43 王都へ
決着らしい決着もつかぬまま、蒼き悪鬼が忽然と姿を消した後。
周囲を取り巻くようにして存在していた
事態の変転に呆然としていた狩人二人も、彼らの行動の早さに驚きながらもどうにか己を取り戻す。そうして、広場には森の番人グアランスだけが残っていることに気がついた。
弦の切れた弓を背中に戻し、グアランスは気難しい顔を一片たりとも緩ませることなく言葉を告げる。
「貴様らは約束を守ったようだな」
「……すまない。まるで何が起きたかわからないが、仕留めきれなかった」
全力を賭して魔物と戦うこと。クレイオスがグアランスに告げたその約束は、確かに果たされたと言って良いだろう。
青年の全身に刻まれた傷に、彼が来てから一人も死ななかった
だがそれでも魔物は取り逃してしまった、とクレイオスは苦汁を滲ませる。その面を見て、番人は気に食わなそうに鼻を鳴らした。
「あんなもの、誰が止められたであろうな。業腹だが、奴にも奥の手があったということだろう。それよりも、貴様が居なければあそこまで追い詰められなかった、という点の方が我らにとっては腹立たしい」
弓から垂れる、切れた弦を指先で弄びながらグアランスは表情に苦いものを含ませる。己の必殺の
そんな愚痴めいた言葉に思わず反論しようとして、少女ははたとこの
なんて面倒な男なのだ、と少しだけ呆れつつ、少女は「それはどうも」とだけ返す。そして、未だ蹲ったまま動かない子どもたちを見やった。
「それで、いいのよね? このまま連れて帰っても」
「……好きにするがいい」
そういう約束だったでしょ、と確認を取るアリーシャに、グアランスは表情を厳しいものにしながらも渋々と頷く。
事ここに至って文句を言うわけにもいかないのだろう、とその表情の険しさの意味を解釈したアリーシャは、子供たちのもとへと足を向けた。一方でクレイオスは、グアランスの様子に違和感を抱き、子供たちの方に目を向ける。
暗い夜に魔物どもに引っ立てられて、挙句の果てに寝物語に語られるような
「ねえ、大丈――」
――そんな心遣いは無意味であると、少女はすぐに悟ることとなる。
戦闘の興奮から落ち着き、そして近づいたことで、目に見える情報は増える。理解できる事柄が増える。
例えば、身を寄せ合っていたのは、そういう形に押し込められたからだとか。
例えば、恐怖の泣き声さえも零さないのは、もう声も出せないからだとか。
例えば、身動き一つしないのは――もう、動くこともないからだとか。
それらを纏め上げた端的な事実として。
幼い少年少女たちは皆、一様にその首の骨をへし折られ、既にその命を冥府へと明け渡してしまっていた。
とっくの昔にクレイオスとアリーシャは手遅れであったことを、子供たちは己の骸を以て証明したのである。
どうしようもない現実と、全ての努力が徒労に消えた虚無感。
それらを前にして固まる二人に、グアランスは無表情のまま吐き捨てる。そこに他種族への嫌悪の色はない。あるのはただ、約束を
「……森から出て行くがいい。その骸を子どもだと言うのならば、それと共にな」
それでも、出てくる言葉はどこまでも酷薄であった。
*
広くて明るくて、しかしどこまでも無機質な空間。
その中央には、白銀の楔を打ち込まれ、白銀の鎖で拘束される女のような化け物が変わらぬ姿で存在していた。
くすんだ銀髪を力なく垂らし、地面にまで届くそれで表情を隠している。だが、不意に彼女は首を僅かにもたげた。布地が裂けるように髪のカーテンに隙間ができ、老婆のような亀裂まみれの顔とそこに浮かぶ笑みが見えるようになる。
直後、どちゃり、と鈍く重い音が響き渡る。まるで、肉の塊が地面に降ってきたかのような音だった。
まったく、何の脈絡もなく。
