45 《日輪の栄光》騎士団(2)

 虚ろに漂う。

 大地テラリアルの住民は、夢を見ない。

 果てもなく、終わりもなく、ただただその精神こころを休ませて、次なる一日の活力を蓄えんとするだけだ。夢幻ここはその為に在り、余計な事象は何一つとして起きることはない。

 しかし、ただ一つの例外を除いて。

 意識が一つの焦点を結び、精神こころの知覚が呼び覚まされる。眼は見えず、耳は聞こえず、鼻は利かず、肌は何も感じない。しかし、今この瞬間、夢幻の世界に居ることを精神こころは確かに知覚した。

 それを認識した青年クレイオスは、確かな喜びと畏怖を――そして僅かな疑問を胸に抱く。

 時を同じくして、彼の知覚に直接語り掛ける・・・・・声。耳で聞こえるわけではないが、しかし、声と形容する以外に適切なものは存在しない。


『久しぶりですね、クレイオス』


 聞こえてきたのは、やはり柔らかな女性の声。聞く者の心に安らぎをもたらす慈愛に溢れていた。それはクレイオスの聞いたことのある声であり、つまり、神託を与えた女神その人だった。

 そう、夢幻の世界を人族が認識する時、それすなわち神族デウスによるお言葉がある時だ。

 そのことを理解したクレイオスは、彼の言葉を待つように黙る女神へと、まずは感謝・・を述べる。


「感謝します、名を告げられぬ・・・・・女神よ。あなたの神託のおかげで、私は――俺は、小さな世界を抜け出せた。そしてこの広い世界のほんのひとかけらであれど、この身に感じることができている。この矮小な身の、どれほどの言葉をかき集めても表し尽くせぬ喜びを貴女に捧げよう」


 神を相手に、人族はあらゆる虚飾の意味を失う。正確には、この星神ステラが拵えたという夢幻の世界においては、だが。

 どんな嘘を並べようと神はその真偽を見抜くだろうし、どれほど言葉を飾り立てようと神はその真意のみを受け取るものだ。

 故に、クレイオスの語る全ては本心である。心の底から、女神に感謝するこの時を待っていた。

 それを理解する女神は、如何なる心持ちか、面食らったかのような気配を見せる。

 感謝を述べてきたこともそうだが、何よりも頑なに名を明かさぬ神の意を汲んだことに少しの驚きを覚えたのだ。

 太陽神ソールであらば、陽の暖かい気配がしよう。月女神ルーナであらば、夜気の冷たい気配があろう。

 とにかく、神自身が名乗るまでもなく、その司るものの気配を感じ取ってわかるはずであろうに、この女神から何も感じない。何重ものヴェールで己の気配を覆い隠す神意とは、即ちクレイオスに己の名を知られたくないのだ。

 それを正しく理解している青年に、神は少しの喜びと共に言葉を詰まらせて目を伏せた。その仕草が、クレイオスに伝わることはけしてなかったが。

 女神が言葉を発する気配を見せないのを伺いつつ、クレイオスは続けて己が心の畏怖・・を口にする。


「沙汰を望みます、女神よ。俺は、賜った大事な神具をこの手で振るい、魔物モンストルムの薄汚い血で汚しました。全ては己の命を守るために、命惜しさに槍を手にしました。この浅ましさに、どうか沙汰を」


 言葉にしたのは、己が胸に抱く罪。神から北の地へ運べと賜った物を、敵の排除のために使ってしまった。それも、何度も。

 自ら命を捧げるという贖罪の仕方もあったが、神は無用な生贄を好まない。ならば、その裁決を神に委ねんとしたのだ。

 暫しの沈黙。神が何事かを考える気配を感じつつ、クレイオスはそれ以上何も言わず、何も考えず黙り込む。

 そうしてから、やがて神が口を開き、清らかな響きで以て言葉を紡いだ。


『――まずはその感謝を受け取りましょう、クレイオス。そして、神託を果たさんとする意思と村を出る覚悟、見知らぬ地に足を踏み出したその勇気に、私からも感謝を』


 柔らかく、包み込むような声。全てを委ねてしまいたくなる甘い誘惑を振り払って、クレイオスは黙って待つ。

 それを見てとった女神は、続けてクレイオスの罪に言及した。


『そして、あなたの罪について。……全ては、時が悪かった、としか言いようがないでしょう』


 まるでどこか遠いところを見やるような、そんな間を置いてから女神は再び語りだす。


『あの槍は、あなたが辿り着くべきかの地、最果ての北地ポストレームムにて振るわれる為に造られたものです。しかし――因果が歪んでしまった。あなたが旅立つ直前に、何かが狂ってしまった。その為に、この地には魔物モンストルムが溢れている。数多の悲劇が、今も起きてしまっているのです』


