと置いた。見た目の美しさが食べずともその味を伝えているようで、アイオライトはその姿に嬉しそうに微笑んだ。
「これも、その子の為なんだっけ?」
石黄が呆れたように指先でトレイを叩くと、アイオライトは静かに頷いた。
「うん。藍玉が僕を中々食べてくれないからね。昔の文献に書いてあった方法を試してみようと思って実践中なんだ。今更変えたところで影響がでるのかはわからないけど、やらないよりかはいいかと思って」
かつてヒトは食料である牛や豚の味を良くするために、ある一定のエサしか与えない、という方法を取ったらしい。アイオライトはそれを知った瞬間、すぐに試してみようと思い、少しは気心の知れていた食事係の石黄にその世話を頼んだのだった。
「その子は一体あなたの何が気に入らないのかしらね? 見た目も味もよさそうなのに」
石黄は言いながら皿の上のチョコレートケーキを見やった。
「僕がまだ藍玉の理想に届いてないんじゃないかな? きっと」
「理想?」
「うん。だって、“ヒトでないもの”は、愛する気持ちを表現する方法を食べることだと思ったんでしょう? だからまだきっと、そこに到達するには足りないのかな? 愛が」
“ヒトでないもの”は、心の機微を表現する方法を知らなかった。だから地球に侵略して初めて出会ったヒトに心奪われた気持ちをどう伝えていいかわからず、本能的に体の奥から湧きあがった欲望を、食欲と勘違いして愛するヒトを食べてしまった。
それが、伝えられている新しい地球の始まりだ。
「ええ?! まあ、確かに起源はそれだって言われてるけど、でも現実は“ヒトでないもの”が生きる為の栄養素をヒトからしか取れないことでしょう? だから本当は見た目も味も関係ないのよね、実際」
“ヒトでないもの”は、彼らの愛を永遠に伝える術を模索した結果、“ヒトでないもの”が生きる為の栄養素をヒトからしか摂取できないように、お互いの存在の在り方から変えてしまったのだ。
(なんて情熱的で激しい愛の執着なんだろうね)
かつての地球であったのなら、一部では賞賛されるだろう一つの愛の形だ。
「少なくとも私はそうだったわ」
石黄はそう言って肩を竦めてみせた。
「そうなんですか」
だが現実は、長い月日をかけて残ったのは愛ではなくて生きる術、という形骸的なシステムのみ、というのが通説だった。
「でも、別に食べられることが全てじゃないんだから、焦らなくてもいいんじゃない? それこそ、あと数年もしたら“オヤ”にでもなれるだろうし。あなた綺麗だから、どうしてそう育てられなかったのか不思議だわ」
石黄はそう言って食堂の奥の方へと視線を投げた。アイオライトはその先に何が存在しているのか予想がつきながらも、追うようにそちらへ視線をやった。そこには、成人したヒトの男女数名がテーブルを囲んでいる姿があった。彼らは繁殖の為に育てられた、アイオライトたちとは別の、ヒトの形だ。
(今更アレには絶対になりたくない)
一瞬だけ嫌悪のような感情を向けると、アイオライトはぱっと笑顔で石黄の方へと振り返る。
「藍玉の父親が娘を溺愛している金持ちの酔狂なんですよ。美しい自分の娘を構成するものは全て美しいものでなければならない、って。それで、僕が選ばれたんです」
「ああ、それで。特別に綺麗なヒトは“オヤ”の候補として育てられることがほとんどだって聞いたから、どうしてかしら? って思ってたのよね」
納得納得、と石黄は頷くと、でも、とまたアイオライトを見る。
「このままだったら、ほんとに“オヤ”になるかもしれないわね。その方がいいんじゃないの?」
「どうして?」
「……え?」
思わず低い声になってしまったアイオライトに、石黄が驚いたように目を丸くした。
「どうしたの? いきなりそんな声出して……」
「食べられる為に生まれてきたんだから、食べられた方がいいに決まってる。僕は、僕の全てを藍玉以外にあげたくない」
アイオライトは真剣な顔でそう言い一旦そこで言葉を切ると、苦々しく表情を歪める。
「それに。“食べられ損ない”で“オヤ”になるなんて、最悪だ」
“ヒトでないもの”の一生分の栄養素はヒト一人で補われる。その為子供の内に食べられてしまう者がほとんどで、アイオライトのように成長しているヒトは珍しかった。陰では“食べられ損ない”と、まるで問題があるかのように揶揄されて呼ばれることもあり、それが嫌で、成長を続けてしまったヒトの中には、“オヤ”への変更を希望する者も多いそうだ。だが、アイオライトは絶対にそれだけはしたくなかった。
(だって、そんなことをしたら、僕の生まれてきた意味は? 僕の、この胸の気持ちは?)
「……」
(全てが無かったことになってしまう……)
黙り込んでしまったアイオライトに、石黄がすまなさそうに山吹の瞳を揺らした。
「……ごめんなさい。軽はずみな発言だったわ……あなたの願いが一日でも早く叶うといいわね。でも、あなたに会えなくなるのは、少し寂しいって思うわ」
石黄はそう言って切なげに微笑んでみせた。
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