気づけば、化け物の前にはまた別の化け物が鎮座している。
それは穴の開いた胸から鉛色の血を垂れ流す、蒼色の体色をした大柄な悪鬼だった。つい先ほどまで激しい戦闘をしていたかのように、荒い息を吐いて脂汗を掻いている。一瞬だけその気配に戸惑いを見せたが、すぐに平静を取り戻した。
二ベルムル半もあるその体躯の正面、拘束されつくした女の化け物はあまりにも小さく見える。あくまで一般的な
だが、それだけはあり得ない。蒼鬼がどれだけ暴力と破壊に特化し、それをまき散らす存在だとしても。
その未来だけは起こりえない。
蒼鬼が己の状態など顧みず、
沈黙。
この行為に、両者の間に何の意味があるのか。たった二つしか生命の存在しない空間で理解できる者など居るはずもなく、ただただ時間は過ぎ去っていく。
それでも、わかることがあるとするならば。つまらない「もしも」を論ずるとするならば。
クレイオスとアリーシャ、そして
その意味がわかるのは、ほんの少し、後の話。
*
明け方、クレイオスとアリーシャはキトゥラ村に帰還した。
遠目からすでに見えていた、たった二つだけの人影からどういう結末に至ったかは想像がついていたのだろう。
彼らを出迎える村人の顔は暗く、そしてそれは二人の差し出した代物によって決壊する。
それは、子供たちが身に着けていた――親が子供に贈った魔除けの装飾品。
そこに込めた気持ちが何の意味もなさず、ただそれだけが無傷のまま戻ってきた事実に母親は崩れ落ち、父親はただそれを胸に掻き抱くことしかできない。
彼ら親たちに何の言葉もかけることができず、二人はその場から逃げるように無言で立ち去った。
そんな彼らを次に出迎えたのは、厳めしい表情を別れた時から微塵も変化させていない貴族の男だった。まるでその顔のまま一晩を明かしたかのようだが、実際にはきちんと休息をとったのであろう。
彼の存在を認めて近づいてくる二人に、モイラスは鼻を鳴らして声をかける。
「その様子だと、無駄に終わったようだな」
「……ああ」
「ふん、気に食わん態度だ。だが、休む暇はないぞ」
消沈した様子のクレイオスの、ぞんざいな返事にモイラスは少しだけ眉根を寄せて不快を示すも、それ以上の追及はなかった。
それどころかこれから何かあるかのような言葉に、アリーシャ共々どういうことかと視線で問いかける。
対するモイラスは、顔を振って己の背後を顎で指し示す。そこには、三頭立ての少しばかり立派な馬車が御者を乗せて待機していた。
「通りがかった商人のものを徴収した。貴様らはこれから、こいつに乗ってカリオンまでトンボ帰りしてもらう。討伐ギルドに仔細を報告し、その
「えっ……あの、私たちが、ですか?」
貴族が語った行程に、アリーシャが思わず問い返す。要は、報告の供をせよということだ。それも、モイラスが派遣された大本であろう王都にまで。
少女の問いに、くだらんことを聞くなと言わんばかりの表情をしながらモイラスは律義に答える。
「当然だ。かの赤い魔物と戦闘を行って無事であるのは貴様らとあのアナグラ族だけ。そのアナグラ族は拒否しおったから、残るは貴様らだけだ」
理由はといえば、改めて言われなくともわかる簡単な理屈であった。
ディルとイドゥ、テティスにテルナは倒れ、そしてエスカペオスは彼らの護りに就くことを選んだこの状況。ならば、あとはこの狩人二人しかいない。
こんなこともわからないとはやはり疲れているんだな、とアリーシャは謝意を口にしながら自覚する。当たり前だろう、夕日が沈みかける頃から休む間もなく動き、戦い続けたのだから。
そんなアリーシャの様子と、そしてクレイオスの姿を見て、モイラスは疑問を投げかけた。
