A Sweet Trick of Halloween(前編)第2話

 9月上旬の金曜、夜7時40分。

 ナナミから連絡のあった小さなカクテルバーのドアの前に、片桐はいた。



 あえて10分時間を遅らせて到着したのは、ナナミとの計画である。

 ナナミからは、予定変更等の連絡は特にない。

 ということは、リナは予定通り、7時半にここにきているはずだ。


 店内に入ったら、彼女の姿を探し……

 見つけたら、落ち着いて近づき……彼女に言うのだ。

「ここ、いいですか」——と。



 そこから先は、どれだけシミュレーションしようとしても、無理だった。


 会社ですれ違うたび、ちらりと見かけるたびに、輝く日差しのように明るいオーラを放つ生き生きとした彼女が……気づけば、心から離れなくなっていた。

 今まで遠くから見るだけだったそんな美しい人に、いきなり一対一で挑むなんて——やっぱり無謀だ。


 自分の問いかけに、彼女がなんと答えるかなんて……想像すればするほど、勇気が削がれる一方だった。



 怖気づくな。

 せっかく得たチャンスなんだ。

 ——そのあとはもう、なるように任せるしかない。


 ただ……どうなろうとも、自分のこの想いだけは、伝えたい。

 それだけをひたすら心に繰り返しつつ、ここまでやってきたのだ。



「——とにかく、いくぞ」


 大きくひとつ息を吸い込み、片桐はドアに手をかけた。





✳︎





 リナは、カクテルバーの隅のテーブルで、ナナミを待っていた。

 少し遅れる、と彼女からメッセージがあり、とりあえず自分のモスコミュールをオーダーした。



 届いたグラスに最初の一口をつけた目の前に、ふと人の気配が近づく。

 リナはなんとなく、顔を上げた。



「——ここ、いいですか?」


 華奢なイメージだが、穏やかで清潔感のある男がテーブルの向かいに立ち、どこか固い微笑で自分にそう問いかけた。



「——えっ……と……?」


 呆気にとられつつ、リナは考える。

 ——どこかでよく見かけてるよね、この人?


