烈風魔法少女マジェスティック・サイクロン

遊川率

第一巻 The Return of the 〝NO LIFE KING〟

プロローグ

冥央海戦争ーギガント・マキアー

 十年前、冥央海冥央海の向こう側から敵が現れた。


 敵軍勢は〝ニューアトランティス〟を名乗り、エンテレケイアに対して一方的に宣戦を布告、欧亜大陸は瞬く間に戦場と化した。


 世界を分断する冥央海――その向こう側には、かねてから失われた大陸があるとされてきた。それは大災厄以後は人類史から長らくその姿を消していた大陸だ。

 そこから突然、異文明の軍勢が大挙して押し寄せて来たのである。正体不明の彼らは〝超玄学主義〟を標榜する文明形態であるということ以上は、何もかもが不明のままだった。


 それに対し、エンテレケイアは〝魔法使いパンタシアグラマー〟の国であった。


 二百年前、始祖マジェスティック・サイクロンが欧亜大陸に開闢したこの国家は大いに栄え、かつての世界統一文明が大災厄によって失われて以降、この地上で唯一の正統なる人類後継文明として存続してきた。


 魔法使いたちは強大な力を有した。


 〝魔法パンタシアグラム〟である。


 彼らはその大いなる力の使い方を過たず、これまで長きに渡って国を導いてきた。

 ――魔法とは、守るための力。

 〝王〟たる彼女は、ずっとそう言い聞かされて育ってきた。


「――ッ」


 はるか彼方で王都が燃えている。


 暗がりの落ちた森の中から、彼女はそれを見ていた。まるで己の身体が焼かれているかのように痛々しい表情だった。


 彼女の名前はマジェスティック・サイクロン。

 エンテレケイアを統べる王家、マジェスティック家の正統なる魔法使い――すなわち、魔法使いの王だ。


 サイクロンとは王が継ぐ名であり、それ以前の名はカサンドラと言った。


 彼女が王となったのは十年前だった。


 戦争が始まると共に、まだ十六歳だった彼女は王位を継いだのだ。


 先代の王――カサンドラの母はニューアトランティスによって殺された。


 当初、エンテレケイアはこの異文明を歓迎した。

 大災厄によって歴史から消えた〝失われた大陸〟にまだ旧世界統一文明の後継文明が残っていたというのは、エンテレケイアにとっては素晴らしい報せだったのだ。


 しかし、そうした喜びもほんのつかの間でしかなかった。ニューアトランティスを名乗る異文明は一方的に宣戦を布告したかと思うと、冥央海から大量の軍勢を欧亜大陸に送り込んできたのだった。


 ニューアトランティスはエンテレケイアとの交渉にはいっさい応じなかった。


 それでも講和を――と尽力した王は、敵の手によって討ち果たされることとなった。


 以後、両者は完全なる戦争状態へと突入。


 若くして王位を継いだカサンドラは国家を守るため、ニューアトランティスと戦うため、魔法を戦に使用してはならないとする禁忌を犯した。


 両者の激突は凄まじい破壊をもたらし、豊かに栄えたはずのエンテレケイアはこの戦争で国土のほとんが焦土になった。あとに残ったのは砂と瓦礫だけだ。


 そして、戦争が開始されてから十年。


 国家の――いや、人類の歴史から見ればわずかな時間だろう。

 だが、人生で最も輝かしいはずの時間を戦争に捧げた若き王にとっては、あまりにも長い時間だった。


 ニューアトランティスはついに王都にまで侵攻し、エンテレケイアがこの地上から消し去られるのも、もはや時間の問題であった。


「……姉上」


 妹のローレンシアは今にも泣きだしそうだったが、しかし懸命に耐えていた。

 今はまだ泣く時ではないと、幼いながらに自分を戒めているのだろう。ローレンシアはまだ一二歳という年齢でこそあるが、内に秘めたる強さにはカサンドラも目を見張るものがあった。


「――もはや、ここまでか」


 カサンドラは膝を折った。


「姉上!」


 ローレンシアが慌てて身体を支えた。

 全身の力が抜けたように地面に腰を下ろしたカサンドラは、木に背を預けて苦しそうに息を吐いた。


 暗がりの中でほんのわずかに浮かび上がる彼女の白い肌は、よく見るといたるところに傷や痣があった。どうやら外傷だけでなく身体の内側にも大きな痛みを伴っているらしく、呼吸するたびに苦しそうだった。


