第74話どうして俺なの?!
コンコン、と誰かが扉を叩く音がした。
二人が顔を上げて扉のほうに視線を送ると、
「レオニード、みなもさーん、今お邪魔してもいいかな?」
どこかフワフワとした、少し高い男性の声――ボリスの声だった。
「ああ、大丈夫だ。入ってきてくれ」
レオニードがそう言った後、一呼吸置いてから扉がゆっくりと開いた。
ニコニコと笑いながらボリスは小屋の中へ入ってくる。
以前よりも顔の血色は良く、こけていた頬も今はふっくらとしている。
みなもよりも背は低く、顔立ちも未だに少年のようだが、これでもレオニードよりも年上だと聞いている。
元気になって良かったとみなもが考えていると、ボリスは二人を交互に見てきた。
「二人きりの甘ーい時間を過ごしているところ、邪魔してごめん。用事はすぐに終わるから、少しだけ我慢して欲しいな」
子犬のようなボリスの丸い目に、悪戯めいた色が浮かぶ。
レオニードの親類ということで、ボリスとゾーヤには自分たちが恋人同士であることも、自分が女性であることも伝えてある。
だから顔を合わせる度に、いつも茶化すようなことを言ってくる。
からかうのは好きだけど、からかわれるのは好きじゃない。
みなもは微笑んであっさり聞き流す。が、チラリと隣を見やると、レオニードは頬をわずかに赤らめ、眉間に皺を寄せながら目を閉じていた。
……本当に嘘のつけない人だ。
レオニードをからかうのが面白いと思うのは、どうやら自分だけではないらしい。
「フフ……気にしないでゆっくりして下さい」
そう言ってみなもは台所へ行くと、新しいコップを出して茶を注ぎ込む。
少し遅れてレオニードとボリスが食卓へ移動し、椅子を引く音がした。
みなもはボリスの前にコップを置いてから、レオニードの隣へ座る。
一口飲んで喉を潤すと、ボリスはおもむろに懐から一通の手紙を取り出した。
「これ、マクシム様からの手紙。内容が内容だから、確実にレオニードへ届けてくれって言われたんだ。あと、すぐに返事を貰って来いってさ」
レオニードは腕を伸ばして手紙を受け取り、真剣な目で封を見つめる。
厚手の紙で作られた封は、周りに金色でツタと鳥の模様が描かれており、中央には竜の横顔をかたどった紋章が刻印されていた。
ごくり、とレオニードの喉が鳴った。
「これは勅命を正式に下すための物じゃないか。もう退役したというのに、一体なぜ?」
戸惑いを滲ませながら、レオニードはテーブルの隅にあったペーパーナイフを手にして慎重に封を開けた。
手紙を取り出して広げると、押し黙ったまま中身を読んでいく。
二枚目に差しかかった時――レオニードが急にうなだれ、テーブルへ肘をついて頭を抱えた。
「……ボリス、この手紙は本当にマクシム様が?」
「うん。マクシム様に呼ばれて直に受け取ったよ。正真正銘、王様の勅命だ」
見るからに深刻そうなレオニードとは対照的に、ボリスの調子は明るい。
事態がさっぱり読めず、みなもは首を傾げながらレオニードへ尋ねた。
「レオニード、一体何が書いてあるのか聞いてもいいかな?」
しばらく低く唸り、長息を吐いてからレオニードはみなもへ視線を移した。
「毎年ヴェリシアでは、春の終わり頃に建国祭を開いているんだ。その時に女神ローレイに扮した女性を主人公にした、大きなパレードが行われるんだが……」
一旦言葉を止めて、レオニードがこちらをジッと見つめてくる。
まだ動揺しているらしく、瞳に困惑の色が残っている。
「そのパレードがどうかしたの?」
みなもが話を促すと、ようやくレオニードが重くなった口を開けた。
「……今年はその女神の役を、君にやってもらいたいそうだ」
「へえーそうなんだ……って、どうして俺なの?!」
まさかこっちに話が向くとは思わず、みなもは目を丸くする。
以前レオニードから、マクシム様にだけは真実を伝えたいと相談されたので、他言無用という条件で承諾したことがある。
王様だからって、特別扱いしないほうが良かったのかな?
激しく後悔しながら、みなもも頭を抱えた。
「そりゃあ、いつかは男の格好を止めるつもりだけど……まだ心の準備が出来てないのに、いきなり大勢の前で女性に戻るなんて――」
小屋の中でただ一人、明るい表情のボリスが笑い声を上げた。
「ハハ、安心してよみなもさん。男のフリをしたままで大丈夫だから」
「え……? どういうことですか?」
「男として女神役をやって欲しいんだって。つまり、大勢の前で女装するってことになるんだ」
理解しきれず、みなもは眉間に皺を寄せて唸り出す。
男のフリして女装しろ? 何でそんな周りくどいことをするんだ?
マクシム様のお考えが全然読めない……。
頭を抱えたまま、みなもは「ねえ、レオニード」と呼びかける。
「これ、正式な王様の命令なんだよね?」
「……ああ、そうだ」
「つまり単に嫌だからっていう理由じゃあ、断れないってことだよね?」
「よほどの理由がない限り断れない。マクシム様のことだ、断ったとしても罰を与えるような方ではないが……」
独り言のようにレオニードが答える。彼も未だに困惑が治まっていないことが、ひしひしと伝わってくる。
でも、きっと断るという考えはレオニードにはないだろう。
いくら兵士を辞めたとはいえ、命令を拒んで王の面目を潰ぶしたくないことぐらい、言われなくても分かる。
あくまで女装するだけ。そう割り切れば耐えられる……と思う。
みなもはやおらと頭を上げると、大きく息をついて軽く拳を握った。
「マクシム様の勅命なら仕方ない。すごく不本意だけど、頑張って女装してみせるよ」
やるからには女神になりきって、役目を果たしてみせよう。
そう意気込むみなもの耳へ、「……君の場合は女装とは言わないだろう」というレオニードのつっこみと、「うん、同感」というボリスの声が聞こえてきた。
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