第8話 鬼教師
「はい、こんなところでしょう」
立ち上がりこちらを見ながらにっこりと目を細めたマキシムがパンパン、と手を叩く。握りしめていたファクターがいつの間にか消えていた。彼が数歩後ずさるとそこには三つの円が出来ていた。なぜだか緊張した。ごくり、と唾を飲み込み、一歩足を前へ進める。
左から説明します、とマキシムがゆっくりとした口調で簡単な説明をしてくれる。左円の中には三つの円。すべて縁で接するようにしています。各円の内側には用途に応じた漢字を入れます。真ん中の円の中には大きな円が一つ。更にその中に四つの円があります。文字は外側と中側の円の隙間、一番内側の四つの円の内側の両方に縁に沿うようにして書き込みます。最後の円は中に五角形を書き、その頂点に重なるようにして円を書き、その中に文字を書きます。
「まぁ、こんなところですかね。パッと思いついたのがこれになります。どれか近いものはありますか?」
う~ん。正直自分の中の記憶が曖昧過ぎてはっきりこれに近いですと言えそうにない。どの円も奇数だし。
「そうですね。……五角形はなかったように思います。強いて言うなら、左側が一番近いかと……」
「なるほど、それでしたら良かったです」
「良かった? それはどうしてですか?」
「左側の魔術陣は扱いやすく、どちらかと言えば善行に通ずるものなので術者への負担も少ないのです」
「では他のものは……」
「黒魔術の系統を色濃く残しているものについては扱い難く、術の内容もあまりいいとは言えません。術者への負担も大きい。……どれとは言いませんが」
なるほど。マキシムがこうして言葉を濁すということは本当に良くないことなのだろう。それ以上は知らない方が身のため、というわけか。
黙り込んでいるとマキシムがさぁて、と声を上げる。その言葉にわずかながらも反応してしまった。なぜなら自分の魔術のタイプは素を陣に刻み込むもので、さらに私の陣……媒介は自分自身の眼なのだ。目の中に陣を書き込むと誰かにはっきりと告げられたわけではなかったが、そんなこととうに気づいていた。
「ではさっそくやってみましょう」
マキシムはなかなかの鬼教師だ。獅子の顔でにんまりと笑う姿は圧巻で、さらにこちらの心構えができているできていないに限らず、有無を言わせずに自分のやりたいように進めていく。
「まずは左目を作りましょう」
「作りましょうって、そんな簡単に作れるものでは……」
「いいえ簡単です。貴方の血をそこに流し込むだけでいいのです」
マキシムは自分の空っぽの左目を指差してトンと一度リズムを取る。これはある意味暴君というやつではないか、自身の口元に右手指先を近づけ、そう思いながら苦々しく奥歯を噛み締める。自分はつい先日まではただの平民だったのだ。そうやすやすと自分の体を傷つけることなどできるか。自分で自分の指の皮を噛み切れ、というのか。痛いのは嫌だ、痛いのは怖い。だが、このマキシムの前では与えられた試練を乗り越えていかなければ、自分は一生解放されることはないのだ。仕方がない、そう腹を括った。
「お待ちを。まさか指を噛み切ろうとしています?」
は? ――と口から言葉が飛び出たのは当然だろう。血液は皮膚の下にあるのだ、噛み切らずして一体どうやって取り出すというのか、そんなことも知らないのか、とついで口から出そうになって、慌てて口元を手の平で覆う。
「晴さんはあまりいい先生ではないようですね」
「晴? どうしてここに晴が出てくるんですか?」
「一応言付けておいたのですよ。最低限の事象は教えてあげておいてくださいと。どうやらその様子では何も聞いていないようですね」
「"最低限の事象"?」
「……まったく。彼女ときたら。いつも私の言葉を軽視なされるのですから、困ったお方です。はぁ……、ですが、それでは仕方がありませんね。 私の説明が足りなかったようです。ご説明致します」
「は、……はぁ。お願いします」
マキシムがコホン、と咳払いを一つ。手を後ろで組んで胸を張って話し出した。
「我々魔術師は不老の生き物となります。ですから、飢えることも、床に伏すこともありません。ですが、怪我をすることはございます。その怪我のせいで命を落とすこともあります」
「じゃあ、死なないわけでは……」
「はい。そうです。魔術師は不死ではございません。魔術には度々血の盟約を行うことがございます。魔術にとって”血”というものはその人自身を表し、凄腕の魔術師であれば、例え一滴の血であろうとも、その血に術をかけるだけで血の持ち主を縛りつけることができます。ですから、魔術師にとって"血"というものは命そのものなのです」
「それは普通の人間にも言えることなのでは?」
「まぁ、そうでしょうね。人間にも血が通っており、血が一定量なくなればその人間は死に至ります。ですが、魔術師には普通出血死というものがございません」
「血が出ない……そういうこと、ですか?」
「えぇ、その通りです。どの魔術師も、自分の体に呪縛をかけます。その呪縛の種類は様々ですが、どれも目的は同じです。決して自分の体から血を出さず、他人に触れさせず、その血を失わない」
「それじゃあどうやって血を目の中へ送り込むのですか?」
「いい質問ですね。はっきりとしていて分かりやすい」
「それはどうも。是非とも分かりやすい解説をお願いします」
「はい。もうしばらく続きますから、頭の容量を開けておいて下さいね」
にっこりとにんまりと、例の笑みで笑って見せたマキシムは自身の懐に手を入れて何かを取り出した。中から出てきたのは一本のナイフだった。それは? とこちらの問いを待つ間もなく、マキシムはそのナイフを自身の胸に突き立てた。もちろん、そんな自分で自分の胸を貫くなんてそんな衝撃的な絵面を目の前にして落ち着いていられるわけもなく、慌てて声を上げ、体が弾くようにして前へ動いた。
「マキシム!」
「落ち着いて下さい、千里さん」
「落ち着いてなんかっ! ……って、あれ?」
目の前に立つマキシムはケロリとした表情で自分を見ていた。とても苦しんでいる者が見せる表情には見えない。ナイフを突き立てたはずの胸元。淡い光が見えた。マキシムの手が持っているわけでもないのに、ナイフはそこにあり、まるで浮かんでいるようだった。
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