 彼女たちはいま、逃げているところだった。


 二人と、そして多くの臣民たちを逃がすために、アルティメットとアイアンハートという二人の魔法使いが王都に残った。


 ここまで逃げて来られたのは二人のおかげである。


 だが、そろそろ身体が言うことをきかなくなってきていた。カサンドラの体力はすでに限界だ。彼女は度重なるこれまでの戦闘で元より大きな深手を負っており、その傷がじわじわと彼女の命を削っていたのだ。


 (わたしは、もうだめだ。しかし、ローレンシアだけは逃がさなくてはならない――)


 カサンドラは妹に向かって言った。


「……ローレンシア、わたしを置いて先に行け」

「そんな! 嫌です! 姉上もいっしょに逃げましょう!」

「いいや、どのみちこの傷では〝あれ〟からは逃げられんだろう。ならばせめて、お前だけでもここから逃げるんだ」

「嫌です! 絶対に嫌です!」


 ローレンシアは頑なにかぶりをふった。


 今だけは、この幼い妹はまるで歳相応の子供のようだった。


「――ローレンシア」


 この子は、これまで一度も我が儘を言ったことがなかった。

 時代が、環境が、全てのものがローレンシアから黄金の日々を奪い去った。

 それでもこの子は、そのことに一度たりとて不平や不満など言ったことがなかったのだ。


 王の妹として立派であり続けてきた。もしかすれば、これがローレンシアの初めての我が儘だったかもしれない。


 顔を泥だらけにしたローレンシアは、それでもやはり眦(まなじり)から涙をこぼさない。きつく口を結んで、姉の身体を小さな身体で支えて歩き出そうとさえした。


 確かに、魔法使いの身体能力は普通の人間の比ではない。魔法使いとして未熟なローレンシアでも、一人くらいならいっしょに連れて逃げられるくらいの力はあった。


 だが、ローレンシアも万全ではなかった。ここまで逃げてくるだけで、二人はもうぼろぼろだったのだ。


「……もういい、もういいんだ、ローレンシア」


 カサンドラは諦めようとしない妹を止めた。そうしなければ、彼女はいつまで経っても自分から離れようとはしないだろう。


「いいか、ローレンシア、よく聞くんだ」


 カサンドラは妹と向かい合い、諭すように言った。


「このままでは二人ともやつらから逃げることはできんだろう。だが、我らの血は決して絶やすわけにはいかん。〝始祖の力(マジェスティック)〟を受け継ぐことができるのは始祖様の直系である王家の人間のみ――そして、それはいま、お前とわたししかいない」

「し、しかし、わたしなどでは姉上のように立派な王にはなれません! まだ自分の〝正装イデア〟すら纏えるようになっていないのに……」

「大丈夫だ、お前ならば……〝始祖の力(マジェスティック)〟はお前をきっと次の〝王(サイクロン)〟と認めるはずだ」

「無理です! わたしにはできません! 姉上がいてくださらねば……姉上さえいてくだされば、エンテレケイアは滅びません! だから――」


 カサンドラはローレンシアを抱き寄せた。


 ローレンシアの身体は小さくて暖かった。


 こうして妹の身体を抱き寄せるのはいつ以来だっただろうか。遠い記憶の中にある感触よりも、ローレンシアの身体はずっと大きく感じられた。


 しかし、小さい。これから失われるモノの大きさを考えれば、その身体はあまりにも小さく幼かった。できることなら、ずっと傍にいてやりたかった。


「……お前は強い」


 お前は強くなくていい。


「……だから、大丈夫だ」


 だから、いつだってこの胸で泣いていいんだ。


 姉として、愛する妹へ言ってあげたかった言葉があった。


 しかし、時間がそれを許さない。


 この国は、かつて地上を襲ったという大災厄から生き延びた人々によって開かれた。魔法使いはその大いなる力で人々を導き、一度は消えかけた文明の灯を繋いでここまできたのだ。


 それがいま、あの暴虐なる業火に喰われて消えようとしている。

 どこで間違えてしまったのだろうかと、カサンドラは何度も考えた。


 母上の言う通り、ニューアトランティスとの戦争は回避すべきだったのか。

 だが、彼(か)の侵略者たちとの交渉は不可能だった。大災厄によって魔法文明と袂(たもと)を別ったあの異文明の軍勢は、ただ一方的にエンテレケイアを滅ぼさんと攻めて来たのだ。


