41 蒼褪めた冠(1)

 森人族アールヴのグアランスが先導する背中を、クレイオス、遅れてアリーシャが追随する。

 森神シルワの信奉者が支配する森は、真夜中という加護を得て一層の暗闇を敷いていた。夜目の利く自負のあるアリーシャとて容易には眼前を見通せず、突き出た木の根に足をとられぬのはひとえに狩人としての歩方と勘のおかげであった。

 しかし、対するグアランスの脚には一切の遅滞はない。歩き慣れた土地であるのも理由の一つだが、一番の理由はやはり、この闇の森が見えている・・・・・ことだろう。

 種族としての特徴――森神シルワの寵愛の証たる加護が一つ、『暗視の瞳』のおかげだ。

 暗い森の中であったとしても、グアランスの視界では昼のように明るく隅々まで見通せている。故に、彼は一切速度を緩めることなく走り続けることができていた。

 元が土人族ヒューマンより優れた肉体を持つ種族、その走力は並々ならぬものであり、アリーシャではついていくのも精一杯。ついていけているクレイオスは半神半人れいがいである。

 徐々に距離ができつつある幼馴染みに気づいたクレイオスは、一瞬だけ前の森人族アールヴを見てから即座に行動を実行に移すことにした。

 速度を緩め、アリーシャに並ぶ。


「どうしたの――って、ちょっと!」


 息を切らせながらも問いかけてくる本人に了承を得ようともせず、大きな獲物を担ぐようにして彼女を肩にひょいと乗せたのである。

 たまらずアリーシャは悲鳴をあげるが、再び速度をあげてグアランスの背後にピタリと付いた光景を見て口をつぐむ。行軍の遅れをよしとしない青年の意図を察したのだ。

 まるで荷物のような扱いにプライドと乙女心が反発を生まんとするも、そこは状況を思い出すことで抑え込む。今ここで足を引っ張っているのは自分なのだから。

 代わりに、悔しげに唇を引き結んで「落とさないでよ」と小さく呟くに留めた。

 そんな二人の様子を長い耳で聞いていたグアランスだったが、すぐにその呆れを含んだ表情を引き締める。

 悲鳴と罵声が聞こえ、そして乱れ飛ぶ矢がついに視界に映ったのだ。


「もうすぐだ、土人族ヒューマン。先ほどの言葉、違えてくれるなよ」

「当然だ。だが、背中を射たれぬようにはしてくれ」

「……任せておけ。我が名が安いものではないことを証明してみせよう」


 信頼とまではいかないが、信用くらいは孕んだ森人族アールヴの言葉にクレイオスは力強く返答する。同じようにグアランスもまた、己の覚悟を嘘にしないことを約束した。

 そんな短いやり取りの後、ついに三人は戦場に突入する。


 舞台は森の一画。木々が薙ぎ倒され、ちょっとした広場となった場所。

 両手の指ではきかない人数の森人族アールヴが倒れ伏すそこには、それ以上の数の魔物モンストルムが骸の山を晒していた。小鬼ゴブリンだけでなく数匹の悪鬼もその山の一部となっていることが、森人族アールヴたちの実力と健闘を証明している。

 問題は、その様子をクレイオスでさえよくわかるほどに照らし・・・出されていること。

 周囲の倒木に火がつき、煌々と夜を明るくしているのだ。

 生木の燃える異臭と終わった生命の死臭が渦を巻き、鼻の曲がる臭気が広場を満たしていた。

 その光に照らされて、数多くの森人族アールヴが影と共に踊る。軽快なステップと大道芸のような身のこなしに合わせて影が舞い、それと同時に無数の矢が広場の中央に放たれた。

 まさに矢の雨。呼吸をずらして放たれた矢撃の数々が起こす風切り音は、まるで豪風の中に居るような錯覚を起こさせるほど鼓膜を刺激する。たとえ全身鎧に身を包んだ騎士とて、このような攻撃を受けてはひとたまりもないだろう。

 だが、それらの向かう先に立つ巨影はまるで意にも介さない。何度も繰り返したかのように――否、事実として繰り返したのであろう動きを実行する。

 即ち、一閃。

 顔面に迫る矢のみを、その右手に握る鉄拵えの大剣で斬り散らしたのだ。その身に宿る怪力により、刃を追うように颶風ぐふうが巻き起こり、後続の矢すら吹き飛ばして無力化する。

