第87話疑惑

 声はキリのほうがざらついて低音だが、声などいくらでも変えることはできる。

 口調や話しぶり、言動がナウムと被っている。こちらに触れてくる手の大きさも、触り方も似ている気がした。

 それに、あの男が胡散臭そうな情報屋に、己の情報を漏らすとは思えない。

 

 しかし、ナウムはバルディグでは地位もあるし、多忙な人間だということは知っている。

 そんな人間がこんな胡散臭い連中と直接絡んで、目的を果たすなど有り得ない話だ。もし目的があるにしても、部下を送り込めば済む話だ。


 この男はナウムとは別の人間だ。

 そう結論付けていても、万が一の可能性を見過ごせなかった。


『話は分かった。俺の条件を二つ飲んでくれるなら、お前と手を組んでもいい』


『条件、ねぇ……取りあえず聞いてやる』


 偉そうな口調が鼻についたが、みなもは無視して口を動かした。


『一つはお前が目的を果たす前に、クリスタさんを逃がすのを手伝って欲しい』


『連中に気付かれない程度なら問題ねぇ。で、もう一つは?』


『キリ……お前の顔を見せろ。顔も分からない人間を信じる勇気、俺にはないよ』


 キリの息遣いが一瞬途絶える。

 そして、低いうめき声が聞こえてきた。


『ずっとオレがお前とクリスタを庇っていたのは気づいているんじゃないのか? これが信用の証ってことにはならねぇのか?』


 確かに何度もキリはここの連中から、自分たちを庇ってくれていた。それに気づいていたからこそ、彼の話に耳を傾けたのだ。


 しかし、キリがナウムかもしれないという不安が拭えない以上、首を縦に振ることはできない。


『それだけじゃあ足らないよ』


 みなもが粘っていると、キリは諦めたようなため息を吐いた。


『あんまり人に見せたくない顔なんだがなあ……しょうがない。見た後で、やっぱり手は組まない、なんて言わないでくれよな』


 むくり、とキリは体を起こし、おもむろに頭へ手を持っていく。

 もったいぶるように、フードを左の半分だけずらしていくと――。


 現れた顔にみなもは目を見張った。


 予想していた憎らしい顔は、どこにもなかった。


 かろうじて目鼻口が分かる程度の、やけに腫れぼったい顔だ。

 つい最近ひどいケガでもしたのか、肌は醜くただれ、全体にカサブタが広がっているような状態だった。


 大半の人間は思わず目を背け、憐憫の眼差しを向けるか、表情を歪める顔。

 もしかしたら、誰にも顔を見せたくなかったのかもしれない。


 同情と嫌悪、どちらかの目で見られるしかないのだ。

 ほんのわずかでも己に誇りがある人間なら、何が何でも顔を見られまいとするだろう。


 顔を見せることが、今キリにできる最大の信用の証。

 これを見せられて、やっぱり止めたと引き返せるハズがなかった。


『……分かった、手を組もう。俺はクリスタさんを助けて、奪われた物を取り返せればいい。その邪魔をしないなら、いくらでも好きにやってくれ』


 静かに呟きながら、みなもは毒針を袖口にしまうと、その手をキリの首へ添える。


『でも忘れるな。もし俺を裏切ったら……楽に死ねると思うな』


 こちらの手を払いのけず、キリはジッと見下ろしたまま口端を上げた。


『つまり、オレを絶対に裏切らないってことだな。ククッ、嬉しいことを言ってくれる』


 確かに裏切る気はないが、あくまで手を組むのは互いの目的を果たすまで。

 終わった直後にこの男を捕らえて牢に入れたとしても、約束を破ったことにはならないだろう。


 そんなことを考えていると、キリが再び顔を近づけ、耳元で囁いた。


『まずはクリスタを逃がさねぇとな。何か案はあるか?』


『いくつか案はある。でも、せっかくここから逃げ出しても、また連中に捕まったら意味がない。すぐに誰かが保護してくれないと……』


 クリスタを助けるなら、自分が彼女を安全な場所へ連れて行き、再びここへ戻ったほうが確実だ。

 ただ、異変に気づいたゲイルが、奪った物を持ち去って逃げてしまうかもしれない。


 できれば衣装を取り戻すまで、ここから離れたくなかった。恐らくキリも同じ気持ちだろう。

 みなもは小さく息をついた。

 

