私と天才

明神響希

私と天才。

これは、私という極々一般の人間が綴る独白である。小説、と呼べるものにはならない。しかしどうかこの文章が、彼女の目に、あの人の目に届くことを願うばかりである。


天才、というのは存在する。私が10と10を足して20にしていく中、かけて100にしてしまうような。必死に階段を登る中、エレベーターで上に行くような。私はそんな天才の括りに入る人間を2人程知っている。


1人目は幼馴染みだった。いつも階段の上から、物事を見ているような奴だった。運動も勉強もなんだって人より出来ていた。全校生徒、教師を含めても100人いないような小さな学校だったこともあるが、彼女は誰かに嫌われなかった。そして誰も嫌わなかった。心が綺麗な人間だった。愛想がよく、ユーモアがあり、起点が効く、やる気のない奴だった。努力嫌い、と言うのが正しいのだろうか。彼女は自分の好きなものに対しこれ以上ないくらい一生懸命だったが、少しでも『努力』という文字を出されると嫌悪するような奴だった。そこそこ仲が良い私はそれが羨ましくあったし、誇らしかった。小学生はそれで良かったのだが、中学に入ってから彼女とのレベルの差に違和感を覚え始めた。羨望と、尊敬と、親愛。その中に押し潰された劣等感。私の2段飛ばしの努力を、彼女はエスカレーターを歩いて超えていって。息切れをする度に、見上げた階段の向こうには彼女の靴だけがギリギリ見えていた。

そんな中2の夏、扇風機の音が蝉の求婚をかき消していた私の部屋で、彼女と私はいつものように2人で何をする訳でもなく一緒にいた。そして唐突に、彼女はこんなことを言い出した。

「私って、天才じゃん?」

確定した物事。当然のことのように彼女は言った。彼女の顔はゲーム機に向いていて見えない。しかし声色は至極いつも通りだった。

「うん」

私は肯定しか出来ない。

「生まれ変わったら、天才になりたいと思う?」

声色も、体勢も、何も変えずに彼女は問う。

「うん」

私は肯定しか出来ない。

「私はね、普通になりたいよ」

普通、と、彼女は言った。目まぐるしい蝉の鳴き声が、扇風機の音を殺す勢いになって。 暑さと扇風機の風のせいか、異様に喉が乾いたのを鮮明に覚えている。

「そう」

私は肯定しか出来ない。

ここからだったと思う。彼女が変わっていったのは。まず、授業をしっかり聞くようになった。技能教科の作品を完成させるようになった。最も衝撃的だったのは、彼女の口から悪口が零れた時だ。彼女と一緒に過ごしていた中で初めてだったし、彼女の口から人を傷付ける言葉が出るのが衝撃だった。「勉強したくないから」と志望校のレベルを落とし、そして今、毎朝、朝テストの予習をしている。

つまり私が羨望し、尊敬し、妬み、切望した天才は、緩やかに緩やかに朽ちていった。鉄が錆ていくように、ゆっくりとゆっくりと、しかし確実に。私は1度も、天才の彼女と同じ景色を見ることは叶わなかった。その後悔は、彼女の「普通になりたい」の願いが叶った証拠なのだ。


2人目は、部活の先輩だった。今となっては先輩と数えて良いかわからない存在になってしまった。私はきっとその人に名前も覚えられていない。私はその人の好きな食べ物さえ知ることは出来なかったし、その人とまともな会話も交わさなかった。その人が尊敬している、と語った人の歌を私は聞いたことがある。私は、ただの曲としか思えなかった。頭の中で反芻されることはあっても、心を揺らされることはなかった。でも、この曲で。あの人は心を打たれ、捕まれ、憧れたのだ。あの人は、天才は、この音と歌詞の中で何を得たのか。何を感じたのか。天才ではない、凡人の自分にはわからなかった。

あの人と1度話してみたかったと思う。あの人の、天才の見ている景色を想像だけでもしてみたかった。もし、私があの人のLINEのトークに一言でもメッセージを送ったなら、その願いを叶えられただろうか。もしあの人が退部しなかったら、もしあの人のチームに参加してたら。もし、もし、たら、たら。私はその願望と理想を繰り返し、天才を見送ることになる。あの人の人生ゲームの中に私と出会うというマスが存在していなかった。あの人が壊したあの壁の意味や意義を、私はこれからもわからないままでいるのだ。あの人が私の存在を認知していた、ということがわかったら、勇気を出してLINEをしてみたいと思う。


天才は存在する。天才の見ている景色は、考えは永遠に理解出来ない。私の視界が届かない場所に消えてしまった天才の面影を、探し求め焦がれながら私は生きていくのだろう。けど、少なくとも。私は今の彼女が私にわからない問題を聞いてくる日々が嫌いではないのだ。天才ではない、彼女の考えを理解出来ることが嬉しい。


私の脈絡のない文章に付き合ってくれたことに感謝したい。小説という括りに入れれない意味の無い言葉の羅列。随筆、とも言い難いこれを、私は敢えて推敲しないことにする。この文章を人前に出すべきかわからない。出せるものでもない。これは私の弱さであり、かっこ悪い部分だから。だから、どうかこれが人前に出た時は。どうかこの文章が、彼女の目に、あの人の目に届かないことを願うばかりである。

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私と天才 明神響希 @myouzinsansan

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