 女神が憂うのは、この地の異変。神の身ですら全てを掌握しきれていない、魔物どもの跋扈がこの国を侵しているのだ。

 だから、と女神は続ける。


『それらを治めるために――何よりも、目の前の悲劇を食い止めるために、その槍を振るうことを許しましょう。槍の銘を思い出しなさい。あなたは己の浅ましさ故にと言いましたが、それは嘘。全ては、あなたの『慈悲』の心が槍を握らんと突き動かしたのです』

「――改めて、感謝を。これで、心置きなく戦える」


 下された沙汰は、誰あろう女神の『慈悲』である。ならば、それに従うことに否はない。ここで神の意を突っぱねて罰を求めるのは、それこそ不敬というものだ。

 どこまでも無骨なクレイオスの言葉に、女神はクスリと笑う。それからようやく、己がクレイオスを訪れた理由を告げた。


『では、クレイオス。あなたに新たな神託を授けましょう。いいえ、正確には、助言、でしょうか』

「助言……?」

『ええ。あなたの進む険しき道が、少しでも安んずるものとなるように』


 それは、神からの『祈り・・』。

 祈られる存在からの、いったい誰へと向けるものかもわからない祈りというものに、クレイオスが途轍もない混乱を覚えるのと同時に。

 夢幻の世界が、ぐらりと揺らいで遠のく・・・。目覚めが近い、と理解するのと同時に、はっきりと女神の声がクレイオスを包み込んだ。


『獣の最期の足掻きの恐ろしさを、思い出して』







 それは、始まりであり、終わりの産声だった。


 夜光石ルークス・ラピスの光で満たされる空間。おぞましき女怪物が封じられるその場所で、一つのうめき声が鳴り響く。

 体の前面を気色の悪い乳房と膨らみで覆っていた女の怪物は今、その身をぶるぶると震わせていた。全身を緊張させ、左右の腕を引っ張る白銀の鎖を限界まで引きながら、出来得る限りその身を縮こまらせている。

 掠れる喉を己の血で潤しながらも細かく震わせて、冥府の底から這い出る亡者のような唸りを上げていた。

 身体を縛る鎖と楔への抵抗――ではない。その身から生ずる何かに耐えるように、極限の痛みで悶え苦しんでいるのだ。

 それが咎人のあるべき姿であるが、本質はそこにない。誰かがこの場に居れば、この異常事態がどういう・・・・異常事態であるか、言葉にできただろうに。

 

 開きっぱなしの口から、血の入り混じった涎が零れ落ちる。身体がひときわ大きく震え――突如、腹部にある膨らみがひとつ、内側へ溶けるように消失した。

 それはその一回だけに留まらない。

 繰り返し、繰り返し。女の身体の前面から膨らみが――無数の乳房さえも――消え失せるまで、何度も大きく震える。

 やがて残ったのは、痩身の化け物。体の前面だけに留まらず、その全身にも変化が起きていたのである。膨らみが消える度、乳房が溶ける度に、その腕、腰、脚からごっそりと肉が失われていたのだ。

 今や骨と皮だけになり、長い髪の合間から覗く顔さえも痩せこけている。今にも眼窩から零れ落ちそうな眼玉をぎょろぎょろと動かし、ひび割れた唇を引き裂くように開いてうめき声をあげた。


 だがまだ終わりではない。災禍はこれから始まるのだ。


 直後、ぐったりとしていた女の体が電撃に打たれたように跳ね上がる。

 そして縛られた身体を命一杯に反らし上げ、地を割らんばかりに絶叫した。


「ギィアァァァ――――ッ!!!」


 同時、その腹部が、ぼこり、と膨らむ。痩せ細った身から妊婦のような体形へと、急激に変貌したのだ。

 始めは人族の胎児程度が収まる大きさだったその膨らみは、まるで時が加速したかのように見る見るうちに巨大化。人族のあるべき妊婦の姿形をあっという間に逸脱し、その腹部は信じられない大きさにまで膨らんでしまう。

 変化も急激であれば、その終わりもまたすぐに訪れた。腹部の成長がピタリと止まり、女の怪物は力なくその首を後ろに倒す。今やその主体は逆転し、『巨大な膨らみに取り込まれそうな女』のように見える有様となっていた。

