第25話血の秘密

 二階の部屋に戻ると、浪司がいつものように「よっ、お帰り」と顔を上げる。

 しかし、みなもの表情を見るなり、浪司は緊張した面持ちを見せた。


「こんな短時間に何があったんだ? この世の終わりが来たような顔してるぞ」


 おかしくに思われないよう、なるべく普段通りにしようと意識していたのに……。

 それだけ動揺が大きいのかと自覚しつつ、みなもは軽く乾いた唇を舐めてから口を開いた。


「ちょっと特殊な薬を作りたいんだ。浪司、誰かが覗きに来ないよう、部屋の前で見張っていてくれないか?」


 できれば秘密を知る人間を少なくしたい。

 ただ、一緒にここまで来てくれた上に手伝いまでしてくれる浪司へ、無下に追い出すようなことを言いたくはない。


 遠回しに見ないで欲しいという意図を匂わせてみる。

 それを察してくれたのか、浪司は渋るどころか疑問すら口にせず「分かったぜ」と言ってくれた。

 外観は鈍そうな熊男だが、意外と察しがいい。


「ネズミ一匹も見逃さねぇから、安心して作れよ」


 浪司は頼もしさを漂わせながら、みなもたちと入れ替わるようにして部屋を出て行く。


 扉が固く閉ざされ、一気に部屋が静まり返る。

 かすかにクツクツと大壺の中で薬が煮立つ音が、みなもの止まりそうになる思考を動かしてくれた。


 みなもは部屋の棚から中身のない小瓶を手に取ると、大壺の所まで行き、小さな柄杓で薬をすくう。

 そして溢れないよう慎重に小瓶の中へと注ぎ、近くの机へコトリと置いた。


 深呼吸してどうにか気持ちを落ち着けると、みなもはレオニードへ視線を流す。


「念を押して言うけれど……今から見ることは、絶対に喋らないで欲しい」


「分かっている。たとえマクシム陛下に尋ねられたとしても口には出さない。約束する」


 一瞬の躊躇も見せず、レオニードが言い切ってくれる。

 これだけ実直な人だからこそ、彼の言葉を疑わなくてもいい。

 そう思うと、みなもの顔に薄く笑みが浮かんだ。


「うん、信じているよ。だから俺がこれからすることも、信じて見ていて欲しい」


 無言でレオニードが重々しく頷くのを確かめてから、みなもは小瓶へ視線を戻した。

 

 懐にしまっていたケガの処置に使う小さなナイフを取り出すと、右の人差し指の先に刃をあてる。

 ひんやりとした金属の冷たさが指先に広がる。

 胸の動悸に合わせて、指先まで脈打っているのが分かった。


 みなもは息を止め――指先に一線、赤い筋を作る。

 鋭い痛みとともに熱が指先へ湧き上がり、さらに親指で押して雫を作っていく。

 その赤い滴を、二滴、三滴と小瓶の中へ落としていった。


 レオニードから息を呑む音が聞こえてきた。


「君の血が材料になるとは……」


 血を押し出すのを止めると、みなもは小瓶の蓋を閉め、軽く上下に振った。


「俺たち一族の血は薬に混ぜれば万能薬にもなるし、毒に混ぜれば自然にある材料では癒せない厄介な毒にもなる。これを悪用されないために、ずっと一族は血の秘密を守ってきたんだ」


 自分たち守り葉が守るべきものは、久遠の花だけではない。

 一族の知識と技術、己の中に流れる血。そして――。


 みなもは睫毛を伏せると、長息を吐き出した。


「将軍が受けた毒には、一族の血が使われている。だから俺の血でなければ相殺できない」


 こちらが意図した答えを察したのか、レオニードの声が一段と低くなった。


「つまり、毒を作っているのは――」


「……そう。間違いなく俺の仲間が、バルディグの毒を作っているんだ」


 こんな形で仲間の生存を確かめたくはなかった。

 レオニードの命を奪いかけ、国を苦しめる毒が仲間の手で作られたと思うだけで、頭には怒りが巡り、胸は慟哭で張り裂けそうになる。

 かろうじて残っている理性のおかげで、見苦しく取り乱すことは抑えられていた。


 事態は一刻を争う。動揺して遅れる訳にはいかない。

 みなもは唇を噛み締めて心の揺れを抑えこむと、レオニードへ小瓶を手渡した。


「悪いけど、下に解毒剤を届けてくれるかな? あと……しばらく一人にして欲しい」


 レオニードを見上げると、同情とも哀れみとも取れる眼差しでこちらを見つめている。

 言葉を紡ごうとする口の動きに気づき、みなもは小首を振り、目に力を入れた。


 彼のことだから、きっと慰めの言葉が出てくるだろう。

 ただ、今はその慰めを言われるだけ、自分が許せなくなる。

 

 こちらの思いが伝わったらしく、レオニードは「分かった。届けてくる」と言って後ろへ下がり、部屋から出ていった。

 扉が閉まる間際まで、みなもを心配そうな目で見つめながら。



 レオニードが階段を下りていく足音を聞きながら、みなもは天井を仰ぐ。


(もう、ここにいる理由はなくなった)


 最初から仲間の行方が分かるまでの滞在だった。

 遠かれ遅かれ、この地を離れることになったのだ。

 それが願わない形で、唐突にやって来たというだけのこと。

 覚悟はしていたはずなのに、身を引き千切られるような思いに襲われる。


 温かなこの場所から離れたくない。

 彼の隣から離れたくない。

 

 気がつくとみなもの拳は固く握られ、ナイフで切った指先から全身へ痛みが広がっていた。


 この痛みが、自分に与えられている役目を突きつけてくる。


 まだ仲間が生き残っている以上、守り葉として戦わなければいけない。

 たとえ自分の身を犠牲にしてでも。

 手にしたものをすべて失うことになったとしても――。

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