第82話襲撃者たち
「もし解毒剤のことでレオニードがここを離れなかったら、私の様子がおかしいって気づいてくれたかもしれない。でも、解毒薬の材料を探すためにここを離れていたし、戻ってきても忙しそうで、私のことなんて見えていなかった。……やっと落ち着いたと思ったら、いきなり退役して貴方と一緒にここを去ってしまったのよ」
次第にクリスタの声は小さくなり、涙声に変わっていく。
ああ……だから彼女は、最初から俺を憎んでいたのか。
ずっと怖い思いをし続けながら待っていたのに、俺がレオニードの隣を奪った上に、ここから離れていってしまったから。
かろうじてあった一筋の光が途絶え、闇の中へ放り出されたようなもの……どうしようもできないと絶望したのだろう。
自分が彼の隣にいなければ、助かったかもしれない。
そう思うと、みなもの胸がズキンと痛む。
けれどもレオニードだけは譲れない、と望む気持ちは変わらない。
身勝手なものだと小さく息をついてから、みなもはクリスタへ微笑みかけた。
「今までよく耐えてきたね。これで貴女を傷つけた罪滅しになるとは思わないけど……必ず助けてみせる」
大きく目を見開いた後、クリスタの目から涙がこぼれた。
「助けて、くれるの? 私、ずっと嫌な態度しか取っていなかったのに」
「そんな事情があったなら、俺に怒りをぶつけてきて当然じゃないか。むしろ、あれぐらいで抑えていたクリスタさんは優しいよ」
仲間を探すために一人で旅をしていた時、想い人を取られたといって、恋敵を殺そうとした女性を目撃したことがある。
それに情報を集める際に耳へ入ってきた話には、恋愛がらみの事件や、恋敵への恨み節が山ほどあった――多分、得られた情報の半分以上を占めている。
みなもは笑みを消してクリスタの近くに寄ると、声を潜めた。
「襲撃してきた連中は、そこに転がっている人だけかな?」
涙を手の甲で拭いながら、クリスタはこくりと頷く。
「ええ。店内に入って来たのは、私とこの三人だけ……一度、彼らのアジトへ連れて行かれたことがあるけど、そこで十人以上は見かけたから、ひょっとしたら外にも仲間が控えているかもしれない」
こんな大それた真似をするのだから、万が一に備えてすでに手を打っているはず。恐らくクリスタの読みは当たっているだろう。
どう対処していこうかと考えている途中――。
突然、視界の脇に黒い大きな影が動く。
みなもは反射的にそちらへ顔を向けようとした。
しかし思いのほか影の動きは素早く、姿を見失う。
床へ視線を向けると、一番最初に倒れた男の姿が消えている。
嫌な予感が脳裏をよぎり、みなもは慌てて視線をクリスタへ戻した。
その背後には、いつの間にか外套の男が立っていた。
彼女の首に腕を回して締め上げ、ナイフを突き付ける。
「クリスタさん!」
「動くな。この女を死なせたくなかったら、大人しく言う通りにしろ」
毒が効かなかった? 他の二人には効いているのに。
心の中で激しく困惑しながら、みなもは「分かった」と即答する。
下手に動いてクリスタを傷つけられる訳にはいかなかった。
「まずはその奇妙な手袋を外して床へ置け」
男が言い終わらない内に、みなもは言われた通りに動く。
「殊勝な心がけで何よりだ。じゃあ、しばらくそこを動くなよ」
そう言うと彼はクリスタを連れて、隣の部屋へと消える。
扉の向こうから数人の話し声が聞こえてくる。何を言っているのかは分からないが、大方、他の仲間に状況を伝えているのだろう。
と、急に「私に触らないで!」とクリスタが声を張り上げた。
ざわり。みなもの背筋を冷ややかな殺気が走る。だが、
「その女は大切な人質なんだ、もっと丁寧に扱え。少しでも傷つけてみろ……お前のその首、オレが叩き落としてやる」
