第81話漂う眠り香
衣装に合わせて、どんなティアラが似合うのか、どんな模様を施したつけ爪を着けるのか……エマや針子たちは賑やかに話し合い、候補の物を取り出してはみなもに着けて、すぐにまた別の物を着けてを繰り返していた。
彼女たちのなすがままにされていると――みなもの鼻へ、かすかに甘い香りが届いた。
(これは眠り香じゃないか! まさか……)
嫌な予感がして、みなもは一人顔を白くする。
今ここには国宝の装飾品も、手の込んだドレスもある。売れば一生豪遊しても使い切れないほどの大金を掴めるのは明らかだ。
このままにすれば、間もなく仕立て屋にいる人間が全員眠ってしまう。
しかも全員が女性――年頃の若い者がほとんど――という現状。装飾品などを奪うだけでは済まないかもしれない。
だが、今すぐここから逃げようとすれば、相手が強引な手段に出るかもしれない。逃げ惑う彼女たちを全員守り抜くのは至難の業だ。
もし未遂に終わったとしても、また次の機会を狙ってくるだけだ。
エマたちを傷つけられず、衣装や装飾品を守るためには――。
みなもは素早く頭を働かせ、自分がどう行動するかを考えた後、小さく息をついた。
(相手が一人なら楽なんだけど……国宝を盗むなんて大仕事、一人で済むハズがない。複数を相手にするのは面倒だな)
幸い、護身用の毒は手元にある。いつ襲われても対処できるよう、常に衣服や下着に忍ばせていることが習慣になっている。
毒の刃を仕込んだ靴も履いているが、この格好では動きにくい上に、使えばドレスを破いてしまう。
その分は心もとなかったが、使える毒は他にもある。自分やエマたちの身を守るためなら、『守り葉』の力を惜しみなく使いたかった。
腹をくくって、みなもは事の成り行きを見守る。
間もなく、エマたちの体が揺れ始め、目がとろんとしてきた。
「あら……どうしたのかしら? 体に、力が入らないわ」
首を振ったり、壁に寄りかかったりしながら「私も」「私もだわ」と針子たちが戸惑いの声を出す。
そして一人、また一人と床に崩れ落ち、深い眠りに落ちていった。
みなももエマたちに合わせ、強い眠気に襲われたフリをして体を横たえる。
普段よりも早い鼓動が、大きく体に響いてくる。
薄目を開けて中の様子を伺っていると――。
――むっくりと針子の一人が起き上がり、足を忍ばせながら部屋を出ていくのが見えた。
顔ははっきりと見えなかったが、体躯や髪を見れば誰なのか分かる。
思わずみなもは息を飲み込んだ。
(あれは……クリスタ、さん?)
皆が倒れているのに、驚いた気配はまったく感じられない。
考えたくはなかったが、彼女が眠り香を焚いた輩の協力者――あるいは張本人としか思えなかった。
クリスタの手には何もなかったところを見ると、おそらく仲間を呼びに行ったのだろう。
ここへ戻ってくる前に準備をしなければ……。
みなもはドレスの裾をたくし上げ、腰の方へと手を持っていく。
そこから取り出したのは、ドレスや宝石の煌びやかさとはかけ離れたの、無骨な革の手袋だった。
素早く手袋をはめ、ギュッと手を握り込んで感触を確かめる。
よく使い込まれて柔らかくなった革は、手にとても馴染んでいた。
ドレスを汚さぬよう手を前に放り出し、眠ったフリをし続ける。
ガチャリ。
扉が開き、クリスタと頭からフードを深く被った三人が部屋へ入ってきた。
顔はフードに隠れて見ることはできなかったが、三人の肩幅は広く、体つきから彼らが男性だと分かった。
「おい、あれがそうなのか?」
一人の男がみなもを指さし、小声でクリスタへ尋ねる。
「ええ……よく眠っているわ。今の内に取り外しましょう」
男たちは顔を見合わせて頷き、ゆっくりとみなもへ近づいてきた。
「こんなにきれいなツラしてんのに、男だって言うんだから驚きだよな」
「本当にもったいねぇ。これで女だったら脱がせ甲斐があるけどなあ……男じゃあつまらん。さっさと終わらせてしまおうぜ」
低く唸るような小声でやり取りしながら、一番前に出てきた男が手を伸ばしてきた。
衣装に手をかけられる前に、みなもはそっと男の手に触れる。
次の瞬間――。
「うわっ!」
男が弾かれたように手を引き、その手を押さえながらうずくまった。
後ろにいた別の男が、「ど、どうしたんだ?!」ど慌てて駆け寄ってくる。
前かがみになったところを見計らい――バッ! みなもは上体を勢いよく起こした。
クリスタと男たちが驚きで息を引き、素早くこちらを見る。
顔は隠されていても、困惑の色までは抑えきれていなかった。
「こ、この野郎、大人しくしやがれ」
残りの男たちが両腕を広げ、みなもを捕らえようとしてくる。足元に倒れている仲間や針子たちのせいで、彼らの動きは鈍い。
余裕で避けることもできたが、みなもは敢えて男たちの間へと踏み込む。
そして手を伸ばし、フードの下の顔に触れた。その刹那、
「「――――っ!」」
声にならない声で叫びながら、男たちは顔を手で覆い、その場へ崩れ落ちた。
残されたクリスタは呆然とその場へ立ち尽くし、一気に青ざめた。
「……どうして? この匂いをかいで、起きていられるハズがないのに――」
「悪いね、俺はこういう類の物が効きにくい体質なんだ」
みなもは軽く肩をすくめてから、感情を消した瞳でクリスタを見つめた。
「クリスタさん、そこから動かないでくれるかな? できればこれを女性に使いたくない」
言いながら手を上げ、クリスタへ手袋を見せつける。
「この手袋には毒が塗られているんだ。触っただけでも激痛が走って、体を麻痺させてしまう毒が……」
反射的にクリスタが「うそ」と声を上げ、口元を手で覆う。
毒の手袋が嘘ではないことぐらい、床で寝転がっている男たちを見れば分かるだろう。
ますます彼女の顔は血の気を失ったが、挑むようにこちらの視線を真っ直ぐ受け止める。
敵意に満ちた瞳の奥に、どこか切羽詰まったような色が混じっていた。
そんなクリスタが妙に引っかかり、みなもは少し声を柔らかくした。
「どうしてこんな真似を? レオニードが知ったらすごく悲しむってことぐらい分かっているハズなのに、何故?」
「……そうよ、分かっていたわ。でも、貴方にだけは教えない。レオニードを奪った貴方には――」
「意地を張っても無駄だよ。どんな頑固者でも、強制的に何でも話をさせる薬もあるからね」
みなもは己の背中に手を伸ばし、忍ばせてあった薬を取り出す。
茶色の紙に包まれた薬を見た途端、クリスタは観念したように俯いた。
「四ヶ月ほど前だったわ。強盗団の一味に脅されたのよ。『オレたちに協力しなければ、仕立て屋の連中を全員殺す』って……ずっと見張られていたから、誰にも相談することができなかった」
ぎゅう、とクリスタが拳を握り、小刻みに震える。
殺されるかもしれないという恐怖とともに、苛立ちのような、怒りのような空気が漂ってきた。
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