これって脈アリですかね?
小山田花子
これって脈アリですかね?
「へぇ。愛汰ってこう書くんだね。」
そう言って、田中さんは僕の履歴書を眺めながらにこやかに笑った。日曜日だけど、面接練習に付き合ってくれませんか?と僕に呼び出された彼女は、同じ学年だけど一浪しているので年は一つ上で、僕と同じ公務員志望だ。
「そうなんですよ。でも、変わってるけど呼びやすいってよく言われます。」
「あはは。いいなぁ。こんな素敵な名前で、うらやましいなぁ。」
「そうですか?自己紹介した時とか何度も聞き返されるし、嫌ですよ。」
「インパクトがあるってことじゃん。一度きいたら忘れないし。あたしなんて苗字も田中だし、下の名前もパッとしないし、覚えられにくいもん。」
けらけらと笑う彼女は、化粧っ気が泣く、スタイルがいいわけでもなく、かといって巨乳というわけでもなく。太っているわけでも痩せすぎているわけでもない。強いて言うなら笑ったときに見える八重歯が可愛らしいというだけの女の人だ。鼻と口の間に薄い茶色のほくろがあって、彼女と話すときに僕はついそれを凝視しがちだ。
「よし、じゃあ面接練習しようか。」
と彼女がはっきりとした声で言う。
「よろしくお願いします。」
と僕は答える。
「はい。・・では、あなたの志望動機から教えてください。」
彼女が言った。
*
彼女に出会ったのは公務員試験のため通っていた予備校だった。とはいえ、話すようになったのはここ3か月程度の話だ。予備校の授業は基本的に夜に行われ、大学三年生の夏から、僕はせっせと通っていた。田中さんも同時期に予備校に通い始めていたらしく、僕は9月に彼女を見つけた。彼女はいつも前から三列目、ど真ん中の席に座っていた。熱心にメモを取り、時折猫背になるその背中を眺めてよく授業をうけたものだ。
「僕、田中さんの事知ってましたよ。いつも前の席で授業受けてましたよね。」
二回目に会ったとき僕は彼女に言った。
「え?おなじ教室だったの?」
彼女はきょとんとした顔をする。
「・・・そうですよ」
自分だけ7か月間も後ろから眺めていたことが恥ずかしくて、僕はうつむいた。
「あはは。そうなんだ。知らなかった。あたし目が悪くて、前の方に座ってたからさ、うしろの人たちは見えないもん。」
さらりと笑う田中さんの、八重歯にときめく。
僕が眺めていた7か月間、彼女はいつも眼鏡をかけていたのだ。
しかし、最近はコンタクトにしたようだ。筆記試験が終わり、面接の時期に入ったためスーツとボストンメガネは合わないという理由でコンタクトにしているらしい。
すべての筆記試験が終わり、生徒同士の自主的な面接練習が始まった初日、彼女はコンタクトに変え、肩まであったもさもさした髪の毛をばっさりショートカットにして現れた。
実はきれいな人だったのだと、そこで僕ははじめて気づいた。
「はい。では以上で面接を終わりにします。お疲れさまでした。」
面接官役の彼女が真顔で言って、
「ありがとうございました。」
と僕は笑顔で答える。
一気に緊張感が抜け、お互いに笑顔になった。
「・・・おつかれ~!」
八重歯を見せて、田中さんはくしゃりと笑う。田中さんは決して美人ではないが、笑った顔は僕の心をとても癒す。
予備校での面接練習は7、8人の生徒同士でグループを作り、お互いに面接官役を好感しながら行う。A~Eグループまである中で、僕も田中さんもCグループだ。
「昨日答えられなかったとことかすごく改善されてて、私も見習わなきゃなと思って聞いてたよ!」
田中さんからフィードバックをもらう。彼女は最初に褒めてくれて、そのあとダメ出しを5つほど言う。もちろん学生目線なので限界はあるが、田中さんのアドバイスは的確で、彼女の面接練習はいつも怖いとグループ内でも評判だ。
「田中さん、面接官役のとき怖いし、・・・超緊張します。」
「え~?そうかな?笑顔でやってるんだけどな~?」
「笑顔だけど、口調がこわいです・・・。」
「あははは。」
真正面から見る彼女はいつもにこにこしていて、他の女の子ともフレンドリーに話をしていた。僕を含め、グループ内全員が面接練習初日から田中さんを一目で好きになっていた。
*
「区役所訪問、一緒に行きませんか?」
帰り際に、横を歩く田中さんに満を持して言う。
「ごめん、あたしもうアポ取っちゃって、一人で行くことになってるんだよね。」
さらりと断られた。
「いつですか?」
「明後日の13時」
「わかりました」
JRを使う彼女と駅構内で別れた後、駅の男子トイレで区役所に電話をした。明後日の11時がとれた。すぐに彼女にラインをする。
『たなかさん!僕も今電話したら、偶然明後日の11時になりました!田中さんが終わった後、街中散策一緒にしませんか?実際、まちのなか見たほうが面接のときいろいろ言えると思いますし!』
絵文字をふんだんに使って送ったのに、返事は
『りょ!』
の一言だけだった。でもうれしい。にやけながら田園都市線に乗る。
自分で言うのもあれだけど、僕はわりとモテる方だと思う。いままで定期的に彼女はできたし、風俗にお世話になったこともないし。でも、年上と付き合ったことはなくて、年下か同い年だけしか付き合ったことはない。5か月前に別れた彼女は一つ年下で、女の子女の子してるかわいい子だった。大きな瞳と長いまつ毛、やわらかい長い髪の毛が魅力的だった。
田中さんのかみの毛は柔らかそうな印象はない。
髪型も洗いざらしのショートカットだし、前髪は額の真ん中あたりで斜めに流されていて、女の子というより少年っぽい。瞳も大きいわけでもないし、爪も短く切りそろえられていて、きれいな年上のおねぇさんというわけではない。
なのに、目が追いかけてしまう。
予備校の広い教室内で、どこにいても彼女をすぐに見つけることができてしまう。
フレンドリーな彼女が、グループ内の他の男と仲良さそうに話していると腹が立つ。
なんだろう?
