敷島さんの呪われたナイフ

白神護

ドロシーといちごのけえき

     a-2.

 冬の風に、レースのカーテンがふわふわと膨らんだ。僕は群青色のカーペットへ転がされて、ぼんやりと空を眺めている。空は快晴の日和。僕はついつい欠伸をしそうになって、口を縫いつけられていたことを思い出す。ああ、うっかり、うっかり。

 ところで、僕は人形だ。名前は、ジーター。もしくは、ハニートースト。ポピーや、シエロだったこともある。これらはすべて、今のご主人様から貰ったものなのだけれど、彼女はとんでもなく忘れっぽくて、僕の名前はころころ、ころころと、秋の空模様のように、目まぐるしく変化する。(とりあえず、今朝、僕はジーターだった。)

 ああ、噂をすれば。ちょうど、ご主人様が帰ってきた。

 カチャカチャ、キイ――、バタン、カチャリ。トントントン。足音がぴたりと鳴り止んで、ドアの取手が三十度ほど、すとんと落ちる。ドアが開き、彼女がゆったりと姿を現す。

 ――おかえりなさい、ご主人様。

 もごもごと唇を振るわせる。彼女は僕を見て、にっこりと微笑む。

「ただいま、ドロシー。良い子にしていた?」

 リビングには、大きな机と、椅子が四脚ある。彼女は一先ずそちらへ向かって、学校の鞄を椅子に置いた。続いてこちらへ向かってくる。

 ――もちろんだよ。ご主人様。

 僕はまたまた、もごもごとしながら、彼女にお帰りのキスをしようとして、体をもぞもぞと動かした。でも、まあ、僕は人形なので、当然動けはしないのだけど。

 その内に彼女はすぐ傍へ来て、すっと腰を落としたかと思えば、慈しむような柔らかな所作で、僕の頭を優しく撫ぜた。

「今日は、けえきを作りましょう? なんの、けえきがいいかしらん?」

 優しい、優しい、彼女の声。どこまでも無邪気な、少女の、声。

 ――いちごのけえき。

 僕はもごもごと提案する。まるで、声が届いているみたいに、彼女は笑顔でにこりと肯く。

「うん、いいわ。いちごの、けえきを、作りましょう」

 彼女に抱き上げられて、リビングの椅子へと運ばれる。僕はけえきが楽しみで、ガタガタ、ガタガタと椅子を揺らす。貧乏ゆすりはダメでしょう? 彼女に言われて、僕はしょんぼりと頭を垂れる。

「待っていて、ドロシー。とっても美味しい、いちごのけえきをご馳走するわ」

 鼻歌交じりに、彼女はキッチンへと姿を隠す。僕はけえきが楽しみで、とても静かに待ってはいられない。楽しみで、楽しみで、歌でも歌いたくなるよ。

 もごもご、もごもご。もごもご、もごもご。もごもご、もごもご。

 僕の歌に合わせて、彼女の鼻歌もリビングまで、聞こえてくる。

 ふんふん、ふふふん、ふんふん、ふふふん。ふんふん、ふふふん、ふふふふふーん。

 かくして、けえきが出来ました。美味しそうな、いちごのけえき。

「ねえ、ドロシー。どうかしら?」

 ――とっても、美味しそう!

 もごもご、もごもご!

「ふふふ。さっそく、切り分けましょう」

 きらんとナイフが鈍く輝く。するりするりとけえきが分かれて、僕の前に、一切れ置かれる。

 ――いただきまあす!

 もごもご、もごもご!

「あらあら。だめよ、ドロシー。そのままだと、けえきが食べられないでしょう?」

 じょきりとハサミが音を立てる。僕の唇の真っ赤な糸を、彼女が丁寧に切り落としてくれる。

「さあ、お口を開けて?」

 僕は――。


「あああああああああ! 誰か! 誰か! 助けて! 助けて! 殺される! 殺される!」

 男はあらん限りの声を張り上げて、揺れるカーテンへ助けを求めた。

「いただきまあす! わあ、美味しい! ご主人様のけえき、もっとたくさん食べたいなあ! ねえ、おかわり! おかわり、ちょうだい!」

 ガタガタ、ガタガタ。ロープは何重にも巻かれていて、どれほど暴れても、びくともしない。

「誰でもいい! 誰か! 火事だ! 火事だ! 誰か! 火事なんだ! 火が出てる!」

 少女は真っ赤なケーキを男の口元へ押しつける。真っ赤な、真っ赤な、男の、ケーキ。

「ぱくぱく。んー! おいしーい! ねえ、もっと! もっと! もー、しょうがない子ねえ、ドロシーは。そう言いつつも、ご主人様は嬉しそうに、微笑う。僕は、彼女の笑顔が大好き」

 ガダッ、ガダン。椅子が倒れる。男は左肩から激しくフローリングへ叩きつけられる。

「美味しい♪ けえき♪ いっぱい♪ 食べよ♪ いっぱい♪ 食べたら♪ 眠くなる♪」

 鈍く光った真っ赤なナイフが、妙にゆっくりと、ゆっくりと、ゆっくりと、男の喉元へ――。


「ふわあーあ。ねえ、ご主人様。僕、眠くなっちゃった! ダメよ、ドロシー。食べたあとですぐ寝ると、悪い魔女に牛にされてしまうわ。彼女は、冗談めいた口調で言って、優しく僕の頭を撫ぜる。その手は小さいけれど、とても温かくて、やっぱり僕はうとうとと、どうしても船を漕ぎ始めてしまう。そうすると、ご主人様は無理に起こそうとはせず、そっと温かいブランケットをかけてくれる。ありがとう、ご主人様。僕がお礼を言うと、彼女はくすくすと楽しそうに笑って、後片付けを始める。もう僕は、眠くて眠くて、起きてはいられない。おやすみなさい、ご主人様。おやすみなさい、ドロシー。優しい優しい、ご主人様の声。僕はほっと安心して、深くて暗い、眠りの海に沈んでいった――」

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