 それでも結果として顔以外の全ての部位に矢の雨が殺到したが、それらは剛皮を貫けずに空しく弾かれていった。

 表皮で弾ける矢など眼中にもなく、その巨影は即座に反撃を開始。もっとも手近な女の森人族アールヴに向け、巨体に見合わぬ俊敏さで一息に肉薄する。

 渾身の力を込めて矢を放ったがゆえに女は動きが鈍り、接近に反応は出来ても回避が出来ない。

 絶望、諦め、恐怖――様々な感情がない交ぜとなった表情を浮かべる彼女に向けて、無慈悲にも鋼色の死が降り下ろされる。

 ――その、一瞬手前の時の狭間に、紅蓮の狩人が滑り込んでいた。

 振り上げられた白銀と鋼が火花を散らして激突。女森人族アールヴの死を寸でのところで食い止める。

 割り込んだ闖入者に驚く気配を見せる魔物モンストルムに、それを隙と見たクレイオスは気合い一閃。大剣を弾き返し、返す刃で鋭い刺突を放った。

 対する巨影も格足かくたる者か、思いの外素早いステップで後方に下がって回避し、油断なく大剣を構え直す。そのおかげで、動き続けていたそれまでの広場が一瞬の静寂を得た。

 この森を害する魔物が動きを止めたこともあるが、しかし静寂の理由はクレイオスらにもある。森人族アールヴらが助太刀に来た人物を注視し、その種族に気付いてしまったからだ。

 困惑と疑問。それらが他種族を排斥する殺意へと爆発的に変わる――その一歩手前で、凛とした声が森に響き渡った。


「森の番人が一人、グアランスの名において誓う! これら土人族ヒューマンたちは我が客人であり戦友である! 今は眼前の邪悪の権化のみを見よ!」


 今にもクレイオスの背に矢を放たんとしていた森人族アールヴたちが、その言葉を聞いてピタリと動きを止める。確かに、グアランスは己の名ひとつで同族を制して見せたのだ。

 それでも殺意と疑念の両方が背中に突き刺さるのを感じつつ、クレイオスはそれらに一切注意を払うことなく目の前の魔物を睨み続ける。礼の一つも言いたいが、そんな暇はない。

 正確には、後方に注意を払う余裕すらない、と言うべきか。

 なにせ、目の前の敵は――見たことが・・・・・ない・・魔物であったのだから。

 巨影は確かに、悪鬼のような二ベルムルを超える巨躯であり、その牙のある凶相は先ほど倒した悪鬼と相似している。

 だが、決定的に違うのは、その火に照らされた体色と頭部。

 まるで、染料を使ったかのような、目の醒める蒼色。それが全身を染め上げており、悪鬼とは真反対の色であった。

 更に、頭部には三本の蒼角が天へと向けて鋭く生え伸びており、その形はかつて絵本で見た冠のような形をしている。

 総じて、悪鬼とは異なる個体だ。加え、クレイオスが未見の魔物であると確信する要素がある。

 それは、一合による一瞬の手応え。

 確かにクレイオスの槍は蒼い魔物の一撃を防ぎ、弾き返した。だが、それは青年の剛力が魔物の怪力を上回ったという単純な力比べの結果ではない。

 本気・・であっても全力・・ではなかった――クレイオスは、そう確信している。自身の全力を注ぎ込んだ一撃が、相手にとってはその程度であるということなのだ。

 それほどまでに、強力な存在が目の前に居る。

 知らず、冷や汗が額から頬へと伝う。

 彼の畏怖を蒼き魔物は感じ取ったのだろう。そのおぞましい顔面に、裂けるような笑みを浮かべ――眼球めがけて放たれた矢を首を捻って回避した。

 その矢を放った張本人は、アリーシャ。突っ込む一歩手前でクレイオスに放り出された彼女だが、着地と同時に攻撃を敢行したのだ。

 先ほどの矢の雨を容易く切り抜けた様から見て、矢撃の効果の薄さは重々承知している。それでも、顔への直撃だけは避けていた様子から急所には通ずると見ていた。

 それは事実なのだろう。蒼い悪鬼は忌々しそうに狩人の少女を睨み付け、しかし即座に視線を戻す。

 瞬間、放たれる白銀の閃光。否、閃光と見紛う鋭い刺突だ。

 一瞬で接近を終えたクレイオスから放たれた攻撃を、魔物は大剣で横から打ち払うことで迎撃。そのまま切っ先が鋭く弧を描き、返す刃で下方から跳ね上げるように青年の首を狙う。

 虚空を駆け上る刃の軌道上から逃れるように、クレイオスは上体を後方へ倒して回避。前髪数本を攫い、翡翠の瞳の前を鋼が通り過ぎた。

 しかし、それで魔物の反撃が終わるわけではない。

 蒼き悪鬼の第二撃。空中へと流れんとする大剣の慣性を筋力のみで殺して抑え込み、そこから鋭角的な軌道で再度クレイオスに向けて刃が振り下ろされる。

 対する青年もる者か、刃が一瞬止まった隙を突いて両足で大地を蹴飛ばして後方に跳躍。それを追うように踏み込みながら魔物が大剣を振り下ろしたが、切り裂いたのはクレイオスの革衣の一部のみだった。