なんでだろう?
いままでのタイプとは真逆なのに、どうして彼女ばかり気になっているんだろう?
結局、好きなタイプなんてないってことかもしれない。だって、田中さんを見ているとあのゆがんだくしゃっとした笑い顔が心に食い込む。タヌキの様に下がった目じりを撫でたいと思う。メモを取るときの猫背がたまらない。
「・・・・自分・・きも。」
電車の中で、窓の外を眺めながら自分を自分で叱咤する。
*
二日後、区役所の最寄りの駅で田中さんを待つ。田中さんの区役所訪問が終わった後、14時に待ち合わせをした。僕は時間の10分前に到着して、目の前を通り過ぎていくいろんな人間を眺める。
「愛汰ー」
うしろからちょんちょんとつつかれて、振り返るとスーツ姿の田中さんがいた。いつもよりきちんと化粧をしていて、まつ毛が伸びている。
「あ、おつかれさまです!」
「あはは。ごめんね?待ったよね?愛汰午前中に終わってたんだよね?」
「いえ、全然。大丈夫です。」
二日ぶりに会う田中さんはなぜかいつもより可愛く見えて、妙にテンションが上がっているのが自分でもわかった。
「とりあえず店入ってどこらへん散策するか決めません?」
「おっけ~。」
二人でカフェに入る。奥の席に通されて、田中さんをソファ側に促したら「あはは。レディーファーストってやつか~」と笑われてしまった。
「わたし決めた。これ頼む。」
「え、はやくないですか」
「いいよ、ゆっくり決めて」
メニュー表を見て、田中さんわずか10秒もしないうちに頼むものを決めた。優柔不断の僕はなかなか決まらない。
「あー。これもおいしそう。あ、でもこっちもいいなぁ~」
あれこれと悩む僕を見て、田中さんは水を飲みながら笑っている。
「あはは。女子か。」
と言われた。
「田中さんデザート食べますか?」
僕が言うと、
「え!あるの?デザート食べたいっ」
と突然子供の様に無邪気によろこび、僕の手元にあるメニュー表をながめた。
「わぁ!しなも~ん」
まるで少女の様に口を開けて、食べたそうにデザートを眺めている。デザートはなかなか決められないようだ。かわいい。
「愛汰はなんか食べるの?デザート」
「僕甘い物苦手なんで」
「・・・可哀想な人生だね」
「なんでですか!」
「あはは。うそうそ。太らなくていいじゃん」
「田中さんも太ってないじゃないですか」
「なにをおっしゃいますやら。田中さんは太ってますよ~」
「どこがですか?」
「お腹とか、二の腕とか、ぷよぷよフィーバーですよ」
「・・・・」
僕は、メニューを熱心に見ている田中さんの、二の腕に手を伸ばしてつまんだ。
「・・・・ね?」
目線をメニューに向けたまま、田中さんはなんてことないように言う。僕は内心どきどきで、そのあまりのやわらかさに体が熱くなった。
「ぜんぜん、ぷよぷよじゃないじゃないですか~」
「あはは。どっち?」
「太ってないってことです!」
「そうかそうか。よかった。あ、あたしやっぱティラミスに決めた~。愛汰はそろそろ決めた?」
腕を引っ込めて、僕も何も気にしてない風に「僕はとっくにきまってますよ」と強がった。案の定、田中さんに「愛汰はかわいいねぇ」と目を細められた。
*
サラダを食べているとき、
「田中さん箸の持ち方ちがいますよ」
と僕が言うと、
「知ってる。でももう直せないの。いーの」
と田中さんが言ったので、
「直した方がいいですよ。嫁にいけませんよ」
と僕が言うと、
「嫁には行かないからいーの」
と田中さんが返した。
「結婚願望ないんですか?」
僕が聞く。
「愛汰はあんの?」
「僕ですか?」
「うん」
「ありますよ」
「へぇ」
「なんですかその興味なさそうな返事!」
僕が言う
「あははは。あ、てか、そろそろ敬語やめてくんない?」
「いやぁ・・なんか田中さんにため語って…」
「おなじ四年だからね?」
「まぁ、そうなんだけど」
「愛汰ぐらいだよ、敬語。みんなため語なのに、なんか悲しい。」
「すみません」
「・・・・・」
「ご、ごめん」
「あははは。かわいいなぁ」
かわいいってなんだよ、もう。
*
店でどこらへんを散策するか計画して、商店街や、住宅街、公園へ行った。
さびついた公園の遊具で田中さんがはしゃいでいる。
「スーツなんだしやめた方がいいですよ」
