第3章 対峙する悪鬼

29 潮纏う港町(1)

 地中に丸くくり抜かれた、セクメラーナ程度の広さを誇る空間。本来であれば一ベルムルさえ見通せぬ完全な闇に閉ざされているその場所は、淡い光によってその全貌を明らかにされていた。

 光の正体は、内壁に存在する無数の夜光石ルークス・ラピス。ひとつひとつは蝋燭よりも弱々しい光であれど、群れとならば夜空に輝く星々のような光景を生む。

 そのおかげで闇に目を潰されることはなく、彼女・・は己の姿を見ることが出来ていた。


 あまりにも悲惨な、その姿を。


 二本の両足に深々と打ち込まれている白銀の楔。その創痍そういからは血が今も流れ続け、大地を恐怖の色に染めている。その上、脚全体を計四本もの同質の鎖によって肌を破るほどにしめつけられており、その白銀は血によって色あせてすらいた。

 一対の腕もまた、左右の壁からピンと張って伸びる鎖によって強く引っ張られ、咎人の姿勢を強制されている。常に緊張を強いられる肩の筋肉は断裂を起こし、今もぶちぶちと嫌な音を立てて肌の内側を変色させた。力を入れることすら許されない張力に抗うことはできず、その総身は鎖によって力なく吊られていた。

 頭部から地面の上にまで伸びる銀髪は輝きを失い、長年の己の血と汗、埃によってくすみきっている。顔の前に垂れる頭髪の下で、彼女・・は荒い息を吐きながらその目を血走らせている有様だった。


 一見して、悲惨。

 果たして、どれほどの罪を重ねればこのような惨たらしい姿で放置されるのか。

 だが、違う。ここは、そのような憐れな罪人の末路を見せる場所ではない。

 目にする光景がこれだけならば、見る者はその悼ましさに心痛めて口を覆っただろうに、空間全てに満ちる夜光石ルークス・ラピスの輝きがそれを否定する。

 口を覆うという行為の由来そのものを、別の感情にすり替えてしまう。


 ――恐怖から生ずる、恐れへと。


 楔に穿たれた創痍から漏れ出るは、大地テラリアルの生物に通う真紅の血ではなく、おぞましき鉛色の血液。破れた肌からも滲むソレは、白銀の聖なる鎖を穢し、犯しているのだ。

 ぶちぶちと断裂する筋肉は切れた端から再生しており、常に耳障りな音を立てている。体重がかかることで軋む鎖はいつまでも張り続け、繋がる先の壁面には徐々にヒビが刻まれ始めていた。

 そして、銀の髪の下に隠された彼女の表情は――邪悪に過ぎた。

 地を割ったような笑みが、左右の尖った耳の根元まで張り裂けている。顔面中央の鼻はわしくちばしのように前に突き出ていて、腐臭のする鼻息が荒く吐き出された。その上にある一対の瞳の色は不可思議な虹色であったが、その周囲に血走る鉛色が神秘性の全てを穢している。

 なにより、これらすべてのパーツによって構成される顔面は、しわくちゃの老婆の顔すら比較にならぬほど醜悪。眉間からは亀裂のようにシワが広がり、乾いた大地のような顔全体に無数の渓谷が深々と刻まれているのだ。

 そんな、見る者が生理的嫌悪を催す笑み。しかし恐怖の根源はそこではなく、顔より下の身体にあった。

 首より下、衣服などない故に露わな胸部にぶら下がる乳房。それだけが彼女を彼と認識させるモノだが、しかしこれすら恐怖の対象となる。

 三つ、四つ、五つ――否、数え切れぬほど無軌道に生えてぶら下がる乳房の数は、血の色も然ることながらヒトではありえぬ代物だった。

 さらにその下の腹部には、乳房ではない丸っこい球状のものが無数に膨らんでいて、彼女のシルエットを殊更異常な形に変えている。

 まるでぼこぼこと泡立つ水面の一瞬を切り取ったかのようなその腹部と乳房の群れを、異常と見ずしてなんと見るのか。

 これら総てを目にすれば、誰もが彼女という存在を罪人などという生易しいものではない、と理解できるはずだ。清浄なる気を放つ鎖と楔に封じられているのだから、その認識は尚更であろう。


