21 狼狩り(1)

 無事、『狼退治』の依頼を請け負うことができた二人は、近場のパン屋でいくらか腹を満たせる程度の軽食を買い込むと、早々にセクメラーナを北に抜け、北東に向けて発った。

 ずいぶん性急な動きだが、依頼受諾に伴い開示された依頼者の陳情と居住地を見て、今日中に終わらせることができそうだ、と二人は判断したからだ。

 依頼を出したその村は、依頼書の情報によればセクメラーナを朝に出発すれば昼には到着できる距離にある。しかも、家畜への被害報告を見るに、味を覚えた獣連中は相当頻繁にやってきている様子なので、討滅及び撃退もすぐできるはず。その方が依頼者にとっても良いと思い、装備万端の狩人二人は軽い身の上でさっさと向かうことにした。

 とはいえ、急ぐと言えど流石に村までずっと走り通しでは狼退治に支障が出る。

 なので、二人の初めての依頼達成への道のりは、急ぎながらも歩くという、意外とのんびりとしたものだった。




 依頼者である村――オリン村は、セクメラーナから北東へ十分に目視できる距離に存在し、村全体としての役割はセクメラーナへの羊毛の供給だ。無論、村人が生きていくためにやっていることは他に様々あるので、最大手としての話だ。

 村から北方面にある大地の大部分を放牧地として使っており、周囲のいくつかの村と連携して放牧している。その羊の数が二つ分の村の住人の数より遥かに多いおかげで、セクメラーナの服飾業は潤っており、大事な収入源の一つとなっているのだ。

 当然、頻繁に物の行き来がある関係上、その村とセクメラーナを結ぶ曲がりくねった線上には、整備され、地を晒して踏み固められた街道が存在していた。それに沿って歩いていけば、自然、クレイオスとアリーシャの二人は目的地へ迷いなく進めることになる。

 そのおかげでいちいち方角を気にせずとも迷子になる心配がないのをいいことに、アリーシャは詳細の書き込まれた依頼書をすみずみまで読みながら歩いていた。

 そんな有様でありながら、彼女の狩人として鍛えられたしなやかかつ強靭な足腰に乱れはなく、時折地面から顔を覗かせている躓きそうな石も危なげなく回避している。

 セクメラーナを発ってからしばらくこの様子である幼馴染に、少しばかりの遠慮を覚えて黙り込んでいたクレイオスも、そろそろいいだろう、と自己の中で勝手に結論付けて彼女へ疑問を投げた。


「それで、結局狼退治とやらを受けたが、どうすればいい?」

「えっとね、ちょっと待って。まず私たちがすべきなのは……依頼者に会うことね」


 アリーシャの先導でいつの間にか『狼退治』の依頼――仕事を引き受けることになったが、クレイオスはそれを遂行するための手段も手順も知らない。あのギルド員の男性に聞けばすぐにわかったことであろうが、その対象はアリーシャであっても同じだ。

 それ故に彼女に尋ね、言葉が少ない幼馴染の言いたいことをしっかり理解したアリーシャは依頼書に視線を走らせるままに返答する。

 「それで?」と続きを促すクレイオスに、アリーシャは若干上の空ながら、ちゃんと答えた。


「依頼者に私たちが引き受けたことを報告して、それから依頼内容の遂行、ってことになるのかしらね。こういう依頼の話は父さんの日記にはなかったはずだから、ちょっとカンペキには分からないけれど、そんなに違わないと思う」

「なるほど。先に狼の群れをどうにかしなくていいんだな」

「うん。これも、ウソとかズルを防止するためのならわしだと思う。例え私たちが本当に狼を撃退したのだとしても、依頼者には私たちがきちんと仕事したと納得してもらえないかもしれないからっていうのもあるわ。さっきの人みたいな権能フィデスを授かった人が居てくれなきゃ、依頼者が信じてくれないかもしれないもの。できるだけ、そういうトラブルは回避したいわね」