「でもやってみなきゃ子供の気持ちになれないじゃん?」
「僕は止めましたからね。ケガしても知りませんよ」
「けがなんてしないよ」
滑り台を降りる時、心配になって真正面で降りるのを見ていたら、タイトスカートの隙間からパンツが見えた。ピンクだった。僕は思わずガン見してしまったのに、田中さんは気づいていないようだった。
「摩擦でお尻が熱い!」
スカートのお尻を叩きながら、田中さんが飛び上がった。
「あははは。言わんこっちゃない。」
僕は爆笑する。
公園内に鳩がいた。僕は鳩が嫌いなので、「きもい」を連発した。
「きもいきもいきもいきもい」
「なんで?ほら、かわいい~、あ、あのこだけ白いよ。」
一羽だけ白い鳩がいた。
「アルビノ」
と田中さんが言うので
「アルビノって何?」
僕は言った。ため口で。
「白い奴のこと。人間にもいるよ」
「へぇ」
あるびの、と僕は口を動かした。
突然、田中さんが鳩を追いかけてきゃはははは!と無邪気な笑い声をあげる。
「なんで追いかけるの、かわいそうじゃん」
僕は言う
「遊んでんだよ」
と彼女が振り返って、笑った。
夕日が彼女の背中から落ちていき、僕はそれをぼんやりと眺めていた。たなかさんは相変わらずスーツが汚れるのを気にせず、ジャングルジムによじ登ってひとりで楽しそうにしている。子供か。
「まったく…」
僕は、彼女と話せなかった7か月間眺めていた彼女の背中を思い出していた。肩がほそくて、抱きしめたいと思っていた。一生懸命勉強する後ろ姿を見ていた時から、もしかしたらもう好きだったのかもしれない。人は、いったいいつから恋を恋だとわかるのだろう。
就活が終わったら、もう予備校に行くこともなくなる。そうしたら、もう田中さんに会うこともなくなるんだろうか。そりゃそうだ、仕事が忙しくなったら、恋もおざなりになるだろう。それとも、僕はまた新しい誰かを見つけて彼女の事なんか忘れてしまうんだろうか。
気持ちって、不思議だなあ。
でもいま、まるでデートの様に公園でふたりきりで、はしゃぐ彼女を見て、胸の奥がきゅんとする。これは恋の始まりなんだろうな。
*
帰り際に、こう見えてカラダ鍛えてるんだよ、と言ったら田中さんがぼくの二の腕をつまんだ。
「ほんとだ。やっぱ愛汰も男の子なんだね、硬い。」
「・・・・・」
やっぱ男の子。ってことは、僕の事を女の子だと思ってたんだろうか。
「当たり前でしょ。てか、田中さん早生まれだから一歳どころか数か月しか変わらないじゃん。」
「でも、なんか愛汰は可愛いんだよ」
何を言ってるんだろうまったく。年下だとしても、僕にはちゃんとおちんちんがはえていますし、あなたより15センチ以上背もたかいですし、てゆうかたったの一歳の差で、どうしてそこまで可愛がられなきゃいけないんだろう。
「田中さん」
僕は彼女の手を握った。お互いスーツ姿で、こんなに大勢人がいるのに、区役所訪問の帰りだし、大丈夫かなとか思うけど、でも。
「・・・・」
僕の手を握り返そうとはせず、でも振り払おうともせず。田中さんはじいっと僕を見上げていた。
「・・・・・」
「・・・・・」
彼女を見ると、いつも不思議な気持ちになる。だって見た目は全然タイプじゃないのに、どうしてこんなに一緒に居たくなるんだろう?ちゃんと話し始めてまだ3か月。なのに、僕には10か月分の片想いがある気がしてならないんだ。
僕は、可愛くて、おっぱいが大きい女の子が好きだと思っていた。でも、田中さんに出会って、そんなものまったく関係なかったんだと気づいた。惹かれるものがある。それで充分じゃないか。
「なに?愛汰」
田中さんが小首をかしげる。僕を見上げる目はやっぱり僕が大好きな目で。
「・・・・」
「す・・すき。」
「・・・・」
「・・・すき、になっちゃったんですけど」
「・・・・」
「どうしましょう…」
最後の方は蚊の鳴くような声だった。彼女の口元が緩み、ぷはっと笑いだす。
「あはは。どうしよっか。」
僕の手を握り返して、彼女は八重歯を出してほほ笑んだ。
おわり
これって脈アリですかね? 小山田花子 @oyamada875
★で称える
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