第47話消せない痛み
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
夕日が沈み、部屋の中が次第に翳っていく。
ベッドで片膝を立てて座っていたナウムは、隣で静かに横たわるみなもの体をジッと見下ろす。
巷の女たちとは違う、引き締まったしなやかな肢体。
しかし男として生きてきた割に、胸や腰にはしっかり女性らしい丸みがある。
戯れに彼女の肩から腰に向けて、手を滑らせる。
男物の服で隠し続けていたその肌は瑞々しく、少しも指に引っかかるものはない。
意識があった時は、これだけでも良い反応を返してくれたが、今は微動だにしないことが少し残念だった。
まだ起きないのだろうかと、ナウムは愛撫を続けながらみなもの顔に視線を移す。
硬く閉じた目の下はほのかに赤く、まだ泣いた跡が消えていなかった。
(……こんなことなら、もっと早くからこうすれば良かったな)
ナウムはフッと、自嘲気味に笑う。
みなもがこの部屋に滞在した時点で、暗示にかかることは時間の問題だった。
暗示をかけたのは、この部屋にある置き時計。
この時計が刻む秒針の音を聞き続ければ、深い眠りにつき、耳元で囁いた言葉に従うようになる。
ただ、この音を意識することがなければ暗示にかかることはない。中には鈍感すぎて気にしない人間もいれば、意図的に聞き流して気にしないようにできる人間もいる。仕組みを知った上で訓練すればかかりはしない。
みなもは用心深く、頭も悪くはない。もしかしたら仕組みに気づいているかもしれない。気づいていなくても、こちらの動きを察して気づいてしまうかもしれない。
様子を伺いながら、慎重に確かめたかった。そのためにゲームで勝った際、みなもへ「動くな」と命じてみた。
移動の疲れと、予想外の現実に困惑して心が衰弱したせいだろう。
たった数刻、秒針の音を聞き続けただけで、しっかりと彼女に暗示はかかっていた。
あの時点で、みなもを今のように扱うことはできたのだ。
それをしなかったのは――。
(ガキの頃は、オレが「いい加減に離れろ」って逃げても追いかけてきたクセにな)
一緒に遊んでいた、幼い頃のみなもが脳裏に浮かぶ。
当時は確かに向けられていた彼女の好意が、奥深くに封じてしまった昔の自分を起こしにかかる。
(思い出にほだされるなんてオレらしくもねぇ。そのせいで、いずみに怖い思いをさせる羽目になったんだ。……自分の甘さに反吐が出るぜ)
みなもとは違う意味で、いずみは特別な存在だ。
恋焦がれてきた女性でもあり、命の恩人でもあり、共に支え合って生きてきた同志でもある。そして――。
ふと、延々と抑え続けていた感情が胸を突き刺し、頭へ痛みを走らせる。
ナウムは唇を噛み、片手で額を覆った。
(本当はオレみたいな罪だらけの人間が、いずみを想い続けることも、みなもを手元に置くことも、許される訳がねぇんだ)
痛みの原因は分かっている。
一対のみになってしまった久遠の花と守り葉への罪悪感。
もし自分がこの世に生まれて来なければ、二人は何も失うことはなかった。
今まではいずみにだけ、負い目を感じていた。
しかし、みなもが生きていると分かった時から、その負い目は倍になった。
このまま自分を消してしまいたいと、どれだけ願ったことか。
そのくせ、いずみの側に居続けたい、みなもを自分のものにしたいと強く望んでしまう。
罪深さと欲深さが激しく交じり合う。
己の中は、狂気じみた悦びに満ち溢れていた。
(ありがとうなあ、みなも。オレが狂う前に現れてくれて)
できれば心も欲しかったが、もう欲張らない。
その体さえあれば、荒ぶる想いをすべてぶつけることができるのだから。
みなもの体が、ぴくりと動く。
ゆっくりと開かれた目は虚ろで、彼女の意思はどこにも感じられなかった。
「やっと目が覚めたか。起きろよ、みなも」
緩慢な動きで、言われた通りにみなもが起き上がる。
次の指示を待っているのか、輝きのない瞳をこちらに向け続けていた。
みなもの肩を抱き寄せ、ナウムは荒々しく口付ける。
まだ意思が残っていた時は、こうすれば身構えて体を硬直させていたが、今は力を入れることなく身を委ねてきている。
あれだけ嫌がっていた人間が、ここまで従順になると気分がいい。
ただ抵抗されない分だけ、物足りなさを感じてしまうが。
(まあ、オレにはこれぐらいが丁度いいかもな。後先考えられなくなるまで夢中にならねぇだろうから)
何度か柔らかな髪を撫でた後、みなもを押し倒す。
密着した肌は柔らかく、互いに冷えていた体が温まっていく。
ナウムは唇を離して彼女の顔を見る。
瞳は虚ろなままだが頬は上気し、熱を帯びた吐息を漏らす。手応えはないが、これはこれで艶めかしくてそそられる。
首筋に顔を埋めようと近づき、ふとみなもの首元に目が留まった。
(……どうして今日に限って、首飾りをしていないんだ?)
みなもへ暗示をかける際、いつも目についていた首飾り。
北方の風習で、妻となる女性に首飾りを贈ることは知っている。
これを初めて見た時、どれだけ鎖を引き千切ってしまいたかったことか。
しかし首飾りを失ったことで、己の身に何かが起きていると気づかれるのは困る。
だからみなもに不審がられないために、ずっと我慢をしてきたのだが――。
(あの男への未練を断つために、みなもの目の前で首飾りを砕いてやりたかったな。……残念だが、まあいい)
心を封じた今、みなもにとって首飾りは、ただのガラクタでしかない。
もう彼女の中には、あの男への想いも、繋がりも、あの首飾りに込められた意味など、何も残っていないのだから。
もし首飾りを見つけたら、みなも自身に壊してもらうのも面白そうだ。
そんな仄暗い享楽に酔いしれながら、ナウムはみなもの首筋をきつく吸う。
赤く刻んだ所有の印は、小さな花びらとなって、艶やかに彼女の体を飾っていた。
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