第48話牽制
(いずみ!)
急いで短剣を鞘に戻していずみに駆け寄ると、水月は奪うようにイヴァンから引き離し、ギュッと抱き締める。
薬で抑えていたはずの体温が、朝よりも高くなっている。
きっとしばらく眠れば回復してくれるだろうが……。そう分かっていても、心はやるせなかった。
(ちくしょう。少しは強くなったから、守ってやれると思ったのに……)
己の無力さと、いずみを追い詰めたイヴァンたちに腹が立つ。
心が乱れて、思うままに罵倒したい衝動に駆られそうになる。
だが、ここへ来た時にキリルから言われたことが脳裏に浮かぶ。
『冷静さを失えば、相手に付け入る隙を与えるだけだ』
『あの娘を生かしたいなら、これから一切の隙を見せるな』
己の感情よりも、少しでもいずみのためになるよう動かなければ。
水月は荒ぶる心を適度に押さえつけ、素早く頭を働かせながら肩を震わせた。
「可哀想に……昨日の襲撃のせいで熱出して、無理して薬草の手入れに来たらこの有様。どうしてエレーナがこんな目に合わなきゃいけないんだよ。これで心が壊れちまったら、アンタらのせいだからな!」
横目でイヴァンの顔を見ながら責め立てると、彼は罰が悪そうに眉根を寄せた。
こんな無力で健気な少女を追い詰めて、さぞ罪悪感でいっぱいになっているはず。
ましてや、わざわざ誕生日の祝いに贈り物をするくらい気に入っている相手なら尚更だろう。
罪の意識といずみへの好意が、彼女を守る二つの盾となる。
一つはジェラルドを元に戻されては困る者から守るための、手厚い保護。
もう一つは、これ以上いずみと距離を縮めて、気まぐれに手を出されないための予防線だった。
イヴァンは「……済まなかった」と重々しい声で詫びてから、水月を見据えた。
「一つ尋ねるが、お前はキリルの部下なのか?」
全力で否定したいところだが、私怨抜きで考えれば、自分のやっていることは部下そのものだ。
だが、それを認めるのは癪だし、完全にキリル側の人間だと思われるのも困る。
水月は顔をしかめながら肩をすくめた。
「オレは部下じゃない、ちょっと使い勝手の良い従順な人質だ。そうだろ、キリル?」
目を合わせて同意を促すと、キリルは考える間もなく頷いた。
「その認識は間違っていない。この小僧を部下にするくらいなら、そこの者を部下にしたほうが良い」
そう言ってキリルはルカを一瞥し、イヴァンへ視線を戻す。
……同意見なのに、これはこれで面白くない。
水月が苛立ちを胸で踊らせていると、イヴァンが小さく唸った。
「部下にするとまではいかないが、使えると認めているのか。それなら好都合だな……キリル、できればこの話を知る人間は増やしたくない。だからナウムを俺たちの伝達役に使う」
「……小僧を?」
かすかにキリルの目が細くなり、納得できないという空気を漂わせる。
水月も同感だった。
キリルの変装術ならば変幻自在に姿を変えて、誰にも怪しまれずにイヴァンたちへ近づくことができる。わざわざ未熟者の自分に重要な情報を運ばせる理由はない。
そのことに気づいているのか、イヴァンはキリルの反論を待たずに言葉を続けた。
「お前が親父のために、どれだけ裏で責務をこなしているかなど百も承知だ。そんなお前の負担を増やしたせいで、万が一に対処できなかったらどうする? それに、都合の良いことにナウムはチュリックを通じて人脈を広げているようだしな。俺やルカと一戦交えることがあっても不自然ではないだろ?」
キリルは即答せず、軽く目を閉じて一考する。
再び瞼を開くと同時に、静かで機敏な足運びで水月に歩み寄った。
「確認したいことがある。小僧……何故今回の件を俺に報告しなかった?」
こんな状態になった以上、隠す必要はどこにもない。
水月はいずみを抱き上げてから、キリルの瞳を睨みつけた。
「どれだけ忠実に見えても本当にそうだとは限らねぇし、特にアンタは嘘を嘘と見破れない術にも、秘密を嗅ぎつけさせない術にも長けている。忠実なフリして陛下に毒を盛っているかもしれない人間に、オレたちの命を左右することなんて言える訳ねぇだろ」
信用できるのは、いずみと自分だけだ。
他の人間は信用できない、というよりは知らないことが多すぎて、今この話をしても大丈夫な相手かどうかが判断できていない。だからいずみにも口止めしていた。
近くでキリルを見続けて、ジェラルドに対する忠誠心は本物だと肌では感じていた。
ただ、この判断が正しいと思えるほどキリルを信用できず、今まで用心を続けていた。
この判断は間違っていない。
そう心から信じているからこそ、キリルから目を逸らさずにいられた。
不意に、キリルの口元に微笑が浮かんだ。
「それでいい。だが、これからは必ず俺に報告しろ……伝達役を任せるからには、今まで以上に慎重になれ」
まさかあっさり了承するとは思わず、水月は目を見張る。
いくらこの件を知る人間を増やしたくないとしても、キリルは役不足な者を使うような甘さなど持ち合わせていない。
裏を返せば、少なからずこちらの力を認めているということ。
……今までの扱いを思うと、そんな実感は沸かなかったが。
イヴァンは「決まりだな」と頷くと、ルカに顔を向けた。
「これから俺は執務に戻るが、お前はキリルからこれまでの詳しい経緯と、今後のことを聞いておいてくれ」
「分かりました。……キリル、場所を変えて話をしましょう。ついて来て下さい」
キリルを一瞥してからルカは踵を返し、機敏な歩みで扉へ向かう。その後ろをキリルが何も言わずについていく。
イヴァンは横目で二人の背を見送ると、水月に目を合わせた。
「ナウム、エレーナの目が覚めたら伝えておいてくれ。この件を終わらせたら必ずお前たちを自由にする。それまでは辛いと思うが辛抱してくれ、と」
返事をしようとして、はたと水月はイヴァンに対して敬語を忘れていたことに気づく。
余裕がなくて、思わず素の言葉が出てしまった。流石にそれはまずかったと、内心冷や汗を垂らす。
「お気遣いありがとうございます。そう言って頂けると、エレーナも喜びます」
失礼のない言動に戻したつもりだったが、何故かイヴァンは不快そうに顔をしかめた。
「周りに人がいない時は、俺に堅苦しい態度は取らなくてもいい。お前は俺の部下ではないし、上辺だけの言葉で回りくどく報告されても頭に入ってこないだけだからな」
ああ、これは厄介な類の人間だ。
己を隠す仮面を着けさせず、少しでもこちらの本心を見抜こうとしているのだ。この王子の前では絶対に気は抜けない。
遠慮したいところだが、今は少しでもイヴァンの信用を得たい。
水月は大きく頷くと、扉を開けかけたルカを見やった。
「ご要望というなら喜んで。でも、アンタの従者にちゃんと説明しておいてくれよな」
すぐに応じるとは思っていなかったらしく、イヴァンが面食らった顔をする。
そして一笑すると、こちらに背を向けて立ち去っていった。
残された水月は、腕の中で眠り続けるいずみに視線を落とす。
(一族の信念を守りたい、か。それがお前の望みならオレは受け入れるしかない。でも――)
いずみの頭を支えている手の指を動かし、滑らかな髪を撫でる。
「――頼むからずっとその信念に縛られて、自分の心を押し殺し続けないでくれよ。オレは亡くなった人間よりも、生きているお前のほうが大切なんだからな」
声にならない声で耳元で囁き、水月はいずみを抱き締める腕に力を込めた。
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