The Season of Fresh Green(後編)
The Season of Fresh Green(後編)第1話
カクテルバーでマスターと話をした水曜日から、数日後の夜。
仕事を終え、部屋に着いた岡崎のスマホの着信音が鳴った。
相手を確認し——
岡崎は一瞬緊張した目をしてから、通話ボタンを押す。
「——吉野?」
『岡崎。久しぶり』
「……ああ」
『……最近、仕事はどうだ? 少し忙しさも収まったか』
「……だいぶ落ち着いた」
『————
この前の電話は……ごめん。
なんだか感情的になって——ほんと酷いこと言った』
「……
それはお互いさまだ」
『——あのさ。
お前の都合がつけばだけど……
今度、花見しないか?
俺の部屋の近くに、小さい桜並木があるんだ』
吉野の言葉に、岡崎は微妙に首をかしげる。
「桜?……だって、もう時期じゃないだろ」
『花は過ぎたけどさ。気持ちいいんだ、葉桜が。
風が吹くと、葉がサラサラ音を立てて。疲れやらいろいろが、洗い流される気がする。
静かなベンチで酒盛りもできるぞ』
そんな誘いに、岡崎の気持ちもふっと和らいだ。
「…………いいな。
気持ち良さそうだ」
『じゃ決まり。今度の金曜、大丈夫か?』
「……ああ。わかった」
吉野との短い通話を終え、机にスマホを置くと、岡崎は窓を開けた。
住宅街の屋根の向こうに、街の夜景が小さくきらめく。
「——葉桜か」
小さく呟くと、気持ちを改めるように、ひんやりと心地よい空気を大きくひとつ吸い込んだ。
✳︎
4月最後の、金曜の夜。
二人は近くの駅で待ち合わせ、のんびりとした足取りで並木道へ向かった。
通りがかりのコンビニでビールと軽いつまみなどを適当に仕入れる。
「なんか、こういう適当なのも楽しいな」
「だろ?」
どこか浮き立つような岡崎の横顔を見て、吉野も嬉しそうに微笑む。
よかった。
——デートなんて言っちゃ、こいつがまたがっちり強張るからな。
さりげないようでいながら実は悩みに悩んだ、吉野なりの全力の計画である。
小さな遊歩道の頭上をアーチのように桜の枝が囲む、静かな並木道。
そこに据えられたベンチに、足を投げ出すように並んで座った。
頭上の街灯に照らされて穏やかにさざめく桜の若葉を見上げる。
その伸びやかな空気をそれぞれに味わい、適当にビールを開けた。
「あー、気持ちいいな」
「普段の肩こりが癒されるだろ」
「はは、ほんとだ」
岡崎は、ベンチの背に身体を預け、両腕をぐっと後ろへ伸ばして深く息を吸い込む。
「……葉桜も、こんなに綺麗なんだな……初めて気づいた」
「普段こうして木の葉を見上げたり全然してないんだよなー、俺たちって」
「それに外で飲むビールって、やっぱ美味い」
「じゃ、今日連れてきてよかった。
もっとぐったりしてるかと思ったけど……そうでもなくて安心した」
「そうか? 結構ぐったりしてるぞ」
そんな冗談めいたことを言いながら、軽く笑い合う。
爽やかな風が通り抜ける。
二人で缶ビールを呷り、少し会話に間が空いた。
……あまり酔わないうちに、話をしよう。
吉野は、今日岡崎に伝えるべき本題を切り出そうと、息を大きく吸い込んだ。
「————」
「……吉野」
岡崎に呼びかけようとした、その瞬間——
岡崎が、僅かに早く口を開いた。
「…………え?」
タイミングを奪われ、吉野は思わず岡崎を見る。
「————悪かった」
岡崎は、ぐっと思いつめたような表情になり、静かに呟く。
「…………悪かった、って——何が」
「……俺……
あの夜、お前が俺にした告白——
本当は、ちゃんと覚えてた」
「————」
「でも——
あの時は、気持ちがぐちゃぐちゃに混乱して……どうしたらいいのか、わからなかった。
——覚えてる、とお前に答えるのが……怖くて仕方なかった」
その言葉に、吉野はじっと岡崎を見据える。
勇気を奮い起こし、これまで押し込めていた思いを吐き出すように、岡崎は言葉を続けた。
「けど——
あの朝……あんまりお前があっさりあの告白を取り消そうとするから……
俺は、お前の気持ちがさっぱりわからなくなった。
お前の心を、疑った。
