A Sweet Trick of Halloween(後編)第2話

 岡崎と吉野が電話で話した日から、約ひと月後。


 10月下旬、肌寒いように冷えた金曜の夜。

 岡崎からの誘いで、二人はいつものカクテルバーにいた。



 二人とも、黙り込んだままハイピッチで酒を呷る。

 それぞれに、何をどう切り出そうか、タイミングを探るように。



「——なあ」


 我慢比べのような沈黙の末、吉野が先に口を開いた。


「ん」


「——あのさ。

お前……自分なりの答えを用意する……って、電話で言ってたろ。

まずそれ聞いてからじゃないと、俺の話できねー気がするし」


 吉野は、酷く緊張した顔でぐっと俯くと、ボソボソとそう呟く。



「……ああ、そうだな。


んー……

答えを用意するとか言っといてなんなんだが……

今日は、何か答える、というよりも……とりあえず、お前にはがっつり飲んでもらいたいと思っているわけで」


 岡崎も、何かやたらに硬い表情で、言いにくそうにそう答えた。



「……は?」


「——で、今日はこの後、お前のとこに行く」


「……なんでだよ?」

「いいだろ別に。文句あんのか?」


「……いえ。ないです……」

 もはや酒の効いてきたような岡崎の強い横目に、吉野は微妙にびびって小さくそう返す。



「というわけだから、今俺から話すことはとりあえずないんだが。……吉野、何か言いたいことあるのか」


「…………いや。

お前が今日、俺にもう別れたいとか、そういう話すんじゃねーかと思ってたから……」

「今日のところは、そういう話をする予定はない」


 特に表情も変えずグラスを呷る岡崎の横顔をじっと見つめ……吉野はやっと緊張の解けた嬉しげな笑顔になった。



「……なら、俺もいーや」



 そんな会話をしながら、二人は気合いの入ったハイピッチでグラスを傾け続けた。





✳︎





 吉野の部屋に着くなり、岡崎はどかどかと先に上がりつつ慌ただしく吉野を振り返った。

「風呂借りるぞ」

「んー?別にいいけどなんでだ〜?」

「なんでもだ」

 既に相当に酔いが回り、でれっと締まりの無くなっている吉野に、岡崎はそれだけ返す。

「あれ、お前今日あんま酔ってねーの?いつもはお前の方が先にベロベロになんじゃんか……ってか、もう浴室行ってるし。……まーいいや」

 そんなことをブツブツ呟きつつ、吉野はどさりとベッドに身体を投げ出す。


「ってかさー。

お前といられれば、俺はそれでいーんだよ。

よーくわかった。

お前が俺の側からいなくなるんじゃねえかって、お前と会わない間、ずーっとそれが怖かったからさ。

今日、お前がこうやって横にいるのが幸せなんだーって、改めて気づいた。

すぐ忘れんだよな、アホだから。ってかもう忘れんなっつーの、ウヒャヒャ」


 ほぼ完全な泥酔状態でさっき岡崎に言わずに終わったことをボロボロとこぼしながら、吉野はいつしかぐっすりと爆睡していた。




 どのくらい経っただろうか。



「————吉野」



「…………ん」



 何かが動く気配とその声に、吉野はぼんやりと目を覚ました。



 …………と。


 酒でふわつく視界の中に……というか自分の上に被さるように、岡崎がいる。 

 素肌にワイシャツを一枚羽織っただけの姿で。


 そのことに気づいた瞬間、吉野の脳から酔いがざああっと遠のいた。




「…………な、なに」



「————吉野。


俺を抱いてくれ」



「…………は?


な、なに言ってんだよお前?

——なんで……」



「…………

悪かった。


俺は、今までお前に甘えていた。……甘え過ぎていた。

お前に待っててもらっている限り、俺は、その先に踏み出せない。

それがわかったんだ。


怖がって、ぐずぐずと躊躇っているのは、もう終わりにしたい。

だから……頼む」


「————まっ……待て。

お前、そんなの無理しなくていいんだって。……あの夜は、俺が自己中だったんだ。悪いのは俺だ。

それに俺たち、そういう話し合いとかまだ全然したことねーじゃんかっ!

だっ、抱いてくれってお前……なんでそんなの一方的に決めてんだよ!?」

「とりあえず。

いくら考えても、お前みたいにでかい男を抱くのは俺には不可能だ。

というか……そもそも俺の中に、抱くという欲求が見つからない。

ってことは、自ずと抱かれる方だろ。


それに……


お前になら……自分を全て預けてみようと……決意ができた」


 小さくそう呟くと、岡崎は固く張り詰めた面持ちで吉野を見つめる。


「ちょ、待てよ……

そっそれに……抱かれるって簡単に言うけどな……いっ、いきなりは無理だって……お前、準備とかいろいろそういうの……知らないのか」

「——お前、この1ヶ月間を何だと思ってる?