 そんな状態でも女は風切り音のような呼吸を漏らして生きており、その右手をゆっくりと伸ばす。細すぎるその腕は、既に鎖の拘束から逃れていた。


 慈しむように、愛でるように。

 愛する母が、子にそうするように。


 ただただ、肥大化した腹を愛だけを以て撫で、笑みを浮かべて――破裂した。


 血飛沫が噴き出す。鉛色のこびりつく地面をより一層異形の血で濡らし、絨毯を敷くように侵しつくした。

 噴水のように鉛色の血をまき散らす腹の裂け目から、ゆっくりとソレ・・は這い出す。 


 ――産声が、上がった。







 王都に到着した、その明くる日。

 約束通り王城を訪れた二人は、出迎えたエーレオナに連れられて、広場――練兵場にやってきていた。

 既に話は通っているのか、数多くの騎士が円を作って待機している。彼らは皆、剣は佩いているが鎧を着ていない。いつも鎧を着こなしているイメージがあった為に少し驚いてしまったが、現実はそういうわけでもないのだろう、とすぐにクレイオスは納得した。

 有事があればすぐさま鎧を着るのだろうか、と考えて、ふと青年は眼前を行く騎士団長を見る。昨日と変わらず、白銀の鎧を纏っていた。さらには分厚そうな橙色の外套マントが肩の留め具で固定され、背中で緩くたなびいている。それを見て、鎧の常時着用は団長の義務だろうか、と思考が明後日に飛んだ。

 その彼女が足を止めたのを見て慌てて意識を手繰り寄せれば、いつの間にか騎士たちが囲む円の中心に立っていた。アリーシャは気づけば円の一部になっていて、ここには三人・・しかいない。

 クレイオス、エーレオナの正面に、他とは違って完全武装の男が立っている。全身鎧を纏い、兜を小脇に抱え、背中には身の丈ほどの大剣。ただし、その大剣の造りは粗雑で刃も潰されていることから、模擬の武器であるようだった。

 彼が相手か、とその顔を確認する。短く刈った薄茶の頭髪に、整えられた口髭。最近目立ち始めたであろう目元の皺を確認して、壮年後期の男と見えた。騎士団長の若さからつい他の騎士も若いものと思っていたが、どちらかと言えば彼女の年齢の方が希少らしい。

 周囲を目だけで見回しながらそう思っていれば、目の前の壮年騎士が口を開いた。


「騎士団長。彼、ですか?」

「ええ、そうよ」

「……鉱人族ドヴェルグ以上の怪力の持ち主と聞いて、どんな怪物が来るかと思えば」


 声に含まれるのは、困惑。期待も相当裏切られたらしく、深い落胆の色もあった。

 この騎士団長はどんな言葉で己のことを触れ回ったのだろう、と少しどころではない不安が胸中で首をもたげたものの、それをクレイオスは黙殺してまっすぐに男を見据えた。

 その眼力の強さに、男は眉をピクリと動かすもそれだけ。鳶色の瞳で力強く見つめ返してくる。

 伊達に年を食ってはいないのか、その佇まいに浮足立ったものはない。足から地に根を生やしたような、どっしりとした重たさのようなものをその雰囲気に匂わせていた。

 歴戦の猛者を連れてきたのか、と改めて騎士団長の采配に呆れを抱きつつ、クレイオスは外套を脱ぎ捨てる。同時に白銀の槍を包み、アリーシャの方へと優しく放り投げた。

 幼馴染が少しよろめきながらも受け取るのを横目で確認していると、男が話しかけてくる。


「……得物は槍か?」

「そうだ」


 返答を聞いた男は、取り囲む騎士の一人に目配せする。その騎士が円の外へと消え、それから少しもせぬ内に穂先の潰れた金属の槍を運んできた。


「一番重い、鍛練用の槍だ。よもや振れぬということはあるまい?」


 半ば挑発するような言葉に、改めて槍を見る。というより、それを運ぶ若い騎士を。

 えっちらおっちら、十分に鍛えているであろう騎士がふらつきながら運んでいるのだ。よほどクレイオスの力というものを試したいらしい。

 ならば応えてくれよう、と傍までやってきた槍の柄を無造作に握る。恐る恐る青年騎士が手を離すと、重たいはずの槍はその場でピタリと静止していた。

 そのままの状態から、手首を返して半回転。その勢いのまま手の甲の上を滑らせ、半回転の後に再び手のひらに収めて一回転を描く。続けて重心を確かめるために、右から左へ薙ぎ払う。その終点でピタリと止め、鋭角の軌道を描いて右下へと振り下ろし、その先でまたも遊びなしに制止させた。

