35 暴虐悪鬼(4)
斥候部隊が南カリオンを出発して、早三日が経過した。
八人の姿は現在、朝焼けに燃える村アーマンの入り口にある。既にメオル村とこのアーマン村での情報収集を終え、村長を代表とした村人数人に見送られながら出発したところだった。
これまでの日程としては、メオル村に到着した初日に村人に情報を聞いて回り、その後周辺の草原地帯を調べてその日は終了。翌日の朝にはもう村を出発し、夕方にこのアーマン村にたどり着いた。同じような手順で以てアーマン村の調査を行い、そして
その間、得られた情報はなかった――わけではない。
むしろ、思った以上に情報が集まり、モイラスがなにやら思案顔になるほどだった。
曰く、数日前の夜に突然襲われた。
曰く、子供ほどの大きさで、苔色の肌をしていた。
曰く、殺された村人を引きずって夜闇に消えていった。
と、おおよそクレイオスらの知る情報と一致する目撃情報が二つの村で得られたのである。
彼らの証言通りに、村の周囲では小さな子供のような足跡が多数見つかり、鉛色の血痕も見てとれた。情報と痕跡からして魔物が居たことは確実で、この辺りが活動範囲であるという予想は正解となる。
だが、それでもモイラスの表情が芳しくないのは、更なる疑問が湧いて出たからだ。
踏み固められた道を歩きながら、貴族が傍に居ることに慣れたテティスが隣のクレイオスに潜めた声でその話題を振る。
「それにしても、どういうことなんだろうね。足跡が
「ああ……おかげで、どこから来たのかさえわからなかった」
その疑問とは、魔物の痕跡の場所だ。足跡が村の四方に散っていて、まるであらゆる方向から急に集まって村を襲ったかのようだったのだ。そしてそのままあちこちに去っていったようなのである。
魔物が居たというのは確実だが、クレイオスがこぼした通り、一番大事な情報である『魔物どもがどこから来たのか』がわからない。元狩人をして混乱するような痕跡の残り方で、途中から追えなくなっていた。
悩む青年はモイラスがチラリとこちらを見たのを感じ取るが、なにも言ってこない気配を察して知らない振りをする。その視線に何か思惑のありそうな様子があったが、今も黄金の篭手を隠すクレイオスは出来るだけ関わりたくなかった。
そんな紅蓮の青年に、ディルが同じように小さな声で話しかけてくる。
「でも、メオル村が襲撃されたのは五日前、アーマン村は三日前だった。ってことは、どこから来るのがわからなくても、どこへ行くのかはわかるさ」
「――キトゥラ村、か」
どこか蒼い顔の青年に、クレイオスは静かに答えを返した。
まず、襲撃を受けたメオル村、アーマンの村はカリオンから南西に南下していけば順に辿り着く位置にある。それはつまり、斥候部隊と同じように魔物どもは南西に進行しているということを意味していた。
そしてそのまま南西へ行けば、続くキトゥラ、カイニスの村もある。そうなると、二つの村が襲撃を受けた間隔を見るに、もしかすると斥候の到着と襲撃が重なるかもしれない。
その結論を出したディルとイドゥは、それ故に青い顔に焦燥を滲ませている。
前を歩くモイラスも口には出していないが、同じ考えのはずだ。先日の夜に見た表情にはいつもより険が増していて、「早く寝ておけ」などと珍しいことをクレイオスらに言ったくらいだ。その割には、今は何かを思い詰めているようだが。
そんな貴族のことはあまり意識に入っていないようで、ディルは言葉を続ける。
「このままいけば、魔物どもとかち合うかもしれない。そうなったら……色んなことが、一気にわかるはずさ」
鉛を呑み込むような、そんな重たく掠れた声でディルはそう言った。
魔物のこと、活動範囲、群れの規模、そして――村の被害状況。
全てが一度にわかってしまう、と青年は眉根を寄せた表情で迷っている。
当然だろう、故郷の襲撃に居合わせるかもしれないのだ。不安にもなるし、緊張もする。それはクレイオスがつい先日に通った道であるからこそ、理解できた。
ともすれば早足で向かいたいのだろうが、それはこの斥候のリーダーであるモイラスが許さない。
彼は己が立場を鼻にかける節はあるが、自身に課せられた任を至極当然に全うせんとする人間でもある――というのは、この三日で皆が理解していた。