それに、今風呂借りたのもな。——

とにかく、今日は全部そのつもりで来た」


「————……

……岡崎。


まさか、お前……会わなかった時間で、そんなこと考えて……その準備を自分でしてた……

そういうことか?」


「自分の身体だ。一旦そう決めたら、そんなのは当然だ」


 この展開に追いつけずにいる吉野に、岡崎は迷わずそう答える。



「……だから——順。

俺の決心が、揺れないうちに」



「————」




 あんなにも慎重で……むしろ、触れられることを怖がっていた、こいつが——

 こうして、真っ直ぐに俺に向き合っている。

 これほどに、自分自身を隠さない姿で。


 会わない間に……こいつはひとりで、どれほどの恐怖感を振り払ってきたのだろう。



 そういう本気の覚悟でいる相手を拒否ることの方が、むしろ冷酷だ。


 吉野は、自分の上にいる岡崎を黙って抱きかかえると、静かに腕の中に横たえた。



「……それから。

頼みがある」


「何?」


「俺がもし、途中で待てとか嫌だとか言っても……絶対に、やめないでほしい」


「ん。わかった」


「……それから……」

「うん」


「……たとえどんな俺を見せたとしても……

きっ……嫌いにならないでくれるか……?」



 そんな岡崎の必死の呟きに、吉野はおかしそうにふっと笑う。


「ばかじゃねーのお前。

そんなんで嫌いになるかよ。

ってか……俺はそういうお前が見たいんだって、何度も言ってんだろ」


「——そう……なのか?」

「そうだ。

どんなお前でも、大丈夫だから……安心しろ」


「——ん」



「…………

眼鏡、外すぞ」





 眼鏡を取った岡崎の緊張した眼差しが、吉野を見上げる。

 その瞳を見下ろし、吉野は優しく微笑む。




 自分に注がれる、その眼差しの奥を見つめた瞬間…………

 岡崎の意識の中の何かが、大きく動いた。



 記憶の奥にギリギリと残る、あの美しい女子生徒の恐ろしい目が——

 煙のように、消えていく。


 そして、新たに流れ込んでくる、その切ないような温かさに——

 不意に、瞳の奥が熱く込み上げた。




「————お前の目は、優しい」



 涙を隠すのと、胸に沸き起こる初めての衝動に——岡崎は思わず吉野の首に腕を回し、強く引き寄せた。



「…………順。


お前と一緒に、恋が実るその感覚を味わってみたいと……

今やっと、そういう気持ちになれた」




 耳元でそう囁く岡崎の穏やかな声に——

 吉野は、そのしなやかな肩を力一杯抱き締めた。






✳︎






 部屋に満ちてくる朝の光に、吉野は目を覚ました。



 自分の横で、岡崎がぐっすり眠っている。





 昨夜。


 岡崎は、快感と苦痛の混じり合う激しい喘ぎを何度も上げた。



 それでも——互いに、途中で諦めることはしなかった。




 むしろ、散々苦しんだような夜だったのだが——

 それは、人生で初めて経験する幸せだった。


 ——俺的には。



 こいつは……どうだったんだろう。

 起きた途端、ふざけるな!とかもうまっぴらだ!!とか、キレたりするんじゃないだろうか。



 その寝顔に、痛いほど視線を注ぎ過ぎたせいか……

 岡崎が、ふと瞼を動かした。



「————ん……」



「…………晶」




「…………今、何時だ」

「7時少し前」


「ん……」



 一瞬だけ目覚めたような瞳で、岡崎は曖昧にそう呟く。




「————晶。


これからすげえ大事なこと言うから、ちゃんと聞け」



 吉野は、そんな岡崎の意識を呼び止め——今しか言えない気がする言葉を、岡崎へ届ける。



「今のお前が……今までより、一億倍好きだ。


——俺、もうお前以外ムリだから」




「……思ったより、痛かった」


 まだ柔らかな眼差しのまま、岡崎はふっと淡く微笑んでそんなことを呟く。



「————」



「けど——

思ったより、良かった。

……思ったより、ずっと。


——恋が実るのは、こんなにも幸せだって……初めて知った。



それに……お前の今の言葉を聞けて、安心した。


——痛いとかそういうのも、幸せだ」



 吉野の胸元に額をすり寄せるようにして、岡崎はそう小さく答え……間もなく、再び安らかな寝息をつき始めた。




「…………はあ。

マジでもうダメだわ、俺」



 そんな岡崎の頭を優しく引き寄せ、吉野は甘く絶望したように呟いた。




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