第23話違和感の正体

 肩で切り揃えた銀髪に、涼やかな目付き。そこから覗く薄氷の瞳は、青年から漂う硬く落ち着いた雰囲気を強調している。

 いずみを一瞥すると、青年は息をついてからイヴァンに視線を向けた。


「剪定バサミを探していて遅くなってしまいました。申し訳ありません、王子」


 ……王子?

 その単語を聞いた瞬間、いずみは目を瞬かせ、息を止める。


(思い出した。水月が「最低限、コイツらの名前は覚えておけ」って教えてくれた中に、イヴァン王子の名前があったわ)


 その名は忘れていなかった。が、この国の住民ではないために馴染みがないことと、ジェラルド以外に王侯貴族と関わることはないだろうという思い込みから、イヴァンが王子であると繋がらなかった。


 いずみが顔を青くしていると、イヴァンは面白くなさそうに青年を睨んだ。


「せっかく正体を隠していたのに……余計なことを言うな、ルカ」


 事情を知らないルカの目が、一瞬きょとんとなる。

 それからいずみとイヴァンを交互に見て、長息を吐き出した。


「無茶を言わないで下さい。この城内にいる人間で王子を知らない人がいるだなんて、思いつきませんよ」


 かなり親しい間柄なのか、王子を相手に遠慮がない。

 傍で見ているだけでハラハラしてしまい、いずみの動悸が早くなる。


 イヴァンは目を据わらせ、恨めしそうな視線をルカに送っていた。


「確かにそうだが……お前は一体何年俺の側にいる? 側近なら察してみせろ」


 半ば呆れた表情を浮かべてルカは「……善処します」と呟くと、いずみを真っ直ぐに見つめる。

 

「ところで王子、そちらの可愛いご婦人は?」


「彼女はエレーナ……トトの孫だそうだ」


 イヴァンの言葉に、ルカのこめかみがピクリと動く。

 しかし、すぐに微笑を浮かべて、いずみへ軽く一礼した。


「初めまして、私はルカと申します。貴女があの花束を作ってくれたのですね? ありがとうございます。私や王子では、あそこまできれいな物は作れませんから助かりました」


 慣れない扱いにいずみは困惑を隠せず、目が泳ぐ。


「い、いえ、お役に立てて光栄です。でも無断で花を切ってしまって……その、申し訳ありません」


 いずみが頭を下げようとした瞬間、イヴァンが軽く肩を叩いてきた。


「俺が頼んだことなんだ、そんなことは気にしなくてもいい。大体、ここの温室は親父が母上のために作らせた物。その母上に花を差し上げるのだから、誰にも文句を言われる筋合いはない」


 どことなく強引なところはジェラルドと重なるが、イヴァンには人間らしい温かみを感じる。強面で萎縮してしまうが、己の立場を偉ぶらない気さくさに親しみが持てた。


 イヴァンといずみを交互に見てから、ルカは軽く咳をした。


「王子、そろそろ移動しないと、王妃様とお会いする約束の時間に遅れてしまいますよ」


「ああ、そうだな。母上は時間に厳しい方だからな、少しでも遅れたら後が怖い」


 薄っすらイヴァンは苦笑を浮かべると、コツ、と靴音を鳴らして歩き始める。

 足を扉に向けつつ上体をひねり、いずみを振り返った。


「じゃあなエレーナ、また近い内に会おう。ルカ、行くぞ」


 ひらひらと手を振るイヴァンに遅れて、ルカも一礼してから踵を返して後を追う。


 ギィ……バタン。

 完全に扉が閉じると、瞬く間に静寂が広がり、己の動悸がやけに大きく聞こえる。

 

 胸に手を当てながら安堵の息を吐くと、いずみは緊張で乾いた唇を湿らせた。


(見た目は怖そうだけど、お優しい方で良かったわ。でも……)


 おもむろに奥の花壇へ視線を移す。

 薬草を植えるために規模が縮小してしまった、観賞用の草花たち。

 この温室は王妃のために作られた物だとイヴァンが言っていた。なのに王妃よりも不老不死が優先されているのだから、この現状を知れば悲しむことだろう。


 まだ見ぬ王妃のことを思うと、罪悪感で胸が痛くなる。

 いずみは眉間に皺を寄せ、ぎゅっと瞼を閉じた。


 ――と、不意に頭の中で何かがカチリと繋がった。

 思わずハッとなり、目を見開いた。


(……あの陛下が、王妃様のために温室を作ったの?)


 自分の不老不死ばかりに執着し、気に入らない者は容赦なく斬り捨てる。

 噂を聞けばジェラルドが狂王だと誰しも思うだろうし、実際に目の当たりにしてもその考えは変わらない。


 そんな狂王が、誰かのために温室を作るということが信じられなかった。


 昨日からぼんやりと感じていた違和感が重なり、引っかかっていたことの輪郭が鮮明になった気がした。


(陛下は昔からずっと今のような人柄だったのかしら? ……昔よりも性格や言動が変わってしまう病気もあるわ。それに――)


 ゴクリと、息を飲む音が全身に響いた。


(毒を利用して、人為的に狂わされた可能性も考えられるわ)


 不意に宰相ペルトーシャの顔が脳裏へ浮かぶ。

 ジェラルドから正気を奪い、権力を握って私腹を肥やすために執政する――そう考えて、すぐにいずみは小首を振る。


 あくまで一つの可能性であって、実際は違うかもしれない。無闇に人を疑いたくはなかった。


(私、もっと陛下のことを知らなくちゃ……大切なことを見落とさないためにも)


 どちらにしても原因が分かれば、より適切な薬を調合することができる。

 いずみは大きく頷いて意を決すると、今日の調合に必要な薬草を手早く摘み、温室を後にした。

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