『キリ、外にお前の仲間はいるのか?』


『いるにはいるが、血の気の多いヤツらだ。クリスタの安全は保証できねぇ。だが――』


 一呼吸置いてから、キリは言葉を続けた。


『他の情報屋に頼んで、アンタの恋人がここへ来るようにした。今頃はこの近くまで来てると思うぜ』


 レオニードのことも知っていたのか、抜け目のないヤツだな。

 やはり油断ならない人間だと思いつつ、みなもはキリを横目で見つめる。


 今まで見てきた限り、キリが仲間らしい人間と接触した気配はない。

 つまり連中と一緒に仕立て屋へ来る前から、予め手を打っていたのだろう。


 今回の件に関わるすべての人が、この男の手で踊らされている。

 こうなるようにキリが仕向けたのかと思うと、みなもの胸へ冷たく張り詰めたものが広がった。


 しかしレオニードが保護してくれるなら、彼女の安全は間違いない。

 彼女がここにいなければ、心置きなく毒を使用できる。


 まずはクリスタを無事に外へ出すことを考えなければ……。

 少し思案してから、口元に笑みを浮かべた。


『キリ、今から俺をクリスタさんの所へ運んでくれ』


 こちらの提案に、キリが小さく唸った。


『今から? ……ゲイルにアンタを躾けると大見栄切っちまったからな。オレが怪しまれないよう、連中の目をうまく誤魔化せるならいいぜ』


『分かっている。今から俺はお前を拒むフリをするから、それに合わせてくれ』


 みなもは己の襟の裏に指を入れ、隠していた丸薬をひとつ取り出す。

 そして枕のほうへと身をよじり、キリの下から抜け出そうとした。


「……離せ! お前の物になんか、なってたまるか」


 詳しく説明せずとも察してくれたらしく、体の上からキリの重さが消え、動きやすくなる。

 すかさず上体を起こし、みなもはキリを突き飛ばした。


「この野郎……オレに逆らえば、クリスタがどうなるか分かってんのか?」


 粘っこい声を出して、キリが下卑た男を演じる。

 フリだと分かっていても、みなもの背筋に悪寒が走る。

 だが、これでいい。連中に盗み聞きされても怪しまれない。


 ゆっくりとベッドの上へ戻ってきたキリを、みなもは後退りながら睨みつけた。


「彼女には悪いけれど、この体をお前に汚されて、俺の大切な人を裏切る訳にはいかない」


 そう言い終わる前に、みなもは丸薬を口に含んだ。


「――あの人を裏切るくらいなら、死んだほうがマシだ」


 カリッ。歯の奥で丸薬を噛み潰す。

 口の中へほろ苦いものが広がり、一気に喉をすべり降りて、全身へ行き渡る。


 心臓に、グッと掴まれたような鈍い痛みが生まれる。

 息は詰まり、体中が熱を帯びていく。瞬く間に思考は鈍り、抗うことのできない脱力感が襲ってきた。

 

 みなもはその場で崩れ落ち、口元を押さえながらうずくまる。

 指に触れる唇や吐息が、火のように熱かった。


 瞳だけを動かしてキリを見る。

 驚いているのか、彼は体を硬直させ、呆然としていた。


 ハッと我に返ると、素早くこちらと距離を縮め、肩を揺さぶってきた。


「毒を飲みやがったな?! バカな真似しやがって」


 口を覆う手を退かそうと、キリが顔を近づけて手首を掴んでくる。

 そして長息を吐き出してから、ポツリと呟いた。


『本当に毒を飲んだのか? イカれてやがる……死にはしないんだろうな?』


『ああ……俺は毒では死なないんだ。これぐらいやらないと、連中を油断させられない』


 見るからに元気がありそうな人間よりも、身動きの取れない弱り切った人間のほうが油断を誘える。

 それに演技して仮病を使うより、実際に症状が出ていたほうが信憑性は増す。


 ただ、この身に一族の血が流れている以上、軽い毒では効き目がない。

 飲んだ丸薬は、普通の人間が飲めば半刻も経たない内に死ぬような毒。

 一族の人間なら死にはしない。しかし効きが鈍いだけで、毒の影響をまったく受けない訳ではなかった。


 意識が飛びそうになるのを必死に堪えていると、急にみなもの体が持ち上がった。


「これでオレから逃げられると思うなよ。体の自由がきかない程度に解毒して、お前の躾をクリスタに見せつけてやる」


 キリに抱き上げられ、わずかに彼の口元が見える。

 焦った声を出しながら、わずかに見えるキリの口元は笑っている。


(……この状況を楽しんでいるのか。悪趣味なヤツだ)


 やはりこの男とは仲良くできなさそうだ。

 運ばれながら、みなもはキリへの警戒を強めていた。


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