 武器を取る以外に道はなかった。挙兵したのは間違いではなかった。そうでなければ、エンテレケイアは十年ともたずにあっという間に滅んでいただろう。


 旧時代魔法の暴走により引き起こされたとされる大災厄――それを食い止めたのが現代魔法の始祖マジェスティックであり、現存する全ての魔法使いはこの始祖の力を受け継いでいる、いわば子孫たちであった。


 エンテレケイアに暮らす全ての人々が魔法使いというわけではない。魔法使いの割合はむしろ二割くらいで、魔法の力も血によって受け継がれるのではなく、あくまでもその者が〝魂の条件〟を満たしているかどうかに由来した。


 唯一、直系へと受け継がれたのは〝始祖の力〟のみであり、つまり〝魔法使いの王〟だけが親から子へ、子から孫へ、その偉大なる力を脈々と受け継いできたのだった。


 それは祝福でもあり、呪いでもあった。始祖の力だけは、始祖の血を受け継ぐ直系にしか宿ることができず、始祖の力がなければ新たなる魔法使いは誕生しない……魔法の力とは、そのようにして現代にまで続いてきた。


 カサンドラが受け継いだ〝王(サイクロン)〟の名(ちから)は、いわば魔法と呼ばれるものの根源とも言えるものであり、彼女自身、自らが受け継いだ力の大きさには畏怖すら覚えるほどだった。


 〝始祖の力〟を受け継ぐ人間がいなくなれば、魔法の根源となる存在は消え失せる。そうすれば魔法使いという存在はこの地上から消滅するだろう。

 エンテレケイアは魔法と共にあった。魔法使いと民は共に生きてきた。それがエンテレケイアという国だ。


 民なくして国は存在しない。だが、王なくしても国は存在しない。

 標(しるべ)となるべき王がいなくなれば、行き場を失った臣民の全てが今度こそ本当に行き場を失うことになるだろう。ニューアトランティスが彼らを救済するとは到底思えない。


「……姉上」


 ローレンシアの瞳は揺れていた。

 本当ならこの幼い妹を、もっと強く、ずっと抱きしめてやりたかった。母の温もりすら知らないで育ってきたこの子が、自分に姉以上の何かを見ていたのは理解してきたつもりだ。


 全ては言い訳にしかならない。許しを得る資格は自分にはない。この先、この身の魂がどんな仕打ちを受けようとも、それは自らの過ちがもたらしたものだろう。


「――お前が王となって、みなを守るのだ」


 カサンドラは願った。

 いつかこの子が、強くならなくてもいい時が来てくれるように――と。


 その時、空から彼女らを目がけて巨大な質量が凄まじい速度で落ちてきた。


 カサンドラがはっとそのことに気が付いた時には、もうほとんど手遅れだった。

 とっさにローレンシアを突き飛ばした。


 衝撃が大地を穿った。落ちてきた〝それ〟はただ着地しただけで、そこにあったはずのものを根こそぎ吹き飛ばしてしまっていた。


 投げ出されたローレンシアは地面を転がって全身に小さな傷を受けたものの、大きなダメージはなかった。


「姉上!?」


 彼女はすぐに起き上がってカサンドラの下へと駆け寄った。

 カサンドラの身体はまるで石ころのように投げ出されて、力なく地面に横たわっていた。


「……ぐ」

「大丈夫ですか、姉上!」

「……ああ、大丈夫だ」


 カサンドラは何とか立ち上がると、すぐにローレンシアを庇うように〝それ〟に向き直った。


 〝ギガンテス〟だった。


 人の形をした、人ならざる巨大な兵器。


 この万能の絶対兵器こそ、エンテレケイアを滅亡へと追いやったニューアトランティスの尖兵であった。


 魔法使いは通常兵器では倒せない。その程度の火力では魔法には及びもしない。

 だが、ギガンテスの力は違った。人が操るこの巨人は、魔法と並び立つほどの大いなる奇蹟をその身に刻んでいるのだ。


 ギガンテスたちが大陸を蹂躙していくさまは、まさに悪夢そのものだった。

 冥央海の向こう側からやってきたこの破壊の巨人たちとの戦争――これが冥央海戦争ギガント・マキアだ。


 ただ、目の前の巨人はあまりにも大きかった。これまで見てきたどんな巨人よりも、はるかに大きい。これまで巨人と呼んできたギガンテスでさえ、こいつと比べれば小人に等しいように感じられた。