 だが――だが、それだけではないのだ。今見える総てが脅威ではない。

 それを証明するように、突如として空間全体に異音が響く。

 ぼこっ、ぼこぼこん、と。

 無機質さはなく、生物的な湿った印象を与える奇妙な音が――空間に独り佇む存在かのじょから鳴ったのだ。

 それに合わせるように、腹部の丸みのひとつが動きを見せる。

 肌を波打たせ、蠢き、そして――


 ――ただ、彼女は邪悪なる笑みを深めた。







 魔物モンストルムの襲撃という脅威を乗り越えた翌日。

 時は進み、太陽神ソールが西にそびえるマルゴー山脈によってノードゥス国から今にも消えようとしている頃。ハバの商隊キャラバンは、ついに目的地である港町カリオンを視界に捉えていた。

 少年アヴの馬車の上から、クレイオスは間近に迫る港町を眺める。

 一番に目に入るのは、やはりカリオンの外周をぐるりと囲む無骨な壁であろう。大きな石をいくつもいくつも積み重ね、それを泥か何かで押し固めることで大人三人分ほどの高さに仕立て上げた外壁だ。

 ここに至るまでの道中、不安げなアヴ少年の気を紛らわせてやるべくカリオンについて色々と訊いたりしていて、当然この壁についても聞き及んでいた。だが、街を守るための代物がこれほどのものであるとは、弩級の田舎者である青年には想像もついていなかったのである。

 五ベルムルよりも高い壁が数百ベルムルもの長さに亘って連なっているその様を、遠目に見た瞬間からクレイオスの胸の内は驚きと感嘆に満ち溢れていた。街の四方のうち北面は川に接しているとはいえ、セクメラーナと同じであろう広さを堅牢な壁でぐるりと覆っている姿は圧巻の一言だ。

 そして街背後にのぞき見えるその情景も、外壁に負けず劣らずクレイオスらを驚かせるに相応しい。

 なにしろ、ノードゥス建国の一因たるシウテ川と、海神マレラルの血潮である海を一度に視界に収められるのだから、壮観に過ぎる話だ。

 斜陽に照らされて宝石のようにキラキラと輝く水面みなもが、西から東へと続いていく様を見れば、青年だけでなく少しばかり沈んでいたアリーシャの表情も明るくなるというもの。闇の中に散りばめられた星空の美しさとは、また違った情緒があるのだ。

 そんな雄大なる自然は、遠目から眺めるだけでも不思議と心落ち着いてくる。商隊キャラバンの人々も見慣れた景色を目に収めることができて、一様に安堵のため息を漏らしていた。

 シウテ川から先にある海へと意識を向ければ、茜色に染められた海面が遥か遠くの水平線まで永遠に伸びている光景がある。気圧されるほどのこの広大さは、なるほど一柱の神がその身を癒すために変じた姿だと納得せざるを得ないだろう。

 あの水平線の向こうには、天空と同化して神々の住まう天界に繋がっている『境界』があるらしく、そこに辿り着くことが海神マレラル信者の使命だ――という話を父から聞いたことを、アリーシャはぼんやりと思い出した。

 一方でクレイオスは、幼少の頃タグサムに連れられて一度だけ森の端から海を見た過去を思い起こし、その時と何一つ変わらぬ偉大さに感服して目を細めている。


 そんな風に各々が思いを馳せるカリオンへ、ようやく商隊キャラバンは数刻後に到着することが出来たのだった。







 夕暮れに沈む街並みの間を、四台の馬車がその身を軋ませながらゆっくりと進んでいく。

 ハバの商隊キャラバンが港町カリオンに入ると、その速度を人の歩きと同じ程度に抑えた為、クレイオスもまた馬車の上から降りてその隣を歩いていた。

 新たな街、ということで物珍しげに周囲に目を配っていたのだが、やはりセクメラーナとは大きく違う点も多い。

 今こうして進む大通りは文字通りに非常に幅が大きく、二頭立ての馬車が横並びに三台並んでも通れそうなほどだ。セクメラーナの通りも広いと感じたが、それ以上であろう。

 周囲を取り囲む建物の方も違いがあり、木造建築が少なく石材で造られた家々が立ち並んでいる。中には表面に継ぎ目一つない奇妙な建物があり、おそらく鍛冶神フェラリウス信者の権能フィデスで造られたものと見えた。

