A Sweet Trick of Halloween(前編)第3話

 片桐とリナが会って、数日後。


 仕事を終えて帰宅した片桐のスマホに着信音が鳴った。

 リナからの電話だ。



 この前のカクテルバーで思わず口走った片桐の申し出に、彼女はすぐには答えず……少し時間を欲しい、と小さく返事が返ってきただけだった。


 ——もしかしたら、もう連絡など来ないかもしれない。

 そう思い始めていた矢先だった。


 ぎゅんと飛び上がる心臓をなんとか抑えながら、通話ボタンを押す。



『————いいわ。

あなたが、本当に彼らをもっと強く結べるって言うなら……キューピッド、やってみて』



「————え……

……本当ですか……?」


 思ってもみなかったリナのそんな返事に、片桐の心拍数はますます大きく跳ね上がる。


『——でも。

絶対に守って欲しい条件があるの』


「……条件……

どのような?」


『条件は二つよ。

まず、彼らの関係を壊すような真似だけは、絶対にしないで。——もしそんなことになったら、私あなたを許さないわよ。


それから……

あなたの行動に私が絡んでいることは、二人には決して気づかれないようにして欲しい。『リナさんのためにお願いします』とか言って泣き落とすようなやり方は論外よ。

私が勝手に二人を幸せにしたくてキューピッドやってるだけだっていうことを、よくわかってほしいの。自分を犠牲にして彼らを応援してるつもりなんか、さらさらないんだから。


私とは一切無関係な立場で——純粋に、あなた自身の力で彼らのために何かできるっていうならば……

チャンスをあげてもいいわ。


——今言ったことを、守れる?』



 意を決したように低く揺るぎないその語調から、リナの真剣な表情が瞼に浮かぶ。




「……わかりました」



 様々な思いのこもったその言葉をしっかりと胸に刻み、片桐はぐっと拳を握った。





✳︎





 9月半ば。すっと風の涼しくなった木曜、午後8時半。

 片桐は、岡崎の勤める会社のビルの出口付近に佇んでいた。


 二人の勤務先についてだけは、リナから情報を得た。

 そこからは、全て自力で何とか彼らに接近しなくてはならない。



 まず、どちらに接近するか。

 リナの元カレである吉野という男は、見るからに苦手なタイプだった。

 開口一番「何だてめえ」とか言いそうな相手と面倒な話をする度胸など、自分にあるわけがない。

 どちらか選ぶとすれば——どう考えても、冷静で穏やかな雰囲気を纏った岡崎の方だ。


 そう考えつつ、今週の月曜からなんとなくこの辺の様子を見に来ているのだが……

 吉野も岡崎も、とにかくバリバリにできる男らしい。ここにいてもいつ当人に会えるのか、見当もつかないのだが……だからと言って、何もせずにいては始まらない。

 そんな漠然とした思いのまま、片桐はその日の終業後も、何気にその周辺を行ったり来たりしていたのだった。


 帰ろうか、それとも一旦どこかで食事でもして……

 そんなことを考えながら、ふとエントランスに目をやった瞬間——

 ずっと探し続けていた面影を見つけ、思わず視線がぎゅっと奪われた。


 細身のチャコールグレーのスーツを品よく着こなし、端麗な無表情で颯爽と歩みを進めるスマートな姿は、嫌でも人目を引く上質なオーラを放つ。


 ——ああ、こっちも苦手だなあ……

 どんだけハイクラスな男とくっついてるんだ彼女は……

 思わず出そうになるそんな弱音をぐっと飲み込み、物陰に隠れながらその背を追った。


 人混みに紛れるようにしながら後を追いつつ、自然に接触できるラッキーなチャンスでも訪れないかと待ってみるが、そう都合よくは運ばない。

 うむむ、と口の中で唸りながら必死に追ううちに、ふとその背中が細い路地に折れた。

 置いていかれては、次にいつチャンスが来るかわからない。

 片桐は慌てて彼の後に続いてその路地に踏み入った。



「——————」


「何か、ご用ですか」



 路地を曲がった瞬間——今まで追っていたその男に、いきなり目の前に立ち塞がられた。



「…………っ……!!」


「あなた、尾行バレバレですよ。

……で、ご用件は?

内容によっては、今すぐ警察に通報……」


「————あっっ、いえっ!!!

