コインランドリーで待ち合わせ

村谷由香里

第1話

「俺コインランドリー好きなんだよね」

 ぽつりと言ったタナベに、隣に座ったケシは眉間の皺を解かないまま、

「知ってます」

 と面倒くさそうに応えた。

「コインランドリーの写真ばっかり撮ってた」

「それもこの前聞きました。物好きですね」

 横並びに一列、ずらっと椅子が並んでいる。その真ん中あたりに、ケシとタナベは並んで座っていた。

「お前は好きなの」

「好きでも嫌いでもないですよ、こんな場所」

 ケシはそう言ってため息を吐き、ちらと一番端の椅子に座った男性の方に目をやった。男性はぼんやりと、稼働する洗濯乾燥機を見つめている。壁を埋め尽くす洗濯乾燥機のうち、右端のひとつがごうごう音を立てながら洗濯物を回転させていた。乾燥中のランプが残り時間を示している。残り十秒。あの椅子に座る男性の洗濯物だ。残り五秒。男性はゆっくりと一度瞬きをした。三、二、一、ピピー。乾燥が終わる。

その瞬間には、男性の姿は跡形もなく消えていた。まるいガラス扉の向こうにある洗濯物も、蒸発するように消えていた。最初から、誰もいなかったみたいだ。何もなかったみたいだ。

 仕事を終えた洗濯乾燥機は、緑色のランプをせわしなく点滅させて洗剤切れを訴える。ケシは立ち上がり、洗濯乾燥機の洗剤入れを開けると、ストックしてあった洗剤を注いだ。

 単調に作業をするケシも、それを見守るタナベも何も言わない。コインランドリーに、静寂が満ちる。

 洗濯乾燥機のランプが消え、ケシはタナベの隣に戻ってきた。二人は一度目を合わせ、どちらともなく逸らす。ケシはタナベの手の中にある洗濯物の入ったビニールバッグに視線を移していた。彼が油断しているとでも思ったのか、そっと手を伸ばしてそれを奪おうとする。タナベは涼しい顔で、ひょいとケシの手をかわした。

「もう! 何なんですか!」

 ケシは地団駄を踏みながら立ち上がって、力尽くで洗濯物を奪おうとタナベに攻撃を仕掛ける。タナベはうおおお、と飛びかかってくるケシを交わし、ぽーんとバッグを放った。ケシは飛び上がってそれを奪おうとするが、バッグは二段重ねになった洗濯乾燥機の上に乗っかる。背の低いケシの手は届かない。ぐぬぬぬ、と悔しそうに唸り、タナベの方を振り返った。

「何なんですか! 毎日! ワタシをいじめて楽しいですか!」

「怒ってるねえ、カルシウム足りてないんじゃないの」

「違う! アンタのせい!」

 ケシは、叫んでタナベを指さした。


 ケシはこのコインランドリーの管理人である。

 機械のメンテナンス、洗剤の調達、掃除もろもろ、このコインランドリーに関することは全てケシに任されている。本来なら無人のはずのコインランドリーにケシがやってきたのはひと月前だ。コインランドリーにはひとつ大きな問題があって、それを解決するために寄こされた。

 その問題とは。

 この、タナベという男だ。

「タナベさんわかってます? ここコインランドリーですよ」

「うん」

「洗濯するとこ! わかります?」

「うん」

「洗濯してくださいよ!」

「それはできない」

「なんでですか」

「言ったじゃん。俺コインランドリーが好きなんだ。ずっとここにいたいんだよ。洗濯が終わったら、いられなくなっちゃうだろ」

 ケシは頭を抱える。コインランドリーに来て、いつまでも洗濯機を回さず、ここに居付いた男をどうにかするのがケシに与えられた任務である。この男がどうしてここに居付いたのか、何故頑なに洗濯しようとしないのか、ケシには全く理解できない。

