四章:新たな毒

第24話新たな毒

 城で薬の調合や負傷兵の治療を手伝い続けて、およそ一週間。

 今日もみなもは貸してもらった部屋で、黙々と薬草を調合していた。


 解毒剤の在庫が少なくなっていたので、大壺を火にかけてコーラルパンジーをじっくりと煮出していく。

 額から汗が滴りそうになり、手の甲で拭う。

 集中力がプツリと途絶え、みなもの意識が浮上した。


(作っても作ってもキリがないな。……それだけ頻繁に戦闘が続いているのか)


 人を癒す藥師という生業は、とても気に入っている。

 辛そうな顔に生気が戻り、その人が笑顔を見せてくれると嬉しくて仕方がない。薬師をしていて良かったと思える瞬間だ。


 ただ、ここでは治った負傷兵が、再び戦場へ戻っていく。

 傷つくために送り出しているのだと思うと素直に喜べない。


 みなもは小さく息をつき、わずかにうつむく。


(レオニードもヴェリシアの兵士だから、いつか戦場に出るのか)


 ふと姉のいずみとレオニードが重なる。

 自分を助けようとしてくれた姉は、行方知れずになった。

 このままレオニードも目の前から消えて、会えなくなってしまったら――。


 そう考えた瞬間、みなもの胸にきつい痛みが走った。

 思いがけず息が詰まり、己の胸元をギュッと掴む。


 鼓動に合わせて痛みが全身に広がる度、不安で心が揺らぐ。

 少し想像しただけで動揺する自分に、みなもは苦笑した。


(……弱ったな。もしそんな事態になったら、何をしてでも引き止めそうな気がする)


 失うことが、怖くて仕方ない。

 もう一人になりたくない。

 いっそ彼が消えないように、自分の体へ縛り付けてしまいたい気分だった。


 扉の向こうから、疎らに足音が聞こえてくる。

 恐らく材料を運んできたレオニードと浪司だろうと思い、みなもは頭を振って気持ちを切り替えた。


 がちゃり、と扉が開いて、レオニードと浪司が荷物を抱えて入ってくる。なぜか二人の表情が曇っていた。

 それと同時に、一階からのざわめきも部屋へ入ってきた。


「お帰り、二人とも。……下が騒がしいみたいだけど、何かあったの?」


 こちらが尋ねると、荷物を先に隅へ置いたレオニードが近づいてきた。

 眉間に深い皺を刻んでおり、口を開かずとも事の重大さを物語っている。


「実は……最前線で指揮を取っていたフェリクス将軍が、毒の矢を受けて城に運ばれて来たんだ」


 レオニードにつられて、みなもも顔をしかめる。


「そんな偉い人がやられたのか……容態は?」


「衰弱しているが、まだ生きていらっしゃる。ただ――」 


 言葉を止めて、レオニードはみなもの目を見つめてきた。


「――城にある解毒剤の効きが悪いんだ。矢の毒をここで調べている最中だが、どうやら今までバルディグが使ってきた毒とは違うらしい。……少しは毒が緩和されているが、このままではお命が危ない」


 他の薬はともかく、毒は守り葉の専門分野だ。

 自分なら即死する物でなければ、どんな毒でも解毒剤を作ることができる。

 最悪、ヴェリシアで入手できる薬草などでは作れないとしても、とっておきがある。

 なるべくなら使いたくはないが――。


 みなもは唾を飲み込んで覚悟を決めると、レオニードに向ける眼差しを強くした。


「今、下にその矢があるなら、俺に調べさせて欲しい。解毒剤が作れるかもしれない」


「ああ。俺がかけ合ってみる。一緒に来てくれ」


 互いに頷き合ってから、みなもは浪司に視線を移す。


「浪司、悪いけど壺で煮込んでいる薬草を見ていて欲しい」


 小刻みに浪司は頷くと、大股歩きで壺へ寄っていく。

 そのついでのように、みなもの肩をポンと叩いた。


「しっかり番してやるから、早く行ってこい」


「ありがとう。任せたよ」


 みなもは言いながらレオニードに目配せし、移動を促した。


 部屋を出て一階へ向かうと、中央の机に最年長の老藥師と他数名が集まっていた。

 みなもが「今、お話しても大丈夫ですか?」と声をかけると、彼らは一斉にこちらを見る。

 ここへ初めて来た時以上に、目下に濃いクマを作っており、頬もひどくやつれていた。


「レオニードから話を聞きました。よろしければ矢を見せて頂けませんか? もしかしたら、私の知っている毒かもしれません」


 みなもの一声で、暗く沈んでいた藥師たちの瞳に光が差す。


「なるほど、みなも殿はヴェリシアの人間ではない。我らが知らぬ毒を知っているかもしれない」


 老藥師が腕を組みながらつぶやき、周りの藥師たちに目配せする。と、彼らはおもむろに体の向きを変えて場所を空けてくれた。

 みなもはすぐに机に歩み寄り、上に置かれた矢と向き合う。


 時間が経っているせいで、矢尻についた血は赤黒く乾いている。

 両手で慎重に取ると、みなもは矢尻に鼻を近づけた。

 血の匂いに混じり、まったりとした甘い花の香りのようなもの――レオニードがやられた毒と同じ臭いがする。


(おかしいな。これなら今ある解毒剤で間に合うハズなのに……)