 何故だろう、と一瞬だけ考え、少ししてからクレイオスは解と思われるものに至る。この港町では、木材が手に入りにくいのだろう。

 理由はと言えば、カリオンに入る前に左手に見えた、すぐ隣にある黒々とした大きな森のせいだ。本来なら森のおかげで木には困らないのだろうが、現状としては逆に困らされているはずだ。

 なにせあの黒き森は南の方角へとずっと伸びていて、もし迂回するなら大変な労力を必要とするであろう広大な自然。そんな場所を、クレイオスはちょうどセクメラーナで聞いた上に街道上からずっと視界に収めていた――そう、森人族アールヴの森だ。

 かの森神シルワの子らの怒りを買うような行為は一切できぬのだから、木材を使うことになる諸々に影響が出る。彼らは手出しさえしなければ聖域たる森に引きこもる無害な連中なのだが、一転、一度でも怒りを買えばとんでもないことになるのだ。

 何をそこまで恐れるのか、などという愚問を抱く者は大地テラリアル上には誰も居ないだろう。

 『森人族アールヴは一矢で土人族ヒューマンの戦士三人を射殺せる』、とまで嘯かれるのだから、彼我の能力差は歴然としている。万が一にも、森を挙げて襲われてはたまらないためにあの外壁を作った、とまでアヴが言っていたのだから、カリオンの人間にとっては恐怖の対象に違いない。


 生憎、会ったことのないクレイオスにはそこまでの恐怖はわからないが――とまだ見ぬ異種族に思いを馳せていると、不意に正面の方から強い風が吹き込んできた。同時、青年の嗅覚を衝く独特の臭気。

 嗅いだことのない臭いに一瞬だけ混乱し、周囲を見回すも同じように疑問に思っている人間は居ない。否、アリーシャだけが同じような困惑を表に出しているが、それ以外は平然としていた。

 どうも異臭というわけではないようだが、と少しだけ考えて、風が吹いてきた方向を思い出す。正面、まっすぐ伸びる大通りの先にあるのは川とそこに浮かぶ多くの船。カリオンをカリオンたらしめる『港』であり、そこには当然海がある。

 なればこの独特の、粘つくようなからみのある臭気は――潮の匂い、ということだろうか。すると、同時に感じるこの生臭さはやはり魚のものだろう。たまに川で獲っていた魚のような泥臭さはなく、青臭さを強く感じるのは海の魚の特徴なのだろうか。

 考察しつつ、街の違いで匂いも変わるとは面白いものだ、と驚嘆するクレイオスは港の方へと意識を向ける。水面と船がある、ということくらいしか遠目にはわからないが、まだ見ぬ港というものには強く興味がそそられた。


 もう少し近づいて観察したい――と思ったところで、前の馬車が横道へと曲がっていく。

 ちょうど視界を遮られた上、港へ行くこともないとわかると残念に思う気持ちは隠せない。馬車と一緒に曲がるアリーシャの横顔は、露骨に消沈していた。クレイオスも表情には出さないが、少しだけ肩を竦めてから馬車の行き先に気を改める。

 入り込んだ路地は馬車がすれ違える程度の幅があるが、思いのほか活気は少ない。

 閑静、というよりは気品ある通りで、周囲の建物に施された装飾もまろみを帯びた優美さを感じさせるものだ。

 それらの雰囲気に相応しい者たちを相手に商売する場所のようで、ふと見やった店内の衣服や装飾品は驚くほどの輝きを放っている。それでいて下品さはなく、何らかの司祭の力で造ったのではないかと思えるほどに美しいものだった。

 何の用事があるのだろう、とあちこちに視線をくれながら考えている間に、前の御者の合図で馬車が止まる。同時に前方のディルが後方のクレイオスとアリーシャを呼ぶ声が聞こえ、二人はすぐに彼のもとへ向かった。

