信じたくない男とほほ笑む霊嬢

龍宮真一

第1話 キャベツの千切り

 俺がこのマンションに、この部屋に引っ越してきてからそろそろ1週間だ。

 仕事は来月からなので、今は周辺を散策したり、より快適に社会人1年目を過ごす為に必要な家具やら日用品を買ってきては部屋に設置してニヤニヤしている。


 田中正司たなかしょうじ。それが俺の名前だ。

 髪の色が栗色なのは、別に染めてる訳じゃない。

 俺はハーフなんだ。父親がイタリア人で、母親が日本人。

 名前からは絶対分からないけど、この髪の色と瞳の色を見ると、誰もがそれを理解してくれた。

 瞳の色は少し青味がかっていて、よく友達にはカラコンしてるみたいだって言われたっけ。


 とうとう始まる関東での1人暮らしだ。期待はいやおうでも高まるばかり。

 順風満帆じゅんぷうまんぱん

 社会人1年目がそんな言葉になるよう、会社でも楽しくやっていきたい!

 それが今の目標だ。

 けど、そんな俺にも1つ、悩みがある。

 というか、引っ越してきて悩みが出来た。

 なんて言えばいいのか……。


 そうだ。

 目の前に、まさにその悩みが横たわっているじゃないか。

 何かって?

 勝手にキャベツの千切りが出来ていたんだ。


 いや、まて。

 意味わからんだろそれは。

 うん。ワンモア。

 自分が調理しようとしていたキャベツが、買い忘れた味醂みりんを買いに行ってた間に、千切りにされていたのだ。


 ああ、うん。それでも意味は分からんな。

 自分で説明してて意味不明だし。


 要するに、だ。

 ここに住み始めて1週間で感じてる違和感ってのは……

 俺以外の誰かが、この部屋に居るんじゃねぇか?

 って事だ。


 もちろん、そんな馬鹿みたいな話は無いと思ってる。

 それに、俺以外に誰が居るっていうのさ。居てたまるか。

 だってそうだろ?

 夢にまで見た1人暮らしなんだ。

 その夢の生活を、簡単に壊されてたまるかってんだ。


 大学時代、俺は実家から通学していた。

 大学の友達はいろんな奴が居たけれど、遠くから来て1人暮らしをしてる友達もいた訳だ。

 俺は何度もそいつらの部屋に遊びに行っては、その度に羨ましく思ってた。誰にも文句言われない1人暮らしが俺もしたいなって思ってたんだ。

 そんな憧れを持ちながら4年間勉強とバイトを頑張った。

 就職活動は色々大変だったけど、なんとか今の会社から内定通知が届いた。

 卒論はギリギリだったけどとにかく提出して、若干のお目こぼしで卒業もできた。

 そうして、やっと念願の1人暮らしが始まった。


 これからだ。

 これからいろんなことが、この新しい自分の城からスタートしていくんだ。

 そのはじめの一歩で、ケチが付くことは納得できないじゃないか。

 そう。だから、他に誰かが居るかもしれないなんて気のせいだ。

 そうに決まってる。

 俺は何度も頷きながら、部屋を見渡した。


 部屋は2つ。四畳半の畳を敷いた和室と、六畳くらいのフローリングの洋室。

 それから、小さなキッチンが付いてる。コンロは2つで中央には魚焼きグリルが付いてるから、調理はそれなりに色々と出来そう。

 トイレは水洗で洋式。ちょっと広めで、清潔そうな白い壁紙が良い。

 風呂はトイレと別になっていて、浴槽は追い炊き機能付きだ。

 ガスは都市ガスで、この前メーターを確認しに来ているおばちゃんに挨拶をした。

 部屋の中には近くにあるお店で買いそろえたデスクやソファーが設置されている。買いに行った初日に、家具がこんなに高いという事を初めて知った。でも、好きなものを買って使える満足感はやっぱり何物にも代えがたい幸せだというのも良く分かった。

 と、部屋の内側はそんな感じで、俺が大変満足しているのが分かってもらえたと思う。


 で、立地はと言うと……。

 都心からは少し離れてるけれど、電車で1時間半も揺られれば新宿に出れる場所に、このマンションはある。

 建物自体はちょっと古くて、築34年。バブル時代に建てられた訳だけれど、外壁も内装も綺麗にリフォームされているから、そこまで古臭い感じはしない。


 家賃?

 そうそう。それが驚きの価格なんだ。

 なんと、5万円ポッキリ!

 これで敷金礼金が無しで2か月のフリーレント付き。

 ほんと、すげぇラッキーだったよなって思う。

 あ、けど、問題点が1つだけある。

 駅まで徒歩20分かかるんだ。

 これが無ければ完璧なんだけど……それはまぁ、仕方ない。

 普段は自転車で移動すれば、特に問題無い。

 そう。問題は、無いのだ。


 俺はそこまで脳内で思考を巡らせ、もう一度目の前にあるモノを見下ろした。

 キャベツの千切り。

 これ……使うべきなんだろうか?

 正直言うと、やっぱり気味悪いと言うか、得体のしれないものとなってしまっている感じはある。

 なので使うのは気が引ける……というか、食べるのは勇気がいる。

 が、もったいないという気持ちがどうしても強く働いてしまう。


 ひいばあちゃんが、食べ物は粗末にしちゃいけねぇって言ってたんだよな。

 それはほんとに心から同意できるし、戦争を体験したことがあるひいばあちゃんが言うから本当に説得力があるって言うかそうなんだけどさ。

 うん。

 目の前の、この、これは、なぁ……。


 眉間にしわが寄ってるのが自分でも分かる。

 ひとつまみ。

 口に放り込んでみた。

 ムシャムシャ……。

 ごくん。

 ……。

 なんて言うか……ちょうどいい歯ざわりと言うか、食べやすい細さだ。

 この千切り……できる!?


 そうして今晩の食卓に、その『誰が切ったか分からないキャベツの千切り』は無事並ぶことが出来たわけだ。

 小さな肉屋で買ってきた牛肉コロッケ3つと例のキャベツを一緒に皿に盛り合わせて、ケチャップとマヨネーズを混ぜ合わせたオーロラソースをかけて、一皿完成。

 後は冷製パンプキンスープのレトルトをマグカップに注ぐ。

 白米も最新の炊飯器で炊き上げたものを、少し大きめのお茶碗によそう。

 とりあえず、今晩はこんな感じか。

「いただきます!」

 俺は両手を合わせて威勢よく声を上げた。

『はい、どーぞ♪』


 ……。


 は?


 何だ今のは。


 何だ今の萌え声は?!


 いやいや、気のせい。気のせいだって。はは、俺も張り切り過ぎてちょっと疲れてるのかな。


 俺はとりあえず、全てを気のせいにして、温かい夕食を食べることにした。

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