「……魔物の残党を追っただけにしては、ずいぶんな様子だな。何があった」
あの赤い悪鬼を蹴散らせるような力量を持つクレイオスが、全身傷だらけとなっている。それを尋常ではない事態と捉えた貴族に対し、二人は残党を追跡した顛末を報告した。
それを取り逃がした、とまで聞けば、貴族の男は重苦しい溜息を吐いてくるりと背中を向けた。
「――よもや、そこまで事態が深刻になっていようとはな。貴様らを追撃に出したのは失敗……いや、成功ではあったのか? クソッ、とにかく、一刻も早く王都の騎士団に報告せねばなるまい。すぐに出るぞ、乗れ」
独り言のようにブツブツと悪態を吐いていたモイラスだが、やるべきことはわかっているようで、二人を促してすぐさま馬車に乗り込む。
狩人二人は疲れと傷を癒す暇もないまま、つい先日発ったばかりのカリオンへと舞い戻ることになったのだった。
そして、その日の夕刻に三人は港町に到着した。
馬と馬車を酷使させられた御者にぞんざいな労いをかけたモイラスは、そのまま二人に宿を引き払ってくるように命じて討伐ギルドに報告しに行ってしまう。
ガタガタと揺れる馬車ではろくな休憩にもならなかった二人は既にフラフラの様相であったが、かといってモイラスの言を無視してベッドに飛び込むわけにもいかない。
骨の髄まで鉛を仕込まれたかのような体の気怠さ、重さを押しのけて、荷物を回収し宿を引き払う。途中で出会ったアヴに何があったのか、ディルたちはどうしたのかという問いにも満足に答えられず、二人は言われたとおりに討伐ギルド前に戻ってきたのだった。
既に報告を終えたモイラスがギルド前に立っており、二人の姿を認めるや否や鎧を鳴らして身を翻す。向かう先は大通りだ。
「海神船の手配をさせてある。行くぞ」
それだけを短く伝え、疲れなど知らぬとばかりにモイラスは前を歩いて行ってしまう。貴族のこの調子にはもう慣れたものだが、それでも疲労ゆえに返事も億劫な二人は無言でついていく。
ここ数日で見慣れた街並みを足早に通り抜け、三人は港にたどり着いた。
この街を離れるときはもう少し先であろう、とのんきに考えていた数日前が懐かしく思える。そんな感慨と、今起きている事態の深刻さを思い、アリーシャは嫌でも気が重くなり、溜息を吐いた。
そんな彼女を励ますように、クレイオスはその肩に手を乗せる。言葉はないが、それでも幼馴染の武骨で温かい手はアリーシャの心を少しだけ軽くしたのだった。
そうして港にたどり着くや、連絡の通っていたらしい水夫と
そのうちの一人を捕まえて案内役にし、三人は櫂も帆もない船――海神船に乗船する。
水の上に浮かんでいるだけのソレに、足を乗せて体重をかけることは著しく不安であったが、モイラスが居る手前モタモタするわけにはいかない。僅かな逡巡を振り切って乗り込めば、思いの外しっかりとした安定感が足元から感じられた。
乗り込んでみれば妙な浮遊感と沈降を繰り返し感じるものの、今にも沈むだとかいう不安定さはない。これが船か、という僅かな感動を二人が覚えたのも束の間、水夫の大音声が響き渡った。
「出航ーッ!」
それと同時に、ぐん、と肩を突き飛ばされたかのような慣性が身体を襲う。思わずたたらを踏んでいる間に――いつの間にか、周囲の景色はガラリと変わっていた。
あっという間に後方へ流れていく景色。全速力の馬車にも劣らぬ速度でありながら、最初にバランスを崩した以上の異変は体に起きない。少しばかり上下の揺れは激しく前から受ける風は強いが、それ以外はまったく問題ない。
これが、
その光景に、二人は思わず目を見開いて驚きを顕わにするしかなかった。
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