 それから一歩踏み出して、鋭い刺突。穴を開けんばかりに空を貫き、柄が滑っていかないのを確認したクレイオスは―-自身に突き刺さる視線の強さにようやく気が付いた。

 目の前の男は瞠目して黙り込み、騎士団長は口笛を鳴らし、周囲の騎士たちは槍を指さして騒めいている。そんなに驚くことだろうか、と内心で首を傾げつつ、槍の石突を地面に突き立てた。腹の底に響く、重低音が鳴り響く。


「その槍を、棒切れのように振り回すのか。これは……騎士団長の言う事も冗談ではなかったらしい」

「初めからそう言ってるじゃない」


 驚きを飲み込むように呟いた男の言葉に、エーレオナは混ぜっ返すように笑った。それを呆れるように横目で見つつ、男はようやく背中の大剣を抜き放つ。

 長大で重たい刀身を横に滑らせるのではなく、頭の上で弧を描くように持ち上げて振り下ろした。切っ先が視線の高さでピタリと止まり、それからは震えることなくどっしりと構えられている。

 あの大剣も負けず劣らず重かろうに、それらの動きに淀みは一切ない。男もまた、相当の力自慢であるようだった。

 その考えは、騎士団長の言葉で肯定される。


「シュテウスはうちの騎士団でも随一の力持ちよ。さて、どっちか勝つか、見物みものね」


 この赤毛の騎士団長様は、状況を心底面白がっている様子だった。魔物対策の一環ではあるが、それとは別に部下の奮闘を楽しみにしているらしい。

 試金石に選ばれた挙句、そうして笑われているわけだが、シュテウスなる壮年は特段気にした様子はない。否、慣れてしまっているのかもしれない。

 そうやって彼の心情に思いを馳せていると、不意に男が口を開く。


「《日輪の栄光グローリア・イン・ソール》、副団長シュテウス・オルティスだ」

「……カーマソス村のクレイオスだ」


 名乗りと共に、シュテウスから重たいが放たれる。溢れ出る戦意が気迫となり、クレイオスの胸を穿たんばかりに突き刺さった。

 それに対して小動こゆるぎもせず、青年もまた名乗り返す。その豪胆な立ち姿に、初めてシュテウスは口の端を持ち上げて笑った。

 そして、その身が深く沈み込む。


「――行くぞ、クレイオス」


 刹那、均した大地を抉り、シュテウスが一息でクレイオスの眼前まで肉薄していた。それと同時に、疾走の勢いと全体重を乗せた、遊びの欠片もない斬撃が落雷の如き迫力で振り下ろされる。

 如何に刃を潰されていようと、鈍器として性能は十二分。当たれば骨折どころではない一撃に対し、クレイオスは槍を無造作に振り上げた。

 片手で・・・

 直後、激突。重たい金属同士が激しく打ち鳴らされ、震えながら停止・・する。

 そう、向かっていった側が、巨大な壁にぶつかったかのように無理矢理せき止められたのだ。片や渾身の一撃、片や大した勢いもなく片手で槍を振り上げただけ。だというのに、前者が大人を前にした子供のように制止させられていた。


「な、に……っ!?」


 組み合う槍と大剣の向こう側で、シュテウスの表情から余裕が剥ぎ取られる。驚愕に染まる瞬間を狙い、クレイオスは一息に剣を弾いた。

 流石に手放しはしなかったが、それでも上方に大きく振られた大剣に引っ張られるように男の体が流れる。その隙を突く――ような真似はせず、クレイオスはシュテウスが体勢を整えるのを待った。

 一見すれば、侮りともとれる行為。驚いていた周囲の騎士から「なんのつもりだ!」と怒りの野次が飛ぶも、当人たちは至って平静だった。

 クレイオスとしては、ここでシュテウスに打ち勝つことが目的ではない故に。そしてシュテウスは、クレイオスの膂力が己の遥か上を行くことに気付いたが故に。

 地力の差はまさに天と地。逆立ちしたとて届くまい。

 だが――シュテウスの戦意は尽きなかった。むしろ、これからだとばかりに薄い笑みを浮かべる。

 その姿に油断できぬものを感じ、クレイオスが構えなおすのと同時にエーレオナが口をはさんだ。


「シュテウス、言ったでしょ」

「申し訳ありません。『最初から全力で』――でしたか? よもやここまでとは」


 咎めるような口調に、シュテウスは肩を竦める。彼自身副団長という高い地位にあることもそうだが、やり取りからしてどうやら二人は気の置けない仲であるようだった。

 それはともかく、シュテウスの口ぶりからして今の一撃は本気ではなかったらしい。まだ余力を残していたのか、と先の一撃を思い出していると、シュテウスが不意に視線を上げる。