クリスタを連れ出した男が、鋭くも淡々とした声で仲間たちを牽制する。
妙な威圧感に押され、仲間たちは「チッ、分かったよキリ」と引き下がった。
かすかに安堵の息をつきながら、みなもは手に汗を滲ませる。
(あの男、キリって言うのか。厄介な男だ)
毒が効かない上に、色めき立った連中を一声で抑え込む覇気や、冷静に物事を見極めようとする知性もある。彼を出し抜くのは至難の技だろう。
手持ちの毒でどこまでやれるだろうか……。
膨らみ始めた不安に負けまいと、あれこれ策を考える。
ガチャリ。再び扉が開き、さっきの男――キリが一人で部屋へ入ってくる。
そして、こちらから目を離さず、静かに扉を締めた。
キリは何も言わず、ジッとみなもを見つめてくる。
かろうじてフードから覗く唇は、薄い笑みを浮かべていた。
「オレとしてはお前とじっくり話をしたいところだが、時間がない。さっさと後ろを向け」
手首でも縛って、こちらの動きを封じるつもりなのだろう。
そう高を括り、みなもは素直に背中を向ける。
背後からキリの足音が近づき、ぴたりと止まる。
間近になった彼の気配に、思わず鳥肌が立った。
さっさと用事を済ませて離れて欲しいと、心から望んでいると――。
――みなもの首裏に、キリの指が触れた。
刹那、急激に鼓動は早まり、全身の筋肉が硬直する。
ククッという小さな笑いがキリの喉から溢れた。
「今はお前を傷つける気はないから安心しな。大切なお宝を外させてもらうだけだ」
恐ろしく丁寧な手つきでキリは首飾りを外して机に置くと、今度は背中から腰まで並んだ衣装の留め金を外しにかかった。
みなもは冷め切った表情で後ろを向き、キリを睨みつける。
「止めろ……男に服を脱がされる趣味はないんだ、衣装ぐらい自分で脱がせてくれ」
「そいつは却下だ、またお前が妙なことをするかもしれないしな。それに――」
もったいぶるような緩慢な動きで、キリの手がみなもの頬へ触れた。
「お前、あんまり男だって感じがしないからな。案外とこういう趣向も悪くない」
指の温もりが伝わった瞬間、思い出したくもない記憶が脳裏を過る。
こちらの気持ちも意思も無視して、散々人の体を弄んだ男。
もう彼から離れて二ヶ月が経とうとしているが、つい昨日のことのようにあの男――ナウムの体温や息遣いが甦ってくる。
一瞬にして全身が怒りで熱くなる。
が、足元だけは冷え切り、足が床へ凍りついたように張り付き、動かすことができなかった。
(冷静になれ、自分。この男はナウムじゃない……もしそうだったら、今頃はもっと酷い悪戯をされている)
そう自分に言い聞かせて、みなもは焦りそうになる心を抑えていく。
少し頭が冷える頃には、衣装は体から離れ、耳飾りも外されていた。
「後はその立派な指輪だけか。ちょっと手を出せ――」
キリが言い終わるよりも先に、みなもは素早く指輪を抜き取り、彼の手の平に置く。
「おいおい、勝手に動くな」
「これは自分で外したほうが早いだろ。アンタが時間がないって言ってたから、協力しただけだ」
みなもが片眉を上げて肩をすくめてみせると、キリが残念そうなため息をついた。
「チッ……楽しみは後に取っておくとするか。おい、さっさと服を着替えろ。オレたちのアジトへ来てもらう」
……なんか不穏なことを言いやがったな、この男。
思わずみなもの目が細まり、嫌悪の色がにじむ。
しかし服に袖を通しながら、静かに口端を上げ、薄く笑みを浮かべた。
(そう言えるのも今の内だ。アジトにいる連中ごと、痛い目に合わせてやる)
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