 間もなくハバの馬車の近くで護衛四人が集合したところ、傍の建物の中から浅黒い肌の商人がちょうど出てきてホッと一息ついた表情を見せる。傍には見知らぬ少年を伴っていて、小間使いかと思われた。

 思わず気になって扉が閉まる刹那にクレイオスが建物の中を覗くと、屋内の雰囲気は宿屋のソレとよく似ていると把握する。どうやら宿屋のようだった。

 ここに宿泊するのだろうか、と思索を巡らせる間にハバが小間使いに一言二言告げると、少年は手早く彼の馬の手綱を取った。そのまま隣にある間口の広いうまやへと馬車ごと連れて行くのを見送りながら、商人はくたびれた顔で口を開く。


「さて、クレイオスにアリーシャ。世話になったな」

「……ええ、そうね。これで護衛はおしまい、ということでいいのね?」

「ああ。怪我人が出てしまったことは惜しいが……魔物モンストルムの襲撃と考えれば生き残れただけでも儲けものだ。月女神ルーナさまの微笑みは受けられなかったが、幸運神フォルトゥーナさまの慈愛の欠片を拾うことはできたらしい。……いや、戦神ベルムさまの目に留まることができた、というべきだろうかね」


 アリーシャの返答に、ハバは皮肉げな笑みを浮かべる。神の名を使ってまで今回の出来事を揶揄するあたり、本当に参っているようだ。

 だが、クレイオスの活躍を戦神ベルムに例えて感謝することも忘れていない。心根から善良な様子がわかってしまい、クレイオスはわかりづらく嬉しげな顔になった。

 そうして旅の不運への愚痴を吐き出し終えたハバは、懐の袋から報酬片を取り出してアリーシャに手渡す。依頼完了の証であり、彼女はすぐに自身の物と組み合わせて間違いがないことを確認した。

 礼を述べつつアリーシャは木片を懐に入れ、それから別れる前に、と気になったことを元依頼主に訊ねる。


「一応、聞いておきたいんだけど、魔物モンストルムの件はどうするの?」

「そうだな……まずはこの街の領主に報告してくるよ。その後、知り合いの商人や卸先にも知らせて――そうしたらカリオンの各種ギルドに知らされるだろうし、周辺の村や町にも触れが回るはずだ。ひとまずはそれでいいか。ああ、それと君たちも報酬を貰いに行く時には、雑務ギルドに今回のことをきちんと伝えた方がいいな」

「それは何故だ?」


 アリーシャの問いに、疲れた表情ながらもハバはきちんと指折り数えてやることを教えてくれる。だが、そこに付け加えられた忠告の意味が分からず、思わずクレイオスが問うた。

 まさか聞き返されるとは思っていなかったのか、ハバが面食らって口を噤んでしまう。代わりに隣のイドゥが答えてくれた。


「何か良くないもの――魔獣ベスティアや災害などを発見した場合、最寄りの領主にすぐに知らせるというのがこのあたりの義務ルールなんです。危機を迅速に広めながら、対処を素早くしないといけませんから。……とはいえ魔物モンストルムが出たなんてこと、一度もなかったから対処の方法もわかりません。それでも、広めるだけのことはしないと、ということです」

「なるほどな。それも当然だな」


 イドゥは丁寧に理由まで話してくれたが、その分だけ現状の深刻さを改めて認識してしまったらしい。彼女も雇用主と同じく憂鬱そうにため息を吐くが、そのおかげでクレイオスも今回の件がようやく自身の知識と合致する状況であることを理解を示した。

 魔獣ベスティアが出たときは村中に即座に触れ回って、対処できる狩人を呼ばねばならない――それと同じ話だ。その規模が、ただの村からクレイオスの想像力では及びもつかない国という範囲に広がっているだけ。僻地であれ国の中心であれ、未曽有の危機に対してできることは変わらないものなのだろうか、という少しの疑問はあるのだが。

 それでもやるべきことを納得して見せたところで、ハバが再び口を開く。


「私たちの関係はここで終わりだが、運命神プロペティアさまの繋いだ縁がなくなるわけじゃない。見事な戦いぶりのおかげで命も助けられたことだし、そちらに困ったことがあればいつでも訪ねてくるといい。カリオンには元々長く居る予定だったからな」

