第3話 初出社の日
「ただいま……」
今日が初出社だった俺は、今まで感じたことが無いほどの疲労感に包まれていた。
足元がよろける中で靴を脱ぎ、壁伝いに部屋まで入る。鞄を床に投げだし、スーツ……のジャケットだけを気力でハンガーにかけ……そのままベッドに倒れ込んだ。
途端に、急激な眠気が襲う。
そう言えば……玄関の鍵……かけたっけ……
そんな思考もあっと言う間に霧散して消えてゆく。
意識が遠のいていく中、どこからか『ガチャッ』という、聞きなれた音が聞こえた気がした……。
髪の色が栗色なのは、別に染めてる訳じゃない。
俺はハーフなんだ。父親がイタリア人で、母親が日本人。
名前からは絶対分からないけど、この髪の色と瞳の色を見ると、誰もがそれを理解してくれた。
学生時代から『ウィリアム』なんてあだ名で呼ばれ続けているが、俺はそれを嫌だと思ったことはなかった。少なくとも、あだ名をつけてくれる奴や、あだ名で呼んでくれる奴が居るという事は、幸せな方だと本気で思っているからだ。
まさか社会人になってまで続くなんてことは予想もしていなかったが……。
目が覚めると、すでに窓の外は明るかった。
部屋の電気は……どうやら眠る前に消したらしい。……だよな?
それにしても、頭が痛い。
理由は簡単。そう。昨夜の新入社員歓迎会で、慣れない酒を飲んだからだ。
あ、無理やり飲まされたとかでは無いから、その辺は心配しないでほしい。
どうやら俺の部署に居る先輩方は良識のある大人らしく、酒を飲んだことはあるか? 付き合う程度には飲めるか? などうるさいくらいに気にしていた。
俺はと言うと、父親から『アルコールは少量飲んでも身体に負担がかかる。育ち盛りの未成年が飲むのは自殺行為だ。だから成人して自分で責任を持てるようになってからなら、その覚悟を決めて飲めばいい。ただし、少量で押さえておきなさい』と言われ続けていたから、嘘偽りなく生まれて初めてお酒を飲んだのだ。
大学時代にサークルの飲み会などに出たときも、学生では自分で責任がとれるとは言えないと判断して、20歳を超えてからもお酒は飲まなかった。
まぁ、甘酒を飲んだことはあるから、ちょっとグレーな判定もあるが……。
ともあれ、グラス一杯のお酒を飲んだのは、生まれて初めてだったのだ。
結果? うん。もう酒は要らないかな……。グラス一杯の生ビールで二日酔いとか、自分がそんな事になるとは思っても居なかった。
そう言えば……良く思い返してみても、父親が酒を飲んでるところを見たことが無い。
なるほど。どうやら親父は下戸だな?
そして俺は、父親譲りの下戸と言うやつなのかもしれない。
となると……やっぱり酒は無しだな。
ベッドに腰を掛けた状態で、しばらくボーっとする。
半分しか開いていない両目で部屋の中を眺めながら、昨晩帰宅した時のことを思い出してみる。
玄関には、真新しい革靴がひっくり返っている。
部屋の入口にカバンが投げ出されている。
ハンガーにかかったジャケットは、右側が外れて落ちそうな状態になっている。
そして俺は、ベッドで寝ていた。なるほど、ベッドに倒れ込んだ後、そのまま寝たってことか。
「寒っ……」
思わず自分の身体を抱く。暖房も付けないまま、布団も被らずに寝ていたのだ。
4月はさすがにまだ寒い。体が冷え切っている。
「…………風呂入ろ」
俺はのろのろと立ち上がって、風呂場へと向かった。
カバンを横に避けてから廊下に出て、風呂場へ向かう途中に玄関を見やる。
鍵……はどうやらかかっていた。
そこでふと、記憶がよみがえった。
寝る直前に聞こえた『ガチャッ』って音。あれってもう夢だったのか?
そう思いつつ、玄関のカギを開けてみた。
『ガチャッ』
うむ……。
『ガチャッ』『ガチャッ』『ガチャッ』
何度か開け閉めする。
これ……寝る前に聞こえたのって、ここのカギがかかる音じゃね?
そんな現実的でない事を思いつつ……俺は何となく、口にしてしまっていた。
「……ありがと」
『どういたしま……あっ……』
…………。
俺はまだ酔っているようだ。
とりあえず、風呂に入ろう。
幻聴が聞こえる中、俺は風呂場に入ったのだった。
ちなみに。
今日は土曜日で、会社は休みだ。
まぁそれに気づいたのは、風呂から上がって時計を見た時に9時を回っていて心臓が跳ね上がった後、スーツを着て玄関を出ようとした時だったのだが。
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