第72話パレードの配役
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
執務室で書類にサインを書き続けていたマクシムは、ふと手を止め、窓の外に目を向ける。
春も半ばを過ぎ、新緑の草木が日に日に色濃くなっている。生命力を感じさせてくれるこの時期が、一年の中で最も好きだった。
北方の長く厳しい冬を味わっているからこそ、余計に嬉しく感じてしまう。
まだ遠くの山々は雪が残り、純白の姿を残している。それが蒼天の空に映え、なんとも清々しい気分にさせてくれた。
こんな日は無性に外へ出たくなる。本当なら馬を駆って野山を走り回りたいところだが、王という立場上、気軽にできることではない。
だから例年ならば今頃は城の裏手にある庭園に出て、気分を紛らわしているところだ。
レオニードを護衛につけて、冗談で彼をからかいながら日差しと緑を楽しむ――数少ない息抜きできる時間だった。
しかし、今年はレオニードがいない。からかう相手がいない分、少し物足りない。
マクシムは口元に苦笑を浮かべた。
(今頃どうしているかな、レオニードは)
真面目なあの男のことだ、休憩も挟まずに黙々と言われたことをこなしているだろう。
どれだけ周りが休めと言っても最後までやり続けるのだ。レオニードのやり方は、見ているほうが疲れてしまう。
半ば呆れながら、少し拗ねたような顔でレオニードを見るみなもを想像して、マクシムは思わず吹き出した。
(みなもは気が強そうだからな。案外、尻に敷かれてうまくやってるのかもな)
そう思った時、胸の奥にあった好奇心が疼いた。
(……見てみたいな、女性の姿をしたみなもを)
隠そうとされると、余計に知りたくなるのが人の性だ。
別に口説いて自分のものにしようとは思わないが、一度気になってしまうと見たくて仕方がなくなってしまう。
ただ、わざわざ呼び出して女性の格好をしろと強要するのは、国の恩人に対してあまりにも失礼だ。
でも一目でいいから見てみたい。
そんなことを考えていると、扉を軽くノックする音がした。
「マクシム様、クラウスです。新しい書類をお持ちしました」
我に返り、マクシムは「ああ、入ってくれ」と命じる。
音を立てずに扉を開けて現れたのは、痩身の青年クラウスだった。
肩で揃えた白銀の髪に、湖を凍らせたような薄い水色の瞳。
女性が羨むような透き通った白い肌で整った顔立ちをしているが、いつも彼の顔は万年雪を思わせるような冷ややかさを湛えている。
王の補佐官を務める彼の細長い両手は、辞書一冊分はあるだろう紙の束をしっかと持っている。
チラリとマクシムは机の左を見る。そこにはまだ目を通していない書類が二つほど山を作っていた。
思わずマクシムの口から大きなため息が出てくる。
執務とはいえ、こう次々と書類を持って来られるとうんざりしてしまう。
「クラウス、余は少し休みたいんだ。だからお前が代わりに書類に目を通して、署名してくれないか?」
マクシムは悪戯めいた口調になりながら、上目遣いでクラウスの顔を伺う。
これがレオニードなら、思いっきり動揺しつつ断ってくる。
しかし、この男は――。
「無理です、諦めて下さい」
淡々とした調子で、冗談をバッサリ切り捨ててくる。
クラウスとも幼少の頃からの付き合いだが、無駄を嫌う性格は昔からだ。
気軽に分かりましたと言われても困るが、こう反応がなさ過ぎると面白くない。
ムスッとなるマクシムを尻目に、クラウスは「失礼します」とゆっくり書類を机に置いた。
「あちらの書類は、宰相様の所へお運びしてもよろしいですか?」
言いながらクラウスが机の右側に視線を送る。
そこにあるのは、すでに目を通し終えた書類の山。重要な案件でなければ、ほとんど内容はうろ覚えだ。
マクシムが「ああ」と頷いて見せると、クラウスが気配なく右側へ移動する。
コイツ、暗殺者の適性があるんじゃないのか?
そんなことを思いながら、持ってきたばかりの書類を上から数枚ほど手に取る。
いつもクラウスは、重要だと思われる内容を一番上に置いている。だから運ばれてすぐに目を通すことが習慣となっていた。
書類の文字を追っていくと、『建国祭』という言葉が目に入ってくる。
約二ヶ月後に城下街で行われる、一年の中で国が最も賑わう盛大な祭り。
中でも毎年目玉になっているのは、ヴェリシア建国の祖であるハスク王と、彼の妻になったとされる女神ローレイの伝説を元にしたパレードだ。
選ばれた妙齢の女性が女神ローレイに扮し、城下街の大通りをゆっくりと巡り、最後に城内へ入って現王に祝福を与え、ハスク王とともに天上へと帰っていくという内容だ。
(一年が経つのは早いな。つい最近行われたように感じるぞ)
去年はバルディグとの戦争で、例年よりも祭りの規模が縮小されて寂しいものだった。だからその分、今年は力を入れねばと思っていたところだ。
さらに書類を見ていくと、今年のパレードの配役が記されている。
あとは署名が終われば正式決定となり、すぐさま準備が始まっていく。
これは早急に進めなければ。
祭りは民衆の楽しみでもあり、己の楽しみでもある。準備に抜かりがあってはいけない。
上機嫌に微笑みながら、マクシムはガラス製のペンを手に取り、インクにつけて署名しようとする。
しかし、ある考えが浮かんだ瞬間、マクシムは動きを止めた。
おそらくこれを伝えれば、十中八九クラウスに反対されるだろう。
だが逆を返せば、クラウスを説き伏せることができれば、他の者たちも説得できるはず。
それらしい理由をつけて、民意も味方につければ――。
「マクシム様、いかがなされましたか?」
こちらの様子に気づいたクラウスが、淡々としながらわずかに首を傾げる。
しばらく書類を見つめてから、マクシムは「なあ、クラウス」と声をかけた。
「パレードの配役、余が直接選ぼうと思う。今年は特別な年……ぜひ女神となって祝福してもらいたい者がおるのだ」
「そうですか。無茶な話でなければ問題ありませんが……どなたを選ばれるのか、お聞きしてもよろしいですか?」
「ああ。実は――」
慎重にマクシムは女神の配役を口にする。
その名を聞いた瞬間、人形のようなクラウスの瞳が丸くなった。
そして「何を考えているんですか!」と彼には珍しく、感情を乗せた声が発せられた。
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