今回の斥候を成功させるためにすべきことを理解しており、それは周囲を注意深く観察して魔物の情報を見逃さないこと。急いだ結果、重要な情報を見落とす可能性をよしとしないはずだ。
事実、出発前にディルが移動を急ぐことをモイラスに具申していたが、すげなく断られている。
故に、貴族の歩調に合わせながら周囲を見回すことしかできることはなく。
ディルとイドゥが焦りを募らせていく様子を、クレイオスは何も言えないまま見守ることしかできなかった。
*
遠目にキトゥラ村の輪郭が見え始めたのは、やはり太陽神が西の山脈に沈み出す夕刻ごろだった。
夕焼けに燃える村は黒々しく、ぽつぽつと立ち並ぶ家々の間では人と思しき影が忙しなく動いている。
ようやく故郷の姿を目にし、ずっと気を揉んでいたイドゥは安堵のため息を吐いた。ディルも厳しい表情を僅かに緩め、小さく「よかった」と呟きを漏らす。
このように、不安からこれまであまり口もきかなかった二人。その緊張が緩んだのを見て、アリーシャは気を利かせて村のことを訊ねる。
「ねえ、キトゥラ村ってどんな村なの?」
「え? あ、ああ。うちの村は色々やってるけど、一番は麦畑かな。今の季節は見えないだろうけど、豊作の年は黄金色の海が見られるくらい綺麗な景色になるんだ」
突然の問いに虚を突かれた青年だったが、すぐに笑みを浮かべて自慢げに故郷のことを話し出す。
ここからでは少ししか見えていないが、村の向こうの丘陵地帯を開墾して一帯を麦畑にしているらしい。それはカイニスの村にまで続いており、二つの村で分け合って管理しているのだとか。
そんなことまで勢いよく話してしまうのは、不安で黙りこんでいた反動だろうか。どうにも口の止まる様子のないディルだが、彼に向けて不意に少女の声が問いを投げる。
「ねえ」
「ん? えっと……テルナか? 珍しいな、どうしたんだ?」
その声の主は、意外にもテティスの妹テルナのものだった。この三日、兄かエスカペオスくらいにしか口を利かなかったくらいの筋金入りの人見知りが、いきなりディルに話しかけたのである。
それに驚きながらも、しかし人懐こい青年は障りなく笑顔で問い返した。そんな彼に
「……こんな時間まで畑でなにをしてるの?」
「そりゃ、畑の手入れをしたり、穂を食う悪い虫やらを払ったり――」
彼女からの珍しい問いに、ディルは何でもないように答えを返そうとして――何故か不意に口をつぐむ。
そしてみるみる内に表情を険しくさせ、イドゥと顔を見合わせた。その彼女も険しい表情のまま青ざめ、遠い故郷を見やる。そこには、畑で忙しなく――否、慌ただしく動く人影の数々が。
「今の季節は穂なんて実ってないし、こんな時間まであんな大勢で畑に居る必要なんてないわ……!」
「じゃあ、まさか――」
イドゥの言葉にディルは目を見開く。こんな時間に畑のような村の外に居る理由、僅かに聞こえてきた
最悪の想像――否、アーマン村を出た時から想定していた事態が、目の前で現実となっていた。
即座に異常を理解したディルが、村の危機を斥候の隊長であるモイラスに報告せんとして――その目の前を、紅き疾風が通り抜ける。
紅蓮の元狩人が、一直線に村へと向けて駆け馳せていったのだ。
「な、おい! どこへ行く!?」
「クレイオス!?」
思索に耽っていたモイラスやアリーシャの驚く言葉を置き去りに、襲撃を受けている場所へと青年はその健脚を活かして走る。
その胸中にあるのは、やはり魔物への怒りと――覚悟。
二度とカーマソス村のような悲劇を目にしたくはない、ならば己にできることをやらねばならない。
魔物という脅威を再び目にしたときから胸の内で燻っていたその覚悟が、青年に僅かな躊躇すら持たせず、村のもとへと走らせていた。
遠目に見えていた村にクレイオスは一息の疾走で駆け込むと、そこから一番近い悲鳴の元へ足先を転換。一気に走り抜け、その先で村人に襲いかかる魔物の姿を捉える。
苔色の肌、ぎらついた瞳と矮躯――以前に見たそのままの姿と理解するのと同時に、クレイオスは勢いよく大地を蹴って跳躍した。
放たれた一矢の如し勢いで、瞬きの間に青年の身体は魔物の眼前へ。勢いのまま空中で体を捻り、驚愕に固まった魔物の頭部へと鮮烈なる蹴撃を見舞う。
狙い過たず。爪先が突き刺さり、続けて柔らかい果実を砕くような勢いで容易く頭部を破裂させながら脚は最後まで振り抜かれた。