「そう? なら、お言葉に甘えさせてもらうかもしれないわね。じゃあ、ハバさんたちはここに泊まるってるってことでいいの?」


 ハバは疲れた顔に笑みを浮かべて、そんな頼もしいことを言ってくれた。

 これにはアリーシャも嬉しげな顔をして、遠慮せず首肯を返す。そして確認するようにハバの出てきた建物を見上げた。仮に彼を頼るとしても、その時に場所もわからないのでは間抜けな話だからだ。転じて、頼る気満々ということでもある。

 そんな彼女の懸念と姿勢に、ハバは鷹揚に頷いてくれた。


「ああ。だが、ここに泊まるのは私と何人かだけだよ。大所帯で来る安宿ではないからね。他の商隊キャラバンは、馬車や荷物をたくさん置ける、外周のほうの宿で泊まることになっている」

「なぜ分かれて泊まるんだ?」

「いろいろあるんだよ、商売の世界には」


 商人の言葉に疑問を覚えたクレイオスが首を傾げて問いかけるも、商人は困ったような笑みで曖昧にぼかした。疲れているのか言いたくないのか、突き放したようにそう言って肩を竦める。

 商売の世界、とやらは少しだけ気にはなるも、無知な青年は納得したように頷いて話を終えることにする。素人が突っ込んで知っても意味はない、とさしものクレイオスにも察することはできたからだ。


 すると、もう話すこともなくなり、クレイオスは別れの挨拶にと商人に握手を求める。思えば色々と世話を焼いてくれた人物なので、別れとなると感慨深かった。快く応じてくれた彼と痛くない程度に固く拳を握りあい、続けて赤毛の青年にも手を差し出す。

 相変わらず人好きのする笑みを浮かべてディルはそれを受けながらも、そこにはやはり寂しさのようなものが混じっていた。たった三日だがそれでも色々とあった為、ディルがクレイオスに友情を感じてくれているようなのが青年には嬉しかった。

 故に、素直に感謝を述べる。


「色々と助かった、ディル」

「いやいや、お互い様だって。二人が居なかったら危なかっただろうし、むしろ俺たちのほうが――」


 ディルは恥ずかしそうな笑みを浮かべて首を振ろうとした。だが、不意に言葉を切って考え込むように視線を落とす。そんな風にいきなり黙りこんだディルに、訝しげに首を傾げたクレイオスが声をかけようとしたその瞬間、「そうだ!」と今度は唐突に声を上げた。

 それから手を握ったまま、ディルはアリーシャに向き直って問いかける。


「なあ、クレイオス、アリーシャ。君たち当然宿なんか決めてないよな?」

「それはもう。カリオンに来たのすら初めてだけど……?」


 そんな彼女の返事に、何が嬉しいのか青年は満面の笑みを浮かべた。そしてディルは、跳ねるような声で提案する。


「だよな! じゃあ、俺たちの泊まる宿に来いよ。外周にある分安いし、しかも飯もうまいとこなんだぜ。何かあったらすぐに会えるし、いい話だと思うぞ!」

「またそんな、勝手なこと言って……」


 世話焼き極まれり、と評するべきだろうか。宿の紹介までし出した彼に、イドゥが呆れた様子でため息を吐いてその頭を小突く。

 だが、その提案にアリーシャは表情を明るくさせていた。


「ほんと? なら、案内してもらおうかな。カリオンについては、父さんあんまり来なかったみたいだからよく知らなくて。宿もどうしようかと思ってたところなのよ」

「そうかそうか! じゃあさっそく行こうか!」


 そのように彼女が賛成の意を示すや否や、ディルは嬉しげにパッと身を翻して馬車の御者に合図を送る。

 行動の早さに雇い主のハバも呆れた顔になったが、仕方ないなとでも言いたげに表情を緩めた。そして、どうしようかと迷う御者に手を振る。行っていい、という合図を受け、御者は手綱を振って馬車を動かし、そしてその横をディルがすぐさま追従していく。

 続いて馬車が次々進み始めるのを見て、イドゥと二人も慌ててその後を追ったのだった。

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