 首を傾げながら、みなもは血がついていない矢尻に指先をつける。

 その指を、小さく出した舌で舐めてみた。


 舌先にほのかな苦味と、ピリピリした痺れが広がる。

 わずかに口を開き、息を吸う。

 口の奥に清涼感のある草の香りと、熟れすぎた果実の甘酸っぱくも粘ついた香りが届く。


 そして、あまりにか細く漂ってきたのは、生臭さを感じさせない血の味。

 とても馴染みがある――今、一番あって欲しくない味だった。


 みなもは鈍い動きで顔を上げる。

 自分でも顔から血の気が引いていくのを感じる。

 寒気がするのに、胸の奥は叫び出したいほど熱くなっていた。


「……これなら、すぐに解毒剤を作れます」


 藥師たちが「おお!」と声を上げ、表情を明るくする。


「一体どんな薬草が必要なのだ? すぐに用意しよう」


 淡々と、しかし込み上げてくる期待を抑えきれず、老藥師が上ずった声で申し出てくる。

 みなもは小さく首を振った。


「その必要はありません。もう私の手元にありますから」


「なんと! みなも殿には助けられてばかりだ。一体どんな物を使うのだ?」


 老藥師の質問に、みなもは再び首を振る。


「すみません……それをお教えすることはできません」


「どういう事だ? よければ説明してくれんか?」


「これは私の一族――ある藥師の一族だけが扱える物なのです。悪用されぬよう、子々孫々と守られてきた一族の秘密……それを教える訳にはいきません」


 彼らが知りたいと思う気持ちはよく分かる。

 ただ、これだけは人に知られる訳にはいかない。

 譲れない、という思いを込めて、みなもは老藥師を見据える。


 老藥師は眉間に皺を寄せつつ、こちらの視線を受け止める。


「……つまりそれは、我々を信じることはできぬということか」


「失礼ですが、その通りです。お互いにまだ知らないところが多すぎますから」


「そう言われるなら、我々もみなも殿を信じ切ることができぬ。実は貴方がバルディグの密偵で、フェリクス様にとどめを刺そうとする可能性も考えられる」


 相手を疑うということは、自分も疑われるということ。

 頭では分かってはいたが、実際に目の当たりにすると言葉に詰まってしまう。


 どう話を持っていけば良いだろうかと、みなもが考えていると――。


「みなも、俺のことは信用できないのか?」


 背後からのレオニードの声に、みなもは目を丸くする。


 確かにヴェリシアの人間の中で、彼がどんな人なのかは一番よく分かっている。

 自分が知る中で、数少ない信じられる人。

 信じたいと思わせてくれる人。

 

 けれど、知られたくない。

 これ以上、自分の都合に巻き込んで、レオニードを振り回したくない。


 薬師の誰かを選ぶか、レオニードを選ぶか。

 頭の中が目まぐるしく動き、胸中の天秤も大きく揺れ動く。


 考えて、考えて――みなもは、藥師たちに向き直った。


「……私はレオニードのことを信じています。みなさんも信じていらっしゃるなら、彼に解毒剤の調合に立ちあって監視してもらう、というのはいかがですか?」


 机の周りを囲んでいた藥師たちがざわめき、動揺が広がっていく。

 老藥師も一瞬だけ面食らったような顔をしたが、すぐに表情を険しくさせる。


「レオニードのことは我々も信じているが、彼は専門の知識を持っていない。入れられた物が分からなければ意味はない」


「私が作ろうとしているのは、今ここで作られている解毒剤に、ある物をひとつ加えれば作れます。それは専門の知識を持たなくても、一目見ればそれが毒ではないと判断できる物です」


 低く唸ってから老藥師は「ちょっと待ってくれ」と一言断り、他の藥師たちと話し合いを始める。

 しばらくして藥師たちがまばらに頷くのを受け、老藥師はみなもと目を合わせてきた。


「分かった、条件を呑ませて頂く。悔しいかな、我々では即座に有効な解毒剤を作ることができぬ。今は貴方だけが頼り……気を悪くするようなことを言って、申し訳なかった」


 話が通じてくれたと、みなもは安堵で表情を和らげる。


「いえ、私の方こそ失礼なことを言って申し訳ありませんでした。……これから作業に入りますので、少しお待ちになって下さい」


 そう言うと、みなもは踵を返してレオニードの元へ寄る。

 小声で「申し出てくれてありがとう」と伝えると、彼はフッと目から力を抜き、「ああ」と答えてくれた。

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