済みませんそういう怪しい用件じゃないんです全然!!!!」


 ぞくりとするように美しく鋭利な岡崎の視線に射竦められ、片桐はジタバタと必死に弁解する。


「……ならば、なぜ尾行を?」


「————

ここでお話はできません。

もっもしできれば、どこかでちゃんとお話ししたいのですがっ…………」


 何とか絞り出したその言葉に、岡崎は片桐を上から下までチェックするようにじろりと見る。



「…………

いいでしょう。

もし妙な真似したら、即通報しますから。

——じゃ、その辺の居酒屋にでも」


「————ありがとうございます」



 緊張でぐっと詰めていた呼吸が、思わずはあっと漏れる。

 ——何が何だかよくわからないが、とにかくチャンスは掴んだようだ。


 ここからが勝負だ。

 落ち着け……ここでミスをしては、後がない。



 片桐は、前を行く岡崎のワイシャツのシャープな肩を見つめ、腹を据えるように大きく息を吸い込んだ。





✳︎





 大きな通りを歩くと、適当な居酒屋はすぐに見つかった。

 店内のざわざわとした人気と騒々しさも、ビリビリと張り詰めた緊張を何となく和らげる。


 とはいえ、全くの初対面の男二人である。

 適当にそれぞれビールをオーダーすると、岡崎は前置きなしに切り出した。


「で、話とは」


「…………済みません。

少し飲んでからでも、いいでしょうか?——どうにも緊張してしまって」


「——ええ、それならまあ」


 片桐的には、少し時間が欲しかった。

 自分なりに戦略を考えてはあるのだが——こうもいきなりそれを実行することになるとは思ってもおらず……そして、今実行しようとしているそれは、少なくとも席に着くなり口にできるセリフではなかった。

 怪しまれないよう、それらしい空気にしておかなければ……ここで何かを見破られては、リナから二度目のチャンスをもらえるはずなどないのだから。


 運ばれてきたビールのジョッキを、それぞれ黙って口にする。

 酒にあまり強くない片桐には、アルコールの効きも速い。

 勢いに任せて空腹に入れた酒はガチガチに硬直した気持ちを急速に緩め、今必要な大胆さをいい具合に呼び起こす。



「——岡崎さん、ですよね」


 深く一つ呼吸をし、気持ちを落ち着けてから、小さくそう呟く。



「…………」


 岡崎はぐっと警戒を高めて片桐を見据えた。



「…………

いきなり、こんな風に驚かせてしまって、済みません。


僕、片桐洋輔と言います。



あの——

僕……あなたのことが、好きなんです。



…………僕と、付き合ってもらえませんか」




「————」




 片桐の言葉に、岡崎は3秒ほど固まり……ふっと美しい微笑を浮かべると、ビジネスバッグからさっとスマホを取り出した。


「やっぱ通報しますねー」

「あーーーー!!まっ待ってください!僕何もしてないじゃないですか!?」

「何かしたとかそういう問題じゃない。俺はあなたとこれまで一度も会ったことがありません。そうでしょ?

なのに俺の名前も知ってるし、いきなり告白とか……ということは、さっきの尾行だってどう考えてもストーキングですよね?」

「ちっ違いますっっ!断じてストーキングじゃありませんっ!!」



「…………」


 断固とした片桐の態度に、岡崎は少し怪訝そうに首をかしげる。


「——っ……

ごめんなさい……」


 その空気にハッとし、片桐は必死に自分自身を操縦する。

 ここは、好きな相手の後をつけた自分の非を多少は認めなければいけない場面だ。


「…………

少し前に、あなたを見かけたんです。どこだったか……居酒屋で、あなたが友人の方と飲んでいるところを。

あなたの笑顔が、とても綺麗で——一目惚れしました。

その時、あなたが『岡崎』と呼ばれてるのも聞こえて……

——気づけば、あなたのことが頭から離れなくなりました。


そうやって忘れられずにいたあなたを、今日は偶然見かけて。

あなたの姿を見つけた瞬間、どうしても後を追いたい気持ちが抑えられませんでした。……許してください」


 くううーーーっっっ。

 告白の芝居がこれほどに苦痛なものとは……しかも、ただの告白じゃないぞ。同性にだからな!?今にも呼吸が変に乱れそうだ。

 あー、つべこべ言うな。とりあえず、これは自分の恋を叶えるためのミッションだ。何が何でもやり遂げろ。

 そう自分自身を励ましながら、ドギマギと泳ぎそうになる視線をぐっと岡崎へ向けた。



「…………

……困りましたね」


 そんな必死の告白が、むしろリアルに届いたのだろうか。

 片桐の視線に、岡崎は困惑したように瞳を伏せ、小さく呟いた。




 …………うあ。


 綺麗だ…………



 今までひたすら冷たい無表情モードだった美しい男が不意に戸惑う色気を目の当たりにし、片桐は唖然とする。

 もしかして……こういう表情、安易に見ちゃいけないやつだったんじゃないか……??




「…………あ。

すっすすみません本当に!いきなりこんなこと言って!!!」


 気づけば、自分も芝居でなく本気のドギマギになりつつある。

 もはや収拾がつかないレベルに思考が混乱している気もするが、とにかく計画していたことだけはやり通さねばならない。



「…………いえ。

でも——

……俺、もう付き合ってる相手がいるので」


 岡崎は、どこか困ったような微笑でそう答える。



「——その人とは、もう将来を約束してるんですか?」



「…………え……」


「もし、もう婚約とか……そういう段階になってしまっているなら、諦めます。

でも、そうじゃないならば……まだ僕にも、可能性はありますよね?」



「————」


 俄かに表情のざわつき出した岡崎へ向け、片桐はここぞとばかりに眼差しに力を込める。



「……僕、諦めませんから。

あなたとその人の間が、まだ固く結ばれていないのなら……どうか、僕も選択肢に入れて考えて欲しいんです。——お願いします」


 はっきりとそう告げると、なりふり構わずがばりと頭を深く下げて懇願した。




「……ちょっと待ってください。

————困ったな」


 そんな片桐を、岡崎は本格的に困惑した面持ちでじっと見つめた。



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