「……面倒だな」


 アリーシャの言によれば、まずは一言挨拶を済ませてから、という話なのだが、それが如何にも煩わしいことであるかのようにクレイオスは僅かに視線を上げ、遠景をぼうと眺める。それなりの高さがあるであろう山が見え、あれが狼が下りてきたという山だろうか、と一瞬だけ思考を遠くに馳せた。

 実際、クレイオスとアリーシャならば、見えているあの山に直行して狼の群れのねぐらを暴き、全滅させるぐらいのことはすぐにできる。それをせず、一手間加えなければ満足に狩りもできないのは、のびのびと生きてきた狩人には窮屈な話だった。

 外の世界の狭苦しさを初めて感じ取り、クレイオスは数瞬ほど眉根を寄せていたが、ふと思い直す。

 そう、これは『狩り』ではなく『仕事』だ。はき違えてはいけない。

 頼まれたことをきちんとやり遂げるのが『仕事』であり、好き勝手した挙句に報酬をせびるのとは違う。森番に毎度、狩りの報告をするのと同じだ。

 それにもしかしたら、あの山は神聖な場所でいたずらに分け入って荒らしてはならないかもしれないのだから、まず依頼者に話を通しておくのは当然の話だ。

 なるほど、と自身の考えを改めて納得させつつ、続けてクレイオスは更なる疑問をアリーシャに問う。


「こうした依頼を出してくるということは、その村には狩人が居ないか、居ても役に立たなかった、ということだろう。なら、武器はどうする?」

「……え?」


 左手を顎に添え、本気で悩むように視線を落とすクレイオスの言葉に、思わずアリーシャが依頼書から目を引き剥がして真横の幼馴染を見やる。

 その視界には、当然ながら彼の背で存在感を放つ銀の槍が収まっていた。右手にもきちんと金に輝く篭手が装着されていて、アリーシャは隣のクレイオスが何を言っているのかよくわからなかった。


「どうする、って、その槍があるじゃない」

「――なに?」


 至極当たり前の結論を述べたアリーシャに、今度はクレイオスが「お前は何を言っているんだ」と言わんばかりの訝しげな表情で彼女を見る。否、実際そう思っている顔だと、アリーシャにはすぐわかった。

 そうして互いが互いを変な奴を見る目で見つめあったが、すぐに一方がある事実を指摘する。


神槍これは、神からの神託オーラクルムで持っていけと命ぜられた大事なものだぞ」

「あっ!」


 翡翠の瞳の言葉が、常盤の瞳の持ち主に重大な事実を思い出させた。

 そう、当初はギルドの人間にただの小娘と少年として見られぬよう、武力の持ち主と主張するためにアリーシャが持たせた槍だったが、本来それは神より賜わった代物。

 ともすれば己の命より大事かもしれないようなものを振り回すなど、正気の沙汰ではない。もし二人ともがそのことを忘れたまま、村で使っていた槍の代替品の如く使っていれば、神罰が下っていたかもしれないのだ。

 完全に失念していた、と焦るやら安心するやらでアリーシャは思わず重い息を吐く。

 そんな彼女を横目で見つつ、クレイオスは肩を竦めながら薄く笑った。


「まあ、なんとでもなるか。槍が使えなくても、やりようはある」

「ええ、そうね……そうして。ああ、もう私ったら本当に危ない……」

「気にするな」


 落ち込む幼馴染に不器用な励ましの言葉を投げつつ、クレイオスはさてどうするかと思索を巡らせるのだった。







 太陽が天頂にやってきた時分に、二人は目的のオリン村に到着していた。

 周囲が開けた平原であり、近くを川が流れているこの村は、外周を囲う簡易な柵程度しか見られず、非常に開放的な様相を呈している。

 この時間は放牧させている羊たちを収容するのであろう場所には、流石にもう少しマシな柵が設けられていたが、それも勝手に逃げ出さないようにという最低限の物であり、外敵の侵入を阻むほどの能力がないのは見てすぐにわかった。いわんや、それ以下の村の外周の柵は。