「――ギガンテス」


 カサンドラは忌まわしき名を呼んだ。


 全身が黒い装甲に覆われたそいつには、全身にまるで魔法使いの刻印と同じような紋様が浮かび上がっていた。禍々しく赤く光る双眸と血管のように脈打つその紋様だけが、昏い夜の中にはっきりと浮かび上がっている。


 それに対し、カサンドラの右腕にも同じように光を放つ刻印があった。その光は淡く、ギガンテスのそれと比べると受ける印象はまったく異なった。


 白き光の刻印と、赤き光の刻印。守るための光と、破壊するための光。


 巨人は二人の姿を確認したのか、まるでエネルギーを励起させるかのように、全身に走る血管のような刻印からさらに光を発し始めた。空気の微細な振動が肌にまで伝わってくる。


 それはまるで、これから生み出される破壊の胎動のようにも感じられた。

 カサンドラは最後の力を全て使い、その身に正装(イデア)を纏った。

 眩い光がカサンドラの身を包んだかと思うと、実態を持たなかった光の粒子たちは彼女に従い、彼女の身を包む白銀の装束に変化していた。

 その正装は美しくて気高かった。まさに〝王〟に相応しい、誇り高き正装である。


 ――魔法とは、守るための力。


 母から教えられた言葉が全身に力をもたらした。その言葉はきっと、遠い遠い昔から受け継がれてきたものなのだろう。


 魔法とは強大な力だ。一歩間違えば滅びさえもたらす諸刃の剣である。

 守ることも壊すこともできる。


 しかし、だからこそ守るのだ。


 己の矜持を。

 人の尊厳を。

 そして、大切な人々を。


 そのためにこそ我らの魔法は在るのだと、始祖の力はカサンドラにそう語りかけてきた。


 ほんの一瞬だけ、カサンドラは後ろを振り返った。


「……お前は生きろ――生きてくれ、ローレンシア」


 それはカサンドラの『姉』としての自分が抑えきれずにこぼれた言葉だった。

 彼女はその言葉だけを最後に遺して――ギガンテスへ再び対峙すると、ためらいなく突っ込んでいった。


「姉上ッ!」


 ローレンシアの叫びが聞こえた。


 巨人から放たれた破壊の光が、カサンドラの姿を飲み込んだ。

 だが、己自身が凄まじいエネルギーの塊となった彼女の身は破壊の渦に喰われることなく、それを切り裂いて巨人に烈風のごとき一撃を見舞っていた。


 夜の中に光の嵐が生まれていた。


 王の纏う気高さには夜さえも近づけない。光の渦は彼女を中心にして、さらにその勢いを増していった。


「だめです、それはダメです、姉上――ッ!」


 ローレンシアは思わず叫んでいた。

 カサンドラがこれから何をしようとしているのか、悟ってしまったのだ。


 あの眩い光は始祖の力だけが発するものではない。あの光の中には、カサンドラの命の輝き――魂も混ざり合っていた。


 彼女は、文字度通り全身全霊の一撃をあのギガンテスに叩き込むつもりなのだ。

 自分自身の支えとも言える魂が薄れ、エネルギーとなって霧散していく中で、カサンドラが最後まで思い続けていたのは『守る』ということだけだった。


 そう思えば思うほど、強い力が無から生じた。


 存在しないはずのエネルギーが次から次へと生まれたことによって、その密度に耐えきれなくなった空間が悲鳴をあげて歪みだしていた。


 聞いたこともない音――音とは空気の振動であるから、それは正確には音ではない――が鳴り響いて、それは強い耳鳴りとなって辺り一面に響いていた。


 自らが巨大なエネルギーとなったカサンドラは、その全てを目の前のギガンテスに向けて解き放った。


 巨人と嵐が激突する。


 ギガンテスの纏う不可視のフィールドと巨大なエネルギーの干渉は破壊的な質量衝撃波となって夜の暗闇ごと森を吹き飛ばした。


 その最中さなかにあって、なぜかローレンシアの周りだけは嵐の目のように穏やかだった。

 暖かいものが自分の周囲を包み込んでいる。それは姉の身体に抱かれた時に感じた、あの暖かさとまるで同じものだった。


 ローレンシアは姉が散りゆくさまを、ただ見ていることしかできなかった。


「姉上――ッ!」


 心の底から叫んだ。

 すると彼女の伸ばした右腕から凄まじい光が放たれて、そして――




 ――いまこの時、この瞬間を、ニュートンズ・クロックが歴史に刻んだ。

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