悪いのは、ちゃんと答えられなかった俺なのにな。
だから——
もう一度、確認したいんだ。
あの夜、お前が俺に言った言葉は——あの時一瞬だけの気持ちだったのか」
「……んなわけねーだろ。
俺もさ……
今日、お前にそれを言うつもりだった。
あの時は、お前が戻ってきてくれたのが嬉しくて——うっかりとんでもない告白になったことに、自分でも動揺して……急いで取り下げなくちゃと、そればかり思った。
でも——
お前に伝えたかったことをちゃんと伝えないまま……まあいいか、で済ませちゃ、やっぱりだめだったんだ。
どんなにドン引きな告白だとしても——
あの時の気持ちが一切なかったことになるなんて……俺は、やっぱり嫌だ」
迷いのない口調でそう言うと、吉野は改めて岡崎を真っ直ぐに見つめた。
「だから。
もう一度——お前にちゃんと、伝える。
俺は——
お前を、もう離したくない。
俺は。
たとえどこへ行っても、お前のいる場所へ帰って来たい。
お前のそばで、目覚めたい。
どんな繋がりよりも固く、お前と結ばれていたい。
——たとえ、何が起ころうとも。
これは、正真正銘の俺の本心だ。
——二度と、疑ったりしないでくれ」
その言葉と、吉野の真摯な眼差しに——岡崎はやっと解き放たれたような微笑みを見せた。
「……嬉しいよ。
今の言葉は、俺にとって、どんなものよりも大切なものだ。
一言だって、忘れない。絶対に。
だからお前も——俺にくれたその言葉を、間違っても勝手に取り消したりしないでくれ。
俺の答えは、決まってる。
……あんまり幸せな気がして、お前に頷くのが怖いくらいだ」
そう言うと、岡崎は穏やかな目で吉野を見つめた。
「……だけど。
そこに行き着くまで……もう少しゆっくり、進んでいかないか。
二人で。
俺たち……多分、大事なことはまだよく知らない。
少しずつ、もっとよく知って——
これまで触れられずにいた、お互いのことも。
お前の言葉に頷くのは、そうやって、ちゃんと恋人同士になってからにしたい。
——急ぎ過ぎた、なんて台詞、お互い絶対言いたくないだろ?」
思いが途切れないよう、はっきりとそう言い終えると——岡崎は、そこで初めて込み上げる照れをぐっと押し込めた複雑な顔をした。
「…………つまり、そういうことだ。
俺の言いたいことは、以上だ」
正に全力を振り絞ったようなその告白に、吉野はそれこそ度肝を抜かれたような顔でじっと岡崎を見つめる。
そして、困惑と喜びのごちゃ混ぜになったような、複雑な笑顔になった。
「……お前から、そういう言葉を聞けるって……
……まじか?
ほんと、夢じゃないだろうな」
「おい。夢とか大袈裟だろ」
岡崎は赤くなってぶっきらぼうに返す。
「大袈裟じゃない。全然。
——すごく嬉しいよ。
それに……俺も、慌てる気はないんだ。
勢いで、つい半端じゃなくフライングしたけどな」
そう言うと、吉野はあの時のお互いの狼狽ぶりを思い出したように、クスッと微笑む。
そして、岡崎をまっすぐ見つめ返した。
「いつか、俺の言葉が叶うなら——今は、そんな風に思ってる」
岡崎は、安心したようにふっと緊張を解き、小さく微笑んだ。
——そして、付け足すようにぼそりと続ける。
「ああ——それから」
「ん?」
「…………『晶』って、呼ばないのか」
「…………!!?」
「この前、そう呼んだろ」
「えっっ……
あっあれは、なんというかその勢いでつい……」
「お前が呼びたいなら、そう呼んだらどうだ」
何かつまらない話でもするように、岡崎はなんとなく横を向いて素っ気なく言い捨てる。
「…………
じゃ、お前も俺のこと名前で呼ぶか?
お前がそうするなら、俺も変える」
吉野は、湧き上がる気恥ずかしさをぐっと堪えつつ、じろっと横目で岡崎を睨んだ。
「……いいだろう」
岡崎は、改めて赤面しつつ俯き、ぼそりと呟いた。
「ところで。
ビール、相当ぬるくなってきたぞ」
「そうだな。焼き鳥も冷める」
そうして——
二人はようやくいつものように顔を見合わせ、小さく笑い合った。
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