 クレイオスの背後の王城よりも、さらに上。空を見たようだった。雲一つない蒼天に太陽神ソールが輝いているだけのはずだが――と。

 疑問に思った瞬間。

 目に見える変化がシュテウスに起こる。

 その足元から橙色の輝きが立ち上るように放たれたのだ。驚く間もなく輝きは四本の帯の形に収束。それらは勢いよく四肢に巻き付き、鎧の上で四本の模様となって残留する。

 何事かと混乱するクレイオスに、シュテウスは再びその身を沈めながら呟いた。


「今度は両手で受けるのだな」


 瞬間――大地が爆発した。

 と思った時には既に、眼前でシュテウスが大剣を振りかぶっている。

 先ほどとは比にならぬ速度。橙色の帯が何かをした、と理解しつつ、クレイオスは両手で槍を縦に構えた。

 同時、薙ぎ払う一閃が槍に激突。柄を伝い、握る手を貫かんばかりの衝撃がクレイオスを襲う。鼓膜を貫く大音声の金属音が鳴り響き、二人を中心とした突風すら瞬間的に巻き起こした。

 手から伝わる衝撃と、そしてその剛力・・にクレイオスは目を見開く。鉱人族ドヴェルグ以上の凄まじい膂力。今の青年と比肩せしめる凄まじい力が大剣から伝わってきた。

 そう、比肩。互角なのである。両者の動きがピタリと止まり、己の全力同士で力比べが始まっていた。

 だが、両者の表情には決定的な違いがある。

 クレイオスは驚きはしているものの、逆に言えばそれだけの余裕があった。一方で、シュテウスは渾身の力で歯を食いしばり、額に球粒の汗を浮かべて青年を押しのけんとしている。

 余力の差を見てとり、集中する二人に対してエーレオナがその両手を打ち鳴らした。


「はい! そこまで!」


 その声と同時に、二人は弾かれるように距離をとる。気づけばシュテウスの身体から橙色の帯は消えており、代わりに疲労困憊といった様子の壮年が残されていた。


「……まさ、か、権能フィデスを使ってなお越えられぬ、とは、な」

「今のは、権能フィデスか」


 息も絶え絶えに呟いた言葉を聞きつけて、クレイオスはようやく納得する。今の現象は、神より与えられた力か、と。

 そんな二人を置いて、エーレオナが声を張り上げる。向ける先はもちろん、凄まじい力のぶつかり合いに揃って閉口する騎士たちだ。


「さて、みんなちゃんと見た? まさかシュテウス副団長の全力を止められるとは思わなかったけど……でも、よくわかったでしょう? 私たちが戦わなければならない存在が、どれほどのものか」


 その言葉に、この集まりの目的を思い出した騎士たちはその顔に緊張を滲ませた。そう、目的は、クレイオスを通して悪鬼オーガ、並びに蒼い悪鬼オーガの脅威を測ることである。

 つまり、副団長でも力押しでは届かぬ領域であるということだ。

 黙りこくる騎士たちに、しかしエーレオナ騎士団長はまったくその顔に影を落としていなかった。同じものを見たであろうに、まるで挫けていない。その理由は至極簡単。


「確かに、悪鬼オーガの力は強いみたいね。でも、それだけなら私たちの敵じゃないわ。そうでしょ?」


 不敵な笑みをたたえ、赤毛の女は豪語する。あの程度ならば決して負けぬ、と。

 その根拠はクレイオスにはわからない。しかし、理解できるものはあったのだろう。騎士たちの顔色が見る間に良くなっていく。


「ここで敵の最大脅威を知れたことは大きいわ。だったら、それを目安にあとは絶対に勝てるように準備するだけよ」


 なんでもないことのように、どこまでも積極的ポジティヴに明るく言葉を紡ぐ。ほんの少しの言葉を用いるだけで、騎士たちを容易く鼓舞してしまった。

 女性が長であることに僅かな疑問を抱いていたクレイオスだが、これには納得を覚える。なるほど、確かに彼女は人を纏め、惹きつける何かを持っているのだ。

 赤毛も相俟って、まるで太陽のようだ、と。

 そんな感想を抱いた、直後のことである。


 けたたましい鐘の音が鳴り響く。

 打ち鳴らす者の恐怖を表すかのように心胆を揺さぶる鐘は、明らかに何かの緊急事態を伝えていた。

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