 その時、リナのスマホに通知音がした。

 ざわつく思いで急いで内容を確認する。


 ナナミからだ。


『リナごめんー。実は今日、片桐くんがどうしてもリナに話したいことがあるらしくて。私は急な腹痛で行けなくなっちゃった〜。うふふ。

彼、素直ですっごくいい子だから、ちゃんと話聞いてあげなさいよ!!』



「……片桐くん……

あ、そうだった……会社で同期の片桐くん、よね……

って、ナナミのやつ……!!」

「あっあの……驚かせてしまって、本当に済みません。

——ナナミさんを、どうか責めないでください。僕が、無理やりお願いしたんです」



「………………

とりあえず、座ってくれる……?」


 リナも、動揺しつつもどうやら状況を理解したようだ。

 微妙に警戒しつつも、小さくそう呟く。


「……とにかく、何かオーダーしましょ」

「あっはい……え、えっと……じゃ、とりあえずビール……」

 わたわたと慌てる片桐の様子に、リナは思わずクスっと笑ってスタッフを呼ぶ。

「すみません、シャンディガフを」

「かしこまりました」


「え……シャンディ……?」

「ビールとジンジャーエールを合わせたカクテルよ。爽やかに甘くて美味しいから、飲んでみて」


「……あ、はい……

あっありがとうございます……」


 そこで思い出したように照れて俯く片桐に、リナは警戒を緩めてクスクスと微笑んだ。




✳︎




「……私に話って、何?」


 お互いに固い空気のまま、それぞれの酒を何口か飲み進め——グラスを静かにテーブルへ置いたリナが、口を開いた。

 その言葉に、緊張の糸を張り詰めたような片桐の肩が、小さく揺れた。



「……あの。

本当にいきなりで、ごめんなさい。


でも……

今日言いたかったことを、最初に言っちゃいます。


————僕……あなたが好きです」



 それまでドギマギと酷く戸惑っていた片桐の眼差しが、意を決したようにリナへ向いた。



「————」


「あ、あの……

僕はこんなふうだから……気の利いた言葉なんて、いくら考えても思いつかなくて……

それに、別の話なんかしてるうちに、一番大切なことが言えなくなってしまいそうな気がして。


でも……チャンスはもう、これ一度きりかもしれない。


…………

だから……

こんな、子供みたいな言葉しか、出てこなくて……

すみません。


でも……

もしもあなたが、僕を見てくれたら……と……


——本気で、そう思っています」



 彼はテーブルにぐっと拳を握り、全力を振り絞るようにそう言い切った。



「…………片桐くん。

ありがとう。

気持ちは、すごく嬉しい。


——あなたが嫌とか、決してそういうんじゃないの。


でも……ごめんなさい。

自分の恋は、今はとりあえずいいかな、なんて……

最近ずっと、そんな気分なのよね」



「どうしてですか」


 簡単に退きたくない一心で、片桐は無我夢中で問い返す。


「……どうして、って……」

「それは——自分の恋より、何か大切なものがあるからですか?」



「————」


「あなたが親しくしている、彼ら二人のことの方が……今のリナさんには、大切だからですか?」


 これを聞かないまま帰るわけにはいかない。

 ブレーキが壊れたかのように、片桐は直球の質問を投げる。

 その問いに、リナの表情が俄かに固くなった。



「……二人のこと……

ナナミから聞いたの?」


「……少しだけ聞きました。

それに、あなたが彼らと一緒にいるのを見かけたことも」



「————

まあ、親しくしてることは別に隠してるわけでもないし」


 リナは、複雑な表情を何とか散らすように微笑む。


「——でも、彼らの何かが自分の恋より大切とか、そういう理由じゃ……」



 そんなリナの瞳の奥を、片桐はじっと見つめた。

 そして、何かを振り切るようにぐっと表情を緊張させ、口を開いた。


「——失礼を承知で、お聞きします。


もしかして……

彼ら二人は、何か深い関係で……

リナさんがその間を繋いでる役回りとか……


違いますか?


彼ら二人を、幸せにしたくて。

だから、あなた自身の恋には目を向ける気にならない——

考えれば考えるほど……僕には、そう思えて仕方ない。


……もしこれが僕の勘違いだったら、どうか許してください」



 危険な領域に突入していくような気配でそう尋ねる片桐を、リナは思わず驚きの表情で見据えた。



「————」


「…………彼らは……恋人同士ですか」




「…………

あなたにそこまで何か気づかれてしまったのなら、仕方ないわ。


——絶対に、口外はしないと約束して」


 リナの表情が、きっと険しくなった。


「約束します」

 自分自身の予想が事実だったことに驚きつつも、片桐は確かな口調でそう答える。


「あなたの言う通りよ。

私は、あの二人のキューピッドをやってるの……これでも、なかなか優秀なキューピッドなのよ?

幼馴染の親友同士で、ケンカやすれ違いばかりの不器用な彼らを見ているうちに、つい応援したくてね。

ほっとくと、ちょっとした行き違いであっという間に離れていきそうで——いつもヒヤヒヤしっぱなし。何度力ずくでくっつけ直したことか」

 そんなことを呟き、リナはふっと微笑む。


 その表情を、片桐は黙って見つめた。



 ……もしかしたら。


 彼女の心の中には——

 ただキューピッドを務めているという思いだけではなく……

 彼らに対して、それ以上の何かが生まれているのかもしれない。


 恋でもなく、友情ともまた違う……言葉では説明しようのない、暖かな何かが。



 ——けれど……。



「でも——。

リナさん。

あなたがそこに留まっている限り、あなた自身の幸せはやってこないじゃないですか。

彼らは、結局はお互いを一番大切な存在として見つめ合うのだから……

どれだけあなたが側にいても、3人が同じ強さで結び合うことは、絶対にできない。——そうでしょう?」

「そんなことはこれっぽっちも望んでないわ」

 リナは、鋭い語調でそう返す。


「ただ……

私は……

彼らの恋が壊れてしまうのが、心配で……」


 ふっと声の弱まったリナの隙間に入り込むように、片桐は更に畳み掛ける。


「ならば。

二人の恋が壊れる心配がなくなれば、あなたはそこから自由になれる——そういうことですね?」



「————」


 リナは、返事を探しあぐねてぐっと黙った。



「もしそうならば……

僕に、チャンスをくれませんか。


彼らのキューピッドを、僕にやらせてください。


——彼ら二人を、今よりもっと強く結んでみせます」



「……ち、ちょっと待ってよ片桐くん……」


「僕は、あなたが好きです。——これは、本気です。

僕はあなたを、彼らから奪いたい。


——どうか何も言わずに、しばらくの間、僕にキューピッド役を任せてください」



 最初と同一人物とは思えない、片桐の熱のこもった言葉と表情に——リナは、ただ呆気に取られて彼の瞳を見つめ返した。


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