 それを横目に村へと入れば、昼休憩に入っているらしい村人たちの好気の視線に晒される。旅人が珍しいのではなく、物々しい槍と弓を目を丸くして見ていることから、何事かと思っているのだろう。

 だが、事情を――セクメラーナの雑務ギルドに依頼を出したことを知っている幾人かの人間たちは居たのだろう。ある者はどこかへ慌てて走っていき、そしてある者は二人へ駆け寄ってきた。

 その駆け寄ってきた図体の大きな若い男は、期待と不安をないまぜにした感情を宿した瞳を向け、クレイオスとアリーシャに話しかけてくる。


「あ、あんたら、何しに来たんだい?」

「狼退治よ。ほら、これ」

「ほ、ほんとかっ?」


 彼の問いに、雑務ギルドで依頼受諾時に渡された木片を見せてアリーシャが答えた。

 それは、宿屋で見た鍵の先端のように、凹凸のある形に加工された手のひらほどの大きさの木の板だ。そこにはインクでなにがしかの紋様が描かれているが、何の意味があるのかはクレイオスにはわからなかった。

 だが依頼人には通じる代物なのだろう、と思っていたのだが、目の前の男はアリーシャの言葉にわかりやすく表情を明るくしながらも、見せられた木片を前に首をひねっている。

 その様子に、むしろアリーシャが怪訝そうに表情を曇らせると、男は慌てて口を開いて弁明する。


「街にどうにかしてくれるよう頼んだってのは知ってるが、どういうことをしたのかはおらぁ知らねんだ。村中の金を集めて、あとは村長に任せたっきりでよ……今、親父が呼びに行ったから、ちょっと待っててくれや」

「そうなのね。なら、待たせてもらってる間に、いくつか聞きたいことがあるんだけど、いい?」

「ああ! あの狼のあんちくしょうどもをどうにかしてくれるってんなら、いくらでも協力するぜ」


 依頼人その人ではないようだが事情は分かっている人物のようで、ならば、とアリーシャが情報を集めるために聞き取りを始める。

 それを快諾した男は、自分がこの村の自警団の一人であることを告げ、何度か狼の群れとやりあったことを教えてくれた。

 そのいずれもで、いいようにしてやられたことから、こうして依頼を出す羽目になったことに思うところはあるようだが、自身の力不足をきちんと理解しているらしい。


「群れの規模はどのくらいなの?」

「びっくりするほど多いってわけじゃねえ、はずだ。六、七匹程度で、狩りに来やがる連中が入れ替わった様子もねえ。そんなかでも、少なくとも一匹は毎回来やがる奴がいるぞ」


 何度かやりあったなら、と依頼完遂に大事な情報について聞いてみれば、確信めいた様子で断言が返ってきた。

 確かに、群れにおいて狩りに出るグループはある程度決まっているが、怪我や群れ内のヒエラルキーの変化によってはかなり流動的になるものだ。だというのに、彼がきっぱりと言うには理由があるのだろうか、とクレイオスが口を挟む。


「どうしてわかるんだ?」

「そりゃ、そいつだけ一回り……いや二回りもでけえからさ。頻繁に襲いに来るのも、そいつの為なんだろうよ。あんなにでけえ身体じゃ、羊を丸々一匹丸呑みにでもしなきゃ満足できねえはずだ」


 忌々しげに吐き捨てる男の前で、クレイオスとアリーシャは顔を見合わせた。

 二回りも大きな狼、とは穏やかではない。十中八九、群れのリーダーだろうが、それにしてもサイズが異常だ。

 だが、魔獣ベスティアではないだろう。アレは群れを作らない。ライカンスロープという例外に出会ったことには出会ったが、あれはかなり人型に近いため、いくら何でも見間違うことはあるまい。