 ケシは人間に生まれたことがないからわからないが、ここで洗濯をするのが一番最後の人間たちの仕事だ。

人間は死んだあと、持ってきた洗濯物をここの洗濯乾燥機に入れる。そういう決まりなのだ。このコインランドリーの先に何があるのかケシは知らないが、きっと素敵なことが待っているはずである。少なくともここよりは良い場所に行けると思う。なのにここにい続ける理由は何なのか。タナベに何度尋ねても、さっきみたいにはぐらかされるばかりである。

「ワタシ、アナタをどうにかしないと家に帰れないんですけど」

「それは、お気の毒に」

「うおおお」

 ケシは飛び上がって洗濯物に手を伸ばす。届かない。タナベはそれを見てわはは、と笑った。もう一度高くジャンプして結局届かず、ケシはそこに置きっぱなしにしていた洗剤のボトルを盛大にひっくり返した。タナベはさらに笑う。ケシは座りこみ「うあーん、もういやだよー」と泣きごとを言う。

「甘いんだよなあ、お前は」

 タナベは言った。ケシは眉間に皺を寄せる。

「本気でやればいいのに」

「うるさいですよ」

 このくだらない鬼ごっこが始まってひと月。初日こそ、洗濯物を奪い取って無理矢理にでも洗濯機に押し込んでやろうと思っていたケシだが、最近はただのルーティンワークになっているきらいがある。一ヵ月の間、隙をつくことのできる瞬間なんていくらでもあったし、ケシもそんなに馬鹿ではない。では何故、ケシはタナベの洗濯物を奪おうとしないのか。

 最初は好奇心だった。彼は何故ここに居座るのか。その理由を知りたいと思った。だからずっとこうして、隣に座って話を聞いて、退屈になったら身体を動かすことを繰り返していた。

 そうしているうちに、何となくこの毎日にもこの男にも愛着がわいてきてしまっている。それもケシが鬼ごっこを終わらせられない理由である。口が裂けても言えないが、単なる好奇心とは別の思いで、ケシはタナベがここにいる理由を、知りたいと思っている。

 ケシは立ち上がり、息を吐いた。

「ワタシは洗剤を調達してきます。タナベさんは床を掃除しておいてください。ああ! もう! ワタシが帰ってきたら今度こそ洗濯してもらいますからね!」

 タナベはくつくつ笑いながら、一緒に脚立も調達してきたらいいよ、と言う。ケシはそれを無視してぷんすかと怒ったままコインランドリーを出て行った。


 タナベは壁際のロッカーからモップを取り出し、床を丹念に磨く。ふき取りが終わるとモップを洗い、もう一度床を磨き、滑らないか確かめた。よし、と呟きモップを片付ける。それから彼は思い出したように、上段の洗濯乾燥機の上に乗った自分のバッグを取った。そのときふとコインランドリーの手動ドアが開く気配がして、タナベはそちらを振り返る。そこに立った若い男が、彼の顔を見て目を見開いた。タナベも、同じ表情を浮かべている。

「お前、タナベか?」

 男の言葉にタナベは頷いて、少し笑う。

「久しぶりだなあ、キシモト」

 本当に久しいなあ、と彼らはお互いの肩を叩き合った。いつぶり? もう思い出せないよなあ。元気に暮らしてたか? そこそこね。

 キシモトはタナベの大学時代の友人だ。タナベが大学を中退してから、もう随分長いこと会っていなかった。あまりに久しぶりで何から話をしていいのかわからない。

「とりあえず洗濯機回すわ」

 キシモトは左から三番目の下段の機械の扉を開ける。

「いいの?」

 タナベが問いかける。

「うん? いいよ」

 キシモトは少し怪訝そうに笑った。タナベはそうか、と応えた。

「ここのボタンでいいのか?」

「うん」

 洗濯物が、回転し始める。キシモトはおそらく知らないのだろうとタナベは思う。洗濯が終わる頃、何が変わっているのか、彼は知らない。けれどタナベは何も言わなかった。あるべき形を守らないのは、自分だけで十分だと思ったし、その方がキシモトにとっても幸せだからだ。

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