プリンセスの刀

@hamaki

プロローグ

 神聖ローマ帝国、西の山間部。

 少女、イルジナは、暗い夜道を、無我夢中で逃げていた。

 裾が破ける。冷たい泥水に足を突っ込む。しかし、構ってはいられない。

 息が苦しい。激しい鼓動で吐きそうになる。だが、立ち止まるわけにはいかない。

 イルジナの横を走る青年、ホンザは、他人事のように呟いた。

「参ったねえ。まさか、エーベンゼーみたいな田舎村に、傭兵崩れの山賊が、大挙して押し寄せるなんて」

 不気味なほど落ち着いたホンザとは、全く正反対に、イルジナは怒りと悲しみを隠せなかった。

「小父さん、小母さん。畜生っ、あいつら、絶対に許さない」

 イルジナは堪えきれず、泣きながら恨み言を吐いた。

 ホンザとイルジナは、同じ家で暮らしていた。ホンザの父と母は、預かったイルジナを息子同然、いや、それ以上に可愛がり、育ててくれていた。

 山賊どもが村を襲った、今日という日までは。

 家々は荒らされ、火を付けられた。あちこちに無惨な死体が転がり、飢えた野犬のような目をした山賊たちが、何かを探すように、村の周囲を徘徊していた。

 偶然、遠くの町に出掛けていたイルジナとホンザだけが、殺されずに済んだものの、現在、追手に怯えながら、逃走せざるを得なかった。

「殺してやる。小父さんと小母さんを殺したあいつらを、一人残らず」

 イルジナの涙は止まらない。山賊に対する復讐心と、今は逃げることしかできない自分の情けなさが、折り重なって。

「なあ、イルジナ。親父と、お袋の仇、本当に討ちたいか?」

 唐突に、ホンザが尋ねてきた。相変わらず、冷静な態度で。

 イルジナは感情の赴くまま、声を張り上げる。

「当たり前でしょう! 小父さんも、小母さんも、村のみんなも、他所から拾われてきたアタシに、親切にしてくれて。優しかった、あの人たちが、すごく、すごく好きだったのに……」

「そっか。なら、良かった」

 イルジナの慟哭を聞いたホンザは、安堵の吐息を漏らして、立ち止まった。

 場所は、急流な川の近く。イルジナは何事かと訝しむ。

「どうしたの、ホンザ。隣町のバートイシュルまで、あと少しよ」

「お前だけで行け。俺はここで、連中の邪魔をする」

 ホンザは踵を返し、真剣に言い放った。当然、イルジナは納得できなかった。

「ふざけないで! なんでホンザが、そんなことしなきゃならないのよ」

「連中の、山賊どもの本命が、お前だからだ」

 イルジナを見据え、ホンザは淀みなく答えた。イルジナはワケが分からなくなる。

「アタシが? 冗談でしょう? 捨て子のアタシを狙う理由なんて、どこにもないわ」

「捨て子じゃない」

 ホンザは頭を振って、驚愕の事実を口にする。

「お前は皇族だよ。この国のな」

 一瞬、イルジナの意識は真っ白になった。

「はあ? 何、寝言ほざいてるのよ。アタシの母さんは娼婦だったわ。小さかったけど、ちゃんと覚えてるもの」

「別に、間違っちゃいない。偉かったのは、父親のほうだ。ほら」

 ホンザは胸元をまさぐると、何かをイルジナに投げた。

 受け取ったイルジナは、目を凝らす。暗闇のため、よく見えないが、なんだか妙に重みのある首飾りだった。

「これは?」

「俺の親父から預かってたもので、いつか渡すつもりだった。もっとも、こんな状況になるなんて、思いもしなかったが」

 ホンザは前髪を掻き上げ、苦笑すると、イルジナに命じた。

「さあ、もう行け。連中の足音が近い」

「いや! ホンザまで死んだら、アタシ、どうしたらいいのよ」

 ごねるイルジナに、ホンザは助言を呈した。

「雇え」

「え?」

「俺たちの村を襲った連中より、強い傭兵を雇うんだ。或いは、数を揃えてもいい。とにかく、連中を圧倒できる戦力を買えば、仇を討てる」

 ホンザの案には、現実性があった。しかし、イルジナは抵抗を覚える。

「あいつらの同類を? 冗談じゃ――」

「嫌だ、とは言わせないぞ。今更」

 突如、ホンザは強い怒気を込めて、イルジナを睨んだ。予想だにしなかったイルジナは、怖じ気付いて怯んだ。

「お前のせいで、親父とお袋、それに村の仲間は死んだんだ。正直、俺がこの手で、お前を殺してやりたいよ」

「そんな、ホンザ……」

 昔から兄のように慕っていたホンザに、殺意を向けられたイルジナは、再び泣きそうになる。しかし、ホンザは容赦なく宣告した。

「選べ。ここで俺に殺されるか、恥を忍んで復讐を果たすか。五つ数える間に、答を出さなければ、前者になるぞ」

「ほ、本気なの?」

 ホンザは無言で、拳大の石を拾い上げた。もし殴られたら、絶対に痛いでは済まされない。

 イルジナは涙を堪え、ホンザに語りかけた。

「嘘だよ。アタシが皇族なんて。みんなが死んだのが、アタシのせいなんて。ねえ、嘘なんでしょ? ねえった――」

 ホンザの投げた石が、イルジナの頬を掠めた。

 熱く、苦しい痛みが、イルジナを襲う。涙は溢れ、足は震えて、言うことを聞かなかった。

「やっぱり、覚悟なんてないんだな。口先ばかりで」

 ホンザはイルジナに掴み掛かり、胸倉を絞め上げた。

「やめて。やめてよ、ホンザ」

「あばよ。永久に」

 にべもなく吐き捨てたホンザは、流れの激しい川に、イルジナを放り込んだ。

 次の瞬間、ホンザの胸に矢が刺さった。

「ホンザァ!」

 翳む視界の中で、イルジナは叫んだ。が、すぐに全ては川に呑み込まれ、イルジナの意識は、身体とともに沈んでいった。

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