黒き薬師と久遠の花

天岸あおい

黒き薬師と久遠の花

序章:手折られた花々

第1話始まりの悲劇

 東方に、古より続く薬師の一族――久遠の花と呼ばれし一族がいた。


 あらゆる動植物に通じる彼らは、不老不死さえも叶えると人々に信じられていた。


 不老不死。

 その言葉に魅せられ、いつの時代も久遠の花を我が物にしようという輩は現れた。


 しかし常に久遠の花の隣には守り葉と呼ばれし者たちがいた。

 一族を守るためだけに存在し、その力をふるう。

 久遠の花を奪おうとした者は守り葉によって深い痛手を負い、二度と手を出そうとはしなかった。


 誰も久遠の花を手折った者はいない。


 今までは――。





 真昼の森を二人の黒髪の姉妹が駆けていく。


 長い髪の姉に手を引かれ、まだ十歳になったばかりの妹は道なき道を進む。

 二人とも小枝が顔に当たり、滑らかな肌に赤い線をいくつも作っていた。


 時折、妹を見やる姉の顔が苦しげに歪む。

 いつもは笑顔を絶やさない、穏やかできれいな顔なのに……と、姉の顔を見るたびに妹も顔を歪ませた。


 息を吸うだけで胸が詰まって苦しい。それでも二人は走り続けた。


 が、耐えきれず妹はか細い声を出した。


「いずみ姉さん、もう走れないよ」


 妹の手を引いていた姉のいずみが、足を止めて振り返る。


 聡明さと優しさを湛えた姉の黒い瞳が潤んでいる。

 妹と目が合った途端、いずみは青ざめた顔に涙を伝わせた。


「ごめんね、みなも。辛いかもしれないけど、もう少し我慢してね」


 いずみは笑いかけながら、みなもの頭をなでる。


 短くてクセがある黒髪は、いつになく乱れて整わない。

 周囲から姉の面影があると言われて誇らしいと思っていた顔も、十歳のお祝いに新調したばかりの服も、森の泥に塗れている。


 どうして私たちがこんな目に……。


 思わず泣きそうになり、みなもは慌てて目から滲んだ涙をぬぐった。


(父さんも母さんも、村の守り葉も、みんな斬られちゃった……白い肌の兵隊たちに)


 さっき見た光景が、みなもの脳裏へ鮮明に浮かび上がる。




 いつもと変わらず、のどかな時間が流れていた久遠の花の隠れ里。

 そこへ突然、数多の兵士が流れこみ襲ってきた。


 肌が白い、金や銀の髪をした兵士たち……どの国の兵士かは知らないが、北方の人間だということだけは分かった。


 里を守ろうと守り葉は奮戦したが、何故かこちらの攻撃が相手に通じず、一人、また一人と守り葉は斬られ、命を落としていった。


 子供だけでも逃がそうと大人たちは盾になってくれた。

 けれどみなもが後ろを見た時、大人たちから血飛沫が上がり、その場へ崩れ落ちていく姿が見えた。


 その中に自分たちの両親が地に倒れ、剣を突き立てられた光景もあった。


 咄嗟にみなもは引き返そうとした。

 けれど手を引いてくるいずみの力が強くて、遠ざかることしかできなかった。


 盾である守り葉がなくなれば、久遠の花は逃げ惑うしか道はなく、捕えられるのは時間の問題だった。

 だから力を悪用される訳にはいかないと、逃げられない久遠の花は自ら命を断っていた。

 大人だけでなく、子供までも――。


 そんな状況の中、みなもは姉に手を引かれて森へ逃げこみ、今に至っていた。




「ふもとの町まで行けば、人に紛れて逃げられるわ。それまでの辛抱よ」


 いずみがみなもの手を強く握る。温かい手。なのに姉の手は震えていた。


(姉さん……)


 じっとみなもは姉を見上げる。

 怖いのに、一人で逃げたほうが早いのに、こちらの手を引っ張って一緒に逃げてくれる。


 それが嬉しくもあり、足手まといになっている自分を許せなくも思う。


(私が姉さんを……久遠の花を守らないと! 命をかけて姉さんを逃がすんだ)


 奥歯を噛みしめ、みなもは覚悟を決める。そしていずみから手を離した。


「みなも、どうしたの?! ほら、手を繋いで。早くしないと追いつかれるわ」


 再び手をつかもうとした姉の手を避け、みなもは腰に差していた短剣を抜いた。


「姉さん一人で逃げて。私が囮になるから」


「貴女がそんなことをしなくても――」


「だって私は守り葉だから。久遠の花を守るのは当然だよ」


 みなもはにっかり笑った。


「父さんが言ってた。守り葉は命をかけて久遠の花を守らなくちゃいけないって。それに……大好きないずみ姉さんが苦しんでいるのを見るのは嫌だ」


 言いながらみなもは己を奮い立たせる。


 いくら守り葉とはいえ、自分は非力な子供。きっと兵士たちに見つかれば、力及ばず殺されてしまうだろう。


 死ぬのは怖い。

 でも姉を苦しませるより、自分が苦しい思いをしたほうがマシだった。


 みなもは震える唇を噛みしめ、いずみを見上げる。

 すると姉は悲しそうに目を細め、華奢な妹の肩に手を置いた。


「ごめんなさい。小さな貴女に、そんなことを言わせるなんて……。でも、みなもは逃げて。私が囮になるわ」


「ダメよ! 捕まったら、どんなひどい目に合うか分からないもの」


「私は久遠の花……貴女を生かす道を選びたいわ」


 みなもは目を瞬かせ、首を激しく横に振る。


 きっとみんなと同じように、姉さんも死ぬつもりなんだ。

 もしあいつらに捕まったら、死ぬより辛い目に合うかもしれない。絶対に嫌だ。


 みなもは元来た道を戻ろうとする。

 と、いずみに腕をつかまれて引き寄せられる。


 ちくり。

 一瞬みなもの首に鋭い痛みが走った。


「え――……」


 あっという間にみなもは脱力し、その場へ崩れ落ちる。

 地面へ膝がつく間際、いずみが抱きとめてくれた。


「ね、姉さん、何を……?」


「救急用に持っていた麻酔針よ。こんなことでみなもへ使う日がくるなんて、考えもしなかったわ」


 小さく苦笑してみなもを抱き上げると、いずみは草木が入り組んだ所へ向かっていく。

 背丈のある草で足元が隠れた木を見つけ、静かにみなもを寄りかからせた。


「私も大好きよ、みなも。……元気でね」


 みなもの耳元でそう囁くと、いずみは体を離して踵を返す。

 慌ててみなもは立ち上がろうとするが、手足に力が入らず震えるだけ。ついには視界がぼやけ、意識も朦朧としてくる。


「待って……いずみ姉さん」


 やっとの思いで口にした言葉にいずみは振り返ってくれなかった。


 小さくなっていく背中なんて見たくない。

 けれど遠のく意識に抗い、みなもは姉の背を見続ける。


 いずみが振り向いて戻ってくることを願いながら、懸命に――。


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