鉛色の血飛沫をあげて倒れ行く骸などに目もくれず、クレイオスは襲われていた男性に声をかける。
「大丈夫か?」
「あっ……あ、ああ。助かったぁ……」
目の前で瞬く間に化け物が死んだことに目を白黒させていたが、やがて自分の命が救われたことを理解すると腰が抜けたように崩れ落ちる。
助け起こしてやりたい気持ちはあるが、しかし村を襲うのはたかが一匹ではない。
「俺はもう行くぞ」と端的に告げ、次の魔物が居る場所へと向かおうとするクレイオスを、しかし村人は腕をつかんで食い止める。
「ま、待ってくれ! あんた、村の人間じゃねえってことは、助けに来てくれたんだろっ!?」
「そうだ。わかってるなら離し――」
「な、なら! あの化け物どもが
彼の手を振り払わんとしたクレイオスだが、続けられた言葉に翡翠の瞳を見開く。
村人からもたらされたのは危地へと誘う懇願であったが、それに否を唱えるわけもない。
足先を男の方に向け直し、クレイオスは視線を合わせて首肯する。
「教えてくれ。どこだ?」
*
「チッ、なんなのだ奴は。いきなり走り出しおって……」
舌打ちを漏らし、モイラスは苛立ちを隠そうともせず文句を吐き捨てる。
どこかぼんやりしていた彼はまだ状況を理解していないと、見て、テティスは説明せんと進み出た。
「あー、隊長。現在目的のキトゥラ村は魔物どもに襲撃を受けています。それを察知したクレイオスは、救助すべく一足先に向かったと思われます」
「……なんだと?」
ディルやイドゥらが落ち着きなく見守る中、テティスの言葉を受けてモイラスは懐から筒のようなものを取り出す。
遠くを見ることができる『望遠鏡』というもので、それを片目にあてた貴族はすぐに顔をしかめた。
「苔色の肌、子どもの体躯――なるほど、
「は、はい! ですので、我々も急いで――」
「やかましい。貴様なんぞに言われんでもわかっている。問題は、報告するよりも単独で勝手に行動したクレイオスだ」
ディルが逸る気持ちを抑えて進言するも、すげなく切り捨てられる。
貴族の男はよほどクレイオスが一人で突っ走ったことに腹を立てているようで、望遠鏡をしまう表情はとても厳しいものだった。
「このような場において、一人が突出すればそれだけで隊がまとめて崩壊する恐れがある。故に私は勝手な行動は慎めと言っていたのだ。それに、ずいぶん足は速いようだが、それだけで魔物の群れをどうにかできるわけもなかろう。まったく……これだから馬鹿は嫌いなのだ」
モイラスは表情に苦味を走らせて罵倒を吐き出すが、その中身は人を率いる者として教育を受けた人間のによる苦渋だ。クレイオスの力を知らないが故に、一般的な戦力と考えて状況を判断し、青年の行動を『無謀』と吐き捨てる。
さらに個人の勝手な行動はそれだけで味方を殺しかねないという危険性を知るが故に、彼は激怒していた。
その溢れ出る怒気に
「ご高説結構だが、早くいかねえとこの斥候の意味がねえんじゃねえのか? しかも襲われる平民を前にのんびりする
「……だから、貴様らなんぞに言われずともわかっている」
まるでからかうようなエスカペオスの言葉に、モイラスは額に青筋を立てながらも更に出そうになる罵倒を呑み込んだ。
それから数瞬の間も置かず、周囲の六人に向けて指示を出さんと声を張り上げる。
「……総員、戦闘準備。目標はキトゥラ村の
――確かに、集団の長として彼の行動は正しいものではあった。
魔物という未知の脅威を前に、言葉と立場で部隊をまとめ上げた後、為すべきことを明確にしてから行動を始める。
だが、それは、少しだけ悠長なものだった。
目と鼻の先で襲撃があり、敵の規模も戦力も不明な状況下で、見通しのいい街道上で足を止める。
そんな有様では、望遠鏡で村を観察できるように、別の方向から恐ろしい目の良さで発見されることもあろう。
それが、或は、
「――撃退し、その生態を調査す」
『ヴ オ オ オ オ ォ――――ッッッ!!!』
「は――?」
モイラスの張り上げた声を、
何が起きたのか、まるで理解できないまま全員が振り返り、そして理解不能の事態を前に間抜けな声だけが口から漏れる。
そして、超高速で迫るその『
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