 一瞬の攻防の結果、両者ともに手傷を与えられぬままに紅蓮の狩人と青蒼の悪鬼の間に空白が生じる。

 直後、その隙間を縫うように森のそこら中から矢の雨が放たれた。

 クレイオスが離れる瞬間を突いた一斉射だが、しかしそれはただの焼き増し。再度魔物が剣を振れば、たちまち蹴散らされて無駄な労力に失墜する。

 ――否、それは決して無駄な労力などではない。

 大剣に薙ぎ払われて空中に無作為に散らばる矢の中を、さらに己が肉体で吹き飛ばしながらクレイオスが突撃していた。

 狙うは魔物が矢を弾くために生んだ隙。構えた槍には今まで以上の渾身が込められ、蹴り出した大地は爆砕しながら彼の身体を前方へと押し出している。

 遅れて青年の肉薄に気付いた魔物が、鋭い剣閃を虚空に描きながら大剣を高く持ち上げて迎撃態勢に入った。しかし、遅い。クレイオスがそのがら空きの腹に一閃を突き込む方が早い。

 狩人は必中を確信する。

 ならば、あとは引き絞った一撃を放つ――


 ――その瞬間、クレイオスは、魔物の巨体が一回り大きく膨れ上がったかのように錯覚した。


 ぶわり、と全身が粟立ち、直感に任せて青年は無理やりに右脚を大地に叩きつける。

 だが、その時にはもう既に魔物の迎撃は終わっていた・・・・・・

 まさしく、天から地へ落ちる雷撃。

 空を裂き風を断ち、切っ先が目にも留まらぬ速度で辿り着いた大地を粉微塵に割り砕く。

 それは、森人族アールヴたちでさえ振り下ろされた過程を見失うほどの、斬閃・・

 クレイオスによる致死の一撃を前にして、魔物がついに本気を出したことを彼らは理解する。つまり、これまで戦ってきた相手はまるで遊んでいただけだったのだ。

 そのことを理解しながら、アリーシャは我に返って青年の姿を探す。どこに――居た。

 魔物の背後、粉々に砕け散った樹木の根元で肩で息をしながら立ち上がっている。寸でのところで回避を成功させていたのだ。

 しかしそれも無傷とはいかなかったのだろう。

 ほとんど跳躍に等しい身体の軌道を無理やり横方向へと変えるために、無茶な動きをしたことで全身が悲鳴をあげている。それでも完全に避けきることはできず、背中には細い裂傷が刻み込まれていた。

 だが、身体をスッパリ両断されるよりは遥かにマシな戦果であろう。回避の後に勢いを殺しきれず、ぶつかった生木を砕いたのは仕方あるまい。

 生命の危機を前にして興奮する心臓をどうにか抑えつけながら、クレイオスは改めて槍を構える。眼前には青き悪鬼、しかし纏う雰囲気は先ほどより数段洗練されているようだった。油断も慢心も捨て、クレイオスを本気で戦うべき『敵』と認識したらしい。

 その姿に、クレイオスは小さな疑問を思い浮かべる。

 小鬼ゴブリンや悪鬼に比べ、随分と知性があるように思えるのだ。たった一頭しか姿が見えないところを見るに、彼らを統率する立場の個体なのだろうか。

 その上、やけに巧い・・。剣術の類を修めているかのような、洗練された太刀筋なのである。それこそ、あの剣士ディルのような。

 できるなら今ので仕留めておきたかった、と呼吸を落ち着けながら狩人は僅かな後悔を胸に秘める。

 剣が巧いだけなら、蛇人間を倒したように敵ではない。筋力があるだけなら、悪鬼を倒したように敵ではない。だが、両方を兼ね備えた敵となるとどうか。

 本当の意味での全力――神火を纏う『神の憤怒デウス・イーラ』を発現できない現状、戦いは熾烈なものとなるだろう。

 ここで己の未熟を突きつけられているようで心苦しいが、それでもクレイオスはさほど気にしていなかった。

 あの戦いに、邪龍との決戦に比べれば、この程度。心強い幼馴染に、味方となってくれる森人族アールヴまで居るのだから、クレイオスは絶望など微塵も抱いていなかった。

 

 そんな、ちょっとした心の油断が悪かったのか。或は、知っていて伝えなかった彼らが悪いのか。


 剣を構えた魔物がその凶悪に裂けた口を小さく開く。それを青年が訝しむ暇もなく、それは唱えられた・・・・・


「『グ――ウィ――カッ!』」


 刹那。

 一抱えはあろう大きさの『火球』が、渦を巻いて顕現した。

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