第26話これ以上傍にはいられない
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
夜になり空高く昇った月が、ヴェリシアの地へ冴えた光を落とす頃。
みなもはなるべく音を立てないよう、荷造りをしていた。
窓から入り込む月光を頼りに手持ちの薬草や薬研を整理しながら、ゆっくり荷袋へ入れていく。
隙間を作ろうとして既に入れた物を押し詰めていると、細長く硬い物が手に触れた。
作業の手が止まり、みなもはそれを荷袋から出す。
黒い鞘に入った、細身の短剣。
普段から腰に挿している護身用の短剣よりも、さらに強力な毒――ホダシタチという蛇から採った猛毒を塗った短剣だった。
刃を出し入れする度に鞘へ仕込んだ猛毒が短剣につき、かすり傷を負わせるだけで人を殺すことができるという代物だ。
みなもは猛毒の短剣に視線を落とす。
(もしかすると、これを使う羽目になるかもな)
今まで自分の身を守るために毒を使ってきたが、まだ人を殺したことはなかった。
自分からこんな物を進んで使いたくはない。
しかし、もし仲間がバルディグに囚われているとしたら、行く手を阻む者を倒し、この手を血に染めてでも救わなくてはいけない。
人の命を救う藥師を生業にしてきたのに、今度は奪わなくてはいけないのかと思うと胸が重くなった。
何度も深呼吸を繰り返して覚悟を腹にためていく。
それでも割り切れず、みなもは大きなため息をつきながら額を押さえた。
「……ここから立ち去るつもりなのか?」
予期せず背後から話しかけられ、みなもは一瞬その場に固まる。
弾かれたように振り向くと、そこには扉を遮るように立つレオニードの姿があった。
「ノックもなしに入ってくるなんて人が悪いな」
咄嗟に誤魔化そうとして、みなもは笑みを浮かべてみせる。
普段通りを貫こうと思っても、顔の動きがどうしてもぎこちなくなる。
いつもなら、すぐに気配を察することができるのに。
動揺で周りが見えなくなるなんて迂闊だったな、と激しい後悔に襲われる。
本当はすべて準備を終えた後、レオニードに黙ったまま別れようと思っていた。
言えばきっと彼は引き止めるだろうし、声を聞くだけで、顔を見るだけで、覚悟が揺らぐ気がしたから。
立ち上がってからわずかに目を逸らし、みなもは床へ視線を逃がす。
「バルディグに仲間がいるって分かったんだ。だから……もう、ここにいる理由はないだろ?」
レオニードから小さく息を引く音がする。しかしすぐに「いや」と言葉を返してきた。
「もしかすると他国で毒が作られて、バルディグへ密かに渡しているという可能性も考えられる。今の時点で結論を付けるのは早過ぎる」
その可能性には十分気づいている。でも――。
みなもはゆっくりと首を横に振った。
「俺の仲間がヴェリシアを苦しめていることは確かなんだ。それなのに、苦労して手に入れた情報を貰う訳にはいかない」
「君は俺たちを助けてくれた恩人だ、毒を作った人間じゃない。知る権利は十分にある」
「……権利っていうのは、受け入れないことも含まれるんじゃないの? このままのうのうと過ごして待つだけなんて、俺の気が済まないよ」
このままでは埒があかない。
どうにか話の流れを変えようと、みなもは顔を上げ、ワザと声の調子を明るくした。
「ずっと探してきて、ようやく仲間と会える希望が持てたんだ。焦ってるのは分かってるけど、やっぱり一日でも早く会いたいんだ。だから――」
「そんな今にも泣きそうな顔をしながら、無理して笑わないでくれ」
レオニードの目が細くなり、自分が痛みに耐えるような表情を浮かべた。
「俺の思い過ごしかもしれないが……君が別の理由でここから離れたがっているように見えるんだ。目的を確実に果たすためなら、間違いのない情報が手に入るまでここに居たほうがいいはず。そして俺たちと協力して仲間を奪還することがお互いの利になる。それなのになぜ?」
思わずみなもの目が大きく見開かれる。
本当にこの人はよく見ている。
初めて会った時も、注意深くこちらを見続け、心のわだかまりを見抜いていた。
あの薄氷の瞳は、こちらが隠そうとすればするほど、秘めていたものを映し出してしまう。そんな気がしてならない。
見抜かれてしまうなら、いっそ曝け出してしまおうか。きっとそのほうが話は早い。
己を隠すことを観念すると、やけに肩から力が抜けた。
「確かにレオニードの言う通り、俺はここから離れる口実を考えているよ。早く仲間に会いたいのは本心だけど……でも、それ以上に――」
みなもは言葉を止め、長息を吐き出す。
軽く目を閉じてレオニードの姿を隠してみると、言いたいことが口から自然に零れてきた。
「――貴方のそばに居続けることが、辛いんだ」
レオニードの息が一旦途切れた後、戸惑い気味に「すまない」と口にした。
「俺は自分で気づかない内に、君を傷つけていたのか?」
「そうじゃないんだ。レオニードが俺の力になろうとしてくれて、すごく嬉しい。今までこんなに誰かを頼るってことがなかったから余計に……」
一人でいた時、いつも寄り添っていたのは、寂しさや苦しみ。
これが当然だと思っていたから、耐えられた。
けれど、こんなに温かくて安心できる場所を知ってしまった今、ここへ留まり続けるほどに、身動きが取れなくなってしまいそうな気がしてならない。
みなもは薄目を開けて、レオニードと目を合わせた。
「貴方の隣は、すごく居心地がいいんだ。ずっと離れたくないって思わせてくれるほどに。でも……それじゃあ仲間を探しに行けなくなるし、レオニードを困らせることにもなる。同性に貼り付かれ続けるなんて、貴方にとって迷惑でしかないだろ?」
話の途中から、レオニードの表情が強張っていく。
こんな愛の告白のようなことを同性と思っている相手から言われて、さぞ面白くないだろう。
頭では分かっているが、彼の顔に嫌悪する表情が浮かぶのを見るのは辛くて、みなもは背中を向けた。
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