第43話水月の秘密

 どうして今この時に、そんなことを言い出すのだろう?

 意図も分からなければ、どんな秘密なのか予想もつかない。思わずいずみはトトと顔を見合わせ、互いに困惑の表情を浮かべる。


「あの……秘密って何でしょうか?」


 おずおずといずみが尋ねると、グインは辺りを見渡し、何かを確認してから囁いた。


「君のお兄さんのことですよ。今どこに居るか分かりますか?」


 水月が今、変装してこの広間のどこかにいるのは知っている。

 しかし、どんな変装をしているのか、ということは聞いていない。と言うより、尋ねても「見られたくねぇから」と、頑なに教えてくれなかった。


 いずみはキョロキョロと広場を見渡して、水月の姿を探す。

 だが、どこを見てもそれらしい人物は見つからず、首を横に振った。


 それを見てグインは満足気に微笑むと、おもむろに顎でイヴァンたちのほうを指した。


「手がかりはイヴァン様の近く……一人一人顔を見ていけば気づくと思いますよ」


 言われた通りの場所を、いずみは目を見開いて凝視する。

 イヴァンの近くにいるのは、アイーダと年齢層の高い来賓が数人と、酒を注ぐ給仕の女たちと、背後に控える中年の兵士ぐらいだ。水月の姿はどこにも――。


「……あっ」


 危うく大声が出そうになり、いずみは手で口を覆う。

 言われるまで気付かなかったが、給仕の女性たちの中に、比較的あっさりした顔立ちの女性がいる。

 長く目で追っていると、化粧で美しく整えられている彼女の顔に水月の面影が重なっていく。


 優美に微笑みながら、洗練された動きで酒を注いでいく。

 本物の女性よりも女性らしい姿に目を奪われていると、ふと水月が顔を上げた瞬間に視線が合う。


 刹那、彼の目が気まずそうに横へ逸れる。

 しかし即座に剥がれかけた仮面を付け直し、何事もなかったように給仕を続けた。


 隣りを見ると、トトも気づいたらしく、驚きで口が開きっぱなしになっている。

 言葉を失うことしかできない二人を、グインが声を殺して笑った。


「キリル様が手取り足取り教えたみたいだから、それなりの変装になるとは思っていましたが……まさかあそこまで化けるとは思いませんでしたよ。本当は口止めされていましたが、この驚きを誰かと共有したくて、つい……」


 付きっきりでキリルが水月に変装術を教えていたのは知っていた。

 ただ、あのキリルが女性の動作を一つ一つを丹念に教えたということは、本人もできて当然ということ――状況が分かっても、まったく想像がつかなかった。


 確かにこれは言いたくなるかも……。

 水月に悪いと思いつつ、いずみが今の話に共感していると、グインは真っ直ぐにこちらを見据えてきた。


「君のお兄さんは、まだまだ秘密を隠し持っていますよ。恐らく、この広間にいる誰よりも一番多く……知りたくないですか?」


 口調は変わっていないが、さっきよりも視線が鋭くなっている。


 ぶるり、といずみの肩が震える。

 怖い。でも何か言わなければ、余計に怖い思いをさせられそうな気がする。


 どうして急にそんなことを言い出したのか、グインの真意は分からない。

 それなら素直に思ったことを伝えようと、いずみは口を開いた。


「知られたくないことを無理に暴きたいとは思いません……それに、私は兄を信じていますから」


 いつも飄々とした笑顔の裏に、秘密が隠れていることは薄々気づいていた。

 けれど、自分のことを全力で守ろうとしてくれることも、生死を共にしてくれる覚悟も伝わってきている。そんな相手を疑いたくはなかった。


 目を逸らさず、互いに無言で視線をぶつけ続ける。

 と、グインが肩をすくめてゆっくりと踵を返す。


「見た目によらず強いですねぇ、君は。私には絶対にできませんよ、そんな自分の命を無防備に預けるなんて真似は……」


 そう言い残し、グインは静かにこの場を離れていく。

 あまりに静かで、姿が見えなくなってもグインが去ったことが信じられない。

 しばらく固まったまま、いずみは呼吸を忘れる。


 ポンポン、とトトに腕を叩かれて、ようやく我に返ることができた。


「もうあの男はいなくなったよ。大丈夫かね、エレーナ?」


 トトの声を聞いて、いずみの胸に安堵が広がる。思わず大きく息をついてしまった。


「ありがとう、トトおじいちゃん。もう平気だから心配しないで」


 どうにかぎこちなく微笑むと、いずみは目の前の宴に目を戻す。

 しかし、グインとの短いやり取りで一気に疲れてしまい、せっかくの踊りを楽しんで見ることはできなかった。


 ビィンッ、と低く重みのある弦楽器の音が大きく鳴り響く。この音を合図に静かな調べは終わり、踊り子たちが入れ替わる。

 その間隙を見て、トトはいずみに目配せした。


「陛下のご様子を見に行くよ。ついて来なさい」


 いずみは短く頷いてみせると、足元に置いてあった薬箱を手にし、トトと共にジェラルドの元へ向かう。


 近づく途中でジェラルドがこちらに気づき、鈍い動きで顔を向ける。

 広場の熱気をすべて遮断しているかのような、血の気のない白い顔。

 目も虚ろで、少しずつ戻り始めていた精気が抜け出てしまったように見えた。


 様子がおかしいことに、トトもすぐさま気づいて顔色を変える。

 歩みを速めてジェラルドの脇へ辿りつくと、トトが跪きながら小声で尋ねた。


「陛下、お体は大丈夫ですか?」


 ジロリとトトを睨むように一瞥してから、ジェラルドは力なく首を横に振った。


「うむ……久しぶりに宴へ出席したが、やはり疲れるな」


 わずかに苦笑を浮かべると、いずみへ視線を移す。


「……新年の舞いは、充分に堪能できたか?」


 弱々しい中に滲む、優しい声。

 思い上がりかもしれないが、自分に舞いを見せるために、無理をして宴の席に座っているような気がした。


 いずみはトトの隣に並んで跪くと、 ジェラルドを恭しく見上げた。


「はい、もちろんです。こんな素晴らしい機会を頂けて、心から嬉しく思っています」


「そうか、それなら良かった。……もう余は疲れた、自室へ戻る。お前たちもついて来い、余の体を診てもらうぞ」


 ジェラルドが手を叩くと、ペルトーシャがすぐに立ち上がり駆け寄ってきた。


「どうされましたか、陛下?」


「余はもう休ませてもらう。後のことはすべてお前に任せたぞ」


 丸い瞳をきらりと光らせ、ペルトーシャは口端を大きく引き上げた。


「かしこまりました、後のことはこのペルトーシャにお任せ下され。どうかゆっくりお休み下さい」


 深々と一礼するペルトーシャを見やってから、ジェラルドは緩慢な動きで立ち上がる。

 それと同時に、どこからともなくキリルが現れ、席を離れたジェラルドの背後へ回った。


「二人とも、俺の後ろへついて来い」


 わずかに振り返ったキリルへ頷くと、いずみはトトと並んで歩き始めた。

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