第26話歪んだ連中
ピクリ、と水月の頬が引きつる。
なるべく余計なことを言わないようにと考えていたのに、思わず口から本音が漏れた。
「……自分で言うなよ。しかも自覚しているクセに治す気一切なしって、本当にどうしようもないヤツだな」
「ええ、救いようがありませんね。でも楽しくて止められないんですよ。相手の体を生かしつつ、己が己であるための精神を殺すことが」
心なしかグインの声が弾んでいる。冗談でも、虚勢でもない。本心からそう考えていることが肌で感じ取れてしまう。
近くにいるだけで自分がグインの狂気に侵食されていく気がしてならない。
腐った果実をかじったような、何とも言えない酸味とえぐみが口の中へ広がる。
水月はそれを強引に飲み込むと、肩をすくめながらグインと目を合わせた。
「いい趣味してるな。頼むから、気が変わってオレたちに仕掛けないでくれよな」
「善処はしますよ。少なくとも君がまだ弱い間は我慢できそうですし。でも、もっと強くなったら耐えられる自信はありませんね。だって――」
グインの瞳に宿る狂気が、ぎらりと強くなる。
「――君は私が一番いたぶりたい人と同じ境遇ですからね。命の恩人のために自分を犠牲にして、相手のためだけに生きようとしているところが……このままいけば熟成されて、より本質が似てくるでしょう。これからの成長が楽しみです」
背後から胸を掴まれるような悪寒にめまいを覚えつつ、水月は冷静にグインを見つめる。
(オレは本当にいたぶりたいヤツの代わり、か。つまりソイツは、グインがいたぶることの出来ない相手ってことだよな)
こんな粘着気質のイカれた相手に狙われながら無事で居続けられる人間など、そう多くはいない。
自分が知っている中でそれができる人間といえば、今のところ一人しか思い浮かばなかった。
「まさか、アンタが一番いたぶりたい人間って……」
顔を引きつらせながら、水月は瞳だけ入り口へ向ける。
グインの口から小さく吹き出す音が聞こえてきた。
「察しが早いですね。ええ、おそらく君が頭に浮かべている人物ですよ」
……オイオイ、どれだけここの連中は歪んでいるんだよ。
微妙に頭が締め付けられるような痛みを感じて、水月は顔をしかめる。
これで自分に関係のない話なら、心からいい気味だと喜ぶことができるのに……。
初めてグインの本命である人間に同情してしまった。
いつものように足音を立てず、スッと入り口からキリルが姿を表す。
それを見てグインは笑みを深くすると、「じゃあね」と水月に手を振りながら、キリルの元へと歩いていった。
幾言か交わしてからグインは姿を消し、入れ替わるようにキリルがこちらへ戻ってきた。
「待たせたな。さあ剣を構えろ……どうした、そんな憐れむような目をして」
キリルに言われて、水月は自分が同情を表に出したことに気づく。
いつものように強がりそうになったが、いずみの頼みを思い出し、喉元まできていた反発を呑み込んだ。
「グインからアンタをいたぶる機会を狙ってるって聞いてな、思わず同情しちまったぜ。あんな厄介なヤツに目をつけられて、よく今までやってこれたな」
ほとんど表情を見せないキリルの目が、わずかに曇った。
「厄介だが有能な男だ。どんな難題でも俺の指示に従い、必ず結果を出してくれる。目的が果たせるなら、俺があの男にどう思われようが構わない」
キリルらしい割り切り方だと感じる一方、感情が表へ出そうになるくらい頭が痛い存在らしい。
これからもグインに用心しなければと考えてから、水月は心の中で呟く。
(アイツの後だとキリルがマシに見えてくるな。……バルディグへ来てから、まともな感覚が消えていく一方だぜ)
まだ二ヶ月も経っていないのに、隠れ里に出入りしていた時の記憶が遥か遠くに感じてしまう。
かすれていく思い出に胸が痛くなる。けれど、思い出に逃げることはできない。
己の退路を断つように思い出から背を向けると、水月はキリルを見据える。
(さて……質問したら素直にコイツが答えてくれるとは思えねぇが、ちょっと聞いてみるか)
短剣を構えたまま水月は瞳だけを動かして、部屋の入口に視線を向けた。
「さっきグインからオレとアンタは同じ境遇だって聞いたぜ。アンタみたいな可愛げのないヤツを助けるなんて、かなりの物好きがいたもんだ」
敢えて挑発的に言ってみる。
無言で鉄拳が飛んでくるだけの気もしたが、キリルの感情を乱して口を滑らせたかった。
キリルはかすかに瞳を逸らし、目を細めた。
「同じ境遇、か……確かにそうだな。お前はあの娘に、俺は陛下に命を救われている。その恩を己の命で返そうとしているところも同じだ」
あの狂王が人助けかよ?
うっかり声が出そうになり、水月は息を止めて抑え込む。
しかし動揺で目を見開いてしまった時に、キリルと目が合ってしまった。
心の声が筒抜けになった気がして、水月の背に冷や汗が滲む。
一瞬キリルの眉間に不快そうな皺が寄る。
だが、すぐに皺は消え失せ、代わりに口端が微妙に上がった。
「いくら陛下が変わられたとしても、俺を助けてくれた事実は変わらない。この命は陛下の物……望まれるままに俺は動くだけだ」
戸惑いを一切感じさせない、芯の通った声。
あんな狂王でもキリルが誇りに思っていることが、強く伝わってきた。
妄信的と言えばそれまでだが、何があっても揺るがない信念だとも取れる。
融通がきかない厄介な男。けれど、ブレないからこそ分かりやすかった。
自分と同じ境遇が重なると、なおさら理解できてしまう。
水月は密かに心の中でため息をついた。
(ゲッ、ひょっとしてオレのことを一番分かる人間がコイツなのか? 勘弁してくれよ、鳥肌が立つじゃねーか)
おそらく分かっているからこそ、いずみを守るための短剣を渡したり、ジェラルドへいずみの手伝いを申し出た時に擁護してくれたのだろう。
自分が絶対にいずみを裏切らないという覚悟を、最初から確信していた人間。
手強い相手だと思う反面、妙な頼もしさが湧いてくる。
(要は陛下の考えとオレの行動が変わらねぇなら、コイツは一番の味方になる……認めるのは癪だがありがたいな。もう少し大きく動いても良さそうだ。それに――)
水月の右頬が引き上がり、思わず微笑が溢れた。
(キリルから陛下が昔と違うと聞けただけでも収穫だな。戻ったらいずみに教えてやらねぇとな)
少しでも早く訓練を終わらせていずみに伝えたい。
彼女の期待に応えることは使命ではあるが、喜びでもあった。
水月が訓練の再開を口にしかかった時、キリルが剣を構える。
「これ以上、時間を無駄にする訳にはいかない。始めるぞ」
望むところだと意気込むと、水月は足に力を溜め、強く床を蹴り出した。
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