 とりあえず気に留めておくだけにしておいて、質問を続ける。


「それじゃあ、結構な頻度で来てるのよね。どのくらい?」

「二日にいっぺん、って感じだが、あんまりアテにはなんねえな。一日に二度もやってきやがったこともある。だけど、三日以上来ないことはねえ。だからおちおち放牧にも出せねえで、村の周りをちょいちょい歩かせるぐらいしかできねえんだが……それでも襲ってきやがるもんで、ほんと、どうしたもんかと……」

「ことが収まるまで、羊を村の中に匿っておくのは……危険か」

「ああ。餌が出てこないと知ったら、絶対自分から入ってきやがるってわかるくらい凶暴だし、狡猾な連中だ。まだ村人に被害はねえが、まかり間違って人間の味を覚えられるわけにはいかねえんだ。だから、被害が出るのを承知で出すしかねえのさ」

「……一回の襲撃で、どのくらいやられるの? 狡猾、っていうくらいだし、向こうもかなりうまくやってるんでしょ?」

「そうなんだよなぁ。多くて三匹、少なくとも一匹だ。例のリーダーが、あのでけえ顎で羊をひきずって、山に持って帰れる分だけしか襲わねえんだよ。繁殖期もちょっと前に過ぎたし、巣で待ってる雌の為なんだろうが、それにしたって徹底してやがる。最低限仕留めたら、こっちに取り返されないように牽制しながら悠々と走り去ってくんだ」


 質問する度、忌々しい狼を思い出すのだろう、段々表情が険しくなっていく男だが、アリーシャはまったく気にせず情報を吟味していた。

 故郷のセルペンス山には、大部分が熊や猪などの縄張りになっている。その中でたまに見かける狼の群れは、父テンダルの言によれば、ここボース半島から追い立てられた弱い群れがやってきた結果らしい。

 故に、アリーシャとクレイオス二人の、狼に対する経験値は高くない。

 目の前の男の語るほど小賢しい狼は、正直言ってあのライカンスロープ程度しか狩ったことがないかもしれないということだ。それにしたって、お粗末な相手ではあったが。


 どのように相手すべきか、罠は通用するか、など、色々考えながら、「それじゃあ」とアリーシャが再び問いかけようとしたところで、「おうい」というしわがれた声が男の後ろから飛んできた。

 振り返った男が「おお!」と笑みを浮かべ、身体を横に退いてアリーシャに見せるようにしながら、走ってくる老齢の域に差し掛かった男性を紹介する。


「こちらが村長だ。村長、こっちの二人が、狼退治に来てくれた方々だってよ」

「初めまして。ギルドから依頼を受けてやってきたわ」

「おお、これはこれは……」


 急いでやってきたのだろう、息を切らす村長に、落ち着くのを待ってからアリーシャが再び木の板を見せた。傍から見ていたクレイオスは、この木の板が暗号代わりになっているのだと理解する。

 なぜなら、それを見るまでは想定よりずっと若かったらしいクレイオスらに村長は不安げな表情だったのが、見るからに安堵しているからだ。

 そして、姿勢を正して軽く頭を下げ、村長は懇願する。


「どうか、どうかよろしくお願いします。これ以上、狼どもに好きにされては、うちだけでなく周りの村も立ちいかなくなってしまう。すぐにでも、連中をどうにかしていただきたい」

「もちろん。その為にも、もう少し聞きたいことがあるわ」

「ええ、なんでもお聞きください」


 アリーシャはそんな村長の言葉に自信ありげに返し、快諾する彼に対して先ほどの質問を再び投げかけた。


「前回――最後に狼の被害に遭ったのはいつ? 彼によれば、ずいぶん頻繁に来てるみたいだし、時期によれば罠も仕掛けられるかもしれないわ」

「それは確か――」


 その問いに、村長と男が答えようとした瞬間、


「――狼だ! 狼が来たぞッ!」


 村中を、その叫び声が貫いた。

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